降臨 淫欲の邪神アスモデウス

その1

 

降臨

 

「魔導師ダイラムよ。そちの言い分は分かった。我が帝国、ガズバーンが、再びあの『アスモデウス』の脅威にさらされると言うのだな?」

「皇帝グルム様、その通りでございまする。

 ここ数日の北部領における地震の頻発、同じく北部火山帯における地下の熱変動、および我ら魔導師の中に一斉に沸き起こった不穏なる予感。

 それらすべてが、地下深くのマグマ溜まりに身を潜めたと言われるアスモデウスの目覚めを指し示しているものと思われます」

 

「ダイラムよ、お主ら魔導団が予測する彼奴(きゃつ)の再降臨は、どれほどの時期だと見込んでおるのか?」

「地下熱変動の上昇の様子からは、七日、いえ、それよりも早まることもまた、ありえましょう」

「倍のスピードと見積もれば、三日か……。

 民を逃がすにしても、時が足りぬな……。

 なぜ、それが『今』なのだ、ダイラムよ。なぜ、この我の統治下の、この時代なのだ?」

「グルム様の仰りようも、魔導団をとりまとめる者として、その意味も叱責の意も理解いたしております。

 すべてはこの2000年近い時の隔たりの中で、我ら魔導の者の力が衰えてきた故。かつては『ガズバーンに12の大魔導あり』と言われた我が帝国の魔導師も、その力をなんとか保つは、この老いた私、ダイラム1人となってしまっております」

 

 盛大な山城、その謁見の間の奥にある帝国皇帝の私室。

 そこには4人の者達が、誰にも聞かれるはずの無い話に緊張の色を隠せないでいた。

 

 竜人帝国ガズバーン。

 3000年以上もの歴史を誇るこの国は、『帝国』とその名を冠するものの、ここ数百年に関してはその侵略主義を広めることなく、近隣の国々とも交易を通じた穏やかな交流を図っていた。

 

 装飾もほとんど見られぬ質素な王の部屋である。

 中央に位置するのは、一枚板の見事な設えの重厚なテーブル。

 

 その正面に座るは、猛き武人であり、同族の中でもとりわけ見事な体躯を誇るとされる、帝国皇帝である。

 帝国民からは『緋色の武人』との二つ名で呼ばれる皇帝グルム、その人であった。

 

 竜人、と言えども、その身には既に羽や羽毛の痕跡は無く、ヒト属から見れば3倍もの巨体に爬虫類様の頭部と堅牢であるもしなやかな鱗状の皮膚を合わせ持つ、二足歩行形態のれっきとした『人獣類』の一族である。

 多種多様なトーテムを持つ獣人、人類が闊歩する時代、古来帝国の名を冠した竜人達の、その姿と膂力に対しての矜恃はかなりのものであると言えよう。

 

 並みいる竜人の中でもとりわけ見事な肉体を誇る皇帝グルムの後ろに控えているのは、いささか年若い竜人属の若者であった。

 グルムに似たその力強い眼差しと、日頃の肉体鍛錬と帝王学の学びに裏打ちされたその気迫ある表情は、父グルムの第一の理解者である皇帝第一子息のグリエラーンである。

 父グルムと同じ、見事なる緋色の鱗は将来の帝国を担うにふさわしく、午後の陽光を鈍く照り返していた。

 さらにその後方、壁際にて長槍を携える深き翡翠色をした鱗の持ち主は、グルムが妻であり、グリエラーンの生母、フリエルであった。

 

 竜人の一族に取り、その性による能力差は生殖機能以外においてはほぼ見られないと言ってよいだろう。

 グルムがフリエルと知り合ったのは、先代皇帝の命により一介の兵士として帝国軍での任務中、同期兵士としてともに鍛錬を重ねていたときである。

 友人として切磋琢磨する日々の中、フリエルの聡明さとともに互いの戦人としての実力を認めていった二人が人生を共にするパートナーとして相手を意識しはじめたのは自然なことであったろう。

 もっとも、自らが好意を持つ相手が皇帝の第一子息と知ったときのフリエルの驚きもまた、想像には難くないものではあったが。

 

 皇帝の妃たるフリエルの役目は、帝国皇帝の一番近くにてその身を守る、矛であり盾でもあること。

 妃たる身に求められるその要件は、先代皇帝が帝王学の学びの1つとして軍隊へと己が息子を放り出すような形で入隊させたこととは、幾らかの関係があったのかとも思われる。

 

