戌亥武之進、闇に逃げる

その3

 

 黒虎と武之進が闇にまぎれて屋敷を逃げ落ちる前、ある夜のことである。

 当主戌亥源三郎と、嫡男甲子丸、さらには黒虎、赤虎、黄虎の5人による密やかな現状確認とこれからの方針を打ち合わせた会合の後、黒虎は源三郎の言葉に従い、その寝所へと赴いた。

 

「いよいよもって、明日か明後日までの我の命か。くろよ。これまでよく、尽くしてくれた。この戌亥源三郎、なにをもって感謝を表してよいか、分からぬほどじゃ」

「もったいないお言葉でございます。我も、赤も、黄も、殿とご子息、奥方様らの最後まで、見届けさせていただく所存でございます」

 

 明るく笑う源三郎は、すでに己の命運を知り尽くしたものだけが持つであろう朗らかさをともにしている。

 その命運を共に抱く息子の甲子丸は、母達とともに最後の夜を過ごすこととなっている。

 

「奥方様方には、よろしいのですか?」

 

 本来であれば、庭の者、忍びの者としては出過ぎた言葉である。

 それを許す信頼が、すでに2人の間には固く強く、構築されてきている。

 

「よい。あれらにはもう、最後の言葉は伝えておる。男とおなごは、時の過ごしようもまた違うもの。仔である甲子丸との最後のときを、豊かに過ごしておることであろう」

「はっ、要らぬ心配でございました……」

「くろよ、近くに来てくれ。最後の命を、お前に託す」

「御意」

 

 膝を進め、源三郎に近寄る黒虎。

 すでに準備をしていた書状を、源三郎が黒虎にも読めるようにはらはらと広げていく。

 

「これは、熊谷家宛ての書状でございますな」

「ああ、そうじゃ。あちらには武之進はまだ訪うておらぬゆえ、幾分かはあやつの紹介状にもなっておる」

「先般のお家同士の『契り』では、源三郎様、源之進様のみがご参加でしたゆえ……」

「そうじゃ、そのために嫡子である旨と、幾分かの金子(きんす)を用意しておいた。熊谷家まで武之進が無事逃げおおせたときに、お前から熊谷家当主、勇剛殿に渡してくれ」

「我が命に代えて、その命、守り仰せましょう」

 

 契約主の最後の命であった。

 その成約にいたるには、互いの信頼のみが成立条件であるだろう。

 ことが成ったとき、そこに契約金を払うべきものは、すでにこの世の者では亡くなっているはずであった。

 

「そしてその金子では足りぬとは分かっているのだが、もし武之進が再び戌亥の家を興すとなれば、その助けとなってほしい」

「……、赤虎、黄虎はまた違うかもしれまぬが、この黒虎、我が命尽きるまで、武之進様にお仕えすること、ここに約束いたしましょう」

「感謝するぞ、くろよ。お主の忠誠、侍と並ぶものなり」

 

 忍びの者に取り、果たして源三郎のその言葉が『誉れ』であるのかは、分からぬことであった。

 だがそこには互いの逸物を口にし、その尻穴を犯し合った者同士だけに伝わる『何か』があったのである。

 

「そして、もう一つだけ……」

 

 源三郎の言葉が少しばかり揺らいだ。

 

「はて……?」

「まことに頼みにくく、かつ、『つや』や『えん』、『ふせ』には、絶対に知られてはならぬ『命』だ」

「……、どのようなものでございましょうか」

 

 おそらくは忍びの者として受け取れる契約上の『命』では無いのだろうと、黒虎も予感はしている。

 それは、長くに仕え、その心も肉体も知り尽くした者同士における『頼み事』のはずだった。

 

「私と甲子丸の首にて、攻め入る猪西(いにし)の側の『戌亥の首、討ち取った』との名分は立つであろうな」

「……御意」

「して、武之進の熊谷殿の元への護送のことよ。くろよ、お前はその成否をどう見る?」

「……」

 

