男色日本霊異記

火伏岩に繋がれし迦具土の

獣にいたぶられしこと

その3

 これより後、武尊はその身を迦具土にすべて捧げる日々を送ることとなりました。

 

 武尊が仕えるまでの長い年月、日のあるうちにはただ独りで獣達からの凌辱に耐え、日の落ちた闇の中、自らの骨と肉、腑(はらわた)がじくじくと元の姿を取り戻す様をただ独りで味わうだけであった迦具土神。

 武尊という人の身でありながら神の一柱にその身を捧げた男によって、その日々が一気に趣を変えることとなったのです。

 

 肉と血、潰された臓物と砕かれた骨にまみれた毎日が変わることはありません。

 それでもなお、日が落ち、獣達が去ったこの火伏岩に己の身を拭う人がいるという温かさを。ともに精を昂ぶらせ、その肉体に互いの精汁を掛け合うことの出来る相手がいることを。

 迦具土神は神として生まれたその日より、初めて知ることとなったのでありました。

 

 

 夜明け前のことでありましょう。

 迦具土を襲い来るもの達の羽音が、足音が、地面を這うそのざわざわとしたうねりが聞こえる前のわずかな時間、武尊は唯一里から持参した石切りの刃を水に濡らします。

 

 武尊の手による、わずかばかりに伸びた迦具土の髭と髪を削ぐその刃先の動きは、決して神なる迦具土の身に傷を付けてはならぬ慎重さでございました。

 

 こうして獣達に残虐と凌辱の限りを尽くされる昼間と、夜の闇の中で行われる武尊の手による癒やし。神と人、互いにその精による生命力の交換の日々が始まったのです。

 

 

 ……。

 ……。

 …………。

 

 

 いったい、どれほどの月日が経ったのでございましょうか。

 

 神の御代であれば一時のことであったのかもしれませんが、およそ人の世においては数十年もの歳月が過ぎたようでございます。

 今日もまた火伏岩には、何十も何百も、いえ、幾万もの繰り返しの日々を経てきた迦具土と武尊の姿がございました。

 

 神と人がそのような長い年月を歩む中での、ある夜のことでございます。

 

「武尊よ。

 お前は伊耶那岐神の命あるとはいえ、長い年月を私に仕えてきてくれた。日のあるところで数多の生き物達に毎日苛まれる私に取り、夜に知るお前の手の温もりはいかほどに心安らぐものであるのか、お前には分かるまい。

 人としてのお前に、私はどれほど伝えても伝え足りぬほどの礼を言わねばならぬ。

 私の肉体と心への凌辱は、私が神たる肉体を持つゆえに、これからも永遠に続くであろう。お前達人間の定められた寿命では、とても追い付くことの出来ない時の彼方へと続くものだ」

 

 迦具土の語りは、年を重ね、自らの身体にも迦具土と同じような黒毛を生やした武尊に向けてのものでございます。

 単純な、それでも濃厚な長い時間を、迦具土とともに過ごしながら老いへの道をも辿ってきた武尊にとって、迦具土の言葉の意味するものは容易に想像できるものでございました。

 

「迦具土様の御見通しの通り、毎夜迦具土様の精を浴びたこの私にも、そろそろお別れの時期が迫ってきているようでございます。

 迦具土様の教えは、我が里に灯りと火のもたらす様々な恩恵を与えてくれました。私のような小さなものの命を捧げずして、どのようにその恩を返すことが出来ましょうか。

 伊耶那岐様から賜りました言葉の通り、この私の命終わるその前に、里へと下らせていただこうかと思っております。

 私はそこで、一人の女を娶ることとなりましょう。

 そこで生まれた我が子は再び武尊の名をもち、迦具土様の下へと参じることでありましょう。

 次の武尊が赤子から迦具土様を慰める力持つまでしばらくのときをいただきますが、神名を持たれる方々に取りましては、いかほどのものでもございますまい。

 そのときこそ、わが里の魁勲雄の血を継ぐ者が、再び若き武尊を迦具土様の御前にお連れすることになるやと思います」

 

 武尊の答えは、武尊の中で幾たびも繰り返された問いの答えでもございました。

 その瞳はまっすぐに迦具土を見つめ、いささかの揺らぎも無いようでございました。

 

