七日籠もり その1

 歓迎会

 

「ほんによう来なすったなあ。うちんとこはもう若っかとのおらんけん、びっくりしなさったなあ。これにこりんでゆっくり住もうてやってくれなあ」
 良さんと皆から呼ばれている男が、おっとりとした口調で話しかけてくる。乾杯のビールの後は、婦人会が作り置いてくれた惣菜をつまみに、コップに焼酎のお湯割となった。

 

 俺は田山浩平、三十六才。百六十七cmに八十五kgと、年の割には少々太めの身体付きだ。大学の農学部を卒業し企業に勤めてみたものの、土の臭いがどうしても忘れられず、今回の募集に飛びついたというわけだ。このところの過疎化に対処するためか全国で結構な数の自治体が、その土地での十年ほどの居留を条件に、村内の家と一定の土地を無料で提供するという計画を行なっている。
 もちろん家族連れや若い夫婦の方が目的にはかなっているのだろうが、結局はこの俺に抽選の女神は微笑んだ。後に聞いた話では照会や見学はそれなりにあったとのことだが、実際の応募者は少なかったようだ。三年に一度、一軒ずつ、という要件でこの村の最初の入村者にめでたく選ばれたのは、独身のこの俺だったというわけだった。

 

 引っ越し当日には村の連中が駆けつけ、夜はそのまま青年団による歓迎会になるとのことだった。入村までには何度か足を運んでいたし、独身男の一人暮しで大した荷物もない。とりあえず明日からは農作業見習いだと作業着の準備だけ行ない、差入れの握り飯を頬張り一風呂浴びる。おっさん達相手に飲むのもいいかもなと思いながら、歩いて十分程の若衆宿と呼ばれる公民館がわりの建物へと向かった。
 座敷に上がると、やはりこの村も青年団とは名ばかりで、俺より若い男はいない。昼間一応紹介は受けていたが、三十九才の信治さんが一番若く、残りの五人も四十代の独り者ばかりだった。

 

「浩平も四十前にもなって、なんで嫁ゴば取っとらんとかな。町中に住んどったらチャンスはぐっさあったろ。そんだけの身体しとったら精力も絶倫だろたい」
 自分も四十六になるという団の中では一番年かさの、良さんが話しかけてくる。男衆の取りまとめ役なのだろう、事前の役場との打ち合わせの時にも同席してもらったので今のところの一番の顔なじみだ。

 

「そんなことないですよ。何となく縁がなくて、それに今時の女性には、俺みたいなごつくて毛深いのは嫌われるみたいですよ」
「そらあなかろお、浩平は顔も良かし、身体もガッチリしとって男前だけん。うちどの連中にゃあ、女はほとんど寄りつかんけん。今時農業すっていうおなごもおらんしなあ」
「そぎゃん、そぎゃん。まったく溜って溜ってしかたんなかなあ。若っか信治なんか、テテンゴばっかだろたい」
 卑猥な冗談だったのか、皆が一様にどっと笑った。テテンゴとは何だと聞くと、日焼けした顔を焼酎でさらに赤くした一人の男が、俺の耳もとに口を寄せる。男は「これのこったい」と俺の股座に手を伸ばし、丸めた手を前後に動かすのだった。

 

「年明けに、ウチの白沢さんの祭があってな、他所からきたもんにはちいっとあればってん、辛抱してなあ。山ん神さんの祭で、おなごは参加できんけんなあ。男連中ばっかでやるけん、浩平もよろしゅう頼むなあ」
 次から次に注がれる焼酎に男だけだという気楽さからか、もともと酒好きの俺は次第に酔っぱらっていった。そこここで笑い声の聞こえるなか、良さんの話しに興味を引かれ、気がつけば祭の大役へと持ち上げられていたのだった。

 

 祭は一月の中旬という厳冬期に行なわれる。裏山の山中にある巨石を信仰の対象した、修験道の影響を色濃く受けたものだ。
 一週間に渡る「七日籠もり」と呼ばれる男達による宿入りと、祭当日の「ウマレキヨマリ」と呼ばれる神事により構成される。これは村の新成人が疑似的な死と再生を体験することで五穀豊穣を願うという、民俗学的にもよくあるタイプのものなのだろう。
 神事もすべてが男の手によってのみ進められ、儀式一切を女性の目に触れさせないという徹底した男だけの祭であった。

