茶師慕情

その2

 

 あまりよく知られていないことなのだが、製造する側から言わせてもらえれば「茶」とは本来、生鮮食品なのだ。
 仏事での香典返しや贈答品としてのイメージが強いせいなのだろうが、茶は一般的に乾物であり長期保存可能な食品と考えられてしまっている。もちろん保存方法を工夫することで一定の美味さをとどめることは可能なのだが、やはり生産・製造に関わるものとしては、新茶を早めに飲んでもらうのが一番ありがたいものなのだ。

 

 茶摘みを行った生の茶葉の状態から、実際に飲用するための「茶」への初期加工は、実に数時間という短時間の内に行わなければならない。
 もしここで摘んだままの生の茶葉をしばらく放置してしまうと、茶葉に含まれる酵素と呼吸の働きにより、いわゆる「酸化・発酵」が進んでしまう。
 乱暴な言い方をすれば、その発酵を進ませずに飲用に供したものが日本で通常飲まれている「緑茶」となり、わざと進ませてしまったものが「紅茶」へと、その途中で加熱等により酸化を止めたものが「烏龍茶」などと呼ばれる半発酵茶なのである。
 日本人が持つ飲用の「茶」の色としての「緑」や「黄」といった水色(液体色)のイメージは、この「酸化を抑える」という作業によってのみ、初めてもたらされるものなのだ。もっとも、絵画などでの色名を表す「茶色」が、飲用に供される液体の酸化した状態を指すというのも、おもしろいものだと思うのだが。

 

 今年最初の揉みを行う畑の持ち主は、以前から懇意にしている茶農家の家だった。
 当主の文蔵さんは私と同い年で、以前は若い欲望のはけ口をお互いの肉体に求めたこともある仲だ。さすがに最近では「会う度に」というほどでは無くなったが、それでもたまに、人目の無いところでは互いの下半身をまさぐりあうことも無いではなかった。
 もっとも私などと違って体格も良く、精力もまだまだ若いもんには負けん、と豪語する文蔵さん自身は、それなりの実践もこなしているらしい。組合の旅行などで遠方へ出向いた時など、ヘルスやソープなど女への色気に走る周りの連中を軽くあしらい、男同士のその手の店やサウナなどへも顔を出すようなことを聞いた覚えがある。
「一晩で4人とやってよお」
 屈託もなくスケベそうな笑顔で話す文蔵さんの武勇伝にあきれつつも、その膂力精力に溢れた様には、どこかうらやましさも感じたものだった。

 

 文蔵さんの家もこのあたりの典型的な農家そのままのつくりであり、木造の母屋と広い庭、大きく開放的な納屋が広い敷地の東側を占めている。家庭用であろうか、裏手と西側は小さな畑となっていた。
 顔を出す度に「今朝、採れたから」と新鮮な季節の野菜を持たせてくれる気遣いは、さすがに農家のものだったろう。

 

「おはようございます。上山ですが、文蔵さん、おられますか?」
「おはようさんです。ウチのももう摘みから帰ってくるかと思いますんで、ちょっと待ってもらえますかねえ?」
 毎年この季節には通ってきている家ともなれば、勝手知ったる、という風に庭口から声をかける。文蔵さん本人は早朝から茶摘みに出ているらしく、母親の菊さんが返事をする。
 庭に面しただけでも三間はある母屋にしても、文蔵さんと母親の二人だけでは広すぎるだろうとも思うのだが、一時もじっとしていない菊さんのおかげか、掃除から何からいきとどいたものだった。

 

 すぐに揉みにかかれるようにと一昨日には納屋に運び入れていた道具を、縁側の前で組み上げていく。こればかりは一人でやっていた昨年までに比べ、新悟という若い人手が増えた今年は実に楽なものだった。
 茶葉の蒸しに使う火は菊さんの手ですでに熾してあり、しゅんしゅんと沸く釜の音に、今年一番の揉みへの気合いを昂ぶらせる。

 

