町内会長と

その2

 

「締め方は分かっとっとな?」

「理屈では分かってますが、布の前後ろがあるのかがよく分からんです・・・?」

「垂らしたときに前布が表んなるごて、尻に当たる内側ん方に、表ば持ってくっとよかたい」

 

 西岡さんの目の前で大股を開き、まるで自分の股間を見せつけるかのように仁王立ちになる。

 当然のように視線が注がれる場所を意識してしまう。

 加えて新しい下着を初めて身に付けるときの、男なら皆経験があるだろうあのなんとも言えない高揚感に、半勃ち程にも自分の逸物が膨らんで行くのが分かる。

 

 一枚布の袋まつり縫いの端が見えない方を尻に当て、臍下で紐を結んだ。股をくぐらせた布を前側で紐の下を通し、両の布端を引っ張りながら前に垂らせば、越中一丁の初老の男の出来上がりだ。

 テレビなどで見かけるものより幾分か前に垂れる布の長さは短いようで、金玉の膨らみすら西岡さんの眼前に晒している形になるのは、どこか恥ずかしく、それとともに男が何を恥じることがあるものかとの、相反する思いが渦巻いていた。

 

「チンポは篠原さんの方が太かごたるばってん、金玉の太かつは儂ん方んごたるな」

 締める前にやはりしっかりと見られていたのだろう。西岡さんが自分の褌の前垂れを持ち上げ、厚みのある手のひらにぼってりと乗った塊をゆさゆさと揺らす。

 まるで小学生のような戯れが、気のあった2人の間では当たり前のように感じられた。

 

 突然の着替えショーではあったが飲み助の2人のことだ、また飲み直そうという話になるのは当たり前だ。

 家での晩酌のときにはせいぜい缶ビールの小さい方を1本空けるぐらいなのに、今日はもうかなりの量を飲んでいる。

 それでも、この楽しい時間を終わらせたくない、もっと色んな話しをして、お互いのことを知り合いたい、そんな思いが酒量が増えてもなお悪酔いをさせ得なかったのだろう。

 

 つまみもほとんど無くなり、互いの酒を作りながらの酒席は続く。

 私達の年代ともなれば、酒が入ってしばらくもすれば、話題のほとんどはどうしても昔のことを振り返ってのものとなってしまう。

 西岡さんとの2人だけの宴席もそれに違わず、町内の四方山話が過ぎてしまえばお互いの仕事や家族の話になってしまっていた。

 

「儂はもうこの年になってからの独りだが、篠原さんは若っかときからだったろうけん、だいぶ寂しかったろうたい」

「子どももおらんかったので寂しく無かったかと言うと嘘になりますが、気が付いたらもう連れ合い持つ年でもなくなっとったけんですね・・・」

 一回り近くも年上の人だと思うと、相手に合わせての方言の言葉使いもおかしなものになるようだ。

「その、儂と違おて若っかときだったけん、不自由したっじゃなかつな? 風俗とかは行かんかったつな?」

 

 40代で伴侶を亡くした男には当然抱かれてしまう疑問だろう。これまでも何度も酒席宴席で聞かれ、二言目には「次ばもろてみる気はなかつかな?」と言われるのも定番の流れだった。

 

「昔からあんまりおなごにはがっつかんかったけんですね。学校んときも仕事んときも、男の友達と話しとるほうが気が楽で。うちんととも当時の上役が見合いば持ってこんなら、付き合いもしとらんかったて思とります」

 

「そぎゃんとこは儂ともよう似とるかんしれんな。警察も昔は男ばっかりだったけんか、互いに妙に仲よかったけん。

 飲み方んときは若っかもんも上んとも、一緒になって裸踊りでんして、最後は全員でせんずりしてから御開きにしよったつばい。

 恥ずかしかとも最初んうちだけで、そんときんことば思い出して、自分で扱いてイくとも気持ちよかったもんなあ」

 

「役所は女もそこそこおったですけん、そぎゃんとは無かったですね。学生んときはよう寮の男同士でしよったですばってん・・・」

「警察が風俗行きよったら話しにならんけんな。独身の奴らんとば、みんなして扱いて出してやるとかも遊びでしよったばい」

「自分もそぎゃん感じだったんでしょうな。窓口におったこともあるもんで、ソープとかも万が一と思うと行っきらんかったとですよ」

 

