里見雄吉氏 作

開拓地にて

ある農夫の性の記録

第一部

少年期

 

四 祖父の眼差し

 

 祖父と半年ぶりに入浴した日。私は成長した肉体を祖父の前に曝した。まだ十歳になって数ヶ月しか経っていなかった私であるが、肉体は既に中学生と見紛うばかりに成長していた。

 そして、その現実が、祖父を禁じられた行為へと駆り立てて行った。もともと祖父は若い男の肉体に欲情するタイプのホモだったのだ。

 その日を境に、私は大人の男に一歩近づいたといってよかった。祖父によりセンズリを教えられたからだ。自らを擦り、精を迸らせる孤独な行為には違いない。しかし、私はそれに溺れつつも、孤独ではなかった。センズリの習慣とともに、肉体と肉体の交わりを祖父と深めていったからだ。

 私は再び祖父と入浴するようになった。家族は、小さい頃から懐いていた祖父になら、成長期の肉体を見られても平気なのだろう・・・くらいに思っていたことだろう。言わば健全な意味での裸の付き合いである。

 ところが、私と祖父の間で入浴時に行われていたのは、目を覆うような淫乱な行為の数々だった。男同士の性行為は、生殖を伴わない。そのせいか、美しさというより卑猥さが先に立つ。まさに欲望と快楽だけを追求した行為である。

 

 一緒に風呂に入る度、孫の性器に自らの精液をかけ、自らの性器に孫の精液をかけられることで、さらに欲情し、時には二度、三度と精を放っていた祖父。

 もしかしたら、祖父にだって多少の罪悪感はあったのかもしれない。そのせいか、いきなり私の肉体を求めるようなことはしない。まずは私の背中を流してやろうと声をかけてくるのだ。

 しかし、次第に興奮が高まってくると、それに比例して祖父の理性は消え失せていく。やがて、それが当然であるかのように、祖父の手が背後から私の脇腹を撫ぜ、次の瞬間には、ゆっくりと私の股間に延びて来るのだ。

 私が抵抗しないとみるやいなや、いや、実際、抵抗などしたことはなかったのだが、祖父の手が優しく私の陰茎に触れ、ゆっくりと包皮を反転させた。そして、亀頭を撫で回し始めるのだ。

 私の逸物は見る見るうちに完全勃起である。もちろん、祖父も興奮をさらに高めている。それは祖父の息遣いで容易にわかった。そんな時には、必ず硬くなった祖父の陰茎が、私の背中に押しあてられていた。

 祖父の次の行動も決まっていた。自分の唾液を手に取り、それを私の亀頭にまぶして、こねるように撫でまわすのだ。

 祖父によく言われたのは、皮を上下させるセンズリはするなということだった。祖父は私の逸物をしごくときも、それを忠実に守った。

 祖父は私の亀頭を撫ぜ回しながら、耳もとで背後から囁く。

「いいか。皮は剥いたまま擦るんだ。」

 私は頷く。すぐに亀頭から快感が全身へと広がって行く。

「何回やろうと害はない。好きなだけやれ。爺ちゃんなんぞ、朝やり、昼間学校の便所で二~三回もやり、学校帰りに神社でやり、家に帰ってから風呂でやり、寝る前にやり、夜中にやることもあった。一回では満足できなくて二回三回続けてやることもあった。」

 例え一回ずつだとしても、合計すれば七~八回である。数多く射精できるのは、私も同じだから、祖父からの遺伝なのだろうが、これを小学校四年生から続けたというのだから驚きだ。当時、既に祖父は六十代半ばだったが、私の目の前で、間髪開けず三回連続射精したことがあったから、その精力は桁違いだった。

 そんな祖父の囁きに、私の興奮はさらに高まっていく。

「爺ちゃんみたいな、松茸チンボになりたいんだろう。だったら、センズリの時も皮を上下させちゃいかん。」

 私の息遣いが荒くなっていく。私の興奮を知ってか知らぬか、祖父の卑猥な言葉は執拗に続く。

「皮つるみをすると、皮が伸びてしまう。それじゃ、皮チンボになってしまうぞ。お前も見たことがあるだろう。〇〇や〇〇が、大人でも皮チンボなのを。」

 皮つるみとは、この辺りで言うところの、包皮を上下させる手淫のこと。皮チンボとは、同じく仮性包茎のことである。真偽のほどはともかく、祖父は皮つるみが仮性包茎の原因だと固く信じていた。信じていたからこそ、孫の私にそう教え込んだのだ。

 ああ、爺ちゃん。俺は爺ちゃんみたいな身体、爺ちゃんみたいなチンボの大人になりたい。私の心の中で、もう一人の自分の声がした。

 祖父の勃起した陰茎が背中で脈打っている。

「爺ちゃん、出るっ。」

 その瞬間、祖父の節くれだった両手の平が私の陰茎を包み込んだ。私は祖父の手の中に未熟な子種を放った。祖父の腕の剛毛が私の臍の辺りで蠢めいた。

 祖父は、私の淡く匂いも少ない精液を手の平に取ったまま、それを臍につくほど激しく勃起した自らの陰茎に塗りたくった。そして、私の肩をグッとおさえつけると、自らは立ち上がった。

 上からの強い力に、私は座ったままでいるしかない。祖父の勃起した陰茎がどうなっているのか気になって仕方ないのだが、私には、ただその気配を背後で感じるだけしか術はない。背中の感覚が鋭くなり、祖父の腰の動きが伝わってくる。

