おやっさん

その1

 

 おやっさん。

 俺はバイト先の店長をそう呼んでいる。

 おやっさんは都筑松風(つづきしょうふう)さん、小さな卸酒屋「都筑酒販」の三代目店主。古風な名前はもう亡くなられてるお祖父さんが絵の趣味があって、なんかそこから付けられたみたい。

 五十過ぎたばかりで世間から見たらまだまだ若く、働き盛りの男だろう。

 身長はちびの俺より少しは上背あるけど、それでも166とか7とか、それくらい。体重はずっしりと重そうで、俺がビール腹って言うとおやっさん怒るけど、90キロ越してるぐらいなんじゃないかな。

 この都築酒販、繁華街ど真ん中のある意味好立地なところにある店舗兼住宅の小さな4階建てのビルになってる。周りはそれなりの高さのビルになってるけど、どうにか踏ん張ってる感じ。

 大都会ならいざ知らず、俺が住んでるような地方都市だと大手量販店とうちみたいな個人経営のところ両方ともなんとかやっていけてるらしい。

 まあ、このあたりはおやっさんが言ってるだけのことだから、俺みたいな若造にはホントのこととか分かんないけど。

 

 おやっさん、年がら年中店のロゴの入ったくたびれたポロシャツにデニムかチノパン姿で、冬でも半袖のまんま。これに酒蔵からもらった前掛け着けてる姿しか見たこと無いし、そのゴロンとした体型とも相まって、もうホントに「気のいい町の商売おっちゃん」って感じ。

 酒屋そのものは名付けしたお祖父さんの代に始めてけっこう古いらしいけど「モノ作って無いとこは、簡単に潰れるんだぞ」って口癖出るくらいだから大変なのかな。それなのに毎月の売掛回収とかもちょっと厳しくしてもいいんじゃないかと思うぐらいなんだけど、そのあたりとかはどうなんだろう。

 それでもなんとかやっていけてるのは、昔からの業者って意味での信頼とか、煙草の自販機の権利とか、店が古いがゆえに引き継がれてることが色々あるせいらしい。

 そのあたり「ちょっとドロドロしてるんだけどな」って、おやっさんの言葉も聞いたことがある。

 

 俺は野上陣太(のがみじんた)、この春に三回生になる大学生。

 162センチしか無いチビ具合がコンプレックスと言えばコンプレックスだけど、実際そこまで困ってるってことでも無いかな。

 体重の方はと言えば、80キロあたりをふらふらしてて、このところはあんまり増減も無い感じ。

 端から見るとおやっさんをちょっと小ぶりにした感じらしく、バイト始めた最初の頃は「え、息子さんいたの?!」って言われることも多かった。

「俺と同じで足、短いよな。重心低いと重いもの持っても安定するだろ?」

 とか、おやっさんからはよくからかわれてる。

 

 少し行くと隣県との境になる県北の小さな町で育って、高校までは地元の学校通ってたよ。で、なんとか勉強頑張って県庁所在市の大学受かって、やっと晴れての一人暮らし。

 元々年が近い連中とつるむのは苦手でサークルとか入る気も無かったし、実家が太いワケでもなし、バイト先と学校の行ったり来たりの毎日だった。

 去年からは授業も遠隔ばかりになってしまって、リアルに顔見るのはおやっさんぐらいになってしまってるのもどうかとは思ってる。

 親からはきつけりゃ家に一度帰ってきといたら、っても言ってくれてるけど、いつ対面授業が再開になるのかも分かんないし、家に年寄りいるんでコロナも怖いし、バイト辞めちゃうのはもっと嫌だし、って、そのままアパート暮らしは続けてた。

 

 生活費の一部は仕送りっていうか、毎月親に通帳に入れてもらってるけど、学費そのものと遊ぶ金ぐらいは自分で頑張んなきゃなって、入学する前からバイト探してた。生協からの紹介先で長期希望、街中って条件がやりやすそうで、応募してみたのがおやっさんとこだったって話。

 後から聞いた話しだけど、募集かける半年前に奥さん亡くなって、子どももいなかったおやっさん、完全に独り身になったってことらしかった。

 ちゃんと聞いたわけでも無かったけど、それまでは亡くなった奥さんが算盤弾いてたみたいで、そこを自分でやらないといけなくなった分、人手欲しくて初めての募集に引っかかったのが俺だったみたい。

 採用の決め手は? って後から尋ねたら、「酒や金、持ち逃げ出来るような肝っ玉の持ち主に見えなかった」って、ひどいよね。

 ま、悪人面じゃ無かったんだって、無理やり誉められてると思うことにしてるけど。

 