 

 良さん達の話しを聞けば、七日籠もりの一週間は、青年団の連中もみな若衆宿に泊り込むという。この間は、毎日を男達だけで宿に籠もって過ごし、食事から掃除洗濯まで、生活のすべてを自分達で行なう。まあこのような行事も、その地域なりの結束を高めるための、儀礼的なものであるのだろうと推測した。

 

 俺は「権立(ごんだち)」と呼ばれる、かつては成人を迎える者が担っていたという、祭の主人公ともいうべき役割を勧められた。おそらくは良さん達も俺を村の一員として迎え入れるための、体のいい行事だと思っていたのだろう。詳しい話しは近づいてからとのことで少し不安もあったが、俺自身に取っても村の連中とうまくやっていくための格好の機会とも思えたし、二つ返事で引き受けたのだった。

 

 年明けに行われる祭までの三カ月間は、家の整理に畑の整地、春採り野菜の植え付けに費やした。良さん達もいくらかは手伝ってくれたが、こればかりは人に頼っているばかりにもいかない。農業改良指導員に何度も尋ねながらではあったが、少しずつ自分の畑が整っていくのを見るのはやはり感動するものだった。

 


 全裸の籠もり

 

 この村での初めての正月を慌ただしくも済ませ、夕飯をいつものように済ませた頃合に良さんが訪ねてきた。
 一月は八日の朝早くから、男達による宿入りが行なわれることになる。御社があるというわけでもなく、巨石を祭っただけの白沢神社ということで、当然神主もいなかった。男達が毎年持ち回りで「当家」という世話役を決め、その者が権立の世話を含め、祭の一切を取り仕切る習わしらしい。
 今年の当家は良さんが勤めるということで、初めて権立を体験する俺がとまどわないように、確認を含めての細々とした説明をしにきてくれたのだ。
 そしてその夜、良さんから聞いた話しは、民俗学もちょっとはかじっていた俺にとっても、初めて聞くような内容だったのだ。

 

 驚いたことに、権立となった者はこの七日間の間、常に何一つ身に付けることのない全裸で過ごさなければならないというのだ。
 しかもその間、権立はその挙動すべてを自分で行なってはならず、周りの者の世話にならなければならないのだという。食事はもとより、はては大小便を含めた下半身の面倒までものあらゆる要求と欲求に、周囲の男達が全員で応えることになるらしかった。
 良さんが言うには、七日籠もりにおける権立とは胎児が母親の胎内に居る状態を表しているらしい。妊娠期間を示す七日間を宿の中に籠もることで現し、最終日のウマレキヨマリの儀式で再びこの世に生まれ出ずるのだという。そのためにも権立は身を清め、赤子のように素っ裸になり、生活をすべて周囲に依存しなければならないのだと言うのだ。
 大学の教養で学んだ中にも似たような習俗があり、神事としての理屈は確かになりたっている。それでも男盛りの連中の中で、自分だけが素っ裸で過ごす恥ずかしさと異様さに、俺は少しためらいを覚えていた。そんな俺の心中を見通したのか、良さんが他の連中も権立が恥ずかしくないよう、褌一つで生活するという話しもしてくれた。

 

「まあ、みんな母ちゃんおらん奴ばっかりだけん、そこは色々あるけんな」
 おそらく以前は、神事・祭事としての性格の他に、思春期を迎えた少年達が、村の成員である若者組へと受け入れられるための通過儀礼としての意味合いもあったのだと思われる。少年達は宿の中で、年長の者から村の掟や習わし、更には性的な指導をも受けたのだろう。
 成人儀式として何やら隠微さを持ち合わせていた祭が、女っ気の無い男達の日頃の欲求を解消するための行事へとすり変わって行ったことは、良さんの含みのある話しから充分に想像できることだった。

 

 男だけの集団で暮らすことなど、大学時代の寮生活以来だ。おそらくは宿の中で行なわれるであろう秘密めいた行為にも嫌悪感を感じるどころか、この村の連中に受け入れてもらうための儀式のような気がしていた。

 よろしく頼むなあと、焼酎を口にしながらの良さんに俺は改まって座を正し、こちらこそ週明けからはよろしくお願いしますと深々と頭を下げた。