『金精の湯』秘境温泉物語

その2 手紙

 

 俺、北郷大和は主に紀行文や田舎での民泊宿泊体験などを旅行雑誌に載せているライターだ。

 ここ数年、北陸のある温泉について耳にすることがあり、自分でも一度取材してみたいとあちこちアンテナを張っていた。

 それでも目当ての温泉についての情報は、このネット全盛の時代に腰を入れて探してみても、ほとんど見つけることが出来ずにいたのだ。

 それでもなんとか、正月に周辺の聞き込みをと、あたりを付けた町村を回ってみて、最後に向かった小さな町役場で『もしかして金精さんのことかいなあ』との話を聞くことが出来た。

 

 とにかくその小さな町からも鉄道で近くまでしか行くことが出来ず、さらにその最寄り駅からも車でゆうに数時間はかかるという、今どきの安近短の風潮には逆行している宿のようだった。

 

 温泉そのものについても、元々は修験者や山の民によって維持されてきたようで、地域産業としてのそれとはかなり趣が違うらしい。

 図書館で古い文献やマイクロフィルムを当たってみても、『その湯、男栄えし』『その山、むくつけき男のみ、おり』などとの曖昧な記述しか読み取れず、果たして今でも営業をしているのかさえよく分からないほどだったのだ。

 

 俺は連絡の取りようの無いその温泉について、もしかして、と思いつき、話を聞いた町の郵便局を訪ねてみる。

 局員によると、あまりにも僻地にあるために、週に一度、向こうからこの局へ配達物の確認に来る宿があると分かった。現代の郵便状況から見れば不思議なシステムだが、配達員の安全などを含め、このあたりでは習わしとなっているらしい。

 宿の名やあれこれを総合して考えると、どうやらそこが、俺が探していたところでビンゴらしいと思われた。

 

 とりあえずは局宛てに『金精の湯』との宛名で出せば、日数はかかるが、宿のものが取りに来るとのこと。

 

 俺はとにかく取材したい、そのための条件があるならすべて飲む、のような内容の手紙を早速書き送った。

 最初の手紙を投函したのは、半年以上も前、今年の1月の終わり頃だったと覚えている。

 

 3週間ほど経ってからだったか、ようやく来た返事は俺の目論見を木っ端微塵に打ち崩すような内容だった。

 

 返信に書かれた内容は、単純に言ってしまえば、取材はもとよりその宿での出来事をどのような形でも記録に残すこと、他言することはまかりならぬ、ということだった。

 

 それでも湯治そのものは宿が出す条件さえ飲めば受け入れる、との記述があり、それこそ何項目にもなるルールのようなものが書き連ねてある。

 さんざん迷った挙げ句、俺は記事としての取材についてはすっぱりと諦めることにした。

 とにかくここまで守秘している宿の湯を味わってみたいという己の探求心から、湯治に参加することに決めたのだった。

 

 手紙に書かれていた(後に宿で何度も聞かされることになる)その約定は、覚えているものだけでもかなりのものだった。

 

 

一つ、湯宿・温泉での出来事は他言無用

一つ、湯宿の利用者は男性のみとする

一つ、逗留中は禁酒禁煙

一つ、初めての利用者は必ず4週間(28日間)の連続逗留を行うこと

一つ、初めての利用者が逗留出来るのは、4、5、6、9、10、11月のみである

一つ、上記月の一日から始まる28日間の湯治を終了したもののみが、他月(上記外の6ヶ月)の自由逗留が可能となる

一つ、逗留期間中、飲食物については外部からの持ち込みは禁止

一つ、宿での指示にはすべて従うこと

一つ、宿には電話も無く、周辺は携帯の電波も届かないため、逗留中は外部との連絡が付かないことを念頭においておくこと

一つ、カメラやスマホ・携帯など電子機器は、湯治期間中は宿にてすべて預からせてもらうこと

一つ、衣類についても湯治期間中のものはすべて宿にて用意するため、着替え等は必要ないこと

一つ、湯治における体調体質の変化を見るため、期間中に何度かの身体検査を行うこと

一つ、宿泊客は逗留前半では一人ずつ個室に分れるが、就寝時は宿の従業員一人との相部屋となり、さらに逗留後半には全員同じ部屋で就寝となること

一つ、この温泉にては、男の性(しょう)と精を昂ぶらせる効能顕著にて、湯治期間中における自らの肉体の変化を率直に受け入れること

 

 

