岐跨村の男達

その1

 

嬲り

 

「あがっ!、あっ、あっ、うぁっ、うぁっあぁ・・・!」

 まともな言葉すら出すことの出来ぬほどの快感が、大柄な青年の全身を襲っている。

 青年の股間は長大な逸物がてらてらと濡れ光り、目の前に座る男によって膨れあがった亀頭を嬲られている。一人だけ立たされているその男は何一つ身を隠すことのない裸体を晒し、両手は頭の後ろで高く組まれている。

 

 板張りの広間には四人の男がいた。

 胡座をかき座り込む二人は、真っ白な六尺褌を締め込んでいるようだ。残る二人は立位で喘ぎ声を上げている青年と、同じく素っ裸で四つん這いになり、褌姿の男の股間に顔を埋めている毛深い男だった。

 

「イ、イかせてくだされっ! こ、これ以上はっ、も、もうっ、た、耐えきれぬっ!」

 四つん這いに床に這わされた男は立姿の男よりは少し年配か。

 堪えきれぬような声を漏らす。いや、これ以上の嬲りを受ければ、すぐさま無様に気をやってしまうことが分かっていての懇願か。

 こちらもまた褌すらも身に付けることを許されず、青年を嬲っている男の股間に顔を埋め、高く掲げた尻肉の後ろから、もう一人の六尺姿の男に逸物と後口を弄られている。

 

 自らの逸物の先端部、赤紫に腫れ上がった亀頭をぐちょぐちょと目の前の男達に弄り回されている二人の男。

 どうやら二人とも、その股間は肉棹と双玉の根元をひとまとめに、細紐できつく締め上げられているようだ。

 普段はゆったりと垂れ下がっているであろう巨大なふぐりは心なしか腰前に突き出すようにと膨れ上がり、肉棹にいたっては鬱血のせいか周りの肌と比べて明らかに変色していることが見て取れる。

 

 先に言葉にならぬ喘ぎ声を上げ続けるのは少しばかり年若く、三十に手が届くか届かぬかの大男である。

 腰を突き上げたまま身をよじり射精への許しを求めるのは、全身を鬱蒼と茂った剛毛に覆われた四十代半ばのこれもまた太ましい男だった。

 

 外の闇には山間の冷気が混じり、秋のはじめとはいえ肌を曝すには過ぎた季節。

 四人の男の籠もる社殿には囲炉裏の他に、広々とした土間にも二カ所に火が焚かれている。

 パチパチと薪の爆ぜる音が聞こえるほどの威勢の良い炎からもたらされる熱気に、男達の赤みを帯びた肌には汗すら浮かんでいた。

 

 悶え、喚き、身をよじる二人とは別に、明らかにこの場を支配しているのは六尺姿の二人の男。四十がらみの背の低い男と、体毛に白いものの混じる年嵩の二人だ。

 

 周りの男達に比べればこその低く見える身長だが、この四十を越えたか越えぬかといった男も、この時代の男としては平均以上の上背を誇り、見た目五尺七寸ほどではあるまいか。丸々とした肉付きは、内に秘めた膂力の凄まじさをめらめらと放出し、六尺一つの肉体をどっしりとした胡座の上に乗せている。

 男は自分の目の前に三十ほどの青年を立たせ、その腫れ上がった股間にぬるぬるとした汁をまぶしながら、既にかなりの時間いたぶり続けている。

 

 その男の逸物を六尺の前布から引き出し、両手と己の口舌で懸命に舐り上げているのは、四つん這いになった全身毛深い方の男だ。

 

 その剛毛に覆われた肉体の尻側に陣取り、尻肉の間から八寸にもなろうとする逸物を後ろ側から嬲るのは、こちらもまた六尺を締め上げた、体格のいい白髪交じりの初老の男だった。

 