 答えぬ黒虎。

 いや、答えられぬ、が正解か。

 

「お主一人なら何なきことであろうが……。元服は急ぎ済ませたとはいえ、まだ武之進の年では足手纏いにしかなるまい」

「いえ、そのようなことは……」

「気を遣わぬでよい、くろよ。熊谷の地へたどり着くなど、よほどの僥倖の下であらねば無理であろうことは、私にも分かっておる。万が一、たどり着ければ、よし。だが、そうもいかぬときには……」

「ときには?」

 

 その先に源三郎が放つ言葉は、すでに黒虎の胸にもあるものであった。

 

「私と甲子丸の首を手にした猪西の者どもに取り、武之進はただのうるさい羽虫に過ぎぬ。あれが彼奴等に見つかれば、おなご同様に郎党どもの慰み者になるほかあるまい」

 

 親として、あまりに冷徹な、しかし現状を十分に認識した源三郎の言葉であった。

 捕虜としても、あるいは人質としても、もはや武之進の身体は敵方にとっても価値なきものである。

 屋敷に遺体が見つからなければ追っ手がかかるのは必定ではあるが、それはただひたすらに、後世に残る火種を消し去るための行為としてのみ成立するものであった。

 

「くろよ。私と『えん』の交わりすら見ておったお主に、このようなことを頼むのもひどいものだと思ってはおるのだ。だが、だが……」

「……」

 

 そこには戦国の世における親子、父と子の命の葛藤が見えた。

 なさぬことをなさぬために、なすことをなすために、すべきことを願う父の思いがあった。

 源三郎の次なる言葉を予測している黒虎にとっても、返す言葉の無い問いであった。

 

「もしもあれが敵の下へと落ちるときには、陵辱される前に、お前の手によってその命を燃やしてやってほしいのだ」

「私の手で、武之進様を……」

「このようなことを、父たる私が頼むとは、なんと残酷な親と誹られよう。なんと冷徹な親と誹られよう。だが、あれの命を、あの素直な、まだ幼い命を、戦場の怨嗟の中で散らしたくは無いのだ。お前の、くろよ、お前の深き愛情の下で、あれに引導を渡してやってはくれぬであろうか」

「愛情など、我ら忍びの者にとっては……」

「要らぬことを言うな。お主のこれまでの働き、すでに忍びの里との契約にのみ従っているわけではあるまい。そのようなことが分からぬ私とでも思うておるのか」

 

 源三郎の、強い言葉であった。

 情を持たぬはずの、情を抱えぬはずの忍びの者として、三代にわたって戌亥家に仕えるということそのものが、いささか長すぎた任務だったのやもしれぬ。

 しかしそこには、黒虎自身が選び取ってきた進路と分かれ道が常に存在し、それをも越えての数十年にわたる『契約』が為されてきていたのだ。

 

「源三郎様の仰る通りかもしれませぬ。しかし、しかし、それゆえに、私が武之進様をこの手にかけるということは……」

「分かっておる。武家としての教育を受けてきた我や甲子丸よりも、あれに対する煩悩はお前の方が大きくあろう。

 お主があやつを見つめる瞳に、どれだけ深き思いが込められておるのか、我が知らぬと思っておったか。

 そのお前に、このようなことを頼む私を鬼と呼べ。

 あれほど慈しみと情愛に満ちたお前の瞳が幼き頃より見てきてくれた武之進を、その命を奪えと命ずる我を、大声で誹るがよい」

 

 源三郎の前に、姿勢を正した黒虎が平伏する。

 

「そのようなことは……。

 源三郎様の武之進様への思いこそ、我より数段深きものでございましょう。源三郎様のお言葉、この黒虎、謹んで拝命いたしまする」

「よくぞ、よくぞ、引き受けてくれた。非情な親と、非情な父と思ってくれてよい。これが私がお前に命ずる、最後の言葉だ」

「御意。御意……」

 