「おう、来たか。くどの方も準備しといたので、さっそくかかってもらって大丈夫だぞ。ああ、その兄ちゃんが新弟子とか言いよったのか。一昨日は留守しとってすまんのう。佐次郎さんには昔から揉みを頼んどってなあ」
 車の音がしたかと思うと、裏手から作業用の水色のつなぎに身を包んだ、体格のいい男が姿を現す。背は新悟には足りないが、それでも農作業で鍛えた100キロ近い体躯は、圧倒的な肉感で迫ってくる。
 朝早くからの作業で剃り忘れたのか、顔の下半分を覆う無精髭が一層の男臭さを増す彩りとなっていた。

 

「佐々木新悟といいます。よろしくお願いします」
「兄ちゃんもいい身体しとるのお、こっちもよろしく頼むな」
 菊さんの手前からか普通の挨拶を交わしながらも、文蔵さんが新悟と私を見遣りながら、にやっと笑ったのには、幾分かの含みもあるようだった。

 

 今日一日は今シーズン最初の日ということもあり、母屋と納屋の神棚に3人でぱんぱんと柏手を鳴らす。本一番茶としての揉み分は、文蔵さん宅では毎年の恒例として儀式的に行い、市場に出すというものでも無いものだった。
 朝から摘んだばかりの茶葉も、手揉みに回さない組合用の分はいそいで冷蔵用の保管庫に入れられる。そうでもしないと、初夏の陽気はあっという間に茶葉の発酵を進めてしまうのだ。

 

 沸き上がるくどの上に蒸籠を乗せ、蒸気を噴き上がらせる。蒸篭に充分に蒸気が行き渡ったところで、一気に茶葉を蒸し上げる。
 熱を加えることで酸化酵素の働きを止めるこの工程を、製茶業独自の言葉で「殺青」と呼ぶ。
 実際には蒸すだけでなく、地域によっては釜で炒り上げて行うところもある。釜炒り茶の場合は、どうしても炒る作業の段階で茶葉を焦げ付かないように撹拌させないといけないため、この地方独特の一葉を針のように細く仕上げる製茶には向かず、九州地方で好まれる玉ぐり茶などの工程として行われている。
 単純化してしまえば、蒸すなり炒るなりしての殺青により酸化発酵を止めた茶葉を、手や機械で揉むことで水分を飛ばし、形を整えたものが、我々が飲むための「茶」となるのだ。
 もちろん蒸しや炒り、揉捻の方法や順序などの細かな製法の違い、茶の生育方法の違いによる種別はあるにしても、加熱殺青から揉捻乾燥という流れが日本茶の製法の基本であることに変わりはない。

 

 ここからはスピード勝負だ。
 文蔵さんが運び込んだ3キロ近い茶葉を蒸篭にあけ、沸き上がった蒸気にさらす。
 ものの数十秒もかからぬうちに蒸し終わるため、しっかりと全体に火が通るよう、手早くかき混ぜ均一に熱を送る。
 今年最初の一番茶は浅蒸しで水色を明るく、軽く苦味の残る爽やかなものにしようと文蔵さんとも打ち合わせている。
 蒸し上がった茶葉はざるにあけ、送風機の風を送りこみながら一度しっかりと熱を取った。このあたりまでは新悟にも説明をしながら、少し手をかけさせてみる。
 本人もだいたいの製法の流れについては日本茶インストラクターの研修で学んでおり、大手製茶メーカーでの手揉み実習にも参加しているらしい。とはいっても、あくまで集団で一度の揉みを行っただけのようで、蒸しの過程から荒茶仕上げまで通しでの経験は無いようだった。

 

 手揉みについても理屈だけであれば教科書でも理解出来る訳で、実際の揉みの感覚だけは、手を通して学ぶ以外の方法はあるまいとも思う。そういう意味では、このマンツーマンで技量を伝えることが出来るやり方が、やはり一番なのだろう。
 揉みの初日には、とにかく茶師としての流れを掴んでもらうのが最初だと、ぴったりと横について動けと指示を出す。
 市場に出回るほとんどの日本茶は、我々茶師の技術を再現した機械揉みで作られた荒茶を更に選別し、最終乾燥を行った後に飲用へと供する。昔はもちろん揉んだそのままの状態ですぐに飲んでいたために、最終目標とされる水分量がだいぶ違ってきているのだ。そのあたりの勘所というものが、生産製造の現場と荒茶からの扱いとなる小売りの現場では、かなり違ったものに写るはずだった。

