町内会長と

その1

 

「篠原課長、お疲れさまでした。これからは悠々自適の生活とは思いますが、たまには顔出されてくださいね」

 退職日に顔を出した私に花束をくれたのは、職場で一番の若手職員だった。

 有給休暇の消化で1ヶ月近い休みをもらい、久しぶりに顔を出した退職日は各所への挨拶でバタバタと過ぎてしまう。

 何か気の利いた退職の挨拶が出来ようはずもなく、ごくごく普通の話しをし、年の近い同僚からは肩を叩かれ握手をしまくった1日だ。

 最後の庁舎前での写真撮影では女子職員に囲まれてしまい、この年の割には大柄と言われる身体を少しかがめての一枚となった。

 

 篠原勝敏、62歳である。

 退職年齢の引き上げ期間の中で、思い描いていたよりは少しだけ長い公務員生活であったが、終わってみると不思議なほどに短くも思えてくる。

 

 30代の中頃に当時の上司から勧められた見合いで伴侶となった妻との間には、とうとう子をなし得なかった。

 養子縁組みも考えたのだが、ちょうどその時期に妻の乳ガンが見つかり、手術やら何やらでバタバタしているうちに、かけがえのない日々は過ぎていく。

 最初の手術から2年後であったか、転移再発を迎えた妻が届かぬ人となってしまったのは40を越した頃だった。

 今から振り返って考えても本当にあっと言う間だったのだ。

 

 後添えを、との周りの声にも腰が上がらなかったのは、もちろん亡き妻への想いもありながら、中途半端な自分の年齢もあったのだろう。

 仕事だけが救い、という程でも無かったとは思うのだが、特別に趣味があった訳でもなく、定年後には妻とゆっくり旅行でもして暮らしていければいいな、ぐらいの思いだったのだ。

 隣町の給食センターで働いていた妻は、そう重い役職についていたわけでも無い私とも、その肩にかかっていた責務にさほどの違いがあったわけでは無かった。

 それでも放っておけばインスタントのラーメンだけで食事を済ませてしまう家事音痴の私に取って、勿体ないほどの世話をやいてくれていたのだった。

 

「男の人は女に比べて仕事辞めると一気に社会との接点切れるんだから、町内会でも老人会でも趣味の会でも何でもいいから、無理矢理にでも入っとかないと大変よ。一人でいて一気に老け込んだ人、何人も見てきてるんだから」

 この年で完全に1人になる私を気遣ってか、ここ数年保健師が口酸っぱく忠告してくれるのを聞いてもいたし、公務員の退職者となれば町内会が放っておいてくれるはずもない。

 昨年のうちに町内会長の西岡さんから、退職したら民生委員をお願いできないかとの話しをもらっていて、自分で良ければと了承の返事はすでにしていたのだった。

 

 退職後の健康保険の手続きなども、役場の連中に寄ってたかって済ませてもらい、心持ちの整理が付いたのは退職日から三週間も経ってのことだ。

 西岡さんに電話を入れると、晩酌兼ねて家に遊びに来ないかと誘われる。

 町内の寄り合いや祭りの打ち上げなどで酒席宴席をともにしたことは何度もあったが、家で2人だけの飲みに誘われるというのは初めてのことだ。

 歩いても10分かかるかかからないかのところだし、これからの付き合いのことも考えて二つ返事で行くことを伝えたのだった。

 

 西岡さんは今年で70を迎えるはずだが、周囲からは私なんぞよりずっと精力的に思われてるはずだ。

 仕事は県警を定年まで勤め上げ、退職後は民生児童委員、防犯協会などで活躍し、二年前からは町内会長として元気に活躍されている。

 全部で14の町内があるこの地区の町内会長の中でも元気者、人気者であるのは間違い無いようで、このままお元気であれば数年のうちには校区全体の代表となる町会長の役席も回ってくるだろう。

 

 漫画で描かれる子ダヌキそのままのころんとした太鼓腹体型に、つるりと禿げ上がった頭も艶よく、人柄も含め精力体力に溢れたにこやかなおじさん、という言いようが一番ぴったりくる。

 亡くなった私の妻とも親しくしてくれていた奥さんは、こちらも四年ほど前に亡くなられていた。長く入院されていたとは聞いていたが、最期の日々はお二人で穏やかに過ごされたようとの話しだった。。

