部品三個の、ど根性

その3 健幸の苦悩

 

健幸の苦悩

 

「ああ、健和君か。ケンコーさん、なんか元気無いみたいだけど、夏バテかなんかしてるんじゃないかい?」

 健和が組合の件で近くの工場を訪れていたとき、馴染みの社長から声をかけられた。

 父親である西山製作所の社長、西山健幸(たけゆき)は、その名前の字面から昔から「ケンコーさん、ケンコーさん」と慕われていたのだ。

 

「ああ、親父、俺もちょっと心配なんですけど、また声かけときます」

「まあ健和君がいりゃあ、心配無いわな。うちとか、俺が倒れたら誰も支えてくんないしさ」

「なに言ってるんですか。まーだまだ元気ビンビンなのに」

 

 あははは、と合わせて笑いながらも、健和の心中は穏やかでは無い。

 

「親父、小原さんところに顔出すようになってから、絶対無理してやがるよな……」

 健和がそんな思いを感じ始めたのは、初めて健幸が小原達の飲み会に参加し一ヶ月ほど経った頃だったろう。

 

「社長、周りも心配してるぞ。小原さんところやり始めてから、なんか社長がおかしいって」

 文四郎が、意を決したように社長室の健幸に話しかけていた。

 

「ああ……、済まんな。顔や態度に出しちゃいかんな、とは分かってるんだが……」

「野島からも少し聞いてるし、なんとなく想像はしてるが、かなりひどいことやらされてるんじゃないのか?」

「はは、文さんに心配されちゃ世話ないな。S社さんのも9月でいったん途切れるし、なんとか受注を支えんといかんところだし、もう少し頑張るさ」

「確かに小原さんところが無くなると、回らなくなるのが見えてるっていうのはあるが……。いったいどんなことをされてるんだ? みんなにもオープンにしてもらった方が、いいんじゃないかと思うんだが、そのあたりはどうなんだ?」

「そう言わんでくださいよ、文さん」

「せめて俺だけでも話してくれんかな、ケンコー」

「今そう呼ぶのは、ずるいよ、文さん……」

 

 残暑厳しい工場に、職人達が金属を研磨する、甲高い音が響いていた。

 

「……、そんなことやらされてるなんて、今で言うハラスメントそのものじゃないか! いくら何でも、ひどいことだぞ!!」

 話を聞いた文四郎が、怒りに満ちた大声を上げる。

 怒鳴り声にも近いその声は、隣の事務室でパソコンをいじっていた健和の耳にも届いていた。

 

「先週はついに下着も脱がされて、フルチンで酌をさせられてしまってな。

 二十歳にもならない青年の股間に注がれたビールを、『わかめ酒』とかだと言って飲まされもした。

 裸を見られることは相手が男だけっていうのもあってそう抵抗も無かったが、ごちそうさまでしたと礼を言わされたのは、さすがに悔しかったな……。

 まあ、文さんも知ってるドジョウすくいも、素っ裸でやらされてるが、あれも周りがみんな服着てて、一人裸でやらされるとホントに情けないな。

 風呂やシャワーで一緒になって、知ってるだろう、文さんも。俺のチンポが皮かむりで短小ってことは……」

 

 毎回エスカレートしていく小原の会社での接待は、ついに健幸に全裸で酌をすることを要求し始めていたのだ。

 宴席の始めに全裸になった健幸は、周りが全員着衣の中、1人情けない姿を晒しながら酒を注いで回る。その中で悪ノリをした若い社員達に、いいように扱われているようだ。

 最初のスナックで披露したドジョウすくいは、その後は定番の演し物として宴会途中に素っ裸でやらされていたのだ。

 

 人には絶対に言えないこと。

 そう思っていた健幸ではあったが、一度堰を切った言葉は止まることを知らない。

 