 ざっと書き出してみるとこういう内容だったろう。

 俺は戒律の厳しい寺での修行僧みたいなものかと勝手に想像を膨らませていた。

 もともと、精進潔斎をして臨む祭りや神事への憧れが強く、紀行ライターという今の仕事を始めたのも、各地で行われるその手の行事の体験記が雑誌に掲載されたのがきっかけだったのだ。

 さすがに無期限の修行となれば気が引けるのだが、提示された4週間という通常の生活の中ではそれなりの期間ではあるが、逆に言えば28日という具体的な期限が定まっているという、安心感はあったのだと思う。

 温泉の効能についてはおそらくよく言われる『強精効果』なるものの比喩であるのだろうとは思ったが、『金精の湯』という宿の名からしても、各地に伝わる『陽物・金精信仰』からのものだろうと当たりをつける。

 もっともこれは、後から考えると半分しか当たっていなかったことになるのだが。

 

 次の手紙の中で俺は、一切の取材記録を行わず自らの身体一つで訪れたいと記し、またもやゆっくりと返信を待つことにした。

 

 湯治逗留について『是』との知らせが来た手紙には、今年はすでに9月までの宿泊は希望者で埋まっており、10月1日からの予定でよければ、との内容が記されていた。

 すぐさまその日程で構わないとの返事をし、それから何通かのやり取りをする中では、こちらの身体状況や持病の有無などを尋ねる内容もあり、身長や体重はもとより健康状態もかなり詳細に書き送った記憶がある。

 これもまた長い湯治期間と、簡単には下野出来ないという宿の場所的なものもあるからだろう。

 

 この時点で既に3月の声を聞く頃になっていたとは思うのだが、それから半年以上が経ち、今日を遡れば半月前、9月の14日に届いた手紙で、ようやく待ち合わせ場所となる駅を知ることになったのだった。

 おそらくは他月の1日に駅で逗留者を捕まえようとする試みをさせないためなのだろうが、そこまでして宿の場所を秘匿しておきたいというその方針そのものに、俺はさらに強い興味を抱いてしまっていた。

 

 

 駅に降り立った4人は、互いに自己紹介をしあう。

 

 俺、北郷大和(ほくごうやまと)は42才。フリーライターではあるが、今回の湯治については一切の記録をしないことを宿へと約束したことなどを他の3人も説明しておく。

 その人たちにとっても、1か月の内情を雑誌などに勝手に載せられても困ることではあるだろうし。

 

 最初に俺が話しかけたのは、東尾豊後(ひがしおぶんご)さん48才とのこと。

 陶芸家とのことであったが、駅に降り立った時点ですでにスマホの電波も届いておらず、こっそりと検索をかけてみることも出来なかった。

 風貌からすればごくごく普通の中年男性であり、少しばかり出た腹をベルトで抑えてはいるが、その話しぶりなどからすれば落ち着いた人柄なのだろうというのが分る。

 

 俺が(他の2人もそうだったろうが)一番若い、と見越した青年は、南川日高(みなみかわひだか)君。

 唯一の20代で、30手前とのことだったが、数年勤めていた会社を辞めたばかりとのこと。「ちょっと色々あって」と話す若者の横顔は、人間関係やらなにやらに押し出されてしまう方のタイプだろうなと感じを持った俺だ。

 話してみればやはりおとなしそうなその気配は、出世を目指すタイプでもなかったろうなということは伝わってきた。

 

 レスラーかラグビーのフロント選手かと思えるほどの体格をしていたのは、西山朝熊(にしやまあさま)君、38才。

 珍しい名前ですねと話しを振ると、どこか地名でもあるらしく、パソコンなどの日本語入力でもちゃんと出てきますよとのこと。

 178センチで100キロ近い体重とのことで、その堂々とした体躯は4人の中でもかなり目立つと言っていいだろう。

 建築会社で働いていたが足を痛めてしまい現場に出られなくなったそうで、今回長めの休みをもらい、せっかくなら湯治でしっかり体調を戻そうと、かかり付けの医者から聞いた噂話をたどり、この温泉へとたどり着いたらしい。

 彼もまた体格に似合わず物柔らかな話しぶりで、初見の感触としては、この4人だったら4週間という長丁場でも上手くやっていけるのではという、どこか安心感みたいなものを感じたところだ。

 

 列車を見送って15分ほどもした頃だったろうか。

 一台のランクルが駅横のスペースへと向かってきた。

 

「迎えのようですね。運転してる人、なんだかすごくデカくないですかね……?」

 朝熊君がつぶやいたのは、答えを求めてのものでは無いだろう。

 運転席にはその朝熊君以上の体格をした、まさに大男と言えるようなシルエットが見えたのだ。

 