 

 殺青工程が終われば、次はいわゆる「手揉み」の段階になる。
 ガスで暖めた焙炉の上に和紙を貼った助炭をセットし、蒸し上がった茶葉を落とし込む。ここから先は経験がものを言うところであり、さすがに新悟に触らせるわけにもいかない。手揉み技能の教師補の免状を持つ文蔵さんと、2人での作業となってしまうのだ。
 汗をかいてきたらタオルで拭き取ってくれ、とは言ってはいるものの、ここでの新悟の役割は私の揉みをひたすら目を見開いて観察し、頭の中にそのリズムをたたき込んでいくことなのだ。

 

 小さな畳ほどの大きさの助炭に広げた茶葉を、何度も両手で持ち上げては振るい落とし、葉の部分の水分を飛ばしていく。
 文蔵さんも頭にタオルを巻きあげ、助炭の向こう側から半量の葉振るいを行う。彼自身も地元の技術競技会に参加出来るほどの腕前は持っているのだ。新悟に向けてそのあたりの解説をしながら葉振るいを行っていく。
 何度も何度も、持ち上げては軽く揉み、ばらばらと振るい落とす動作を繰り返す。葉に含まれる露を切っていく作業になる。
 2人で30分ほども繰り返しただろうか。蒸してすぐは明るい色をしていた茶葉の色が、少しずつ濃くなり、全体にしっとりとまとまって来たら次の工程だ。
 ここからは専門職の私の力量発揮の場面であり、文蔵さんには新悟への指示を含めて助手に回ってもらうのだ。

 

 腰を折り、助炭の上の茶葉を、上体を大きく使って右へ左へと回転させる。力をかけ茶葉の細胞を壊し、葉振るいで落とせなかった茎や葉脈の水分を減らしていくのだ。これからは技術に裏打ちされた力仕事になっていく。
 最初は軽い力で右に左と大きくまとめた茶葉をまくっていく。両手の平の下にある程度のまとまりを作りながら、それでも助炭の面積をいっぱいに使っての作業になる。
 爽やかな初夏の朝とはいえ、全身を動かし続けていれば汗が落ちそうになる。新悟に声をかけ、手ぬぐいで拭き取らせる。若者は間近で見る揉みの迫力に、声も出ない様子だった。

 

 1時間も揉み込めば、だんだんと葉の水分量も減り、それまで一面に散らばっていた茶葉が手の下でまとまり始める。そうなればいよいよ体重をかけての横回転だ。しっかりと力を入れ、茶葉の水分を押し出すように揉み込んでいく。
 これには新悟のような上背と膂力があれば、大きな戦力になる。番手の上がってくる中で、夏前の時期にはなんとか形だけでもものに出来ないか、と考えてしまうのは、急ぎすぎなのかもしれなかったが。
 焙炉の温度を新悟に調整させ、揉む茶葉の温度を35度ほどに保ちながらの作業だ。乾燥度合いと葉のしんなりさ加減は、これはもう身体で覚えるしかない。

 

 都合2時間ほどの揉みで葉の水分を、揉み始めの半分ぐらいまでに飛ばしてしまう。ここまででもかなりの体力が必要であり、シーズン最初で自分の身体が慣れてないせいか、背中が悲鳴を上げ始めているのをなんとか押しとどめながらの作業であった。

 

 一度助炭を掃除し、次のステップの準備のために筵に茶葉をほぐしながら落とした。丸まった葉を解す作業は文蔵さんにお願いし、私と新悟で助炭の和紙の茶渋を丁寧に拭き取っていく。これが残っていると出来上がりの茶に妙な渋みえぐみが残ってしまうのだ。
 濡れた手拭いで和紙の表面を拭き上げながら、新悟にここまでの感想を聞いてみた。

 

