男性専科クリニック Part 2.5

その1

 

01 調査用紙

 

 前回の西田と一緒に受けることになった野村クリニックでのセラピーは、私の乏しかった性体験の様相をがらりと変えるものだった。

 

 私は山崎昇、突き出た腹の目立つ42才、端から見ればまさに「中年男」の典型だろう。

 85キロの体重は身長からの標準体重とすれば30キロ近くオーバーしてるのだが、ありがたいことに糖尿や尿酸値の異常も無く、この年までやってきている。

 ここ数年、朝立ちも無く、射精そのものに意識が向かない日々を送っていた。気が付けば自らを慰める行為、そう男としてのせんずりも、ここ数ヶ月はご無沙汰になっていたのだ。

 ゴルフ仲間の西田から風呂場で見た自分のチンポのうなだれた様(さま)に忠告を受けるまで、自分が勃起不全であるかもとの思いすらピンと来ていなかったほどの間抜けな男だ。

 

 幸いに、と言えばいいのか、あるいはそのせいか、と言えばいいのか。

 早くに娘二人を産んでくれた妻とは、次女が生まれた後はほとんど性行為も行わなくなってきており、ここ5、6年は、もう寝室も別にしていた。

 特にその手の行為を嫌うというわけでは無かったかと思うのだが、互いに「それ」を目的として相手の身体に触れることそのものに興味を失ってきていた、というような感覚であろうか。

 

 長女が高校進学したときから、それまで専業主婦だった妻もパートに出るようになり、それなりに忙しい毎日を過ごしているようだ。

 この春、短大を卒業した次女は県外企業に就職が決まり、長女は4年ほど交際していた相手との結婚で家を出て、一気に寂しくなった我が家であった。

 

 本人の中では子どもに手がかからなくなった今、フルタイムでの就労も考えているようで、私も少しずつ任せっぱなしにしていた家事のあれこれを、教わりながらやってきている。

 休みのたびにパートの仕事仲間や近所の仲のよい者たち同志で、やれ温泉だ、食べ比べだと楽しく動いている様子は、子育ての時期をほとんど任せてしまっていた自分を省みて、これからの自由を謳歌してほしいと切に願っている。

 

 学生結婚で同僚などに比べると早めに子育てに取り組まざるを得なくはなったが、その分、自分たちの老後や将来については、夫婦二人とも少しだけゆとりがあるのかなと、しみじみ話すこともある二人だけの住まいだ。

 亭主元気で留守がいい、典型的なその手の考えを持つ妻ではあったが、これから先、人生の半分をよき友人として過ごしていきたいという互いの気持ちだけは一致してると信じていたいものだったのだ。

 

 そんな中、西田からの勧めでインポテンツに悩む私がこのクリニックの門を叩いたのは、およそ2ヶ月と少し前のことだ。

 

 恰幅のいい野村医師と、スポーツで鍛えた肉体にむっちりとした脂の乗った田畑看護師。

 そんな二人が患者に対応するこのクリニックは、男性の性機能の回復については知る人ぞ知る、名医との噂らしい。

 

 初回の治療で自分のチンポを吸入器で吸われ、張り裂けんばかりの大きさとなったそれを、二人に扱かれ、しゃぶられた私は、数ヶ月ぶりの男としての射精を味わうことになったのだ。

 

 それから幾度かの通院を繰り返し、2ヶ月ほど経って受けたのが二週間前に受けたセラピー治療であった。

 初めてのグループセラピーとのことで、私より以前から治療を受けている西田と、野村医師、田畑看護師によるセッションが行われたのだ。

 

 後から振り返れば驚くべきことだったのだが、そこで私は西田の逸物を自らの意思で咥え、しゃぶり、目の前での雄の本能による放埒を目撃することとなった。

 西田と野村医師、田畑看護師の3人分の汁を浴びながら、私自身は西田の足でローションまみれの逸物をごろごろと踏みしだかれながら、ドロドロとした精液を漏らしてしまったのだった。

 

 なんとも衝撃的だった治療内容ではあるが、その原因は心理的な問題だと喝破された私のEDは、確かに状態が改善してきているように思える。

 前回のセラピー後、帰り際に田畑看護師から渡された調査用紙に、私は毎日の回復過程、そう、自らの「性の記録」を付けることになったのだ。

 

 調査項目はそれなりに多く、毎夜、一定の時間を机に向かうことになる。

 寝室を妻と別にしていることに感謝したのは、言うまでも無い。

 