 鮮やかな緋色と深い翡翠色、2色の親子3人に重厚なテーブルを挟み向かい合うのは、帝国魔導団団長、老ダイラムであった。

 

 皇帝とその子息の前ですら深いフードを上げることなく謁見に臨むことが出来るのは、グルムからの深い信頼に基づくものだろう。

 老いたといえども未だ衰えを知らぬ屈強な竜人の肉体は、目の前の皇帝にすら比肩するものであろう。

 グリエラーンにとっても魔導の師であるその老竜人は、かつて『12の大魔導』と呼ばれた帝国が誇る強力な魔導の力を持つもの達の、いわば最後の一人であったのだ。

 

「悲しきことではございますが『平和』と言うものこそが、邪神への対応という点においては諸刃の剣であったのでございましょう。

 この2000年近い安穏の日々は人々の中にある魔導の強き力を必要とせず、それはまた魔導師たる力量を持つ者の出現をも徐々に減らしていったのでございます。

 かつては武力と魔導、その双方を誇っていたとされるグルム様連なる帝国皇帝の血筋と言えども、今ではご子息グリエラーン様のみにわずかにその力が発現しておること、皇帝陛下もまた重々ご理解しておられることかと」

「皮肉なものだな、ダイラムよ。

 先人が、これまでの皇帝が必死に築いてきた『平和』、それこそが、我が帝国の足元を揺るがすことになるとはな……」

 

 アスモデウス。

 彼らの会話の中に出てきた『存在』。

 その姿を現した際には漆黒の獅子の姿を持つとされる、『神』たる存在の一つである。

 

 この地において『邪神』『淫欲の神』などと、おどろおどろしい二つ名で呼ばれる『それ』は、本来、神話時代の他の神々と性質を同一とする『力ある存在』の一つであった。

 

 このような『存在』が人獣類等の生体エネルギーを糧とすることは、かつての神々もすべて同じではあったのだが、この『アスモデウス』と名付けられた『存在』は、ヒトの持つ『繁殖』『生殖』『性欲』のエネルギーを好むというその『性質』が他の神々の追随を許さぬほどに強大であったのだ。

 

 このアスモデウスが2000年ほど前に突如この世に『出現』した際には、その後200年ほどのうちに、この地の人口を数分の1にまで衰退させるほどの『飽食』を行ったと記録されている。

 1800年ほど前『食べ物が減った』ためかあるいは単に『飽きた』だけなのかは分からぬが、自ら火山帯の地下深くに潜り入り、長き眠りについたのである。

 

 当時の記録では、武力による抵抗は一切敵わず、かろうじて『魔導』の力による『結界』のみが、その力に対抗するものとして後世に伝えられている。

 それを頼りに各国がいつか来る邪神の復活に魔導軍を組織してはいたのだが、ここ数百年に及ぶ『魔導の才を持つ者の発生頻度の顕著な低下』には、各国が悩まされてきたのが現状であった。

 ここガズバーンにおいても、皇帝たる一族はその武の象徴である膂力と知の象徴でもある魔導の血を併せ持ってはいたのだが、千年単位に及ぶ平穏は、努力と研鑽によって保つことが出来る武力体力とは違い、精神知の発露である魔導力を低下させてきてしまっている。

 

 ダイラムの言葉の通り、今では皇帝の一族と言えども、その才を持つものは次期皇帝継承権第二位である、グルムの息子グリエラーンのみとなってしまっていた。

 

「して、ダイラムよ。アスモデウスの急な出現という事態に、お主はどのような対処が必要かと言うのか。申してみよ」

「……、陛下もご存じの通り、正直なところ我が魔導団の勢力を結集してもアスモデウスには傷一つ付けることは叶わぬでしょう」

「となれば、あとは『結界』か?」

「いにしえの帝国においても多くの魔導師達の『結界』の力にて、グルム様皆さまの皇帝一族を守り抜いたとは伝え聞いております。しかし、それも人々の中に強き魔導の力があり、『大魔導』と呼ばれるほどの者が数多くいた時代であればこそ。

