工場で
株式会社OHARAの社員達の中で、健幸への意識に変化が出てきた頃。
「健和さん、これでチェックのスピード上がると思います」
「かずさん、これ、すごいですよ。かずさんがプログラミング出来るって、俺、よく知らなくて……」
「自分も学校のときに習ったぐらいなので、基本の基本を使ってみただけです。
仕組みとしては読み取った文字を引っ張って、文字数で参照した略語データベースで総当たりさせてるだけなので、そう大したものでも無いんです。
最近のAIとかをかませると、そこで精度出せるんでしょうけど……」
「いや、これだけでもホントすごいですよ。はずれ値はこっちの経験則で対応出来ると思うし、バグ取りと修正が、かなりはかどるはずです」
ここしばらく健和と更科数彦が取り組んでいたのは、西山製作所が蓄積してきた膨大な設計図をいかにデジタルデータ化して汎用性を持たせるかというプロジェクトであった。
すでに光学機器メーカー、印刷技術を誇る企業との共同プロジェクトとして、水面下では進めてきている。
それでも、経年劣化も見られる古い図から読み取ったデータがはたして「正しい」ものなのかどうかは、これまで実際に製造に携わってきた製作所のメンバーによる目視確認に委ねられていたのだ。
その点、40年以上も金属加工に関わっている文四郎の存在は非常に大きなものであった。
図面をざっと見ただけで、当時の記憶とともに、そこで「何が説明されているか」が理解出来ている人間がいるといないとでは、データ一つ一つの確認作業に大きな差が生まれてしまう。
それまでは健和が吸い出したテキストや数値データを文四郎の解析によって修正をかける流れであったが、そこにプログラミング技術も学んでいた数彦が新たに加わったことで、それこそ段違いのスピードでの精査方法が確立されつつあった。
「これだと、年内のプレゼンまでに一定の成果が出せると思う。本当にかずさんが一緒に取り組んでくれることになって、よかったですよ。ありがとうございます!」
パソコンの前に座る数彦に、画面を左手から覗き込む健和がモニターの反射光に顔を照らされながら感謝の言葉を伝える。
「社長が屈辱的なことをやらされると知って、手伝わない理由はないですよ。もっと早く教えてくれてれば、と思うほどでした」
言葉を選んで答える数彦の口調からは、内心の悔しさが伝わってくる。
「やっぱり実の父親が辱めを受けてるってのは、なかなか言い出せなくって……。本当に済みませんでした。
……でも、かずさん、親父のこととなると、どうしてそんなに怒ってくれるんですか? あ、もちろん言いたくなかったらいいんですけど、済みません……」
若者らしく、率直な疑問をぶつける健和。
父親である健幸が、従業員から慕われているということは健和にも分かっていた。
それでも、身内である自分や、昔から苦楽をともにしてきただろう文四郎の怒りは理解出来ても、一従業員である数彦にとって、雇用主である健幸に対し、そこまでの情が湧くものだろうか。
数彦の父への思いの根幹に何があるのか訊ねてみたい。それが口に出た瞬間だった。
健和の問いに、数彦のキーボードを叩く手が止まる。
「……、健和さんもご存じのように、自分は右耳が聞こえません。
聴覚に難がある自分を、しかも障害者手帳を持ってない自分を雇うのは、経営者としてかなりの決断だったのではと思っています。作業音レベルが高い工場での意思伝達を考えると、健聴者を採用するよりもリスクが高いことだったでしょうし、手帳が無いので雇用開発助成金が出るわけでも無い。
それでも社長は、高校新卒ですぐに戦力にならないとは分かってる自分を、ぜひうちに来てくれと言ってくれました。
自分は周りとわいわい上手くやっていくタイプでも無い。
そんな自分に退職した良平さんや野島さん、残っている文四郎さんや、左右吉さん、まっさんも、皆さん根気強く指導してくれました。若い御園も、野島さんと一緒に退職してしまった都築も、自分を先輩と立ててくれてます。
