入会の試練

その1

 

 田所勇蔵が初めてその踊りを見たとき、踊り手の連中がふざけてるのかと思ったものだ。

 ひょっとこの面をかぶり豆絞りの手拭いで頭を覆い、赤い着物の下に前垂れを長く垂らした越中褌姿の男達。

 列をなした男達は篠笛と鐘の響きに合わせ、かがめた膝と腰を使っては自らの股間をくいくいと天に向かって突き上げる。

 その様は、明らかに男女の交合を喩えた動きに見えた。

 

 踊り手の連は、列の先頭に白い狐面が1人、続いてのおかめの面が1人。

 狐面の先導は腰を低くかがめ、地を這うが如くの足さばき。さらには何か空中の一本の紐を手繰り寄せては扱くような動きを、狐を表す握り拳を少し下げたような手の形で表現しているのか。

 狐に続くおかめの面はその風体も白い着物をまとった女性のもので、足幅は女性らしくちょこちょこと、口元を隠すような手の動作もそう大きくはなく、明らかに狐に魅入られた娘の様を呈している。

 ひょっとこの面を付けた男達は10人ほどにもなろうか。

 鐘と笛の響きに合わせて男性性を強調するかのような独特の腰の突き上げ動作を繰り返し、狐とおかめを追っていく。

 列の最後尾には、手にした箒で足元を掃き清めながら舞う1人の男が付いて回る。

 

 テンテコテン、テンテコテン、テンテコテンテコテンテコテン

 ティーリリリ、ティーリリリ、ティーリリティーリリティーリリリ

 

 どこか三三七拍子にも似た鐘と篠笛で奏される調べは幾度も繰り返され、人々の間、境内を縫うように踊りの列が続いている。

 繰り返されるその調べは軽妙でありながら、ずっと耳にしていると、どこか一抹のもの悲しさを含んでいるかのように聞こえてくる。

 

 勇蔵は作家と言えば聞こえはいいが、何か大きく売れた本があるわけでもない、フリーのライターである。

 旅行雑誌やサイトに文章を寄稿し日銭を稼いでいる程度ではあるが、自らの足で辿り着いた先の出来事を文章とすることは性に合っているらしく、四十を越えた今でも全国あちこちを旅して回っていたのだ。

 勇蔵などという自分の名前も若いときには古臭く感じていたが、厄を越えた年ともなれば愛着が湧くものなのだろう。今では文章書きには似合っているのではと思うときもあるらしい。

 文筆としても得意とするところは、学生時代に専攻にしていた民俗学の知識を元に、様々な土地に残る古い風習や祭りなどを絡めた紀行物であった。

 今回は九州南部をぐるっと周り、各地でネタを拾いながら、タウン誌などから依頼された四本の原稿をこなしていこう。そんな腹積もりでの移動先でのことだった。

 

 今回、勇蔵が訪れ、目の前にしているその踊りは、今ではその市のシンボル的な民俗芸能として、県内各地、いや日本全国と言ってもいいだろう、多くの愛好家の集まりがあるらしい。

 踊りそのものの源流や伝播についても、民俗学をかじった勇蔵に取って以前から気にはなっているものの一つであった。

 

 今では正月や盆踊り、地域の祭りなど、様々な時期に催されるその踊りは、独自の大会も開かれるほどにこの地域の中では根付いてきているものだった。

 

 小さな狐の後をフラフラと着いて行くおかめ、その後を追うひょっとこ達、最後に踊りの痕跡を消さんとばかりに、一同が踊り終えた足元を箒で掃き清める男。

 観客に笑いをもたらすひょっとこ達の動きは、おそらくはその特徴的な「卑猥」とも言える腰の突き上げ動作を見てのものだろう。

 祭りに参加する団体の中には、わざとひょっとこを女性が、おかめを男性がと演じ分け、それゆえの笑いを取るところも多いらしい。

 

 踊りとしての歴史はそう古くもなく、せいぜい百数十年ほどのもののようだ。

 踊りの発祥については市の観光情報のページにも載っているのだが、元々の踊りを里神楽としていたと言われる神社の宮司にアポイントを取った。

 