 今の私めの力では、たとえご本人様に魔導の力あるグリエラーン様と互いに支えつつであっても、ご子息お一人ですら守り切ることが出来るかどうか。

 それゆえにグルム様におかれましては、ご子息グリエラーン様をまずは帝国領より、そう、あの北部火山帯より遠く、アスモデウスの歩み遠き地へとお隠しなさるのが一番かとは思います」

 

 皇帝とその子息。

 両名の成長をも見つめてきた老ダイラムに取っても、それは苦しみに満ちた提言であったろう。

 2度とまみえぬ親子の離別を促すその言葉に一切の『情』は介在せず、ただひたすらに帝国の血を残すという『理』に基づくものである。

 

「それほどなのか、彼奴の力というものは……」

「仮にも『神』と名のつく存在に我ら『ヒト』が為し得ることは、本来はその存在を恐れ敬い、『贄』を差し出すことだけだったのでございます、グルム皇帝陛下。

 グルム様にあられましては、帝国の、このガズバーンの存続のみをお考えいただき、御決断をと願うしかございませぬ」

 

 アスモデウスにはヒトから見ればかなり奇妙な『性質』があると伝えられていた。

 

 曰く、『そのもの、王を好む』。

 曰く、『そのもの、好みのものとの交わりにて『仔』を成し、その『仔』ともどもに国を滅ぼす』。

 

 数千年前よりの伝承でもあり、その解釈は様々な憶測を含むものではあった。

 だがその伝承の核ともなる点、人獣類達の王や王族、一族の代表者といった『集団に対しての支配的立場』にあるものとの何らかの『交わり』にて己の眷族を生み出し、その存在とともにそれぞれの国を蹂躙していくという点では、後世の学者においても一致した見解が示されていたのである。

 

「実に、実に悍ましい(おぞましい)ことだな……」

 

 かつて邪神の所業についてダイラムの講義を聴いた際の、グルムの言葉であった。

 これは人獣類の立場からアスモデウスという『存在』を見たときの、嘘偽らぬ感情であったろう。

 

 この皇帝グルムの言葉は、己が雄性であるがゆえのものでは無い。

 

 この時代、ほとんどの人獣種において、性的な行為は己と相手の性別に囚われず自由に行われているのが常態である。

 グルムの言う『悍ましさ』とは、『意図せぬ関係を強制的に持たされ、その結果としての『仔』の発生が、亡国への歩みの一つとなること』を指しているのであった。

 本来、いにしえの『神』と呼ばれる存在に性別などは存在しえないものではあろうが、皇帝一族の長たるグルムに取りその『存在の所業』を我が身に引き寄せての思いが、まさにこの一言に込められていたのだ。

 

 前回のアスモデウスの降臨の際、その『仔』等は『淫獣』と呼ばれ、最後の1頭(一人? 一神?)は、数百年単位で各地を転々とした後に、750年ほど前にやっとその存在を滅することが出来たのだ。

 それはまた『淫獣』等が『神』としての存在とは位相の違う、『実体』を持つものであったが故の僥倖であったろう。

 とはいえ、たとえ異形異神のものではあっても、己が『血』引く『モノ』と相対することは、当時の為政者、王達にとって苦痛を伴うものであったことは想像に難くない。

 そしてそれこそがまた、アスモデウスを『邪神』と言わしめる性質の1つであったのだ。

 

「グリエラーンよ、我が息子よ。お前に、勅命を与える。

 この艱難にあたり帝国を抜け、ひたすらに自らの身を守れ。そして遠き地において、いつかまた、この竜人の王国を築く根を張るがよい」

 

 皇帝としての、強い言葉であった。

 

「父上! それは出来ませぬ!

 継承権あると言えども、私は今だ父上の盾となるべきもののはず。この身にいただいた魔導の力、父上と母上を守るためであれば、如何様にもその楯となりましょう!」

 

 こちらはそれに応える若者の、青年の、必死の叫びであった。

 

 父であり皇帝であるグルムの目は、若き息子の、その想いよりも我が統治する帝国の未来を見据えたものであったろう。

 

「ダイラムよ。これまでにお主から聴いてきた話を元とすれば、我や妃、他の一族も皆、

魔導の力を持たぬ者にとって、アスモデウスと相対し隷属させられることは、もはや運命と言って変わらぬほどのことなのであろう?」

「……御意。その力の及ぶところにおる人々は、まさに一瞬にしてかの『神』の僕(しもべ)となることは、古文書にも多く記されておりました。……たとえ皇帝陛下と言えども、その『力』に抗うことは、まず不可能かと」

