里見雄吉氏 作

開拓地にて

ある農夫の性の記録

第五部

熟年期

 

七 二人旅

 

 こうした二人の逢引が数年間続いた。さすがに四回、五回と回数が重なってくると、記憶も混ざり合ってしまう。何があったか、つまりエピソードは断片的に覚えていても、いつの旅でのことだったかがあやふやなのだ。一行日記を見ても、

「秀さん。不動湯温泉にて。私五発、相手六回放出。肛門内四発、顔一発、口内一発。」

 などとしか書かれていないのである。

 そんな中、記憶に鮮明なのは二人での湯治旅である。秀さんと五泊六日で農閑期に湯治の旅に出たのだ。あれは知りあった翌々年の晩秋、そろそろ初雪が来る頃のことだったから、出会ってから間もなく二年という時期のことだった。

 夏頃から、一緒に湯治場を泊まり歩く旅に出てみたいという話になっていたのだが、鄙びた宿とはいえ、年末にそれをするというのは難しい。つまり宿が空いていないのだ。

 ここでいう湯治場とは、自炊部のある温泉旅館のことである。

 私は自炊部の魅力に取り付かれた一人だが、秀さんも自炊部が大好きだという。毎年、農閑期に一人で一週間近くも滞在するというのだ。それなら一緒に、という話になったのも当然であった。私が五十二歳、秀さんが六九歳の時のことであった。

 

 一行日記を見ると私と秀さんが落ち合ったのが「十一月二十八日」とある。その年は年末の旅行を取りやめる代わりに、収穫が終わると同時に旅に出た。一か月旅立ちを前倒ししたわけである。

 私が秀さんの家のある〇〇市まで車で迎えに行き、駅前で待つ秀さんを車に乗せたらしいが、正直、ほとんど記憶にない。なぜ駅前だったのだろうか。

 閑話休題。これから一週間、東北地方各地の湯治場を巡る旅の始まりである。自炊部に宿泊し温泉とセックス三昧の一週間を満喫するのだ。

 二十一世紀になっていたとはいえ、十六年前である。スマートフォンもなく、デジタルカメラの性能も今ほどよくはなかった。既に秘湯ブームの時代に入って久しかったが、東北の湯治場はまだまだ俗化されておらず、今よりずっと昔ながらの風情を残していた。私と秀さんはそんな湯治場を越中褌で渡り歩いた。

 

 なぜ私も秀さんも、これほどまでに湯治場の自炊部に惹かれるのであろうか。そこには、やはり私の性癖が見え隠れする。

 自炊部を利用したことがある方ならご存じだろうが、そこは豪華さとは無縁の空間である。大抵、四畳半か六畳一間きりで便所も廊下のものを共同使用である。部屋にはテレビと卓袱台があるだけで、布団や浴衣さえ別料金。立て付けが悪く、すきま風の入るような窓も珍しいことではない。中には大沢温泉のように、廊下と襖一枚で隔てられているだけ、という構造の場合もある。しかも、利用者の多くは高齢者なのである。

 

 そんな部屋のせんべい布団での肛門性交である。もしかしたら隣の部屋の老夫婦に睦事の声が筒抜けになってしまうかもしれないではないか。それは老け専、汚れ専の私にとって生唾を飲み込むほど欲情をかき立てられるシチュエーションともいえた。

 

 私達二人は、高速道路で一気に青森県まで北上した。後は湯治場に宿泊しながら、ゆっくりと南下を続けていく。昼間は物見遊山で観光地を巡り歩いた。弘前城、角館の武家屋敷、中尊寺、山寺、蔵王のお釜、龍泉洞、いずれもこの旅の途中で立ち寄った観光地である。

 同時に、行く先々の町で、その土地の味覚と地酒を買い求めた。それが、その日の酒の肴である。

 

 夕方、温泉旅館の自炊部に荷物を下ろすと、まずは共同台所で夕食の準備である。その日、買い求めた土地の味覚を、包丁で切って皿に盛りつけるだけなのだから、ものの二十分もあれば充分である。私も秀さんも美味い日本酒とそれに合う肴があれば、それで満足だった。酒飲みの食事は至って簡単なものである。

 風呂に入り晩酌を終えれば、もうそろそろ九時。湯治場の夜は早い。もう就寝時間である。布団にもぐり込んで電気を消すと、すぐに私の布団に潜り込み、唇を寄せてくる。

 

 昼は観光、夕方は温泉、そして夜は酒とセックス。そんな日々が一週間も続いた。酸ヶ湯温泉、夏油温泉、須川高原温泉、大沢温泉、肘折温泉。いずれもこの旅で滞在し、精液にまみれた塵紙を放置してきた湯治場だ。それにしても一日の終わりをセックスで締めることができるのは、実に楽しいことだった。そして、朝まで全裸のまま抱き合って眠るのである。

 晩秋の山の出で湯は既に初冬の趣である。すきま風の吹き込む自炊部の粗末な部屋に、お互いの肌の温もりが何ともいえず心地よかった。