「研修のときはみんなでやって自分でやるのはホントに一部分だったので、全体でこんなに体力を使うものだとは思ってもみなかったです」
 育ちがいいのか素直すぎるのか、さすがに優等生的な答えだ。
「手揉み茶が技術と体力の両方いるっていうのは分かるだろう? 一番茶の5月いっぱいは茶に触らせるのは難しいが、二番茶の出端からはなんとか出来るようにお願いしてみるので、しっかり見とけよ」
「はい、よろしくお願いします」
「なんだなんだ、おまえ等。えらく他人行儀のしゃべり方するじゃねえか」
 茶葉の塊をほぐし終えた文蔵さんが割って入った。

 

 茶葉を一度常温に戻し、ここからはいよいよ整形をメインとした揉みとなる。文蔵さんも有資格者であり出来ないことはないのだが、やはり初摘みの茶は私にお願いしたいとのことだった。
 先ほどまでの横まくりでは体重をかけての両手揉みであったが、まずはほぐれた茶葉の巻きを作るため、片手での連続したまくりを行う。
 おそらくは手揉みの技を覚えようとする新悟に取っては、この片手まくりとこの後の葉揃えが一番の難関になるはずだ。ここをうまくやらないと「針のように」とまで形容される、手揉み茶の形状にはほど遠くなってしまう。
 手の平と指先に神経を集中させ、茶葉の長軸がまくる方向になるべく垂直となるよう整えていく。水分量が落ちていくにしたがい、全体のまとまりとしての扱いやすさは出てくるのだが、折れや欠損で形状を保てなくなる割合も増えてしまうのだ。
 茶葉がある程度まとまってくれば、両手で持ち上げ、錐揉みをするようにしながら茶葉の方向を揃えていく。粘土細工で紐を作るように、と言えば分かりやすいだろう。この行程の繰り返しで葉の形は整えられ、この地方独特の針様の姿へと形を変えていくのだ。

 

 手揉み新茶の行程も最終段階へと進む。
 最後はしっかりと揉むことでまっすぐな銀針と呼ばれるほどの形へと整え、茶葉自体の水分を飛ばししっかりと乾燥させる、更には揉みによる艶出しで茶葉そのものの色彩をつややかに仕上げるのだ。
 でんぐり、こくりと呼ばれるこの最終工程では、木板を助炭に斜めにかけ板ずりをする製法もあるのだが、私はそのまま手と助炭の和紙の間での仕上げを好んで取り入れていた。
 横まくりのときのしっかりと体重を乗せた揉みとは打って変わり、ここでは葉の細く長くなってきている形を崩さぬよう、やさしく、かつ内部の水分を飛ばすように揉み上げていく。いつのまにか茶葉同士が揉みの方向に揃い、手の内から滑り落ちるほどの艶と滑らかさが出てきたときが、仕上げのタイミングとなるのであった。

 

 ここまでで、ほぼ5時間近くの作業であった。
 朝早くからの揉みであったが、それでも昼を越えている。
 後は文蔵さんや新悟にも教えながら助炭の上に葉を揉み落とし、1時間ほど乾燥させれば完成だ。ときおり全体を天地返ししながら焙炉の熱を調整し、焦げが出ないように仕上げ、今年一番の初摘み手揉み新茶の出来上がりとなった。

 

 出来上がりは当初の10分の1の量にもなるまいか。
 技能優秀者の揉む茶にいたっては、グラムあたり10万円を越えるものもあるほどのものさえある。
 私などではもちろんそこまではいかぬが、それでも市場に出回ればかなりの価格のものとなってしまうのだ。

 

「今年も一番茶、ありがとうさんでした。飲んでみるかい?」
「文蔵さんもお世話さまでした。ごちそうになります」
 ここ何年と変わらぬ文蔵さんの会話だった。お互いの下半身も知り尽くした仲ではあったが、生産者と茶師、依頼主と受け、という関係はきちんとしているつもりだ。
 今日はゆっくりと過ごすつもりのお互いだが、明日からの機械摘みが始まり、組合の製造テナントが動き始めると、生産者側の方はまさに不眠不休の作業が待っているのだ。一度は大型機械揉みの稼働状況も新悟に見せんといかんなあ、とも思っている。

 