 出張などでよっぽど遠方にでも出向かない限り、公務員が風俗を利用するのはかなり気が引けるものだ。

 

「その、若っかときからトルコやソープとかも行かんかったつなら、溜まったらどぎゃんしよったつな?」

「はは、我がでててんごばかりしよったですよ」

「儂も当直んときとかは仮眠室でよう自分でしよったばい。家だと1回出すとしばらくよかばってん、仕事ん途中て思うとおかしかごて興奮してな。休憩中に続けて3回イったときには、自分でもこらおかしゅうなっとるて思たたいなあ」

 

 猥雑な話しなど何年ぶりだろう。アルコールも程よく回り、2人ともなんとなく浮かれたような心持ちになっているのに違いなかった。

 互いの話しに思い出すことも多いのか、西岡さんも越中の前布のあたりを盛んに揉んでおり、私自身もこのところ感じたことの無いような昂ぶりを、その身の内に感じている。

 長い独り暮らしと退職に伴った不安感や寂寞感が縁側の日差しに柔らかく融けていくような、そんな心地よさ、気持ちよさに揺蕩っていたのだ。

 

 2人だけの時間と空間に、どこか学生時代にも似た無礼講さを勝手に私が解釈してしまっていたのだろう。

 色気話のついでとばかりに口に出した私の台詞は、後から考えるととんでもないものだった。

 

「奥さんもずっと若こうしとんなさったけん、私からは西岡さんとこは何時までもよかこつばしよんなさっとだろなあて、だいぶうらやましかったっですよ」

 

 下卑た、卑猥な、冗談であった。

 

 それまでは淀みなく流れていた2人の間の会話が、一瞬途切れた気がした。

 

「あっとは2人目ん出来てからは、とんとせんごてなっとったもんだけんな・・・」

 

 それまで楽しげに、スケベそうな目をして話していた西岡さんの顔に、ほんの微かな時間だけだったとは思いたいが、寂しそうな翳りがよぎった。

 その瞬間、私の酔いにのぼせていた頭に、すっと冷たい血が流れたようだった。

 互いに本人の色気話しであればなんとも無いことだったろう。酔いの中にあったとはいえ、私の言葉は亡くなられた奥さんへの侮辱と取られても仕方のない発言だったのではなかろうか。

 他人の家庭の性生活に踏み込むつもりなど毛頭無かったのだが、年寄りのあけすけな話しの流れについ言葉に出てしまったのだ。

 

「すみません、変なことを言ってしまいました。亡くなられた奥さんにも申し訳ありません」

 膝を直し両手を突き、頭を下げる。

 

 男2人だけの空間の中で、確かに感じていた寂しさや現役時代の矜持や誇りといったものへの共感は、あっと言う間に遠くに消え去っていく。

 ああ、今夜のこの時間はもう終わりなんだ、自分のせいでこの楽しい雰囲気を打ち壊してしまったのだ。

 それまでの酔いが逆のベクトルに向かったのか、自分の言葉があまりにも悪辣なものに思えてしまい、涙がこぼれてしまう。

 

「なんば言いよんなさっとな。男同士のエロ話だけん、大笑いすっとよかこったい。はよ頭ば上げちはいよ。また飲んで、おもしろか話しばすっとよかたい」

 

 西岡さんにしてみれば私の言葉に何らかの思いはあったのだろうが、それにしてもこちらの唐突な反応に驚いたところもあったのだろう。

 それでも、とてもでは無いが、私自身が頭を上げ再びコップに手を出せる心境では無くなっていた。

 

「すみません、すみません。私の一言で、あんなに楽しかったのが一気に冷めてしまいました。

 夕方からこの時間まで、本当にここ何年もの中で自分にとっては一番楽しい時間でした。職場の大勢で飲んだり、二次会三次会で気の合ったものと2人だけで飲んで話すこともありました。

 でも、こんな寛いだ互いの家で、男2人だけで話して飲むというのは、本当に久し振りだったんです。

 西岡さんがあまりに優しくて受け入れてくださって、自分がすごく甘えてしまったんだと思います。

 本当に済みませんでした。奥さんをも侮辱したと殴られても構いません。いえ、一発、殴ってもらえませんか。そうでないと私の気が済みません」

 

 最後の方は涙をボロボロ流しながらの泣き言でしか無い。

 60を過ぎた男の、なさけない土下座姿だ。

 