 仕事の内容、メインは飲み屋さんの定期依頼や注文で水モノの配達をバイクでお届けって、飲み屋街でよく見かけるあの風景の一部になってるよ。

 たまに付き合いのある個人さんの家にも配達したりするけど、それも繁華街近くの昔からの知り合いの人ばっかりで、今はもう新しくは受けてないみたいで。

 

 去年はコロナで飲み屋さんも大変で、おやっさんところも取引先からの注文が激減して大丈夫かなって思ってた。

 俺のバイト時間もかなり減っちゃったけど、それでも首にしないで週2回は入らせてもらえてたのは、おやっさんが赤字分をかなり手出ししてたんじゃ無いかなって思ってる。

 緊急事態宣言終わってから少しは盛り返してきたけど、それでも俺がバイト入った2年近く前に比べたら、半分も行かないだろうって感触。

 色々給付金申請とかも商工会通じて知らせが来てて、そのあたりも大変みたい。

 それでも俺、後継ぎがいるワケでも無いおやっさんとこ、実は卒業後に狙ってるんだけど、そんなこと言うとおやっさん、びっくりするだろうなあ。

 完全に一つの店舗の仕入れから販売、納税まで含めて全部見れるって、なかなか無いし、事務作業が好きな俺としてみると「ちょうどいい」感じに思えてる。

 もちろん、この後に説明するもう一つの理由も大きいんだけど、それだけじゃないってのだけは覚えていてほしい。

 

 で、俺、ホモなんだ。

 身長体重が話の最初に出てくるってだけでも分かる人には分かるんだろうけど、それでも世間一般には隠れホモって言うのかな、誰かに話してるワケでも無いし、親にはなんとなく色恋沙汰無い長男だなって思われてるとは思うけどさ。

 具体的な体験ってのもあんまり無いけど、アプリで繋がった県外の人とちょっと付き合ってたことがあるぐらいかな。

 月二回、半年ぐらいは会ってたけど「陣太って、俺といるとき楽しんでくれてるか分からない」って言われて、ああーってなってるうちに自然と切れちゃってた。

 

 実は入学する直前、アパート決まって引っ越してすぐだったか、思い切ってこっち系のいわゆる中年以上の人が集まる飲み屋にも行ってみたこともある。

 タイプいたかって?

 年齢や体型、顔とかでイケる人はいっぱいいたよ。

 最初は話し下手な俺に「新鮮!」とか「朴訥そう」「ノンケっぽい」とか言ってもらえて、たぶんそれって周りから見てたら「モテて」たんだろうけど、なんか色々話してると、最初の印象と違ったのか「ちょっと引かれる」って感じになってさ。

 俺、相手のそういうところだけには敏感で、「ああ、ダメなんだ」ってすぐに思っちゃうんだ。

 そうなるともう、波がザーッと引いていくみたいに双方無かったことにしていく感じに。

 確かに部屋に来てもらってもパソコンあるだけでテレビもラジオも無いし、シーンとした部屋で相手がずっと黙ってるって、冷静に考えると「いったいコイツなんなんだ?!」ってなるのかもね。

 俺自身は「相手のことを邪魔に思えずに同じ空間で過ごせる」ってことだけで「それでいい」って思っちゃうタイプなんだけど。

 話し上手い方でも無いし、同年齢の奴と話せる共通の話題ってのもほとんど持って無かったし。

 このときの店が取引先に入って無かったのはほっとしたけど、同じビルの階違いの店が顧客名簿に入ってたので、そこは最初はひやひやしたかな。

 

 昔からテレビとか苦手で、本読むかボーッとしてるかって子どもだった。いわゆる「ながら」もダメなタイプで、ラジオとか音楽も鳴ってると気になって消してしまう方かな。

 両親は共働きでいつも帰りが遅かったから、飯だけはさっと作れるようには育ったと思う。

 それでも親父が勤めてる工場の人達や母ちゃんが行ってた施設のおばちゃん達と話すのは楽しかった思い出。

 その辺が今でも「若者や同年代苦手、年上の方が話しやすい」ってのに繋がってるんだろうな。

 そこらへんもあって、おやっさん、タイプというか、イケるど真ん中だった。

 バイトの紹介票に雇い主のプロフィール載ってるわけでも無いわけで、面接来てみたら、おおイケるやんって感じ。

 もちろんノンケだろうし、こっちからなんかするってわけでも無いけど、それでも好きなタイプの側にいたいぐらいは思ってていいよね。

 

「春からは大学の方、ちっとは忙しくなるんか?」

 

