里見雄吉氏 作

開拓地にて

ある農夫の性の記録

第二部

思春期

 

五 二度の再会

 

 これで私の中学校時代の物語は終わりである。祖父との関係は続いていたが、週に数回だった交わりは、週一回と少しずつ遠のき、中学校を卒業する頃には、月に一回程度になってしまっていた。

 二人の行為が減っていった背景には、高校進学を間近に控え、受検勉強に必死でそれどころではなかったという事情もないではなかったが、やはり、最大の理由は、そこに新鮮味が見い出せなくなったからだろう。

 一緒に風呂に入っても、射精せずに終わりにすることさえあった。例え射精に至る時でも、その瞬間、祖父以外の男の肢体が、私の脳裏を支配することが増えていた。

 ところで月に一回というのは、一般的な男女の夫婦の回数といったところだろう。自叙伝の中に、同じような性行為を繰り返し書いても意味がない。だから、中学校時代の祖父との行為は第二部では割愛した。

 新たな出会いがなかった中学校時代の物語は、正直、地味で刺激に欠けるものかもしれない。しかし、私にとって中学時代の三年間は、ホモの世界のセックスの実態、つまり、次々と新たな男を求めていくという、ケでない男には実現不可能な欲望が、普遍的に存在する世界の中で、私がどう生きるかの糸口を掴み始めた時期だった。

 そのきっかけは、理想のはずなのに、祖父とのセックスに飽きるという現実だった。身体から入る代わりに、飽きるのも早い。それがホモの世界なのだということを、骨の髄まで叩き込まれた。

 私が得た結論は、相手を束縛してはならないということであった。元来、男は多情乱交なのだ。そこを忘れると、ホモの人間関係は崩壊する。男女の関係が狭く深くという一本の糸のようなものだとしたら、ホモの関係は、浅く広い網のようなものだ。私はそのことを中学生にして、既に理解していた。

 

 さて、最後に第二部の重要人物であったH樹との、その後について語らねばなるまい。

 H樹が潜在的同性愛者だと確信しながらも、結局、私は確証を得られないまま、中学校の卒業を迎えた。しかも、私とH樹は別の高校に進んだから、そのまま没交渉になってしまった。中学時代のクラスが違ったので、成人してからも、同級会で顔を合わせる機会もなかった。

 ただ、噂によると、H樹は有名国立大学に合格し、大学卒業後は、東京の一部上場企業に入ったという。

 果たしてH樹は仲間だったのだろうか。その答えになりそうなものが、皆無というわけではない。実は、成人後、私は二度H樹と遭遇している。

 一度目は今から十七、八年前のことである。ある年の正月三日、県内のホモが集まると評判の健康ランドで、故郷に帰省中らしいH樹を見かけたのだ。

 H樹は、私には気づかなかった。H樹を見かけた私が、すぐに物陰に身を隠したからだ。H樹は、特に発展行為をしていたわけではないのだが、キョロキョロと定まらない視線で、大浴場を歩いていた。ホモが発展場で発する、あの粘つくような視線である。さらに様子を窺うと低温サウナとミストサウナの辺りを、徘徊しているようにみえた。

 しかも、その健康ランドは、私の住む村から百㎞近くも離れた所にあった。H樹は、今では東京で暮らしているはずだ。そのH樹が、正月三が日、県内の発展場に姿を現したのである。

 その日、ネット上の地元専用ハッテン掲示板には、

「今日の午後、○○健康ランドに集まらないか。」

 という書き込みがあった。そもそも、その書き込みを見て、私は遥々出かけて行ったのだ。

 さらに、H樹が未だに独身だという話も聞いていた。田舎で独身といえば、「嫁の来てがない」か「男が好き」かのどちらかである。

 実際のところ、前者のような事情で、適齢期を過ぎてしまった親爺は、村の中に腐るほど溢れている。開拓地も決して例外ではない。それが幸せか不幸かは抜きにして、私が結婚できたのは、大学を卒業した後、働き盛りの時期を農業以外の職業に就いていたからともいえた。

 農業を生業とした開拓地の男達は、深刻な嫁不足に直面した。しかし、この場合、

「家に縛られて、いつの間にか還暦を過ぎてしまってお気の毒に・・・。」

 としか思われていない。中には外国人の嫁さんをもらった農家の跡取りもいるが、そこまでやると、かえって奇異な目で見られるのだから、田舎の人間関係は本当に面倒くさい。

 しかし、H樹は都会の一流企業に就職している高給とりである。農家の跡取りで、土地と地元の閉鎖的な人間関係に縛られている独身者とは条件がまるで違う。本人にその気さえあれば、縁談など幾らでもあったはずなのだ。

 これらニつの事実をどう捉えればよいのだろうか。私は、未だに答えを見い出せずにいる。これが一度目の邂逅だった。

 