「なん馬鹿んこつば言いよっとな。あたが儂やうちんとば侮辱するはずなんてあろうかい。儂は何も思うとらんけん、とにかく頭ば上げちはいよ。そぎゃんされとっと、儂も泣こごてなったい」

 

 取りなそうとする西岡さんには悪かったが、私の方はもう何か具体的な罰を受けないとこの場を去ることすら出来ない、そんな一方的な考えしか出来なくなっていたようだ。

 後から思えば、相手に何か罰を与えてもらうことで自分の罪を浄化しようとした、自らの責任を回避した姑息な手段に他ならない。

 本来であれば自分で反省し自らを律すれば良いだけの話しだ。

 そんな私のずるさを西岡さんは直感的に見抜いていたのだろう。

 次に頭上から降ってきた言葉は、少し怒気を含んですらいるように思えたものだった。

 

「何度でん言わせなすな。はよ頭ば上げなっせ。そぎゃんゆうなら、儂の言うとおりにしなっせ」

 

 そのときの私の心情とすれば、西岡さんから何らかの罰を与えてもらえるのでは、という浅い理由で顔を上げた。

「何でも西岡さんの言うとおりにします。殴られても構いません」

 

「なんでんすって言うたな。なら、今から儂の言うこつば、逆らわんで言われたとおりにせなんばい」

 

 西岡さんが座卓をずっと押しやると、床の間の前が広く空いた。

 座布団を三枚、並べ置く。

 

「ここに仰向けに寝なっせ」

 

 訳は分からなかったが、言われた通り、座布団の上に横たわった。

 そのときの私としては、いっそ足蹴にでもしてもらえればという妙な気持ちも湧いていたのだ。

 

「篠原さん、これから儂があたにするこつを、あたは黙って受け入れんといかんばい。

 なんばされたっちゃ、黙って受け入れるて誓うな?」

「もちろんです。どんなことをされても構いません」

 

 それまで穏やかだった西岡さんの剣幕に一瞬はたじろいだものの、その気迫から感じ取れる真剣さに褌一丁の姿が震えるようだった。

 

 西岡さんが私の顔をのぞき込むように身を屈めてくる。

 とっさに「殴られる!」と思い、歯を食いしばり目をつぶってしまったが、鉄拳は飛んでこない。

 おそるおそる目を開けると、西岡さんの顔がすぐ近くに見える。

 顔が触れる、と感じた瞬間にはこちらの身体全体を覆うように西岡さんの全身がのしかかり、胸に腹に、そして股間にもずっしりとした重みがかかった。

 横たわった私の身体を西岡さんは、まるで夜の秘め事の始まりのように、ぎゅっと抱きしめていたのだ。

 

 蹴られるのか、殴られるのか、ビンタを張られるのか、そのようなことばかりを想像、いやどこか期待すらしていた私に取って、身構えた全身の硬直を解いていいものかすら分からずに、ただただ西岡さんに抱きすくめられていたのだ。

 同姓である男に抱かれているということに対しての嫌悪感はまったく無かったが、なぜ、どうしてという思いは湧き上がる。

 

 西岡さんの頭は私の頭の右横に落とされ表情は見ることは叶わない。

 ただひたすらに、触れ合った胸から感じる互いの鼓動だけが時を刻んでいた。

 

 沈黙の時間はどれほど過ぎたのだろうか。

 先ほどまであれほど高ぶっていた私の感情は、抱きしめられている西岡さんの肌から伝わる暖かさに、どこかに溶け去って行ったかのよう落ち着いてきていた。

 互いに大人同士、西岡さんの言うように笑って済ませれば良かったのではないか。あるいは一言済みませんでした、と大声で詫び、次の瞬間にはまたアルコールへと手を伸ばした方が、2人に取っての楽しい時間が続いたのでは無かろうか。

 冷静になった頭の中を、千々に乱れる思いがぐるぐると回っている。

 

「今から儂が昔の話ばすっけん、ようと聞いときなっせ」

 

 私の鼓動が落ち着いたのを見計らったのか、耳元で西岡さんが囁くように言葉を発した。

 私は声を出すことを恐れていたかのように、うんうんと頷くことでしか了承の意を伝えることが出来なかった。

 

 