「伊耶那岐様の言霊を授かり、さらに私に仕えたこの年月に、毎夜毎夜私の精を浴び、飲み干してきたお前の肉体は、生涯ただ一度の女との目合いにても、必ずしや男子を授かることであろう。

 だが、その子が武尊の名を継ぐことは、唯一の子となるその息子にお前と同じくその一生を清童として過ごし、ただ一度の目合いの後、人としての命を終わることを強いることになる。

 その繰り返しの中に、お前の苦しみは無いのか」

 

 迦具土神の言葉には、代を追ってまで己の身に奉ずる人を生み出すことへの詫びへの思いもあったのでございましょう。

 それでも国を生み、様々な神をも生み出した伊耶那岐神の言霊は、固く強いものであったのです。

 

「……迦具土様が黄泉の国におわす伊耶那美様の苦痛を思い、自らに下される日々の凌辱を耐えておられることと同じく、迦具土様に仕え、火が大地を克するまでにその技を鍛えしことは、我々熊襲が魁勲雄の子々孫々にとり、代え難き命題となっているのでございます。

 私の命の火が消えし後にも、武尊の名を継ぐものは常に迦具土様の足下におりましょう。

 魁勲雄の名を継ぐものは、火が地を克する、火に負けぬ業物をこの大地から打ち出すまで、迦具土様からお教えいただいた火の御業を守り高め、いつかはその剣もて、迦具土様を縛するその麻縄を打ちに参りましょう。

 この後の世にありましても、熊襲が魁勲雄と武尊の名を継ぐものは、その名を誇ることはあれども、けしてその名を汚すものでは無いと、私は信じております。

 ……我が息子が男としての精を通したとき、次の武尊がまた迦具土様の前へと現れましょう。

 それまで暫くの暇(いとま)をいただきます」

 

 そう迦具土に伝えた武尊は、数十年を過ごしてきた火伏岩を後にしました。

 残された迦具土にとり、一堂知った肌の温もりの無い夜はつらいものであったかもしれません。

 それでもこの凌辱の日々を幾らか耐え抜けば、また武尊の血を引いた男と相見える日が来るのだと、辛苦の日々を過ごしていかれたのでありました。

 

 

 高岳を下りた武尊は熊襲の里へと向かいます。

 人の世一回りを経て武尊が足を踏み入れた里には槌音が響き、迦具土が伝えた火の業を伝えておりました。

 里の頭領でもある熊襲魁勲雄(くまそのいさお)名は、武尊が火伏岩へと向かった後に生まれた弟が、その名を継いでおりました。

 

「兄上でございますね。亡き父より、兄上の果たさねばならぬ使命、代々の魁勲雄の名を継ぐ者が果たさねばならぬ使命を聞いておりました」

 

 そこには亡き父、魁勲雄の面影が残る、武尊にもよく似た幾分か若き男が武尊を迎えておりました。

 

「我が弟であり、魁勲雄の名を継ぐ者よ。私の命の灯火は、もうあまり長くは持たぬであろう。この武尊の名を継ぐ子を成すために、この里に我が前に立つ対となるものはいるであろうか」

 

「父は武尊様の使命を里の者へと説いて回りました。その中で、いつになるか分からぬその使命に身を捧ぐという者が、ずっと兄上をお待ちしております。今夜にも寝屋へと案内いたしましょう。それまではお疲れの身体を、一時なりと休まれてくださいませ」

 

 亡き父、魁勲雄の名を継ぐ者は、すべてを整え、ひたすらに兄の里下がりを待っていたのです。

 

 用意された寝屋に待つ武尊のもとへ、魁勲雄の妻に案内された一人の女がやってまいりました。

 

「あなたが私と子を成してくれるのか。私は今宵、生涯初めて女性(にょしょう)に触れる。おそらくそれは私の命を奪う目合いになるであろう。そのような大事の後を、あなたに負わせてしまう私を許しておくれ」

 

 薄布に顔を隠し、武尊の前に座る女が応えます。

 

「先の魁勲雄様より迦具土様に仕える武尊様のお話しを聞き、私達に火の恵みを与えてくださった迦具土様とそれほどまでの苦行をともにする武尊様とは、いったいどのような方なのであろうと、幼き胸をときめかせたものでございます。

 先の魁勲雄様に、私が武尊様の子を成すことが出来ますれば、いったいどのような誉となるでしょうと伝えた後、武尊様と同じく誰にも肌を許さずに生きてまいりました。今宵の武尊様と私の交わりが、私にもまた生きた証となるのでございます」