「その力、如何様なものかを説明せよ」

 

 グルムのダイラムへの命は、己は既に知るその内容を、息子たるグリエラーンに聞かせるためのものでもあったのだ。

 

「……かつて皇帝陛下には講義させていただいたことではありますが……。

 その隷属させられた者どもはアスモデウスへの忠誠を誓うとともに、かの『神』の好みに合わせ『情欲の塊』となると伝えられております。

 性別も出自も、己と繋がるものかすらも問わず、その近くにいるものとの情交を激しく行い、その色欲には終わりが無いとすら記されておりました」

 

 グルムの顔に一瞬表れた表情は、民の上に立つものとしてはありえぬほどの、悲しみに満ちたものか。

 

「グリエラーン、我が息子よ。ダイラムの話を聴いたお前にも分かるであろう。

 アスモデウスの力に侵された私が、息子であるお前に我が『拳』を、『剣』を、あるいはこれが一番恐ろしいことやも知れぬが、我が我の心の奥底によどむ『情欲の炎』をも、そなたに向けてしまうことすらあり得るのだ。

 ダイラムや、あるいは魔導の力を持つお前であれば、その『力』にていささかの抵抗は出来るのやもしれぬ。

 だがまだその力芽生えたばかりのお前にとって多少の抵抗は為しえども、その力を押さえ込むまでには到るまい。

 それこそが、我がお前に勅命を与える『理(ことわり)』である」

 

「父上……、いえ、ガズバーン皇帝陛下、それが、それがこの状況で私が取り得る最善の『選択』なのでしょうか……」

 

「ああ、そうだ、そうである。我が息子、いや、我を除く者として帝国の継承権最高位を持つグリエラーンよ。

 往け、ダイラムとともに。

 我が一族の血を、後世に伝え残す。

 それのみの思いにて、ただちにこの城を去れ!

 それこそが、我、ガズバーン皇帝としての命、最後の勅命である!」

 

 己の心のままに行動することと、皇帝の一族としてその血を残すこと。

 皇帝グルムの第一子として生まれ、その誠実さ勤勉さゆえに次期皇帝としての資質も十分と思われていたグリエラーンである。

 その誠実さゆえの、父を思う心ゆえの、葛藤すらも許されぬ『勅命』であった。

 冷静に考えれば、父である皇帝の発する言葉こそが正しい。

 そのことが理解出来ぬグリエラーンでは無い。

 

 父、グルム、母、フリエルをゆっくりと見遣り、グリエラーンが己の心を押し殺し、この部屋をダイラムとともに退出しようとしたそのとき、部屋の天井近くの空間がぐにゃりと歪む。

 

 

「グルム様っ!!!!!!」

 

 

 ダイラムから発せられた驚くほどの大声に、室内にいた4人すべてが一斉にその視線を追う。

 

「あ、あ、あ、あれは、あれは……」

 

 カタカタと震えるグリエラーンの様を見れば、父母には無き魔導の力を持つものゆえの『理解』が早かったのか。

 グリエラーンの前に進み出で、その杖を構えたダイラムが叫ぶ。

 

「あの禍々しい『気』っ!! 彼奴は、アスモデウスでございますっ!!」

「な、なんとなれば、早すぎる……」

 

 ダイラムの言葉に愕然とするグルム。

 帝国一の武人でもあるフリエルは愛槍を瞬間的に戦闘態勢へと構え直し、びくともその肢体を揺るがすことが無い。

 

 ダイラム等、魔導団の分析にて7日後と予測されたアスモデウスの『出現』は、なんと今、『今、このとき』を持って、現世に降臨したのであった。

 

「ほう……。お主のまとうその『気』と『心』を見れば、お主こそが今の世の『王』たるものか……」

 

 宙にゆったりと横たわっている黒獅子の姿に見える『それ』が、グルムをチラリと見やりながら言葉を発する。

 その禍々しくも圧倒的な気配を前に、どのような取り繕いも無用と悟ったグルムが、なんとか己の心を奮い立たせ、大音声で『それ』へと答える。

 

「我が目の前にあるその姿、我が一族にも伝え聞くアスモデウス神と心得る。

 まさに我こそが竜人帝国ガズバーンの現皇帝、グルムである」

 