「儂が警察で地域課に務めて二つ目の交番移動のときだった。仕事について、初めての殺人が儂の担当地区で起こったんじゃ。

 典型的な強殺で、年寄りとその孫2人が殺された悲惨な事件だった。初めての大きな事件だったし、この仕事のことも何も分かってなかったこともあって、その事件のことばかり考えてしまっとったんだろうな。

 しばらくしてやった奴は捕まったが、少し離れた同じ地区の男だった。

 もうそれからは自分を責めるばかりになってしまっとった。

 自分等がもっと地域に目を凝らしていれば防げたんじゃ無いか、職質をもっとやっていればどこか事前に犯人が引っかかってたんじゃ無いか、そんなことばかり考えとって、どっかおかしくなっとったんだろう。

 自分では気付いとらんかったが、後から聞けば、書類のミスや引き継ぎでボーッとしてしまうのが目立ってきておったらしい。

 ある日、非番のときに上役が儂の部屋に訪ねて来たったい。

 最初はなんか考え事あるんだろう、俺に言え、みたいな感じだったばってん、何も話さん儂に腹かいたっだろうな。

 大声で、立って今すぐ服を全部脱いで素っ裸になれと言われた。

 最初はもちろん何のことか分からんかったばってん、正直もしかしてこれが先輩達の言いよった戦友愛って奴か、とも思った。悪ふざけが過ぎたことなのかどうか分からんが、学校や県でもそういうのがありよるて噂はちらっと聞いとったけんな。

 まあ結果的にはそのときは、ちいっと違とったが。

 とにかく上官の剣幕に慌てて褌一丁になると、それも脱げと言う。こっちは怖いやら何やらで仕方なく素っ裸になったたい。

 そしたら上官も自分の服ばさっさと脱ぎだして、もちろん褌も取って素っ裸にならした。

 いったい何が始まるかと思うとったら、上官が言った言葉にはたいがなたまがったな」

 

「その上官は何て言われたんですか」

 2人して越中姿の今の状況とかぶる話しの内容に、私もつい尋ねてしまう。

 

「『性的な意味ではなく、俺はお前をとにかく抱き締める。俺がいいと思うまでずっとお前を抱き締める。これは上官命令だ。お前はずっと俺に抱き締められてろ』、って話しだった。

 もうホントに何を目の前の上官が言ってるのか分からんで、儂も混乱しとったんだろう。何か我慢大会みたいなもんと思い込んで、若かったせいか上官の命令口調に反抗心みたいな感じになっとった。

 なにか悔しくて何をやられても受けて立つ、みたいになっとったつだろうな。

 押し入れから布団出させられて裸のまま横たわったら、上官が上からのしかかってくる。

 学校のときに同期の奴とふざけてせんずりの掻き合いぐらいはしたこともあったばってん、あれは性欲とふざけと混ざっていたようなもんで、決して同性愛とか言われるもんは違っとったと思うしな。

 上官は前言通り、仰向けに寝た儂を正面から抱いてきよったよ。

 当時の儂より背も高かったし重さもその分あったんだろうな。篠原さんと同じくらいかもう少し背の高っかったかもしれん。

 ずっしりした重みを感じたと思うたら、両腕を回して本当に抱かれとった。

 警察学校の術科の柔道や逮捕術でのしかかられることは何十回もあったばってん、それとは全然違うとった」

 

「男に抱き締められて、気持ち悪くはなかったんですか?」

 

「それは不思議に感じんかったな。とにかく訳が分からんのと、命令されたことへの反抗心で、やるならやってみろ、みたいな剣幕だった。

 チンポも相手のがゴロゴロ当たるんだが、別に気にもしとらんかったと思う。男だから付いてるのは当たり前だ、と思い込もうとしとうたっだろな。

 ところがそのまま何分経っても、上官は何もしようとせんし、何か言うわけでもなか。

 本当に最初に言ったごて、ただ抱き締めとるだけだった」

 

 そのときの情景は、まさに今私が経験している2人のこの奇妙な寝姿と同一のものだったのだろう。

「今、私にしてくれてるのと同じようにですね」

「ああ、そぎゃんたい。儂はあのとき上官にされたことで自分の中の何かが変わった。同じことが儂に出来るか分からんだったばってん、泣いてる篠原さんを見とったら、これしか出来んかった」

 

 嬉しかった。西岡さんの優しさが、ただただ、嬉しかった。