「堪えきれなかったら小便でも何でも漏らしゃあいいぞ。神代(かみしろ)様が俺の手で弄くられて小便漏らしたとなりゃあ、ちぃっとは自慢出来る話になるでな」

 胡座をかいた四十男が自分に酔っているかのような口調で呼びかける。

 荒々しいばかりの太い声とは変わって、その手のひらは一見優しげにぬるぬると蠢き、長時間のいたぶりに膝も砕けようとする青年の股間を、もう一刻ほども嬲り続けている。

 だが、その手のひらの動きは決して上下の扱き上げに至ることはない。ただひたすらに亀頭を包み込み、ずるりずるりと撫でさすり、あるいは内側からの圧力に張り裂けそうなその表面に、爪を這わせている。全身震えるほどの悦楽を与えはするものの、その刺激は決して青年が気をやるには至らぬように加減されている。

 青年の雄叫びは、出したくても出せぬ苦しみと、いつまでも続く快楽の刺激に耐えかねてのものなのだ。

 

 白髪混じりの男は目の前の四十半ばの男の毛深い尻穴をその舌で舐め啜りながら、男の逸物の先端を更にきつく責め始めた。

 

 嬲られる二人は立っている三十路近い大男が「重吾」、四つん這いの体毛豊かな男は「雷蔵」という神代(かみしろ)というモノ達である。

 嬲る側、弄る側の二人は短身の方を「徳造」、五十代中庸に見える白髪混じりの男をその相棒(あいぼう)の「吉佐」といった。

 

「もう、たまりませぬ、徳造殿の手でイかしてもらえるならば、どのような辱めでも受けまするゆえ、もうあと一掻き、あと一擦りして下さいませっ」

 重吾の叫ぶような懇願に、ちらと唇を歪ませた徳造が、最大限に膨らみきった己の摩羅を雷蔵の顔に押し付ける。

「神代殿のような逞しい男が俺の手だけの責めで情けなく叫ぶ様が、俺に取っては最高の淫薬よ。ほれ、もっと啼き、もっと叫んでみよ」

 

 男達の狂宴は長月の夜、更けるまで続く。

 嬲られる二人の神代には決して許されぬ射精への渇望は、焔のように燃え上がり、徳造と吉佐、二人の支配欲を情欲の炎として昇華するのであった。

 

 

 

 重吾がこの村の神代(かみしろ)に選ばれたのは、一本の籤に因るものだった。

 

 一年に一度、夏越の祓(なごしのはらい)が行われる毎年の六月の朔日に、社殿に集まるのは数え15から55になる男達。この者達は「棒達(ぼうだち)」と呼ばれる年の者であり、毎年それぞれが対となる「相棒(あいぼう)」を宣言されるために集い来る。

 その集まりのうち、三年に一度、更にその中から18から48まで、今年は58名の者に限り引くことになる籤が、重吾を選び出したものだった。

 

 一度の籤で選ばれる者は一名だが、この時点で雷蔵という三年前の籤で決められているもう一人の神代がおり、そのモノから重吾への神代としての教育が、これからの三年を通してなされるのだ。

 

 神代、かみしろ。

 男としての肉体と精神、そのすべてを村の為に捧げるモノ達。

 任期は六年、その数、二人。

 三年毎の籤で一人が選ばれ、三年ずつずれた形で役目を引き継ぎ、継承していく。

 前回の籤で選ばれた男を「サキのモノ」、新しく選ばれた男を「アトのモノ」と呼ぶ。

 籤ゆえにサキのモノがアトのモノより年下になることは見られるが、一度神代としての役を果たした者はたとえ選ばれたとしても引き直しとなるため、再選となることは無い。今年の籤は前回選ばれた雷蔵よりも一回り以上も年若い重吾を、アトのモノとして選び出した。

 アトのモノとして任期前半、三年の役を果たしたモノは、次の神代が選ばれた時点でサキのモノへと呼び名が変わる。

 六年の任期を終えたモノは、再び村の通常の成員としての役割を受け持つこととなる。

 選ばれた二人のモノ達は、農林業などの村人として携わるべき生産労働とは切り離され、六年の間、その身を神代としての役割だけに捧げることとなるのだ。

 

 己からの、他者からの、村の男達すべてからの溢れ出る性力精力を、豊穣を約束するエネルギーへと転換するジェネレーターでありコンバーターであるモノ達。

 

 我々が知る神社の神主や禰宜、寺院の僧職、あるいは共同体の医師兼薬師としての役割を持ち、その点では村内の男としての最高位の権力を有する。

 同時に村の男達のあらゆる欲求・衝動をその身に全て受け止める「贄」としての、最低限の権利さえ剥奪されている存在でもあるという、二重の性質。

 