自分はこの会社に拾ってもらって、本当によかった。
自分は古いタイプなのかもしれないですが、拾ってくれた社長にその「恩」を返したい。
ただ、ただそれだけなんです……」
本人が口べただ、という数彦が、普段だと三日分にもあたうるほどの言葉を一気に紡ぎ出す。
そこに込められた思いは、数彦の3分の2ほどしか人生経験の無い健和にも、十分に伝わっていた。
「……、親父のことをそんなにまで思ってくれてて、ありがとう、数彦さん」
「あ、いや、喋りすぎました……」
「数彦さん、とにかくこいつをなんとか形にして、親父にあんなことさせてる敷島と小原社長に叩き付けてやろう。
あいつらは興信所使ってるみたいなので、かずさんも気をつけてくれ。N社さんとD社さんにも伝えて箝口令を敷いてもらってるんで、お互い気をつけよう。
うちがOHARAの仕事をいつでも切れる状態になるって分かれば、向こうも無茶なことも言わなくなるはずだ」
「ええ、間接的なことかもしれないですが、やはり国の助成受けることの意味合いは大きいと思います。一緒に頑張らせてください」
健和は数彦の肩を叩き、また自分のパソコンへと向かう。
日付が変わるまで、もうほんの少ししか時間は残っていなかった。
「社長、おはようございます」
「ああ、文さん、おはようございます」
昨夜は健和と数彦に体調を心配され早めに帰った文四郎が、健幸に朝から声をかけていた。
「昨日の宴会は、その、どうだったんですか……?」
「あはは、まあ素っ裸にならされるのはいつものことだったんだが、それがさ、文さん。向こうの若い連中が一緒にやろうって言ってくれて、なんと5人でドジョウすくいやったんだよ。
しかもそいつらも俺と一緒に裸になってくれてさ。なんか俺、感動しちゃったよ」
「親父の方も頑張ってるんだな」
宴会後の出勤日にしては、珍しくほがらかな健幸の様子に健和も同意を示した。
「頑張るってわけじゃ無いんだが、お前がこの前一緒にやってくれたときに思ったんだ。笑われてもいいから、とにかく一生懸命やろうってな。それがあんなふうに伝わってくれたって思うと、健和、お前にゃ頭が上がらんよ」
「よせよ親父、気持ち悪い。まさか親父のチンポしこってせんずりするなんて、思いもしなかったんだからな」
「おいっ! それっ、どういうことなんだ!」
「あれっ、そうさんっ?!」
タイミングがいいのか悪いのか、健和がOHARAの社員達の前で雄汁を噴き上げたときの話題をした瞬間、社長室に左右吉が入ってきたのだ。
「説明しろっ、健和っ!! いったい、何があってるんだっ!!!」
左右吉の声が工場に響く。
怒気をはらんだ大声に、どうしたどうした何があったと、従業員が集まってきてしまった。
「あー、えーと、その、親父、どうしよう……?」
「……もう隠しておいてもしょうがないだろう。さすがに俺からは言いづらい。健和、頼んでいいか?」
「ああ、分かった……。もし俺の話に変なところがあったら、親父から訂正してくれ……」
……
…………
全員が、健和の話を聞いた。
健幸の裸接待の様子や、健和もともに裸踊りをさせられたこと。文四郎や数彦と新しいプロジェクトを早く認めてもらおうと動きを進めていること。
社員達の当たりはよくなってきているが、今でも社長たる健幸が素っ裸で接待をさせられていること。
誰から質問が出ることもなく、しんとなった社長室に健和の声だけが聞こえていた。
「なんスか、それっ! 裸で一人やらされるなんて、バカにしてるにもほどがあるじゃ無いッスかっ!!」
「俺も、許せない……。その、弁護士とかに言えないんですか? 四代目までそんなことさせられて、絶対におかしいっ!」
うっすらと健幸が何か無理を言われているらしいとは想像していたのだが、実際の話を初めて聞いた、松永史朗と御園友一が、怒りを露わにする。