 

「あなたには人の一生を捧げるほどの覚悟を強いてしまう。謝って済むことでも無いことは私も承知の上、よければ名前だけでもこの武尊に聞かせてもらえぬだろうか」

 

「はや、と申します……」

 

 迦具土のもたらした灯りが照らす寝屋の中で、武尊がはやの顔を覆っていた薄布をそっと落とします。

 

「ああ、あなたはなんと素晴らしい女であろう」

 武尊がはやを褒め称えます。

 

「ああ、あなたはなんと素晴らしい男なのでしょう」

 はやが武尊を褒め称えます。

 

 それは奇しくも、伊耶那岐と伊耶那美がこの大八洲を成した古来の言葉と同じものでありました。

 

 

 その夜、その生涯一度きりの目合いを終えた武尊はその命を静かに終えることとなりました。

 迦具土の精を浴び続け、他の里の者達よりもはるかに生命力に満ちていたはずの武尊は、はやの腹の中に生まれた小さな命に、そのすべての力を注いでいたのです。

 

 

 里の者達の中で育ちゆくはやの子は、精を通したその日、また次の名を継いだ若き魁勲雄より、武尊の名を与えられ、七日の後に、父武尊がその命を賭して臨んだ火伏岩の迦具土の下へと旅立つのです。

 

 

 こうして武尊の名を継ぐものが迦具土の下へと訪れ、その一生をともに過ごし、しばらく後に次の世代の武尊がまたその任を継ぐ。

 このような繰り返しが幾度か繰り返された後のことでありました。

 幾度めかの名を継ぐ武尊が、迦具土の身を整え、夜明けの光を待つばかりのときでございます。

 

 

「迦具土様、熊襲の武尊よ、ここに熊襲の魁勲雄、霊刀を携え、迦具土様のおわしますこの火伏岩へと参りました」

 

 阿蘇の山々にも響くその大音声に、迦具土の身を拭う武尊の手も止まります。

 声の差す方を見やれば、そこには一振りの剣と、手桶、真白き布をたずさえた偉丈夫の姿が見えました。

 幾世代もその名を継ぎ、火の業、刀打ちの鍛冶の業を継いできた、熊襲魁勲雄の姿が見えたのでございます。

 

「我の持つこの剣。

 迦具土様の伝えより代々継ぎし火の業にて、土より出でた玉の鋼を打ち出した、まことに火が地を克するにふさわしきものかと存じます」

 

 魁勲雄の手に握られた一振りの刀に、わずかに外輪の峰を越した朝日が届きます。

 それは石や銅、あるいは鋳物で出来たこれまでのものとは違い、大地の恵みである玉鋼を鍛えた立派な業物でございました。

「火が地を克する」と宣わった伊耶那岐の言霊が、迦具土のもたらした火によって、大地が生み出した玉鋼によって、さらには鍜治の業持つ熊襲一族の世代を越えた鍛錬によって、まさにこの刻に、成就することとなったのです。

 

 迦具土の手足と火伏岩を繋ぐ戒めは、麻と葛と伊邪那岐神の霊力を縒り合わせた太縄でございました。

 身の回りの動きは取れるようにと、その長さには大層のゆとりがございます。

 しかしながらその縄に込められた伊邪那岐様の霊力は、たとえ同じ神である迦具土様であっても、霊力の源たる髪と髭を剃り落とした御身の力では、少しの緩みも生じないほどの強靱なものでございました。

 

「迦具土様の手足を捕らえたこの縄を断ち切るこの剣。

 その最後の濯ぎ(すすぎ)を、迦具土様と我ら二人の精汁にて行いたく思います。

 あたりに漂う匂いから、迦具土様も武尊にても、今宵幾度もの吐精を成されたとは思いますが、果たして我の思いを得ることが出来ますでしょうか」

 

 魁勲雄の言う通り、夜中から朝方にかけて、毎日の日課ともなっていた武尊と迦具土の互いの精汁による生命力の交換は、まだ二人の身体をぬらぬらと濡らし、あたりの地面からは濃厚な精の匂いを放っておりました。

 