 頭を下げたまま、呟く黒虎。

 その肩がわずかに震えたように見えるのは、忍びの者としては失格なことであったろう。

 それでも、長く、長く仕えた男の最期の頼みに、己の煩悶を抱えたままに同意したのもまた、忍びの者たる黒虎であった。

 

 長い沈黙があった。

 つと立ち上がった源三郎が歩を進め、さらに黒虎を近くへと招く。

 

「最後に、抱いてくれぬか、くろよ。我の尻を最初に割ったのも、我の逸物を最初に口にしたのもお前だった。今生の別れじゃ。最後に、最期に、我を、私を抱いてくれ」

「……源三郎様の、お望みのままに」

 

 覚悟を決めた主家の家長と、契約より結ばれた庭の者に、それ以上の会話は要らなかった。

 衣を脱ぎ捨て、褌を外す黒虎の逞しい肉体を見上げる源三郎の目は、泣きはらしたかのように潤んでいる。

 

「源三郎様も、お着物を」

 

 すでに隆々と勃ち上がっている黒虎のそれを横目に見つつ、源三郎も寝着を脱ぎ払う。

 犬族としては長大なその逸物も、族の違う黒虎のものと比べれば、いささか見劣りをしてしまうのは仕方の無いことだった。

 

「お主のこの逸物も、見納めじゃな」

「口と後ろと、どちらで味わわれますかな?」

「どちらもじゃ。最後に上の口も下の口も、お前の逸物を感じて明日を迎えようと願う」

「御意」

 

 短いやり取りである。

 ふふ、と笑う源三郎の口の端は、悲しげに歪んでいる。

 覚悟を決めたその意思の強さとは別に、哀別の感情は湧くものだ。

 

 屈強な犬族の壮年と、老いを迎えた虎族の男が向かい合う。

 双方の股間に勃ち上がった逸物が、互いの顔を睨み付けるかのようにその先端を振り立てている。

 

「相変わらず勇ましいな、くろよ」

「源三郎様のそれもまた、いなないておられまする」

「最後の夜じゃ、ともに楽しもうぞ」

「御意……」

 

 敷かれている布団にと身を横たえる2人。

 その手は互いの逸物へと伸び、その口は互いの唇へと向かう。

 

「ああ、滾っておるな、くろよ」

「源三郎様のものも、普段よりも固くなっておりまするな」

「お前の汁を、たっぷりとくれ。上の口にも、下の口にも、溢れるほどの汁を、わしにくれ」

「承知いたしました。最後の夜でございます。容赦いたしませんぞ」

「望むところじゃ。羅刹天が灼くほどの、熱き交合をしあおうぞ」

 

 仰向けに横たわった源三郎の裸体に、上からのしかかる黒虎の大きな肉体。

 互いの体毛が絡み合い、その奥の皮膚へ官能的な刺激を伝えていく。

 虎族のざらついた強い舌の動きが、首筋、肩、胸へと唾液の線を描き、そのたびに源三郎の鍛えられた肉体が敏感に反応する。

 

「源三郎様の乳首も、我が舌と爪先で、たいそう練れたものとなりましたな」

「言うな、くろよ。幾度かは胸を責められただけでイッてしもうたことすらあったな」

「あのときはこの私ですら驚いたものでした。逸物にも尻にも一切触れず、胸への刺激だけで逐情なされるとは、こちらも感動したものでございます」

「今もすでに、漏れそうになっておるわ」

「もったいのうございますよ。悦楽の極みにて、ともに果てましょうぞ」

「ああ、夜は長い。お前の口と、尻にお前の逸物を入れながらと、2度はイかせてもらうぞ」

「御意、思うがままに、私の肉体をお使いください」

 

 黒虎と源三郎と。

 従の者、主家の者ではあるが、その年齢の差は、叔父と甥ほどの違いであったろうか。

 人生経験を重ねた黒虎の大きな胸にその顔を埋める源三郎の姿を見れば、武家の世の争いに疲れた壮年の男の、心の拠り所の一つであったのだろう。

 互いの肉体が少しずつ位置を変え、その股間を目の前にするかのように頭と足が逆を向いた。

 