 祖父の雁首の存在がはっきりとわかる。祖父は陰茎全体を私の背中に擦りつけ、一気に腰の動きを速めた。

「ああっ。」

 やがて呻き声とともに、祖父の腰の動きが止まった。

 私の背中には、祖父の黄色みがかかった濃い精液がベットリと付いていた。ほんの十歳、未熟な私の精液とは、濃さも色も匂いもまったく違っている。正直、同じものとは思えない。

 その度、私は心の中で呟いた。

「これが男の大人の証なんだ。男になるとはそういうことなんだ。俺も早く大人の男になりたい。」

 祖父の射精を身近で感じる度、私の祖父への憧れと尊敬、そして何よりも祖父への愛情は、一段と強くなるのだった。

 

 ある日、いつものように祖父が私の背中に陰茎を擦りつけてきた。それまでは受け身一本槍の私だったが、その日の私はいつもとは違った。私は思い切って、祖父の陰茎を自ら握って行った。

 それまでは祖父が握らせてくれるまで、なかなか手を出せずにいたのだから、また一歩大人に近づいたといえなくもなかった。

 私の中で何かが弾けた。自分以外の男のチンボを握るという行為。そこには、心の奥底がフワリとするような不思議な感覚があった。ついに来たかという体で、祖父はニヤリと好色そうに笑った。孫の心の変化に、祖父も気づいたのだろう。

「擦ってくれ。」

 私の耳もとでそう囁きながら、祖父は私の耳たぶを軽く噛んだ。

 私は言われるままに祖父の陰茎を擦った。自分の口に溜めた唾液を手に取り、擂粉木のように硬くなった、祖父のそれにたっぷりとまぶして、包み込むように擦った。祖父の陰茎は、まるで生き物のようにピクピクと息づいていた。

 興奮しきった祖父が、不意に自分の陰茎を私の勃起した逸物に重ねてきた。いわゆる兜合わせである。

 先に耐えられなくなったのは祖父だった。

「ああ、行くっ。白いの出すぞっ。」

 祖父が呻き声とともに射精した。私は大人が精液を放出する時、「行く」という表現を使うことを初めて知った。

 祖父の亀頭から飛び出した、粘り気の強い、雄の樹液が、私の陰茎を見る見るうちに汚していく。祖父は、「白いの」と称したが、実際のそれは、白というより黄色味がかかり、強烈な栗の花にも似た臭気を放っていた。一言で言うなら、成熟した雄のそれとしか言いようがなかった。

 私もその精液を手に取り、自らの幼さの残る陰茎に塗りたくって、さらに擦った。祖父の精液が潤滑液になり快感が増す。もうたまらない。

「ああ、爺ちゃん。俺も行くっ。白いのが出るよっ。」

 私もわずかに遅れただけで射精に至った。私の放ったそれは、祖父のものとは比べようもなかった。薄く、白さも充分でない。まるで米の砥ぎ汁を濃くした程度のものに過ぎない、十歳の未熟なそれだった。

 そして、この日、私がもう一つ大人の男へと近づいたことは、初めて「行く」という表現を使って果てたことだった。それだけで祖父のような一人前の男になれた気がした。

 

 しばしの時間が流れた。果てしない時間にも思えたが、実際はほんの数分であったろう。二人分の精液と唾液が混じりあい、饐えた匂いを発散させている。

 祖父が湯船からお湯を汲み、まずは私の陰茎を洗い流してくれた。私は祖父から手桶を受けとると、祖父の陰茎をお湯を流しながら手の平で洗った。

 ほんの数分前の硬さが嘘のようである。祖父のそれは、みるみるうちに力を失い、だらりと弛緩した。萎えたとはいえ、完全に露茎したままの大人の陰茎は、なんと美しいことだろう。

「その気になれば、もう二、三回続けて出せるが、長湯になるから今日は終わりだ。さぁ、今度はしっかりと背中を流してやる。」

 そう言って、祖父は私を座らせ、改めて手拭で私の背中を擦り始めた。洗い終わると、いつものように大きな手でポンッと背中を叩いた。

「次は俺が爺ちゃんの背中を洗ってやる。」

 私は祖父から手拭いを受け取ると、祖父を座らせ、精一杯の力で背中を流した。

「まだまだ力が足りんぞ。」

 祖父が笑いながら振り向いて、私の頭を撫でてくれた。私は嬉しくなって、さらに力を込めて祖父の背中を擦った。

 祖父の背中は大きく、肩の筋肉は逞しく盛り上がっていた。そして、肩と首筋の中間あたりに、私にはない、コブのような筋肉の盛り上がりがあった。それは片側だけではなく、丁度、左右同じような位置にあるのである。

 実は、それは長い間にわたり、水や肥料(いわゆる「肥(こえ)」)を入れた桶を天秤棒の前後に掛け、肩に担いで山道を往復することでできたものだった。丁度、その個所に天秤棒があたるのである。

 そこには祖父が従事してきた過酷な労働と苦労、そして、それに耐えた忍耐力が滲み出ていた。同時に、私はそのコブに男としての逞しさを感じ、再び、陰茎を硬くするのだった。

 祖父とのこんな関係は、私が高校を卒業し、成人するまで続いた。いや、その行為が続いたというのは正確ではない。私と祖父は十ケ月もしないうちに、真の意味での男の契りを結ぶことになるのである。

 日に日に成長する私の肉体を、目を細めて眺めていた祖父。しかし、その裏で孫と許されない関係になる覚悟はもちろん、血を分けた孫に自らの肛門を捧げる覚悟までしていたのだろう。

 孫の肉体が完全に大人になった時こそ、その時だ。私の成長を見つめる祖父の視線を思い出すたび、祖父が、そう自分に言い聞かせていたように思えてならない。