「武尊も我も、毎日毎夜のことにて幾度もの吐精を果たしてきているが、今ここでと言われても我もまたよく精汁を打ち出すよう試みよう」

「迦具土様の仰る通りで、まして私の精が迦具土様の戒めを打ち払う剣の研ぎに使われるならば、たとえ倒れるまでの数とてこなせましょう。迦具土様、魁勲雄殿とともに精を迸らせたく思います」

 

「ならば我ら熊襲二人、迦具土様を挟みて立ち、この手桶に精汁を出すことといたしましょう」

 

 魁勲雄が持参した手桶を迦具土と武尊、魁勲雄が取り囲みます。

 もとより互いの肌を確かめ合うため全裸であった迦具土と武尊の前で魁勲雄もまた下帯を解き、むくつけき己の男根を振り立てました。

 

「それぞれ見事な肉竿であるな」

「迦具土様のものには敵いませぬが、我もまた精一杯の汁を出すよう努めますのでご容赦ください」

 魁勲雄の答えも幾分かうわずった声の調子でございました。迦具土の言葉にどこか嬉しげな響きを感じたのは武尊だけでは無かったようでございます。

 

 一柱の神と、人たる身の二人の壮年の男。

 手桶を前にした三つの裸体の中心に、それぞれの手が伸びてまいりました。

 

「んむっ、迦具土様を前にして、いつもより早く埒が上がりそうな……」

「迦具土様……、魁勲雄殿……」

「おお、この場に魁勲雄、武尊、両名の精の気が集まってきておるぞ……」

 

 それぞれのがっしりとした手が扱き上げる肉竿からは、大地に向かい透明な先汁が太い糸を引き、とろとろと流れ落ちておりました。

 朝の光を迎えつつある火伏岩に、男達の精の匂いが立ち昇ります。

 

 迦具土の黒々と茂った体毛に覆われた右手が豪快に行き来し、それを視野にする二人の人間にさらなる興奮を呼び起こします。

 

「迦具土様の先端が、あれほどに膨れあがっておりまする……」

「先汁から漂う匂いもまた、堪りませんな……」

 

 人の身である魁勲雄と武尊にとって、霊力を持つ迦具土の傍らでの手慰みに、もはや限界が近いようでございました。

 

「我も、精を放つ。武尊に魁勲雄よ、我とともに、我とともに」

「おお、もう、堪えきれませぬ。迦具土様とともにっ」

「私も、魁勲雄殿と、迦具土様と、ともに、ともにっ」

 

 足下に据えられた手桶目がけ、最初に精を放ったのは魁勲雄であったでしょうか。

 ぶしゅぶしゅと打ち付けられる精汁は、そのとっぷりとしたとろみが高く積み上がるように手桶を満たしていきます。

 迦具土神が無理やりに押し下げた太い先端からは、まるで滝のように噴き落ちる白濁した汁が濃厚な匂いを漂わせます。

 迦具土の量には及びませんが、その体毛から発する霊力を受けた魁勲雄と武尊もまた、己のみの行為の際とは比べものにならないほどの大量の汁を放つのでした。

 

「一升はゆうに入る手桶が、溢れそうになっております」

 

 魁勲雄の手によって持ち上げられた桶には濃厚な汁が満ち、漂う雄の匂いは陽の気を放っておりました。

 

「魁勲雄殿、この汁にて刀身を濯ぐ(すすぐ)のでありましょうか」

「左様でございます。武尊殿、この布を我らの精汁に浸し、この剣の刃に塗り込めてくださいませ」

 

 魁勲雄の指示にて、まだその陽物を生え返らせたままの武尊が手桶を満たした白濁した汁を、手に広げた布へとたっぷりと取りました。

 粘性の高いその汁は、わずかに布に染み込みながらもその温度を下げることはございません。

 

 武尊から匂い立つ白布を受け取った魁勲雄が、片手にその布を置き、もう片方の手で剣の刃をすっと滑らせていきます。

 朝の光に輝く刃紋が神と人の精を塗り込められ、さらにその輝きを増すこととなりました。

 

「これにて、剣の魂も籠もりましたでございましょう。いよいよ迦具土様を縛する伊邪那岐様の結わえし縄を断ち切ることといたします」

 

 四本の縄を手に持った魁勲雄が、剣を武尊へと渡します。

「我が父、我が祖父の血に繋がる武尊よ。あなたの手により、迦具土様を捕らえしこの縄を見事断ち切りたまえ」

 

