里見雄吉氏 作

開拓地にて

ある農夫の性の記録

第五部

熟年期

 

三 不動湯温泉

 

 今から十八年前(現在二〇二一年)、某フケ専ホモ雑誌の文通欄で知り合った、福島県の専業農家の親爺さんと私は、お互いへの思いを募らせながら、毎日のようにテレホンセックスに励んでいた。

 当時、私は携帯電話を購入したばかりだったが、携帯電話がなかったら、そんなことはできるはずもなく、技術の進歩に感謝すると同時に、男と男の出会いも、これからの時代は携帯電話が中心になるだろうと漠然と感じていた。

 そんな日が一ヶ月も続いただろうか。お互い、最早それだけでは到底満足できなくなった。当然、二人の思いは一致し、ついにその年の年末、東北の山奥の温泉宿で一緒に一泊し、一晩中、淫乱に愛し合おうという話になった。

 実は、私は若い頃から、普段使いのビジネス手帳に一行日記を付けてきた。まさかここで、その古い記録が当時の体験を文章化するのに、これほど役立つことになろうとは・・・。

 親爺さんとの温泉宿での密会が十二月二十六日から二十七日にかけてだったことは確かである。出発した日がクリスマスだったのをはっきり覚えているので、道程を考えるとその両日となる。しかし、その後の記憶は曖昧で、幾つかの旅程が混沌としてしまっていて、正直、どこを訪れたのかさえはっきりしない。

 当時の一行日記によると、二十七日の夜に山形県に移動。駅近くにあったサウナ蔵王(有名な発展場だった)に宿泊。二十八日は、新庄に程近い湯治場「肘折温泉」の三春屋に一泊している。そういえば、いつだったか旅の途中に新庄で床屋に立ち寄り、散髪したことがあったので、この時だったのかもしれない。以後、車中泊をしながら帰路に着き、二十九日に阿賀野川に沿って新潟へ。翌三十日の午前中には帰宅したとなっている。

 閑話休題。件の十二月二十五日の夜、私は妻に年末までには戻るとだけ告げ、一人ワゴン車で福島県に向かった。車中泊が前提だったので、フルフラットにした後部座席に布団を積み込んでの出発であった。

 出発前夜はクリスマスイブでケーキを食べたり、それぞれ大学生、高校生、中学生になっていた娘三人にプレゼントを渡したりしたはずだが、正直、はっきりした記憶がない。私の頭の中にあったのは、二日後に迫った親爺さんとのホモセックスのことばかりだったのだろう。

 出発した夜、はやる気持ちを押さえ押さえ、群馬県の桐生を過ぎ日光に向けて国道を走行し続けた。途中で事故など起こしたら元も子もない。しかし、夜半過ぎ、強烈な眠気に襲われて運転を断念した。桐生と日光の中間点あたりであっただろうか。道端に広い駐車スペースを見つけたので、そこで車中泊となった。

 明日、いよいよ逢えるであろう筋肉質の親爺さんのことを思うと、私の陰茎は激しく勃起した。せんずりをかきたいという衝動にかられたが、翌日に備え、心を鬼にして我慢した。期待と興奮のあまり絶対に眠れないだろうと思ったが、やはり疲れていたのだろう。いつの間にか私は深い眠りへと落ちて行った。

 

 翌二十六日は早めに目が覚めた。日光東照宮に立ち寄りたいという気持ちもなくはなかったが、一刻も早く親爺さんと全裸で抱き合いたいという生々しい欲望の下では、世界遺産の魅力など取るに足らないものだった。日光を傍目に、とにかく私は福島県の〇〇市へと急いだ。

 昼頃には〇〇市内に入ることができた。福島県有数の都市であるが、そこは地方都市、少し郊外に出ると長閑な田園風景が広がっている。

 待ち合わせ場所として指定された、某施設の駐車場に到着したのは午後一時前頃であったろうか。そこは親爺さんの家のすぐ近くであるらしかった。

 辺りに目をやると、緩やかな傾斜地が続いており、一面に棚田が広がっている。棚田の向こうには既に白くなった山々が遠くに見え、山林が隣接していた。数百m離れた場所に、茅葺き屋根にトタンをかけた農家が何軒も寄り添うようにして軒を並べている。その集落が親爺さんの村なのだろうと思われた。

 待つこと数分、棚田の向こうのあぜ道を、一人の親爺さんがこっちに向かって歩いて来るのが見えた。約束通りの一時に現れた親爺、その人こそ、今夜一晩をともにする〇〇(苗字)さんであった。

 件の親爺さんであるが、ごま塩の頭髪は豊かな方であろう。その髪を短めに刈り込み角刈りっぽくしている。たくましい身体つきなのが服の上からでもはっきりわかった。写真で見た通りの体形である。土いじりで節くれ立った指の一本一本にも男を感じさせる。正に農家の親爺そのもの、土と共に生きる男であった。

 