 通夜葬儀には嫁いだ2人の娘さんとそのご家族も参列しておられ、お孫さんも当時で中学生ぐらいだったと覚えている。

 娘さんのご家族からも、落ち着いたら一緒に暮らさないかとの話もあったようだが、動けるうちは1人でやってみるとの話しになったらしい。

 今でも県外から月に一度はどちらかの娘さんが顔を出されているようで、まったくの独り身の自分としてはうらやましさも感じていたものだ。

 町内の世話役として汗を拭きながら走り回る姿には年齢による衰えは感じさせず、薄い垂れ眉に柔和な顔つきは、見るものをどこか暖かい気持ちにさせてくれる人だった。

 

 4月も後半となれば、この地方では昼は汗ばむほどの陽気になる。

 日も落ちるかどうかとの時間に出向いたとき、玄関を開けてくれた西岡さんはクレープ生地の肌着とステテコ姿だった。

「済まんな、こんな格好で」

「いえいえ、自分も家にいるときはそんなもんですよ。今日はお招きありがとうございます」

 玄関先まではこれまでも覗いたことはあったが、家の中まで上がり込むのは初めてである。

 古稀を過ぎた独り身の男性の家としては驚くほど小綺麗に住まっておられるようだ。

 居間として使っている部屋の隣は壁二面分の本棚が大量の本で埋め尽くされ、その一部はファイルがきちんと並べられていた。

 そこには警察での仕事振りもこのようなものだったのだろうと思えるほどに、退職した後の地域関連の資料もきれいにまとめてあり、事務職ではあったもののけっこうずぼらである自分の家と比べれば頭の下がる風景であった。

 

「お一人なのにきれいにされてますね。うちなんか長い割には未だにゴタゴタしてますよ」

 正直な感想を言ったつもりだ。

 

「うちのにも『片付けだけはあんたの方が得意よね』とよく言われとったよ」

 やはり亡くなられた奥さんの世話というよりも、本人の几帳面な性格の為なのだろう。何事にも真面目な人柄は、周囲から会長会長と言われ続けていても変わることは無いようだ。

 

 これまでの付き合いで晩酌は焼酎を飲んでいるとの話しは聞いていたので、訪問する前にスーパーで缶ビールと幾らかのつまみを仕入れてきておいた。

 本人は最初から焼酎だけで行くつもりだったようで、持ち込んだ数本の缶ビールを見たときにははちきれんばかりの笑顔になる。

 自分のちょっとした行いで誰かが喜んでくれる。仕事以外でそんな幸せを感じたのは久しぶりのことだ。

 

「せっかくのビールの前に、今後の段取りだけは話しておきたいがいいかね」

「もちろんです。堅い話は早めに済ませてしまいましょう」

 別に何か柔らかい話があるというわけでも無いのだが、他愛もないやり取りに2人して笑うことが出来るのは嬉しいことだった。

 

 ビールは冷蔵庫に、買ってきた惣菜はそのままひとまとめにして台所のテーブルへと置かせてもらう。どうやら西岡さんも同じスーパーで寿司の盛り合わせを買っていたらしい。

 重ならなくて良かったなと思いながら、打ち合わせを済ませることにした。

 

 案内されたのは立派な床の間のある八畳間の座敷だった。

 仏壇に線香を上げさせてもらい手を合わせ、座布団の縁を返す。

 顔が映るほどに磨かれた一枚板の座卓に床の間を背にして座らされると、資料を開いて説明する都合か西岡さんが私の右手側の卓辺にどっしりと腰を下ろす。

 

「夏のうちには県の方に儂の方から推薦上げて、実際の委嘱は12月からになるけんな。それまでは今の民生委員の増岡さんと一緒に町内の要援護者のところを一通り回っておいてもらうとよかて思うとる」

 

 人前で話されるときには「僕」と言われていたと思うのだが、2人だけで気楽なのか、おそらく普通使いで話している「儂」と言ってくれたのも、年上の方から近づいてきてもらった感じがして嬉しいものだ。

 

 増岡さんは私より5つほど年上の小学校の教員をされていた方だった。

 少し早めに退職された後は民生委員として町内のお年寄りや子ども会の面倒を見ておられ、一人暮らしの高齢者の家を訪問されるなど、自転車で動いておられるのは私も目にしてきている。

 もう何年も委員をされていたが、最近足を悪くされ、出来れば後任をと西岡さんに相談が来ていたとの話しだった。

 

「特別何かあるわけでは無くて毎日暇してますので、大丈夫ですよ」

「そぎゃん暇なら毎日晩酌に付きおうてもらおうかな」

「1人で味気なく飲むより2人の方がずっといいでしょうし、良かったら毎日でもお邪魔しますよ」

 もちろん互いに軽口とは分かっているのだが、そういうやり取りが出来る相手がいるというのは心地よい。

 