 今年よりアトのモノとなる重吾は、この相反する二つの役割の御し方を、本日からサキのモノとなる雷蔵を通して学んでゆく。

 重吾もまた三年後のこの日を迎えればサキのモノとなり、次に選ばれたアトのモノへとその役目を引き継いでいくのだ。

 

 

美袴村

 

 重吾、雷蔵の住む「岐跨村(きこむら)」は、山を下った女達の村「美袴村(みこむら)」と対を為す、男だけの集落である。

 女達の村である美袴村は、谷間から浜へと続く扇状地を主として、漁撈と農業を生業としていた。男達の岐跨村は一つ山を越した窪地にあり、杣道を歩けば男の足でも丸一日はかかる距離にある。

 美袴村の集落から少し離れた空き地には男小屋と呼ばれる作業小屋が用意され、通常は岐跨村の男はそこまでしか立ち入ることを許されない。

 普段は十日に一度ほどであろうか、数人の男達が山を下り、岐跨村からの猪や鹿といった獣肉、高地での農産物や茸類、薬草に胡麻油などを美袴村の女達へと引き渡し、帰りには塩や菜種油、海藻の乾物や干魚、芋などの平地での作物を持ち帰る。互いの集落で米は作っており、その運搬が無いだけでも楽なものかもしれぬ。

 これは物々交換や取引といった概念ではなく、あくまで自給自足を成り立たせるためのものであり、後年の経済基盤による社会分類といった目で見ても、共同体における原始共産制に近い物の動きとする考えが一番理にかなったものであるのだろう。

 

 互いの収穫物、生産物の引き渡しについても、山を降り小屋に着いた男達は荷を下ろし、予め用意されている飯を食らい一晩の宿とする。翌朝、到着時から梱包してある荷物を再び担ぎ上げ、ついぞ美袴村の女の姿を見ることなく交換が行われるのだ。

 元々は一つの集団であったのではあろうが、いつの頃からか互いの生息域を分離したこの二つの村は、近隣には存在し得ない奇妙な人口の維持方法を取るに至った。

 

 おそらく岐跨村の男達は今風の言葉で言えば遺伝的に男性ホルモンの分泌が異常に多い特質を持っていたのだろう。

 神代には役目上、壮健たる膂力と絶倫とも言える精力が求められるのだが、この村の男達はその年齢如何に関わらず、皆その要件に合致するほどの巨体巨漢が多いことでも知られている。

 

 同年代の他の村の男達に比べても、二回り以上は大きな体躯に、全身が剛毛に包まれる程の毛深い者も多く、四十の坂を越える頃には前頭から禿げ上がる者も少なくない。

 その反動か頬や顎の髭も濃くある者多くして、三日も剃刀を当てねば黒々とした影が顔の下部を覆う。

 

 男としての股間の逸物も平常時でさえ他村の男の勃起時を軽く上回り、いざ臨戦態勢にとなれば子どもの腕ほどの太さ長さを呈することとなる。

 睾丸に至っては小さいと言われる者でさえ、大玉の鶏卵ほどの大きさであり、そのゆったりと垂れ下がる様は、赤子の枕にもなると揶揄されるほどのものだ。

 

 当然、その巨躯に見合った精力は一日のうちに両手の指でも足りぬほどの吐精を欲し、かつては付き合う女達がその身の危険を感じるほどの激しい情交が見られたのだと言う。

 平均で七寸を優に越える肉茎は可塑性の高い女達に取って、まったく受け入れられないというものでは無いのだが、その行為の激しさ、巨躯からもたらされる意図せぬ暴力性や嗜虐性は、でっぷりとしたふぐりからもたらされる溢れんばかりの性欲と膂力が相まって、猛然とした荒々しさを供する。

 その行為の激しさに「岐跨の男はおなごを壊す」と言われる所以でもあった。

 

 当時の男女の交合が、果たして女達の身を守らねば村の存続が問われるほどのものだったかは今ではもう分かりようも無いことではあるが、女衆の生きる美袴(ミコ)村と男衆の岐跨(キコ)村とが二つの集落として切り離されつつ、共存しているのは厳然たる事実であった。