「お前の太きものを、存分にねぶらせてもらうぞ、くろよ」

「拙者の口にも、源三郎様の命の精髄をいただきとうございます」

 

 同時に互いの逸物を咥え込む2人。

 とろとろと流れ落ちる先露は、長年情交を繰り返してきた者達にとっては上等な食前酒のようなものだった。

 その微かな塩味はあきらかに人体によって生するものだという認識を互いの舌に送り込み、ごりごりと蠢くふぐりに押し付けた鼻腔には族の違いを表す獣臭が満たされていく。

 慣れた交情ならばこそ、いきなり噴き上げるというようなことは起きはすまい。

 

 口を、手を、逸物を、ふぐりを、尻穴を。

 舐め合い、しゃぶり合い、扱き合う。

 源三郎の尻穴を黒虎の指と舌が丹念にほぐし、軟膏を塗った逸物があてがわれていく。

 痛みも無く受け入れた黒虎の先端と中程を、その内壁で締め上げる源三郎もまた、色事の技を磨いてきていたのである。

 

 互いの肉体を知り尽くした二人の交わりは、より強く、より深い悦楽を求めて長く続いた。

 

 いかほどの刻が経ったものか。

 源三郎は6度の、黒虎は3度の吐精を成していた。

 

 汗と精汁と体臭と。

 むわりとした匂いと湿気に敷かれた布団は乱れていたが、その強烈な匂いですら懐かしき思い出とするために堪能する二人。

 

「よき交わりであったぞ、くろよ……」

「満足いただけたなら頂上でございまする」

「お主の方はどうだったのだ?」

「3度も汁を出させておいて、その問いの意味はございませぬな」

 

 あくまでも主君と庭の者の会話ではあるのだが、そこにはもう古きしきたりのようなものは存在し得ぬのだろう。

 黒虎の胸に頭を預けた源三郎の目には、涙が浮かんでいた。

 

 寝室を離れた黒虎が、己が部屋にて単座している。

 一家一族の命運をその手に握らされたあまりにも思い責任に、自分のようなものが武之進の後見で良いのかと、何度も思いを馳せる黒虎。

 

 

 ………………。

 …………。

 ……。

 

 

 時は戻り、武之進との二人で過ごす、小屋である。

 

 武之進の無防備な、愛くるしいまでの寝顔を見ながら虎獣人が呟く。

 

「武之進様、あなた様にお父上の言葉について、嘘を吐き続けている私を、どうかお許しください。

 あなた様の命のためなら、お父上との幾度もの情交をさせていただいたこの命など惜しくも無い。

 それなのにあなたのお父上は、源三朗殿は、ことがあれば、あなたの命を奪えと私に仰った。なぜに命をかけても守れと仰っていただけなかったのか。

 いや、分かっております。敵に囲まれ、たとえ私があなたの盾となりこの命散らしても、あなたのその先の未来が何ら変わることは無いことも、分かってはいるのです。

 お父上もそれが分かっておられるがゆえに、あのような非情にも思える言葉を私にお残しになったのでございましょう。

 それでも、それでも私は、あなたの喉に手をかけることが出来るのか、源三朗様の遺言の成就のため、拙者がはたしてこの意思を貫くことが出来るのか、はなはだ心許ないのでございます……」

 

 武之進の前では決して見せたことの無い涙が、黒虎の目に浮かぶ。

 熊谷家の領内には、黒虎一人であれば丸3日もかければ到着する自信はあるのだが、まだ幼いとすら言える武之進と一緒では、その倍の日数でも心許ないと判断している黒虎。

 

「明日あたりには追跡も大部隊になるだろう。果たして、どこまで逃げおおせることが出来るのか……」

 

 それは数多の戦場を目にしてきた、黒虎ならではの、確度の高い、それゆえに大きな悲しみを伴う未来予測であった。