 のそり、といった動きで7人乗りの車から降りてきたのは、100キロ近いはずの朝熊君さえも凌駕するバルクを持った男だった。180は優に超えそうな上背に、体重はおそらくは130キロは超えているのではなかろうか。

 

 外国でのストロンゲストマンの大会に集う大男のようなその体格は、見るものすべてを圧倒するかのようだった。

 剃り上げたようにも見える坊主頭にざっくりとした灰色のトレーナーの上下、藍で染めたと思われる印半纏のような上掛けを羽織っている。恰好だけ見れば休日を過ごす僧侶か山伏かと言われても頷いてしまうだろう。

 印半纏の袖から覗く大きな手の甲が、真っ黒な体毛に覆われている。首から顎のラインを見ても、全身の毛深さを彷彿させる風体だ。

 

「『金精の湯』の宿守り(やどもり)の一人、茶野(さの)と申します。東尾様、北郷様、西山様、南川様でございますね」

「はい、仰った4名です」

 

 年齢のこともあってか、最初に名前の上がった東尾さんが答える。

 

「皆様、車にお乗りください。ここからまだ2時間ほどかかりますので……」

 

 秘境駅とも呼ばれるこの駅からさらに車で2時間ともなれば、生活必需品の誂えなどどうしているのかと思ってしまうのだが、郵便と同じでまとめての買い出しなどで賄っているのだろうか。

 車の様子や茶野と名乗る男の様子から見ても、とりわけ野趣豊かというふうにも見えなかったのだが。

 

 パソコンなどを持ち込むことも出来ず、着替えも必要ないとのことであったため、身のまわり品だけを詰めたバッグをラゲッジスペースに放り込み、俺たち4名を載せた車が走り出す。

 車の中にはどこか砂糖を煮詰めたような、甘い香りが満ちている。菓子でも作っているのかと思えたが、なにか見当たるものがあるわけでも無い。

 10月の深山と言えども、男5人が乗り込んだ車内の空気は一気に熱を帯びた。

 

「暑かったら窓開けてくださいね」

 

 男の意外にも柔らかい口調は、体格やシルエットから判断した見た目のいかつさとはだいぶ印象が違う。

 運転もかなり丁寧な方だとは思うのだが、いかんせん山深い土地での急峻な道だ。上下左右に揺さぶられる身体をなんとか押さえながら、シートベルトを確認する仕草は仕方のないことだった。

 

「茶野さん、ちょっと休憩しないか。南川君が軽い車酔いみたいだ」

 

 一時間も走った頃だったろうか。

 日高君が少し気分が悪くなったらしい。隣に座っていた東尾さんの指摘に運転していた茶野氏も車を止め、みなで外の空気を吸うことにした。

 それぞれに伸びや屈伸で身体をほぐしていたが、誰も煙草を吸う気配が無いのは、もともとの宿の決まりが喫煙者には厳しいものがあったせいだろう。

 

「大丈夫ですか、日高さん」

「ありがとうございます。ちょっと緊張もあったかもで、もう大丈夫です」

 

 朝熊君が日高青年に声をかける。

 西川朝熊君、プロレスラーのような大きな図体の割には優しい性格のようだ。

 もっともその朝熊君の肉体すら軽く凌駕する茶野という宿の男も、柔和な表情では負けてはいないのだったが。

 

「もう一時間ほどかかりますので、トイレや気分悪くなられたときにはすぐ言われてください。もっとも、トイレといっても外でやってもらうしか無いですが……」

 

 茶野の台詞に小便のことを皆思い出したのだろう。

 ここでやっていこうぜと、4人の男が下る斜面に一斉に並び立つ。

 

「並んで立ち小便ってのも、子どもの頃以来かな。久しぶりですよ」

「はは、これだけ自然豊かなところだと、なんだか野山の神さんに悪い気がするよな」

「さすがに朝熊さんは身体でかいだけあって、小便の筋もぶっといなあ」

「言わないでくださいよ。前の職場でも、音がでかいってからかわれてたんですから」

「それだけ発射するホースが太いってことだろう?」

「え、いや、そんなことは……」

 

 豊後さんのからかいに、朝熊君が一瞬表情を曇らせた。

 大きさにコンプレックスがあるのだな、と豊後さんも判断したのだろうか。それ以上の突っ込みは止めることにしたらしい。

 