 高校を出たばかりで父の経営する会社に入り、右も左も分からなかった健幸を、当時職人の先輩として指導してくれたのが文四郎であった。

 その文四郎から、かつてケンコー、ケンコーと呼ばれていたときの若い記憶。

 社長として上の立場になってからも、会社全体を見回しながら支えてくれている文四郎。

 そして今、自らが体験している恥辱の日々。

 一気にそれらが健幸の脳裏を駆け巡り、その小さな、少し垂れた目尻から、水滴が流れ出す。

 

「親父っ!! なんでそんなことやらされて、黙ってるんだっ!!」

「健和……、聞いてたのか……。まさか、工場の方までは聞こえてないだろうな……」

 健和が社長室に勢いこんで入ってきた。

 文四郎の怒声が気になった健和は耳を澄まし、パーティション越しの2人の会話を聞いていたのだ。

 

「そんなことまでやらされて、もう警察沙汰の話だろう。いくら金額よかったって、うちの技術ならそんなことやらされてまで受けなくても、ちゃんとしたところなら満足してもらえるはずだっ!」

「坊ちゃんの言うことがもっともでしょう。あくまで強制が無いと社長は言ってるが、それならもう宴会に行くことそのものを断って構わないのでは?」

 意気を上げる健和の怒りももっともだと、文四郎も健幸の意思を確認する。

 

「理屈ではそうだし、もっともな話なんだがな……。

 その場にいると、断れないことだってあるっていうのは、分かってくれ、文さん、健和。

 俺も最初に『何でもしますよ』なんてことを言っちまったのがいけなかったってのも、存分に分かってるさ。それでも俺が接待を止めれば、おそらく次の契約継続は無かったことになるだろう。

 健和、お前にだって、今、小原さんところが入ってこなくなったら、この後の1年、うちがかなり厳しくなるってことぐらい、分かってるだろう」

 

「そ、それは……」

 現実を分かっているのは健幸だけでは無かった。健和も文四郎も黙り込む。

 長い目で見れば、たとえ一時期の落ち込みがあっても耐え抜く技術がある工場ということはみな分かっているのだが、ここ3年という落ち込みの長期化は、その体力を奪うには十分すぎるものなのだ。

 

「俺の親父、そう先代のときには、ストリップの本番ショーをやらされたり、ソープに無理やり誘われたりってのもあってたようだ。それに比べれば今やらされてる裸踊りなんか、屁でも無いさ。

 健和、文さん。実の父親の、経営者の、こんな恥ずかしい話を聞かせることになって、本当に済まん。

 だが堪えてくれ。俺も必死になって堪えてるんだ。

 俺がどんなに恥ずかしい思いをしようと、やらされようと、会社の未来に繋がってくれればそれでいい。

 男の情けと思って、目をつぶっていてくれ」

 

 そう言われて、返す言葉も無い2人。

 わずか8人の工場ではあるが、「会社を背負う」「従業員の雇用を守る」1人の男の決意を翻せるだけの力が、2人にはまだ無かった。

 

「文さん、俺、今やってる設計図の件について、なんとしてもN社とD社に、話を通してみせる。たぶん、それしか親父を現状から救い出すことは、出来ない」

 

 社長室から退出した2人がしばらくの沈黙の後、再び語り始める。

 

「ぼっちゃ……、健和さん。俺もそう思ってた。コンピューターの根幹のところは俺には荷が重いが、とにかく設計そのものの考え方をデータ化することに全力を注いでいこう」

「ああ、文さん、やろう。やり遂げよう。

 どっちにしろ、うちがこれからもやっていくには、うち独自の、かつ大手とも切り結べる何かが、絶対に必要なんだ」

「それが社長を救う道にもなるはずだな……。左右吉にも相談してみよう。やるぞ、健和さん」

「文さん、親父を頼む。そして、俺を支えてくれ。うちの職人は世界一の技術を持ってるはずなんだ。親父はそんな会社の社長なんだ」

 

 健和の静かな、熱い、決意表明。

 社内最年少と最年長の男が2人、その心根は、まさに青年のそれと変わらない熱量を秘めていた。