七日籠もりシリーズ

白山下ろし

田植えを目前にした初夏の夜に行われる儀式で俺は信治さんの手と口で幾度となくイかされることになる


白御簾と縄で結界を張り、四方に淺穴を掘った結界の中で、俺と信治さんの儀式が始まる


五つの方角に二度ずつの射精が必要となる儀式の中、信治さんの口から語られる話が俺の興奮を最大限に引き出していく


文中で使用されているこの地方の方言について



七日籠もりシリーズ第5作目にして、一応の区切りとなる作品です。

(2020年12月11日初掲載 2020年12月13日改訂版掲載)

 

今作にてこの村における年間の農耕儀礼や季節儀式が一回りしました。

サイトの冒頭文にも書きましたが、最初に七日籠もりを書き始めたのは確か20代前半、パソコンでの執筆から始め旧サイトでの掲載が20年ほど前。最初にキーボード叩き始めてからはなんと30年越しにて当初の構想が一段落した形に。自分で考えても遅筆過ぎますね(笑)。

 

「七日籠もり」はかつてテレビで見た福島県の木幡の幡祭りに惹かれて書き始めたものです。

禊ぎ、籠もり、ウマレキヨマリといった民俗学的タームに触発されたのはもとより、いわば「表」と「裏」で祭りが二重に進行していくその形態がおもしろく、該当する記述のある民俗学の教科書的な書籍を買ったのもいい思い出です。

書いてるうちにこの村での色んな農耕儀礼と男達の性欲の発散を結びつけたいと連作の構想になっていったんですが、どうしても儀礼進行に文章量を取られてしまうため、その儀式に参加している個々人の気持ちの揺れがどうなっているんだろう、という部分には手を伸ばせないでいました。

その問題を儀式性よりもそこに参加している個々人の様子の描写で埋めていこうと書き始めたのが、「岐跨村の男達」。今のところ単独作品ですが、これもまた連作で考えています。

その岐跨村の男達と同じ「男だけの社会」の未来版が「Singlesexualの時代」シリーズ。さらにこのシリーズの遙か更に未来を舞台にした別の宇宙モノも書き散らかしていたりなんぞしておりますが、日の目を見るのはいつになることやらです。

 

今作の「白山下ろし」の元ネタは、これもまた昔テレビで見たニューギニアやアマゾンの一部で見られるというペニスケースを付けた男達が何度も跳びはね、ケースとチンポの摩擦で射精した精液を大地や川に流して実りの祈りとするもの、って奴でした。

今となっては実際にそのようなことが本当に行われていたかは分かりませんが(ドキュメンタリーで無くって企画モノだったのかも、とか自分の記憶が曖昧で)、精液と豊穣を結びつける概念は比較的広く分布してる気もしてるので、田の神山の神信仰をベースにえいやっと和風にした作品です。

もっとも、最初に知ったときの内容では「決して手で触れずに射精する」みたいな縛りがあった覚えもあるんですが、そのあたりは無視して書いております(笑)。

 

親が子の性処理を手伝う、というアイデアは、実は読者であり色々と創作の件でやり取りをさせていただいているある方との会話から思考実験しながら、自作の七日籠もりの村や別作品の岐跨村、pixivで掲載中の「金色の贄」シリーズのように、男性同性間の性交渉に禁忌が無い社会での親子での行為にどのような心理的障壁が生じるのだろうかと考えていました。

実際に書いてみると登場人物は思っていたよりもあっさりとコトにおよんでしまい、自分の作品中の人物設定の快楽主義者具合にびっくりしてます(笑)。

 

2020年12月13日

WEB上でもう一度目を通してどうしても書き直したくなり、本日全面的に推敲し直した改訂版を掲載しました。主に文章表現や冗長な部分を訂正したりですが、段落そのまま削ったりなどもあります。

テキストダウンロードしておられた方などには申し訳ないですが、もう一度読み返していただくと幸いです。

少しはつっかかりが無くなったと思いたいですが、方言部分については「読みづらさこの上ない」とのご意見もいただいてますので、標準語に寄せたバージョンも書いてみようかなと思案中です。