「社長自身は、どう思ってるんだ」
そこまで黙って聞いていた児玉左右吉が、口を開く。
「親父……」
困り果てた健和が、健幸を見つめる。
「ああ、そうさんの言うのももっともだな……。
まずみんなに言っておく。OHARAの仕事のことや、あそこで働いてる奴らのことを恨んだり憎んだりはしないでやってくれ。
あそこで働いてる奴等も、俺達と一緒だ。若いし、礼儀知らずかもしれんが、同じ職人なんだよ。俺は最近、そのことを、ホントに真剣に考えてる。
確かにひどいことをさせられてるんだとは思ってるさ。文さんからは男芸者じゃないのかって、言われたようなことだ。
ただな、俺は死んだ爺さんや親父がホントに色んな苦労して、一個一個の部品を、仕事を取ってきたのを見てきてるんだよ。
俺は向こうの会社で愛想笑いをして、素っ裸で酌をして、裸踊りをさせられてる。しばらく前には健和にまで一緒になって、口では言えんようなことまでさせられちまった。
でもな、爺さんや親父のときには、素っ裸でゴルフのボール拾いさせられたとか、取引先の重役の運転手させられたとか、そんな話ばっかりだったんだ。
今回の仕事も、半年かけて部品三つかよって思ってるのもいるかもしれん。だがな、俺に取っては、たった三個の部品も、製造が追いつかないような百個の部品も、どれもこれも、誰かに取っての大切な部品なんだ。
みんなが俺のことを心配してくれるのは、本当に嬉しく思う。
だが、職人として、俺の会社の一人として、受けた仕事そのものにケチをつけることだけは考えないでくれ。
俺は三代、いや健和入れれば四代か、ここまで続けてこられたこの小さな会社の力と、みんなの技術を信じてる。
OHARAさんの先には、その部品を使ってくれるメーカーさんがいるんだ。
俺は、その『先』の人達の信頼を得ることが出来れば、俺なんかのちっぽけな自尊心なんかどうでもいいとすら思ってる。
それだけは、分かってくれ、みんな……」
沈黙の時間が過ぎる。
初めてこの話を聞いた松永史朗と、すでに聞いていたはずの数彦と、中堅の二人は社長の話にその目に涙を溜めている。
誰も何も話さない。
その静寂を破るように、左右吉が口を開いた。
「社長が決断していることに下のものがどうこう言うわけにはいかんじゃろう。
それが会社を背負う責任ってこった。
四代目がやってることは確かにこっちからものが言える関係を作るにはいいことなんだろうが、それでも若いモンには許せんって思うもんもいるかもしれん。
社長にはそんなモンがいるってことを、いや俺が一番思ってるのかもしれんが、知っといてほしい。
みなが心の底でどう思ってるかは俺には分からんが、それでも俺は、社長の言う通りに今の仕事を精一杯やっていこうと思う。
上も下もそうやって、支え合っての会社ってもんだ。
どっちもどっちも、相手のことを考えて動いていけばいい。そんなでも、とにかく一生懸命に頑張ってりゃ、いい結果がぽろっと転がり込んでくるもんだ。
なんかあったとき、突っ走る若いもんの盾に、俺達がなれれば、それでいい」
文四郎の右腕であり社内でも2番手になる左右吉の言葉は、若い友一や健和に、あるいは数彦に、そしてまた、雇い主である健幸に向けてのものでもあった。
「そうさん、ありがとう……。
こうなったら、まずは受けてる部品の精度を上げて、完璧な金型を作ることに力を集中しよう。それと、12月のプレゼンに向けて、設計のデータ化に向けての準備を進めていきたい。みんなも協力してほしい」
わずか8人の工場であった。
その中で一番の若造である、20代前半にしかならない健和の言葉だった。
それでもその言葉には、社員みなの思いと気持ちが代弁されていた。
「よしっ、もういいだろうっ。みな、仕事に入るぞっ!!」
文四郎が声をかける。
みなが一斉に、応っと答える。
その姿を、7人の男達が社長室を出て行く後ろ姿を、健幸は涙を堪えながら見つめていた。