 

 おそらくは長い村落共同体としての歴史の中で、肉体的に壮健であり膂力精力に溢れかえる男達の暴力的にも思える女達への扱いに危険を感じた往時の古老達の憂いがあったのだろう。

 その憂いこそが、生活空間の峻別から通い婚への移行を経て、遂には男女の交合と生殖を切り離すという、現在に至る繁殖方式を編み出したものであるようだった。

 

 ここ二百年ほどは現在に至る方式が確立し、詳細に記されている血系図を元に、その年選ばれた8人の男が毎年の師走に美袴村の入口にて一人ずつ自らの逸物を扱き上げ、その太棹の先端より噴出した汁は幾許の時も経ぬうちに、やはりこれも選ばれた8人の女の陰門へと送り届けられる。

 もちろんその一度だけで全ての女達が子を孕む訳では無いのだが、およそ半数近くにもなろうか、かなりの確率で身ごもる女が多いのもまた、この村ならではのものなのであろう。

 

 今ではこの二つの村における生殖形態は、岐跨村の男達の精を貰い受けた美袴村の女達による出産とその子たちの12歳までの養教育、その後は各々の村に別れての生育という形を取っている。

 

 

秘香

 

 村の男達の寄り合いや神事、農耕儀礼の際の会場としても使われる社殿の板張りの間に、サキとアトと、二人の神代が座っている。

 昼の熱気がまだ残る板の間に、六尺一つの男が二人。

 サキのモノの雷蔵は44、アトのモノの重吾は29の年を数える。

 共にこの村の男としても恵まれた体格を誇る肉体は日々の農労働の中で更に鍛えられ、胡座に腰を下ろしたその姿は、山から風雪に耐えた自然石をそのままに据え置いたかのようだ。

 いずれ劣らぬ二人の巨体はサキのモノは背中までをも黒々とした体毛が覆いつくし、アトのモノのこの村の者としては体毛薄く、四肢と胸腹、股間を覆うだけの姿とは、対称をなしている。

 締め込まれた六尺の前袋は、内容物の偉容を見せつけるかのように洗い晒しの白布に、その形をはっきりと浮かび上がらせていた。

 

 6月の2日となる今日のこの日は、サキのモノとなる雷蔵より、アトのモノとなる重吾へと、代々のモノ達に引き継がれていたお役目渡しの初日となる儀式が行われる。

 

 昨夜の籤占と相棒宣示が行われた社殿では、その後七十名以上の男達の汗と精汁にまみれた狂乱が、深夜まで続いた。

 今年初めて棒達の資格を得た二人の「新達(しんだち)」は、その場に集う男達の全員の雄肉を口にし、その胃の府に白濁した汁を多量に注ぎ込まれる。

 これまで褥を共にした相棒と別れを惜しみ、最後の交情を果たす者。年に数日しかない相棒以外との肉体の接触を楽しみ、幾人もの相手を変えて楽しむ者。新しい神代の霊力に与ろうと、重吾の股間に顔を埋め、ひたすらに精を搾り上げる者。

 重吾も雷蔵も、男達の求めるままに勃たせ、放ち、しゃぶり、扱き上げ、粘り気のある雄汁を飲み込んでいく。

 社殿に燻らせた神代のみに伝わる合せ香の効力もあり、二人しての吐精は数十回に及んだ。

 重吾に取っての神代としての初日は、ひたすら自らの性汁を噴出し、村の男達のそれを飲み上げることで暮れていったのである。

 

 明けた翌日、これから十日程は村人からの情交も制限され、サキの雷蔵から神代としての役目を落ち着いて教わることが出来る猶予期間であった。

 祭りや神事での神代の他者の目に触れる行いについては、この村で育った重吾にはすでに理解していることも多い。

 先日まで相棒の肉体はもとより、雷蔵や先代の神代である五郎太の肉体も散々味わい尽くして来た。村の男達の中では優しげな部類の重吾ではあったが、男同士の様々な交情の在り方も熟知しているのは当たり前の話なのだ。

 