 火の業をもて鋼より剣を打ち出した魁勲雄と、自ら迦具土の血と精を浴び、その御身を拭う日々を過ごして来た武尊。

 二人の熊襲の手によって、数百年もの間、残酷な罰を受け続けた迦具土の戒めが解かれようとしています。

 

「魁勲雄よ、武尊よ、熊襲の名を持つ人の子らよ。

 伊邪那岐神様の言われた「火が地を克するまで」というその日を、そなたらの一族のおかげで私は迎えることが出来た。

 神たる身のこの迦具土ではあるが、そなたら人の子とともに迎えたこの日を言祝ぎ、そなたらの一族に誉れと栄えのあることを願うとしよう。

 黄泉の国におわします伊邪那美様、八尋殿におわす伊邪那岐様。我の声がお聞こえでしょうか。

 我はこの数百年、獣達に我が身を裂かれ、抉られ、喰われるたびに、伊邪那美様のことを思わぬ日々はございませんでした。

 我はこの数百年、我が手足を縛したる麻縄を見るたびに、伊邪那岐様のことを思わぬ日々はございませんでした。

 伊邪那美神よ、伊邪那岐神よ。我の言葉聞こえれば、応えたまえ」

 

 そのとき、あれほどの輝きを見せていた阿蘇の大空に一気に雲が湧き上がりました。

 あたりを豪とした風が吹き抜け、迦具土と魁勲雄、武尊の鼻に黄泉の国の腐臭が届きました。

 

「伊邪那美様の声、この迦具土確かに聞きました」

 広大な阿蘇の平野を揺るがすほどの迦具土神の大音声です。

 黄泉比良坂を駆け抜け、千引の岩を越し、この地まで伊邪那美は黄泉の気配を寄越したのです。

 

「我が命により、火伏岩に繋がれし火之迦具土神よ。

 そなたの声は八尋殿の私の耳に届き、その様は私の目に映っている。

 熊襲の剣が見事そなたを縛す我の縄を断ち切りしとき、そなたにかけられた言霊はすべて成就し、一柱の神として再びこの大八洲の地を治めることを、我は赦そう」

 

 伊邪那岐神のその声は迦具土のいるこの阿蘇の土地だけでなく、伊邪那岐と伊邪那美が生んだ葦原中津国にあまねく届くものでございます。

 その声は人のみにあらず、この地のすべての生きとし生けるものへと届くものでございました。

 

「いざ、いざ、いざ」

 

 武尊がその剣を上段に構えます。

 

「いざや、熊襲の鍛えしこの剣にて、火之神を縛すすべての縄を断ち切り給え!」

 

 刃一閃、武尊の頭上から流れた光が火伏岩へと続く縄へと吸い込まれていきます。

 

「おおっ、我を縛し、この場所に繋ぎし縄がっ!」

 

 魁勲雄の手には、ぶっつりと切り離された麻縄がだらりと垂れ下がっておりました。

 解放された迦具土様の身体から、あたりに霊力が溢れていきます。

 数百年もの間、伊邪那岐の込めた力に抑えられていた迦具土の霊力が一気にその肉体を駆け巡り、その豊かな肉体から火之神の証である炎が噴き上がりました。

 

「おお、迦具土様のお身体がこれほどまでに火の力を持つものであったとは……」

 

 武尊が見続けた迦具土の姿とは一変したその姿は、伊邪那美が最後にこの地で産み落とした威厳そのままに、堂々たる神の姿を取り戻したのでございました。

 

 

 

 それからの武尊は、魁勲雄は、火之迦具土神は、この火伏岩を後にし、それぞれの道を、それぞれの刻を歩むこととなったそうでございます。

 

 熊襲の里へと帰りし魁勲雄は、その鍛冶の技を広げるためにさらに遠い地を目指したとも伝えられております。

 迦具土神は大八洲の後に産み落とされし島々へ、火とそれにともなう御業を伝えるためにまた旅立たれておりました。

 迦具土様の精を浴び続け、その男としての徴(しるし)を口にしてきた武尊は、人としての命終わるまで、迦具土の下にてその神たる身を拭い、付き添っての旅を続けたと聞いております。

 

 

 

 さて、この話を聞きし御方がどなたか分かりませぬが、明日はまた別の話となりましょう。

 それまではまた、暫しのお別れということで、これにて仕舞いとさせていただきます。