「相変わらず勇ましいことよ、小さきものよ。して、我が今ここに姿を現した、そのことの意味もまた、分かっておるのじゃろう?」

 

 アスモデウスと呼ばれる存在。その艶やかな漆黒の獣毛に覆われた獅子頭がゆらりと動き、その口角が上がる。

 ヒトの目に映るそれは、あまりにも邪悪な、あまりにも淫蕩な笑みであった。

 

 邪神の禍々しいまでの『気』。

 執務室にけぶるかのように広がったその『気』を、一気に切り裂くような叫びが響いた。

 

「我が夫の前で、そのような顔をするでない!

 ガズバーン皇帝グルムが后、我フリエルの槍を受けてみよっ!!」

「フリエルっ!!!」

「フリエル様っ!!!!!」

 

 一瞬の出来事であった。

 

 それまで猛々しい彫刻かのごとく、微動だにしなかったフリエルである。

 力では到底叶わぬと知りつつも、我が夫へと向けられたその淫蕩なる『気』にどうしようもない情動が沸き起こったのであろう。

 

 フリエルがアスモデウスとグルムの間を遮るようにとその美しい翡翠色の身体を翻し、その動きに気付いたグルムとダイラムが身を挺して阻止しようと動く。

 だがグルムと同じく竜戦士としての力を持つフリエルの初動を捉えることは誰にも叶わず、その構えた槍の切っ先が、宙に浮かぶアスモデウスへと触れようとした瞬間ーーーー。

 

 

 パンっ!!!!

 

 

 乾いた、軽い音であった。

 

 

 その場にいた誰もが、一瞬にしてかき消えた翡翠の戦士、フリエルの姿を見失う。

 最初に気付いたのは、やはり皇帝その人グルムであったか。

 

「フリエルーーーーーーーーっ!!!!」

 

 左方の奥壁に広がった赤い染み。

 ゆっくりと朱き血が、石壁の凹凸を伝って流れ落ちていく。

 

「あ、あ、ああ……、は、母上様……」

 

 がくりと膝を突くグリエラーン。

 老いたダイラムは、呆然と宙を見つめる。

 

「ふむ、目の前に何か飛び出してきたものでな。軽く払ったのだが、アレはお主にとってのなにがしかの者であったのか?」

 

 あまりにも瞬間、刹那の出来事に、その場に残された3人の男達の思考はまったくついていっていないようだ。

 

「まあ、そのようなことはどうでもよい。

 ふむ、お主の気、なかなか旨そうでもあり、しかもそこにいるのはお主の息子と言うものらしいな。

 来よ、小さき者どもよ。

 我が下に来たりて『仔』を成そうぞ」

 

 アスモデウスの瞳には、もはやダイラムの姿すら映ってはいないようである。

 その淫猥な、濁った光に溢れた視線は、グルムとグリエラーン親子2人に強く注がれ、細くしなやかな尾の先が、ゆらゆらと宙を舞う。

 

「皇帝とやら。まずはお前の精をもらおうか。

 それには……、ふむ、息子たる者に父の情欲を昂ぶらさせしことも、一興なりかな?」

 

 室内にアスモデウスが放つ『淫の気』が満ちる。

 

 黒獅子の尾の先端が、ゆらりと揺れた。

 その動きに導かれるように、ふらふらと父である皇帝の前に跪くグリエラーン。

 その目の前では父たる皇帝の性器が格納されたスリットが、アスモデウスの『淫気』に当てられ、じっくりとその割れ目を開きつつあった。

 

「や、やめろ……、グ、グリエラーン……」

 

 魔導の力だけで言えば、父であるグルムよりもその息子グリエラーンの方が、より強き力を持っていたはずである。

 それでも、一言も抵抗することなく父の前へと跪いた息子に対し、父がわずかばかりの抵抗の意思を見せたのは、それこそが皇帝たる男グルムの恐るべき精神力の表れでもあったのだ。

 

「グ、グルム様……、グリエラーン様……」

 

 冷たい石床に膝を突いた老ダイラムの声が、むなしくも悲しく響く。

 

 邪神から放たれるあまりにも強い『淫の気』に身動きすら取ることが出来ないダイラムの目の前で、親子二人の淫猥なる行為が始まろうとしていた。