 3月頭ぐらいだったかな、バイト終わりに配達伝票始末してるとおやっさんが尋ねてきた。

 

「あんまり変わんないすねー。

 対面授業のコマも少ないし、ほとんど遠隔のまんまっすよ。演習系のは去年と今年でかなり頑張って取ったので、4月からはちょっと時間数としては楽になるかとは思ってるっすけど」

「そっか……。春休みはどうするんだ? ご実家の方、今年は帰るんか?」

「ばあちゃんいるんで今年は帰んない方がいいかなって。ワクチンみんな終わるまでは万が一って思うとやっぱり色々考えるんで」

「そうだよなあ……」

 

 なんかおやっさん、しみじみしてる。

 ああ、これ、なんか話したいことあるんだなって思った

 

「……仕事の方、きついんですか?」

「んん、いや、ちょっとは上向きになってるのはお前も分かるだろ?

 きついって言うか、お前も三年目だし、もし良かったら経理の方も手伝ってくれるとありがたいな、とか思ってな」

 

 俺にとっては願ったりかなったりの話しだった。

 バイトのコマも増えるだろうし、なんと言ってもおやっさんの手助けがもっと出来るようになる。

 

「あ、俺も勉強のために関わらせてもらいたいなーとか、思ってたんですよ。たぶん卒業してもすげえ役立つことだと思うんで」

「ありがとな! なんかそう言ってもらえると涙が出ちまうじゃねえかよぉ」

 

 いやいや、おやっさん、ホントに泣いてるワケじゃあないけどね。

 

「それと、もう一つ」

「もしかしなくても、深夜配達の件でしょ?」

「察しが良くて、助かるねえ! まさにそれなんだが」

 

 おやっさんの店、基本は昼前におやっさんが出社、といっても階段下りるだけだけど、卸元や酒蔵に発注掛けて、注文伝票から配達伝票起こす。その時間に回れるところ回っていったん仮眠。

 店舗の上の3、4階が自宅になるんで、そのあたりは臨機応変ってとこみたい。

 俺が夕方前から入って配達伝票見ながら原チャで回ってるうちにおやっさんも復帰。

 このあたりのパターンは2年のバイトの中でだんだん固まってきた感じ。

 店によって鍵預かりで昼間に入れといていいところと、必ずスタッフと確認するところとか色々あって、回るのには二度手間三度手間にはなるけど、まあこのあたりは仕方ないかな。

 夜になると店からの直接注文受けながら、ほとんどのところは俺が配達。

 月末の直接集金でおやっさんで無いとダメなところとかもあって、そのあたりは交代で店番しながらやってきてる。

 俺自体はもともと22時までの約束なんだけど、結局なんやかんやで0時近くまでいることも多かった。

 残業ってほどじゃ無いけど、やること無い日とか、おやっさんとぐだぐだしゃべってるのは楽しかったし。

 で、おやっさんは一応深夜の2時まで対応して看板。

 

 もちろんコロナ出てなかった一昨年とかは、けっこう締めのこの時間まで残ってたこともあったよ。

 遅くに2人で飯行っておごってもらったり。

 おやっさんはビール飲んでも近くなのでそのまま寝れちゃうし。

 俺も翌日の授業無いときとか何回か泊まらせてもらったことあって、いびきひどいので今は使ってない4階で寝ていいぞって言われたけど、トイレも水回りも3階にしかないのが不便で、結局いつもおやっさんの部屋で寝させてもらってた。

 そのときは妙に興奮してあんまり寝れなかったりしたから、こっちから泊めてほしいってのは逆に言わなくなったかな。

 手を出すわけにもいかないタイプが横で寝てるって、ちょっときつかったし。

 

 この一年が暇すぎたってのもあるんだろうけど、売り上げが戻ってない中のポツポツとした深夜配達も、おやっさん、ちょっときついのかなって思った。

 まだまだ働き盛りの年ではあるんだろうけど、去年あたりから老眼出てきたってことで、帳簿や伝票についてはそこら辺のこともあるのかなって。

 俺も三年目近くなれば何となくの売り買いの流れとかは分かってきたし、取引先にも顔覚えてもらって、色々やり取りも出来てきてたし。

 なんと言っても、おやっさんと俺の2人だけで店を支えてるって感じがしてきたのが嬉しかったな。

 

 そうこうしてるうちに、大学も実質的には春休みに入ってきたので、シフトどうするかおやっさんと相談。

 正月から続いてた時短要請もようやく終わって、夜の街も少しは賑わい出してた。

 新年度始まらないうちに一通りの事務的なことやっとこうってことで、おやっさんの方から、良かったら春休みの間だけでも泊まりで仕事しないか?、って、誘われちゃったんだ。