「1900年代初頭に当社の宮司が、別の神社で舞われていた神楽の内容を知り、誰でも踊れるようにと簡単な振付としたもののようです」

 宮司に取っては生まれる遥か以前の出来事だ。伝聞調の話になるのも仕方のないことだろう。

 聞けばそのときの宮司が聞いた神楽舞そのものも、当時から見てもそれなりに古い時代のものだったらしい。

 

 そこまでは宮司から聞く話しも、元の神楽から踊りへと変わったという市のパンフレットに載っているものと同じようなものだった。

 発祥地でもある神社ならではの話が無いのかと食い下がってみれば、宮司が元々の神楽舞のストーリーならばと話してくれた。

 

 

 あるとき村の『おみな』という大層美人な若い女と、『ひょう助』という働き者のこれまた若い男が所帯を持った。

 若い2人が共に暮らせば、周りの者達の中からも、やれおめでたはまだか、跡継ぎはどうだと騒ぐ者も出て来るのだが、これが一向に出来る様子が無い。

 やることはそれなりにやってはいるつもりなのだが、女の月のものが止まる気配も無いのを不思議に思った「おみな」と「ひょう助」は、やや子を何とか授かりますようにと、毎日早朝から神社に詣でておった。

 2人はつましい暮らしの中でも、毎朝豆と一緒に炊いた飯を神前に奉納していたのだが、ある日、これもまた爪に火を灯すような清貧な暮らしぶりであった神主が、納められた豆飯を神前から下げる前に、あまりの空腹のせいではあったが、一すくいのそれを口にしてしまう。

 撤饌(てっせん)となった供物を神主が食することは何とも思っていなかった稲荷神ではあったが、さすがに場を切り分けぬ神職の行いには腹が立ち、自ら神主を諭そうと境内に顕現した。

 そこには今日もまた熱心に祈りを捧げるおみなとひょう助の若い2人がいる。

 神主への説教とばかりに降り立った稲荷神は、おみなの美しさに目がくらみ、おみなもまた稲荷神を眼前にし、その霊験を浴びてしまう。

 狐身の稲荷神に付いていこうとするおみなをひょう助が必死に引き留めるが、霊力に魅入られたおみなの足は止まることが無い。

 ひょう助は慌てたものの、おそらく稲荷神の顕現である狐を追い払うことも出来ず、とにかく見失わないようにおかめの後に付いていくしか術は無い。

 参拝していたその他の男達も、ひょう助に続くように列に加わり、一人また一人と境内を去っていく。

 列の最後に並んだ男は、皆の足跡を箒で掃き清め、境内はまた何事もなかったかのように静かになった……。

 

 

「元となった神楽の登場人物を三種の踊り手と変え、本厄の男達の厄落としの踊りとして始めたと聞いております。

 もちろん田所さんもご存じの通り、今では賑やかな祭りの出し物踊りとして、厄落としと言うよりも豊作や子孫繁栄を願うものとして、県内はもとより全国各地で連が作られてきております」

 

 宮司の話を聞き、この祭りの主体である踊りの本質がとても笑って見ておれるようなものでは無い、と考えるのは、勇蔵だけではあるまい。

 勇蔵の頭には、当時の何か得体の知れない薄気味悪いもやもやとした事柄を、神楽や踊りというものに具現化することで、民衆の恐怖の向く矛先を無理やり変化せしめたのでは、という疑問が浮かびあがった。

 

「宮司さん、これって女の下へと男が向かう妻問いや、あるいは神隠し伝説を元とした、どちらかというと地域の禁忌に触れるような内容のものだったんじゃ無いでしょうか?」

 聞いたが早い、と疑問を口にするのは、実直な勇蔵の、勇蔵らしいところなのだろう。

 

「田所さんの仰る通りだとは私も思っております。ただ、今では賑やかな楽しい祭り、踊りとして市民にも定着してきております。

 とてもとても本来はこうこうだったのだよ、などと言う雰囲気ではありません。

 今の共同体を共同体たらしめるのも、地域の氏神としての使命だと捉えております」

 