 健康ランドでの再会から、さらに十年程が過ぎた頃、再び動きがあった。私は六十代に足を踏み入れていた。娘夫婦との同居が始まり、孫一号はかわいい盛り。そんな頃だった。

 ある日の夜、私は麓の街にいた。温泉に行きたくなったのだ。私が向かったのは、○○○温泉○○○の湯だった。

 ここは浴室と脱衣所が全面ガラスでしきられているだけなので、着替えをする男たちを浴室から見通せた。着替えをする男の中には褌を着用している者がいるかもしれない。そして、褌常用者は、高い確率でケの男である。

 つまり、脱衣所に視線を送り、褌男をチェックしていれば、退屈せずにいくらでも長湯できた。

 それに、眺望の効く高台に位置しているので、盆地の夜景に恵まれている。しかも乳白色の硫黄泉で泉質も抜群だった。だから、六百五十円という近隣の温泉の中でも高めの入湯料にもかかわらず、常に混み合っている人気施設であった。

 ホモにとって、温泉施設が混み合っているか否かは重要だ。混雑は、たくさんの男が次から次へと現わることを意味している。

 数十分後、私は○〇○の湯の湯船の縁に座り、行き交う男を眺めていた。十人十色、一人ひとり顔も違えばチンボも違う。そんな中、不意に私の対面に一人の男が座った。私と同年代である。

 男は股間を一切隠そうとしなかった。ズル剥けではあるが、何となく不自然な感じがある。私には思い当たる節があった。

「包茎だったので、外科手術で皮を切った。」

 と豪語していたある男と、そっくりな剥け方だった。

 興味を持った私は、その男の顔を改めてみたが、一つの疑惑が沸き上がった、H樹ではないだろうか。お互い六十歳を過ぎ、少年時代の面影は薄れていたから、私は確信が持てなかった。ただ、その男は元役場職員だったH樹の父親に、どことなく似ていた。ただし、脛毛が薄いという点だけは、父親と大きく違っていた。

 男がスチームサウナに向かった。私は後を追った。男は扉の正面に股間全開で座っていた。私は男と直角の位置に座り股間を全開にした。私は顔をタオルで覆い、ウトウトとしている呈を装った。

 私の毛深い脚が男の脚に触れるか触れないかの微妙な時間が流れる。私はこの瞬間が好きである。ネットでの出会いにも、ホモサウナの出会いにもない、男を見定めるやり取りが趣き深い。

 男の股間がやや大きくなったような気がした。しかし、それ以上は何もなかった。男がスチームサウナから出ていった。

 

 H樹の家の前の道は、今では街のメインストリートとなっている。街に出るときは、必ず通る道である。H樹の家は建て直されたが、思い出の、あの場所に今でも建っていた。

 ある日、私はその家の庭に一人の男がいるのに気づいた。庭木の手入れをしている男、それは風呂で見かけた男、正にその人であった。

 男は、やはりH樹であった。その後、友人に聞いたのだが、H樹は、定年退職した後、時々、実家に帰って来て、年老いた母親の世話をしているらしい。さらに友人は続けた。

「H樹、まだ独り者みたいだな・・・。」

 その後の会話を私は拒んだ。同性愛者の苦しみや悲しみは、同性愛者にしかわからない。無理に結婚し子供を作った私は、老いに対する不安は比較的小さい。

 しかし、H樹にこれから迫る老いのことを考えると、H樹の性癖を噂の種にすることはできなかった。

 私は、次にH樹を見かけたら、声を掛けようと思った。

「風呂の男、雄吉だとすぐにわかった。昔から雄吉は仲間だと気づいていたよ。雄吉も俺が仲間だと気づいていただろう?」

 H樹とこんな会話ができたら、どんなによいだろう。そうしたら、私はこう答えるだろう。

「H樹は、当時からズル剥けと射精に異常なほど執着していたから、何となく仲間だろうと思っていた。」

 同時に、私はH樹が包茎手術をしたと確信していた。あれだけズル剥けにこだわっていたH樹である。ズル剥けの大人として成熟することは、彼の性癖に直結していたに違いない。

 地元に、同じ性癖、共通の思い出を持った仲間がいるだけで、これからの人生が精神的にも楽になる。

 しかし、結局、私とH樹がお互いの同性愛嗜好について語り合う日は、永遠に来ないだろう。それを語り合うには、田舎は閉鎖的過ぎる。

 もしあの時、私の誘いにH樹が応えていたら? あのまま、その先に進んでいたら? しかし、結局、私たちはその場限りの関係にしかならなかったのかもしれない。なぜなら私もH樹も、お互いタイプではないからだ。私は臑毛の濃い細身の男が好きだし、H樹はどちらかといえば、ふくよかな男が好きだった。そういえばA介も、そんな体型だった。

 温泉での久々の邂逅の際、一瞬だが、私を欲情させたのは、少年時代の記憶だったのかもしれない。当時の私達は、お互いの陰茎をしごきあうしか術がなかった。しかし、本当に望んでいたことを、五十年の時を経て実現したかったのかもしれない。

 H樹との二度目の邂逅から、既に十年近くになるが、私は未だにH樹に声を掛けられないでいる。