 たぶん、俺がホモって分かってたら言われてないかもな、って思うとつらいけど、風呂入るときの裸とか、ちょっと期待してもいいかな、とか不埒で甘い考えがよぎったのも事実なんだよな。

 ただ、自分が冷静でいられるかってことだけが不安。ま、そのあたりの嘘はつき慣れてるのが悲しいけど。

 

 ネットさえちゃんとしてれば別にいいですよって話して、有線だけで繋がってたおやっさんところに無線ルーター入れてもらう。

 もちろん領収書取って経費にしてもらったけど、電器屋で買って設置から何からやらされたのは仕方のない話し。

 持ってきた自分のノートパソコンはもとより、おやっさんが仕事で使ってる奴やスマホとかもWi-Fi接続にしたらすごい喜ばれたよ。

 なんか「ノーパソを持って行った先で使える」ってのがおしゃれって感覚だったみたいで、そのあたりはさすがにジェネレーションギャップ感じる。

 なんかかわいいというか、惚れちゃう部分でもあるけどさ。

 

 伝票も色々見せられて、注文管理してる古いソフトとの連動も無い手書きでやってる仕組みなんで、表計算ソフトで新たに作り直したがいいんじゃ無いかってのも話してみた。

 これ、前から気にはなってたんだけど、やるとなると全部のデータ最初から登録しないといけないので、かなり集中しないと出来ないなって思ってて、なかなか口に出せなかったんだよな。

 今回は泊まり込みで一日中データいじれるんなら何とか出来るかなって判断も伝えたら、ぜひやってくれってことになった。

 おやっさん、たぶん、こっちがなんのこと話してるのか半分ぐらいしか分かってなかったみたいだけど、とにかく請求書が手書きで無くてプリンタで印刷出来るってので、そこが一番の魅力だったらしい。

 

 販売品目、原価、納入額、卸入先、納入先とか色々参照表作りながら体裁調えるのになんやかやで、一応の形にするのに3日はかかってしまった。

 俺、泊まり込み初日からもうとにかく頑張ったよ。

 こういうのは自分でも気合い入れちゃう方なんで、配達こなす時間以外はずっとパソコンいじってた気がする。

 眠りこけてるおやっさん横目にカタカタやってたりもしたけど、こっちも気ぜわしくて色気にまでは頭が回んなかったな。

 店ごとの卸値のパターンが取引年数だけの条件で、3パターンしか無かったのはありがたかった。なんでも取引量を基準にするのは小さな店舗に不利になるって考えで、うちはそうしてるみたい。

 このあたりの考え方も、俺がおやっさんに惚れちゃう要因の一つだよな。

 扱ってる店舗数多かったのでタブがえらい数になったけど、順次グループ化していくと見やすくなってくだろうし、細かなリファインはぼちぼちやってけばいいかなって、とにかく形にしておやっさんに見せる。

 

「基本はこの配達先ごとの画面です。発注入ったらここに入力、この2年で取り扱った酒とかのデータは全部参照入力出来るようにしといたので、ずらっと出てくるのから選べばいいです。例外はこの白枠の中に打ち込んでもらっとくと、俺がまとめて見るときに整理しなおして、元データに加えていきます」

「お、後は数だけ入れればいいみたいだな」

「ですです。配達当日までに打ち出せば自動的に納入伝票と配達伝票と2枚出てきます。配達したら配達伝票の方にサインか印鑑もらう形にしときました。

 店舗残しに3枚印刷にも出来ますけど、取り合えずは2枚でいいかなって。複写式で無いのが昔からの人には不安かもですが、今はほとんどの業者がパソコン打ち出しのはずなので構わないと思いますよ」

「今までは入力と手書きと両方やってたからなあ。高いソフト使わなくてもいいんだな、こういうのって」

「お金かけたらかけた分、便利にはなると思うんで、儲けだしたら買ってください。

 で、月末には自動的に納入店舗ごとの請求書がこっちで出来てます。卸元別の向こうからの請求書との突き合わせ分も作ってますけど、そっちは月末でいいかな。

 ただ、うちの管理分と卸元の管理分と別に作っちゃって連動させてるので、片っぽのファイルだけ持ち出したりすることだけは絶対止めてくださいね」

「……言ってることが分かってないので、大丈夫だと思う」

「逆にすっげえ不安なんすけど」

 

 漫才みたいなやり取りして、とにかくありがとうってちょっと豪華な飯を奢ってもらうことになったんだ。