 宮司の言葉は、けして楽しい祭りの由来を話すそれではないように思われる。まさに「立場上、話してはならないことがある」ことを、雄弁に物語っている口調である。

 同時に、これ以上は自分の口から話すことは何も無いという、明確な拒絶の宣言だった。

 

「そうですか……。となると、五十嵐さんにお尋ね出来るのはここまでと言うことですね」

 言外にかすかな落胆を含ませての、勇蔵の返答となってしまった。

 

「……田所さんはお幾つになられますか?」

「え?! いえ、今年は43になりますが……」

 唐突な宮司からの問いかけだった。

 

「厄年を過ぎとれば大丈夫かな……。

 西部の熊本側になりますが、当時の宮司が訪ねたという、元々の神楽を継承していたという神社の宮司の子孫の方が作られた、踊り連というか、ある踊りの会があります。

 そちらだと踊りの元の形について、私より詳しい話が聞けるかもしれません。車で少しかかりますが、今からなら夕方前には行けると思います。

 よろしければ世話人さんに連絡取ってみましょうか?」

 

 宮司からしてみれば、言外での拒絶の詫びなのだろう。

 九州をぐるっと回るつもりでいた勇蔵は、空港で乗り捨て出来るタイプのレンタカーを借りている。

 提案を断る理由もなく、国道から県道に入って2時間ほどか、午後のうちには山奥の村の駐車場に車を停めることが出来た。

 

 指定された場所はおそらくは村の公民館であり集会所兼、祭りやなにやらの道具置き場になっているようだ。

 建物の裏手で掃除をしていたのは、勇蔵よりは少し背が低く、反対に体重は突き出た腹の分は重さがあるだろう、60に手が届くかどうかというごま塩頭の男性だった。

 皺を刻み込んだ日に灼けた肌は、今でも現役で外仕事に立っているようにも思える。

 

「はじめまして。○○神社の五十嵐さんから紹介を受けました、田所勇蔵と申します」

「ああ、五十嵐さんから電話をもらっとりました。日高と言います。こちらにどうぞ」

 

 公民館の座敷に通され、さっそく話しを聞くことになる。

 各部屋の掃除は行き届いているようだ。

 

「お忙しい中、お時間取っていただきありがとうございます。電話でもお聞きかと思いますが、五十嵐さんの神社で始まったという『ひょっとこ踊り』について、こちらで詳しい話が聞けるのではと伺って参りました。急な依頼に時間を取っていただき、ありがとうございます」

「改めまして、儂が『ひょうとこ会』の、日高継生(ひだかつぐお)です。こんなところまで、ように来なさったですの」

「車だとすぐでしたよ」

「五十嵐さんから先ほどまた電話があってのう。だいたいの勇蔵さんが知りたいことも、聞いておるつもりじゃ」

 

「ありがとうございます。

 五十嵐さんからお聞きになられたかと思いますが、今の巷に流行る楽しく笑える踊りは、当初あちらの宮司さんから聞いたという神楽の内容とは、雰囲気があまりに違っている気がしております。

 そこで踊りや祭りの原形をご存知の方がおられないかと、方々訪ねさせていただこうかとしているところです。

 五十嵐さんもこちらが一番原形に近いのではと仰ってたもので、何かお話しが聞けないかと思い、連絡を取っていただきました」

 

「そうですな、おそらくうちの会がこの踊りの一番古い由来と、踊りそのものを継承してるとは思うております。

 元々こちらに伝わっていた神楽が元とのことで、もっともその神楽そのものはとうに途絶えてしまっておるのですが、五十嵐さんの方に伝わるものとは話もかなり違いますし。

 昔ながらの真の踊りとされてるものも、特に広げようとも思っとりませんもので、今では月に一度会員が集まって、本来の男だけでの踊りを練習しております」

 目の前の世話人の話ぶりからは、日高氏に代表されるこの連の人達が自分達が守り継いでいる伝承の由来と、そこから派生した踊りに強いプライドを持っていることが感じられた。

 