 挨拶もそこそこに、親爺さんが私のワゴン車に乗り込んできた。

「よろしぐ。」

 当たり前といえば当たり前だが、東北訛りは、電話で話したそのままである。

「こちらこそ、よろしくお願いします。」

 私は少し緊張気味に答え、静かに車のエンジンをスタートさせた。目的地は一時間ほど山奥に分け入った所にある、不動湯温泉である。そこは自炊部も併設されており、近隣の農家が農閑期に長逗留する昔ながらの湯治場だった。

 親爺さんが、ギアを握る私の左手をそっと握ってきた。農作業を重ねた、節くれだった荒れた手であった。爪の汚れに土に生きる男の匂いを強烈に感じた。私は本格的に農業に取り組んで、まだ八か月でしかなかったから、

「本当の農夫の手とはこんなものなのか。」

 そう思いながら、親爺さんの手を握り返した。その刹那二人の視線が交錯し、お互いに微笑み合った。何かが私の心を鋭く貫いた。

「構いやしない。心の底から惚れてしまえばいいじゃないか。」

 どこかから声が聞こえた気がした。それは私の心の声だった。この男ならすべてを許してもよいと思った。

 親爺さんが私の指と指の間をまさぐり、自分の指を絡めて来た。私も絡め返した。

 

 やがて山道に入った。道は悪路というほどではないが道幅は狭く、最後はダートとなった。とはいえ、親爺さんがスムーズに道案内をしてくれるので、迷う場面は全くなかった。道程に詳しいことに多少の驚きを感じた私は、

「〇〇さん(苗字)は、今日行く温泉に行ったことがあるんですか?」

 と尋ねた。

「毎年(どし)、近所の農家(が)みんなで湯治に行ぐんだ。不動湯温泉にも十年ぐらい前だったがな。一度行っだごどがある。」

 親爺さんはそう答えて続けた。

「それど、俺のごどは下の名前でいいがら。秀さんでいい・・・。」

 温泉宿に着くと、まだ十二月だというのに、既に周囲は一m近い積雪に埋もれていた。これは後で知ったことなのだが、そもそも不動湯温泉は春から一月の半ばまで営業し、最も雪の深い真冬は休業するという秘湯中の秘湯なのだった。駐車場に車を停めると、私たちは雪の積もった坂道を並んで下っていった。

 やがて宿が姿を現したが、本当に山奥の一軒宿で周囲には他に何もない。ただ趣のある木造建築が、威風堂々と傾斜地に佇んでいたが、かえってそれが湯治場の雰囲気を強く醸し出していた。

 玄関をくぐった私たちを仲居が迎え、そのまま部屋へと案内してくれたのだが、宿の内部は階段だらけ。まるで迷路のような造りであった。他にも数組が宿泊予定らしかったが、私たち以外はまだ到着していないようだった。

 案内された三階一番奥の部屋は畳敷きの部屋で、真ん中に炬燵。部屋の隅にはファンヒーターが置かれ暖かい空気を室内に提供していた。

「親子さんですか。」

 仲居さんが宿帳を差し出しながら尋ねてきた。私は、

「ええ。」

 と曖昧に答えた。

 早熟だった少年期と違い、三十歳を過ぎた頃から私は実年齢より若く見られることが多くなっていた。若い頃から老け顔だと、一定年齢以上になっても変化が少ないようだ。一方、秀さんは実年齢より老けてみえたから、二十五歳くらいの年齢差に見えたのだろう。これは、それまで携わってきた職業によるものもあったのだろうと思うが、いずれにせよあまり深く詮索されるとボロが出る。

「親爺の膝がよくないので・・・。」

 私は適当にごまかした。しかし、内心では本人の前で「親爺」と呼べたことが嬉しくてたまらなかった。

 

 仲居が引き取るや否や、私と秀さんは浴衣に着替えるために裸になった。農作業で鍛えた秀さんの肩や胸板は筋肉がたくましく盛り上がり、太股やふくらはぎも太く筋張っている。秀さんの裸を実際に見るのは、もちろんそれが初めてだったが、本当にほれぼれするような身体だった。

 トレーニングで鍛えた筋肉とは明らかに違っている。日々の農作業で自然と鍛えられた筋肉である。

これに興奮しないホモなどいるだろうか? 胸毛がなく、すね毛も薄い方なのは残念だったが、皆無という訳ではない。ふくらはぎや脛には毛がほとんどなかったが、太股の辺りには申し訳程度にすね毛が生えていた。しかし、その貧毛を補って余りある見事な体形であった。そして何より素晴らしかったのが、日頃から常用しているという、前垂れが長目の白い越中褌姿・・・。

 もっとも、筋肉質で全身が毛深く胸毛もびっしり、足も腕も毛むくじゃらで指にも毛が・・・、しかも顔も職業も好み。そんな都合のよい男がおいそれといる訳もなし。私にとっては十分に満足のいく男であった。