 西岡さんや私が住むこの町内は、県庁所在市内ではあるがマンションが立ち並ぶような街中ではなく、50年ほど前の高度成長期の終わりに流行った、建て売り平屋住宅の並ぶ地域であった。

 当時、住宅を購入した世代の年齢からしても全体として高齢化が進んでいる。

 40年ほど前は校区でも一番子どもの人数が多かった地域だが、その世代もほとんどが親元から独立し、今では小学生も10人いるかいないかといったところだ。

 一人暮らしや高齢障害者の住まいで町内会の要援護者としての名簿も作ってあるが、年々、何かあったときの手助けを必要とする方々は増えてきている。

 これは生半な気持ちでは出来ないなと思ったのを悟られたのか、こちらに伸びた西岡さんの左手が「よろしゅう頼むばい」と大きく肩を揺さぶってきた。

 

 2人して小一時間も話し込んでいただろうか。

 来たときにはまだ残っていた西日もいつの間にか落ちており、蛍光灯の光が庭先に漏れていた。

 

「お疲れさまでしたな。だいたいの中身は分かってもろうたと思うけん、後は増岡さんと引き継ぎしながらやっていくとよかけんな」

 頃もよしと打ち合わせを終えると、やはり性格なのだろう、使った資料を私に渡す分としまう分を丁寧に分け、再び書棚へと戻している。私なら部屋の隅にでも押しやって、早くビールをと意気込むところだったろう。

 

 お互い若いときであれば缶ビールも一度に持ってきて、ぬるくなる前にどんどん飲んでしまったのだろうが、さすがにこの年の2人だと一本ずつ冷蔵庫から取り出すことにする。

 つまみの幾つかはレンジで温め、座卓には焼き鳥にきびなごの天ぷら、菜の花のお浸し、ワカメとキュウリの酢の物、寿司盛りが並ぶ。乾き物はあたりめと落花生の二袋だ

 これもあるからと西岡さんが冷蔵庫から持ってきたのは、鯵の刺身とほうれん草の白和えだった。

 

 缶ビールを注ぎ分け、コップの縁をカチンと鳴らす。

 職場以外でこんなに人と話したことも久しぶりで、互いに喉も乾いていたのだろう。2人ともあっと言う間に一杯目は空けてしまう。

 つまみにゆっくり箸を付けるのは2杯目からになった。

 

 目の前にはけっこうな量の皿やパックが並んでいたが、スーパーで買った出来合いのものよりも最初はどうしても刺身に箸先が向かうのは、私達の年代の者であれば仕方の無いことだろう。

 厚みのあるカンパチや鮪のような切り口は、売り物ではなかなか無い。

 

「この鯵刺し、すごく新しくて旨いですね。もしかして西岡さんが切られたんですか?」

「柵で買ってきた方が安く済むんでな。包丁も切れんし、下手くそですまんばってん」

「ここまできれいに引けてて何言われてるんですか。私なんか切ってあるのを買ってきて、パックのまま食べてばっかりですよ」

 

 白和えもタッパーに入っていたのを小鉢に分けていたので出来合いでは無いとは思っていたが、やはり自前とのこと。自分で豆腐も擂ったというのは驚きだ。

 箸を向ければ味噌の風味も懐かしく、甘みの強い田舎風の実に旨いものだった。

 

「あれがおらんごつなってから行った料理教室で習おて作ったら褒められたんで、こればっかりば作りよるとたい。今日は篠原さんが来るて思うて、昼からずっと作りよったけん」

 恥ずかしげに、それでも誇らしいところもあるのか、ニコニコと笑いながら照れる西岡さんに、生来の人の良さと人をもてなそうという気持ちを強く感じてしまう。

 同時に、互いに人との触れ合えるほどの近さでの会話が久し振りだったことを彷彿とさせ、目の前の丸みを帯びた肉体をなぜか抱き締めたくなるような、涙が滲み出るような、切ないような、なんとも言葉に出来ない思いを私に抱かさせていた。

 

 大声で話しながらの晩酌に、2人して缶ビールの大きいのを3本空けてしまう。

 寿司や焼き鳥など、あれこれつまみながらのアルコールにさすがに腹もくちくなり、お互い焼酎に変えることにした。

 私は氷を用意してもらい水割りに、西岡さんは一年中これでな、ということでお湯割りにするようだ。

 