「はい、そのそもそもの踊りの由来となった話をお聞きしたいと思い、訪問させていただきました」

「そのことですが……、実は伝承されている本来の踊りについて話しするには幾つか条件があります。

 ある意味、形式的なものかもしれんのですが、こればっかりは緩めちゃいかん決まりになってるもので……」

 

 村の古老の昔話を聞くぐらいの構えでいた勇蔵には、なんとも面食らう話しだった。

「その、それはいったいどんな条件なんでしょうか?」

 

「一つは、例え踊りの真の姿、由来を知ったとしても、けしてそれを人に話さぬこと、記さぬこと。

 もう一つは、儂らの踊りの会に入っていただく、ということになります」

 

 踊りについての詳しい話しを聞くためには連に入会せねばならず、たとえ入会し話しを聞いたとしても、会としての守秘義務でその内容を外部に漏らすことは出来ぬ、ということらしい。

 これでは結局知る意味など無いのでは、と思う勇蔵の心を読んだように、日高氏が話を継ぐ。

 

「儂らは今の踊りを楽しんでもろとる向こうの人達に、本当はこうこうだったのだ、祭りの本質はこうだったのだ、などと言うつもりも毛頭無いですし。

 せいぜい儂らが墓場まで持って行けば、もう、誰も知らないことになる話です。勇蔵さんが知りたいか、知りたくないか、もう、それだけのことでのう」

 

 こちらの心情を見透かされたような話なのだが、言われてみれば確かに祭りや神事、奉納踊りの真相とはそういうものなのだろう。

 どんな祭りや神事も、その時々にたくましく生き抜こうとしている民衆の願望の顕現であり、由来元となった時代と現代ではその祈りや願いの矛先も、また内容すらも変わってきているということなのだ。

 各地の風俗風習に幾らかは明るい勇蔵にしてみると、何か地域にとりマイナスであった出来事を、なんとかプラスにしたいという願いが込められた祭りや神事について、いくつか思い当たらぬ節が無いわけでも無かったのである。

 

 タウン誌を発行している雑誌社に上げる記事については、市内の五十嵐宮司から聞いた話を元にまとめ、踊りの様を面白おかしく取り上げれば、一本モノには出来るだろう。

 そんな打算があったのももちろんだが、ここまで聞いた以上自身の好奇心を押さえ込むことも出来ない勇蔵だった。

 

「分かりました。話を聞かせていただいても、決して外部には漏らさないことを誓いますので、ぜひ日高さん達の連に入会させていただきたいと思います。

 これは取材と言うよりも、自分自身の好奇心を満たすものとして、こちらで知った内容については記事などにはしないことも誓います。

 おそらくそういう会、集団であれば何か入会の儀式のようなものがあると思いますが……?」

 

「さすがによく勉強しとんなさる。

 明日は消防団の役員の寄合で重なる者もおるので年寄りのうちの何人かしか集まれんが、そうとなれば明後日の夜にでも会の者に集まってもらうことになるが、勇蔵さんの方は日にちはいいですかいの?」

「九州をゆっくり回るつもりで、10日ほど予定は取ってますので大丈夫です」

 

 勇蔵自身ももともと宮崎から鹿児島、熊本と回るつもりだったのだ。

 明確な当てやアポイントがあるわけでは無かったし、久々に好奇心、探究心を満たす案件を見つけたつもりになった勇蔵は、どこか舞い上がった気分になっていた。

 

「勇蔵さんが入会していただけるとの条件で、踊りの由来の件については明日の午後にでも何人か年寄りを呼んで、時間を取りましょう。それでよろしいかな」

「はい、それでは昼過ぎにこちらにまた伺います。午前中は図書館などで調べ物をしていますので、何かあったら連絡してください」

 

 勇蔵は今日明日明後日と、最低三日はかけて調べることとなる踊りの由来が、おそらく思うような記事には出来ないこととなった落胆も感じてはいた。

 だがそれ以上に、学生時代に教授の後に従い参加させてもらった各地の神事や祭りに向かうときのような、どこかワクワクした気持ちを抑えきれないでいたのである。

 元々学究肌の勇蔵には、目先の収入よりも自分自身の知的好奇心を満たしたい、というフリーの物書きとしてはあまり向いていない気質があるのであろう。