「ああ早く、こんな親爺さんとセックスしたい。そのチンボで、肛門が壊れるくらい激しく愛して欲しい・・・。」

 その時の私は性に飢えた獣のようになっていたことだろう。しかし、それは秀さんも同じであった。見ると、秀さんも、既に勃起した逸物を、越中褌の中で激しく突き上げている。

 私たちは吸い寄せられように抱き合い求めあった。お互いの褌をまさぐり、相手の隆々とそびえ立った陰茎をこすりあげながら、激しく口を吸いあった。やがて、秀さんが膝まづき私の陰茎をくわえた。決してうまくはないが、精一杯の奉仕である。私も秀さんの陰茎を口にしたが、それはとても六十七歳とは思えない堅さであった。

 これなら多い日は一日にせんずりで六~七回射精することもあるという話も嘘ではなかろう。実際、私とのテレホンセックスでも四回連続射精したことがあった。私も回数ができる男だが、秀さんの精力の強さには驚かされることばかりであった。

 それにしても、包皮が見事に反転し、エラの張ったズル剥けの亀頭はどす黒く、竿全体が淫水焼けしている。何とも卑猥な色合いである。長さも充分で、勃起状態だと両手で握っても亀頭の先端が手の平から頭を覗かせている。まるで松茸のような、そんな言葉がぴったりのほれぼれする逸物であった。

 しかし、お互い放出してしまうにはまだまだ早い。秀さんは一晩に四回でも五回でも放精できると豪語するが、やはり一発目の濃厚で、最も刺激的な射精は、男らしいセックスの果てに・・・。そう願うのが必然である。

 

 私たちはひとまずお互いの身体を離し、長い階段を下って露天風呂へと向かった。この宿の露天風呂は内風呂とは別に、渓谷をやや下った場所に離れて独立しているのである。露天風呂に着くと私たち二人以外には誰もいない。

 ここでも私たちはさっさと褌を緩めると、お互いに全裸になって絡まり合った。結合には及ばなかったが、濡れそぼった身体で絡まりあう男と男。なんと刺激的な光景であったことか・・・。

 秀さんの太ももには、濡れたことで、やや存在を強く主張するようになった僅かな体毛があった。私はその体毛に自らの勃り立った陰茎をこすりつけた。

「雄坊、俺に抱がれだいんか?」

「ああ、早ぐオマンゴがしだい。俺のチンボはズル剥げで雁首が張っでるがら、みんな病みつぎになるんだ。」

「ごんなどこじゃなぐ、部屋に戻っだら、たっぶりどがわいがっでやっがら・・・。」

 そんなことを続け様に口走りながら、秀さんはキトキトに勃起した自分の陰茎と私の陰茎を二本合わせて擦りあげるのだ。秀さんの亀頭の裂け目からも、私の亀頭の裂け目からも先走りが溢れ、二人の逸物はヌラヌラであった。

「雄坊のマラも、堅(かだ)ぐで立派だ・・・・。」

「俺は年下(どししだ)の男(おどご)と、ズル剥げの、でっがいマラが大好ぎなんだ・・・。」

「雄坊、雄坊の毛深(ぶが)い足ど腕の毛(げ)、最高(ごう)だ・・・。」

「男(おどご)ど抱ぎあうのは久(ひざ)しぶりだ・・・。」

「男(おどご)のチンボを握(にぎ)るど、俺のチンボもすぐガチガチだ・・・。」

「俺は、おなご女子相手(おなごあいで)じゃ、勃だねんだ・・・。」

 秀さんは、私を強く抱きしめ、そんなことを私の耳元で繰り返し囁いた。そして、私の首筋やうなじを舐め回し、時には、耳たぶを軽く噛むのである・・・。

 

 ゆっくり温まった私たちは内風呂に移動することにした。内風呂は石造りの湯船であったが、お湯は赤みを帯び鉄の匂いが強くする。露天風呂同様、やはり他には誰もいなかった。私たちはお互いの勃起した陰茎を擦り合う、キスしあう。誰もいないことを良いことに、最早やりたい放題であった。

 散々楽しんで、ふと見ると番頭が脱衣所で片付けをしている。風呂場には湯気が立ち込め、入口の扉も白く曇っていたから見られてはいなかったと思うのだが、今となってはわからない。

「もしがしだら見られだがもしれねぇな・・・。俺は何だがその方が、かえっで興奮(ごうふん)する・・・。」

 秀さんは呟いた。そして、ニヤリと下司な笑いを浮かべながら続けた。

「さぁ部屋さ戻ろう。一晩(ひとばん)中、だっぶりかわいがっでやるがら。俺の松茸(まつだけ)を思いっぎり入れでやるがらな・・・。」

 その言葉だけで、私の陰茎は再び痛い程に勃起した。自分の言葉に興奮したのだろうか。秀さんの陰茎もカチカチで、臍に付きそうになったり戻ったり、ピクピクと何度も上下運動を繰り返していた。