 それでも神代だけに伝わる独自の医薬の知識、細々とした儀式の有り様、村人一人一人の血系知識や病歴、相棒系図など、身に付けるべきことは数多い。

 そのすべてを神代としての御役目の中、実地を伴いながら学ぶこととなる。

 重吾も美袴村での幼少期の教育と岐跨村でのその後の教育の中で、いわゆる読み書き算盤には困らなく育ててもらってはいる。だが、神代として雷蔵より引き継がれる知識の総量は、これまで村内での人生経験しか無い重吾に取っては知識の洪水とも受け取れるほどのものだった。

 

「これまでも重吾殿とは神代と棒達として何度も交合はしてきたが、今日からは神代同士としての情交になる。まずは神代に代々伝わる薬の効果を我が身を持って味わい、その使われる意味と適量を自分の肉体で見極めることも修業に含まれる。しばらくは私の命ずるままにその肉体を晒し、後には私の身体を使ってその効能を確かめられよ」

 重々しく宣言する雷蔵はすでに六尺も解きほどき、両足を広く割った正座の股間から、己が男根を隆々といからせている。

 重吾もまた股間を覆う白布を取り去り、股を割った正座へと座り直しているのだが、こちらはさすがに緊張の故か、通常時よりは太く血を通わせてはいるが雷蔵の逸物ほどの昂ぶりは未だ見られない。

 

「これからの修業の身たるアトのモノ、サキのモノ様にすべて己が身体預けることを誓います。如何様にもいたぶりください。齢二十九のこの身体、多少のことでは傷みませぬゆえ」

 

 重吾の宣誓に合わせ、サキのモノの雷蔵が練り香を燻らせ始める。

 充分に煙が立ったところで、まずは雷蔵が香炉を掲げると、顔を寄せ、すううとその香りを聞く。

 一息、二息の間ほど止めた呼吸をゆっくりと軽く開いた唇から細く漏らす。

 先ほどから天を突いて勃ち上がっていた雷蔵の股間の先端から、玉のような露が噴き上がる。

 身の内に湧き上がる情動を堪えるように一度天を仰いだ雷蔵は、重吾へと香炉を渡す。

 

 重吾もこれまで神代との情交や祭事の際には欠かさず焚かれていたこの香に、男達の欲望を昂ぶらせる効能があることは実体験として感じてはいたが、香炉そのものを顔に近づけ聞く作業を行うのは初めてのことである。

 

 手渡された容器を捧げ持ち、まずは深く息を吐いた。次に雷蔵と同じように顔に寄せ、思い切りその細く立ち上る二条の白煙を吸い込む。

 雷蔵に習い、しばらく息を止め、吸い込んだ香りを肺全体へと巡らす。頃も良かろうと溜め込んだ息をふうっと吐き出したときだった。

 

 全裸を曝す重吾の逸物が、その瞬間に岩ほどの硬さに一気に勃ち上がり、先端の割れ目からは床に届くほどの先汁が垂れ落ちたのだ。

 

「雷蔵殿っ、こ、これはっ!」

 

「直に嗅ぐと、感じ方も凄かろう。この練り香は様々な薬効を持つ原料を混ぜ合わせたものだ。一つは淫を誘い、もう一つは二度三度と気をやっても萎えぬほどの欲をもたらす。二つを同時に嗅ぐと、男にとって堪らぬほどの悦楽へと誘うこととなる。通常は社殿全体に広く燻らすものだが、濃厚なときを楽しむときにはこのように直接に香りを聞くことで、その快楽を何倍にもすることが出来る」

 

 雷蔵の低く囁くような声を耳にするだけで、重吾は触れもしない己の肉棒の先端から白濁した汁が漏れそうになるのを感じていた。さすがにここで漏らすのはあまりに無様であろうと、歯を食いしばって腰の奥からの淫欲に屈することを拒んでいた。

 

「三年前の儂は、嗅いだ途端に精汁を二度三度と噴き上げてしまったのだが、重吾殿はなかなかに我慢強いな。なに、ここしばらくは初めてのことも多かろうて、あまり溜め込まずに己の快楽に忠実になることを学べ」

 

 己の内心を見透かされたような雷蔵の言葉に、重吾は思わず頭を垂れ、平伏したのだった。