 調査用紙は一日一枚を記入し、今後は通院の度に提出。帰りに次回予約までの日数分のものをもらってくる形だ。

 記入内容といえば、毎日の朝立ちの有無、その日に意識出来た勃起回数、配偶者含め誰かと何らかの性的な行為を行ったかどうか、自慰行為およびその際の射精の有無、意図した勃起の場合の持続時間、その際に快感を感じたか否か、先走りの有無……。

 眠りにつく前、その日一日を振り返って記入する調査用紙は、私にとってその記入そのものが自らの下半身に血流を送りだす刺激となっていた。

 

 それでも若い頃の時と処を構わない不随意の勃起など起きようも無く、朝立ちについては三日に一度ほど発現するぐらいだ。せんずりを行えば、太さは勃起時と同じほどにしっかりと増すのだが、自立するほどまでに固くなるのは一瞬であり、射精に到らずに終えてしまうことも多い。

 通院前は三日程度、グループセラピー前には一週間程度の射精を控えるようにとの指示を受けているのだが、今のところはそれが苦になるというものでも無い。

 

 私の治療計画では、二週間ごとに通常の一人での通院と、西田などを交えのグループセラピーを交互に行っていこうと言われている。

 

 この二週間、結局射精までいったのはグループセラピーの余韻が残っていたあの日の翌日と、それから三日ほど経った平日に、自らしごき上げた逸物から白濁した液を吐精しただけだ。

 朝立ちはこの間5回はあったが、それもトイレで膀胱を空にするまでの短い間のことだ。

 

 あのめくるめくようなグループセラピーを思い返すと、自分でも確かに下半身にじんわりとした滾りを感じるものだ。

 それでもあの日、互いに全裸になった男達と肌を合わせ、暖められた体臭を間近に嗅いだ体験。三人に浴びせられた、精液の熱さ、匂い、そして初めて味わったあの体験は、頭の中での追体験だけでは、さすがにあのときほどの昂ぶりをもたらすわけでは無い。

 

 男なら誰しも、初めて他人の手で己の逸物を扱かれたときの、あのなんとも言えない心地よさ、自らの手では味わうことの出来ない快感の到来を知っているだろう。

 その究極とも言える1対3でのあの交わりは、まさに「体験」ゆえの濃度と快感を山崎の身に刻み込んだ。

 それゆえに、なまなかな刺激には反応しないという反作用が生まれてしまったのであった。

 

 妻にその行為を、あるいは行為の手伝いを頼むというわけにはならないだろう。

 いったいなんのために今さらそんな努力を、と質された場合、男の側で正当な答えを用意するのは非常に困難だ。

 仮に「男としての自信を取り戻したい」と真面目に語ったにしても、「そんな自信を取り戻すことがなんになるの」と言われてしまえば、返す言葉も無い。

 

 とは言っても、このクリニックに通う前は「うんともすんとも言わない」状況だったことを考えると、たまの朝立ち、手で刺激すれば少なくとも容積を増す己の息子の様子に、少しずつ男としての自信を回復しつつあるのは事実だったのだ。

 

 なんと言っても、人の肌と直接触れあうことの温かさ、心地よさ、それに伴う力強い勃起を感じるときの幸福感、我慢に我慢を重ねた末にたっぷりとした精液が尿道を走りぬける律動感、それらすべてが新鮮な驚きと快感となって総身を駆け巡るあの感覚は、一度味わってしまうと知らなかった昔には戻れない。

 もちろんそれに類するものは、己の若い時代にも経験してきたに違いないのだが、年を重ねた「今」、それはまたかつての経験とはまた違った、重さと豊かさに満ちているように思う。

 

 前回の西田含めたグループセラピー後、二週間の間をとっての通院日となるのは明日の金曜日だ。

 通院前日の夜、私は調査用紙を一枚一枚見直し、ここ二週間にわたる己の性に向き合う日々を振り返った。

 

 あの日は太くはなったが固くはならなかったな。

 この日はけっこうガチガチになったが、射精まではいかなかった。

 ああ、あの日はなぜか手すさびを始めてすぐに、ふぐりからものすごい快感が登ってきて、あっと言う間にイってしまったな。

 

 日々、己の性を見つめ、その過程を記録することが振り返りにこれほど役に立つとは思いもしなかったことだ。

 

 私はむっくりと膨らんだ自分の逸物をゆっくりと揉み上げながら、明日のクリニックに持って行くクリアファイルに調査紙の束を入れ込んでいた。