「ちと暑うなってきたな、ごめんばってん脱がしてもらうな」

 夜になっても今日はあまり気温が落ちないようだ。エアコンのいらないちょうど過ごしやすい季節の宵に、お湯割りが入れば汗もかくのだろう。

 

 私も久しぶりに量を飲んでいるアルコールと、ずっと喋りっぱなしのこの2人きりの時間がどこかウキウキと楽しく、身体の内底から火照って来ているのを感じていた。

 

 上の肌着とステテコを脱いだ西岡さんの丸く突き出た腹の下に、かろうじて白い紐が見える。

 一枚の布に包まれた股間はしどけなくたれた皺の寄った前布に隠されているにも関わらず、まるで大きめの夏みかんが包まれているかのように盛り上がっている。

 丸く突き出た腹に負けない存在感を示す布の膨らみは、なんと越中褌だった。

 

 西岡さんだけを裸に近い格好にしておくのもなんなので、こちらも慌ててポロシャツとズボンを脱ぎ始める。

 色気の無いU字首のTシャツとボクサーブリーフ姿になるが、えいままよとTシャツも脱ぎ捨て、下履き一つの姿になった。

 

 西岡さんに比べればかなり毛深い自分の身体にちらと目をやる。

 職場の旅行で風呂に入るときなどにもたいてい「服着てるときには分かりませんでしたが、篠原さん、毛深かったんですね」と言われてしまうほど、肩から胸、腹から股間へと鬱蒼と茂っている。

 十年ほど前からは、白いものも混ざってきていて見る度に年を感じたものだ。

 

 上半身裸、パンツ一丁で飲むなどということは、学生時代以来では無かろうか。

 どこか親や先生に隠れて悪戯をしてるような、友達と2人だけの秘密を共有してるような、そんな感覚が蘇って来るのは自分ばかりではあるまい。

 

「あたは着痩せして見ゆっとんごたんな。よか身体ばしとって毛の濃いかともあって、男らしかたい」

「特別何かしよったわけでもなかですけどね。西岡さんもよか身体ばしとんなはるじゃなかですか」

「儂はたーだ太っとるだけだけんな」

「布袋様んごてして、よかこっですたい」

 

 ほとんど裸の男が二人いれば、最初に交わす会話はこんなものだろう。

 私は気になった下着のことを尋ねてみた。

 

「褌は珍しかですな。締めとんなさっとは越中ですか。西岡さんの世代の人はもうあんまりしよらっさんと思ってました」

「儂らん頃では警察でん褌締めとっとも多かったつばい。ズボンば脱がんでん着替えらるっとは、汗かいたときでっちゃたいがな便利だけんな」

 

 言われてすぐは、はて?となったのだが、よくよく構造を考えてみれば確かにズボンを脱がずに着脱出来るようだ。

 ほぼ裸の西岡さんを目の前にして、私自身、どこかハイにもなっているかのようだ。

 

「ズボンの件は言われるまで知りまっせんでした。確かに洗濯してもすぐ乾くでしょうけん、便利でしょうね」

「儂んとでよかなら、篠原さんも締めてみなっせ。金玉も締め付けんけん、気持ちんよかばい」

「よかですか?! 昔、盲腸の手術んときにT字帯ば付けたぐらいで、越中は締めたことの無かっですよ。よかなら締めてみよごたっですね」

 

 酔いも回った還暦と古稀を過ぎた男同士の会話は、方言も交えてどこか通常の感覚とはズレたものだったろう。

 越中一つの姿で座敷を出、おそらくは居間の箪笥からきちんと畳まれた褌を持ってきた西岡さんは、こちらも子どもが何か興味を惹かれるものを目の前にしたときのような、生き生きとした表情だ。

 

「男同士じゃなかな。堂々とここで締めなっせ」

 白く畳まれた褌を受け取ったものの、どこか躊躇したこちらの思いに気付いたのだろう。わざとらしくニヤニヤ笑いながらの台詞は、こちらの負けん気を挑発してくるようだ。

 

「そぎゃん言いなさるなら、私の着替ゆっとば、ちゃんと見とってもらわんといかんけんですね」

 この年で隠そうとするのも無粋なものだろうと思い、意を決した。

 年の離れた人生の先輩の目の前でこそこそしてなんになる、とでも考えていたのかもしれない。

 思い切って、だが慌ててはいないように見えるよう、わざとゆっくりとボクサーブリーフを脱ぎ去った。