 一緒に立ちションをする。

 それだけで4人の関係がぐっと近づいた気がするのは不思議なものだ。

 茶野氏は1人車の脇に立っていたが、みなの下半身を身をかがめてのぞき込んで笑っている。

 俺と東尾さんは調子に乗って、ぶんぶんと雫を切るようにわざと振り回す。

 男だけだという気楽さと、これから一ヶ月、共同生活をするはずになる互いの親密さを高めておこうという気構えが、わざとおどけた気持ちにさせていたんだと思う。

 日高君や、逸物の話題に戸惑いを見せた朝熊君すらも、前を隠す様子すら見せなかったのは、彼らの心のどこかにもそんな思いがあったのではなかったろうか。

 

「温泉の匂いがしてきましたね」

 

 改めて車に乗り込み、一時間ほどした頃だ。

 茶野さんの言葉に気が付けば、空気がうっすらとした甘い匂いの混じったものへと変わっていた。

 ああ、硫黄泉とは違うが、温泉の匂いが車や茶野さんの身体に染みこんでいたのか、そう思った頃合いに、目当ての宿の前へと到着したのだった。

 

「お待ちしてました。遠くまで大変でしたね。『金精の湯』にようこそ」

 

 車を降りた俺たちを迎えたのは、運転をしていた茶野氏にも負けず劣らずの体格をした6人の巨大な男たちだった。

 

「みんな、デカい……」

 

 自然にそんな言葉が俺の口から漏れ出てしまう。

 

 迎えに来てくれた茶野氏もそうだったのだが、ずらりと玄関先に並んだ男たち、その全員が100キロ近いという朝熊君を軽く上回る体格をしていたのだ。

 身長の高低はあるのだが、いずれもみな百数十キロはあるだろう。

 最近は日本人の体格も良くはなってきているのだろうが、これほどの巨躯巨漢の男たちの集団は、プロレスや相撲取りの集まりでも無い限り、直に見ることはまず無かろう。

 それほどまでに圧倒的な肉量を誇る男たちだったのだ。

 

 巨漢の男たちは、皆同じ身なりをしている。

 宿での正装なのか、茶野氏が身に付けていた藍染めの印半纏を羽織っているのはいいのだが、そこから覗くのはなんと六尺褌を締め上げただけの裸体だった。

 

 その男達は揃って皆、全身を剛毛と言えるような体毛に覆われていた。

 はだけた印半纏の間から覗く胸筋はいずれも黒々とした茂みに覆われ、禿頭かと見まがうまでにそり上げた頭と対照的に、周囲に男臭さを漂わせている。

 四肢を覆う黒毛はいずれも熊か猪をすら彷彿とさせるほどの茂りを見せ、雪駄の鼻緒に分けられた足の指ですらけぶったような毛に覆われていた。

 車を回してきた茶野さんもいったん宿の内でトレーナーを脱いできたのか、周りの連中と同じ姿、六尺褌一丁に雪駄履き、藍色に染め込まれた印半纏一つの姿となっていた。

 

 俺たち4人は4人とも、目の前にある肉と体毛の塊の存在感に言葉を失っていたのだと思う。

 こんにちは、などという普通の社交事例の言葉すら出ないほどに、俺は、いや、俺たちは圧倒されていたらしい。

 朝熊君ですら男たちの中に紛れれば「小柄」とすら言われてしまいそうになるほどのボリュームに溢れた肉体は、男として、ただただ感服するしかない存在感を示していたのだ。

 

 そしてまた俺たちをある意味沈黙させていたのは、7人の男たちの胸と股間の有様だった。

 

 男たちの印半纏がはだける度にチラチラと覗くたっぷりとした両胸の頂点には、鬱蒼とした胸毛の中にいずれもピアスが貫通し、高い位置からの日の光をキラリと反射していた。 見た目、120キロ、130キロ、あるいは140キロはあろうかという重量級の男たちの褌の前袋は、その内容物の昂ぶりをくっきりと布地に表し、いずれもその体格に見合った巨大なシルエットを顕わにしている。

 何人かの膨らみをよくよく見れば、洗濯を繰り返し柔らかくなった布地に、亀頭の先端にず太いリングが貫いているような様子さえ窺える。

 

「東尾様、北郷様、西山様、南川様、お待ちしていました。これからの1ヶ月、お世話をさせていただく宿のものです。私はこの『金精の湯』の主、荒熊内四方(あらくまない しほう)と申します。さ、まずはお上がりください」

 

 宿の主人と名乗る男の言葉に我に返った俺たちは、各々の荷物を持って玄関をくぐる。

 にこやかに俺たちを迎える男たちの股間は、間近で見ることでやはりその盛り上がりを確認することが出来た。

 

 宿のものたち全員がその巨大な逸物を最大限に勃起させ、俺たちを出迎えていたのだ。