 嫁ももらわぬ息子との2人暮らしに老け込む暇もないのか、村の婦人センターに用事で出かける、という菊さんが、縁側に小昼用のちょっとした用意をしてくれていた。
 湯に急須はもちろんのこと、我が家作りの漬け物としっかりと塩の利いた握り飯が実にありがたい。
 新悟に言って、揉み上げたばかりの茶を用意させる。大きな図体に急須と湯飲みの対比が、どこか滑稽でもある。もっとも、文蔵さんにしろ私にしろ、身体に似合わず、という点では同じであったろうが。
 さすがに業者の息子だけあってか、こちらが何も言わずともまずは湯の温度を確かめる様は堂に入っていた。いったん湯飲みに落とした白湯を急須に戻し、3人分と神棚用に別にもう一つ、計4つの湯飲みに、幾度かに分けて均等に注いでいく手際は、実に見事なものだった。

 

「ほう、茶の淹れ方は知っとるようだなあ。佐次郎に習ったんかい?」
「あ、いえ、家が卸しと小売りをやってるもので・・・」
「はは、そう緊張せんでいいぞ。わしと佐次郎とでは、なんも知らないことは無いからなあ。どうせもう、佐次郎にチンポでも握られたんたんだろう?」
「あ、あ、いえ、そんな」
「おいおい、からかうのもいいかげんにしろよ。ウチの新弟子さんは、まだ若いんだからな」
「はは、まあ、こいつも結構好きもんだから、いいコンビかもしれんなあ」

 

 菊さんがいないのをいいことに、露骨な会話を文蔵さんが仕掛けてくる。
 もともとあけっぴろげな性格のようだが、そこはお互いの肉体を味わい尽くした男同士だからこその軽口でもあるのだろう。
 さすがに慣れない新悟にとっては、昼日中から何をこの2人は、とでもいう気持ちになっているのかもしれないが、師匠とお得意さんの前でどう対応していいのかも分からずに、男らしい顎のラインから首筋を、赤く染めるばかりだった。
 急須の蓋を取り中を覗くと、あれほどまでに針様に変わっていた茶葉が畑で摘んだままのように開いている。これこそが手揉み茶の出来上がりだと、文蔵さんが新悟に解説してくれるのだった。

 

 蒸し器や乾燥用の送風機は明日も使うので納屋に入れ込むだけでいいのだが、助炭や焙炉に着いた茶成分の掃除だけは毎回の揉み毎にきちんとしておかないと使い物にならなくなる。
 一服し、新茶の薫りと味を堪能した後に新悟と一緒にしゃがんでごしごしとやっていると、茶器や納屋の片付けを終えた文蔵さんが先ほどの続きと思ってか、悪戯っぽく声をかける。

 

「兄ちゃんも、デッカいケツしとるなあ。男の方はどうなんや? もう佐次郎のチンポぐらい、後ろに入れてもらったんか?」
 私が連れてくる男とは、もうやっているのが当然とばかりの台詞だ。
「あ、いえ、そんな・・・」
「はは、やっぱり否定しないってことは、それっぽいことはもうやっとるようだな。なあに、俺もあいつとは結構若い頃色々やってなあ。こう見えて佐次郎はタチだしな。俺が言うのもなんだが、あいつは仕事についても何についても、すごい奴だぞ。大変だろうが、がんばれよ」
「あ、は、はい。まだ一緒に動くようになってそんなにならないんですが、色々教えてもらいたいと思ってます」
「おいおい、あんまり持ち上げるなよ。新悟が緊張するだろう」
 男との深い経験などありようはずもない新悟には、半分もついていけない話しだろう。冗談なのか真面目なのか分からないような文蔵さんのセリフに、私も笑って返した。

 

「まあ気さくな奴だから、そんなにかしこまらんでもいいとは思うがな。早くお互いのケツやりあえるぐらいになれよ」
 文蔵さんが男らしい無精ひげの口許をにやっと歪ませながら、新悟の尻をばあーんと音を立ててはたく。若者の顔が見る間に赤くなっていくのが、端からでも見て取れた。

 

「明日もまた、よろしくお願いします」

 日の落ちないうちに宿に帰ろうと、帰り支度を始めた。
 今日明日と、一番茶の最終近くの3回を文蔵さんのところでの揉みと決めていた。初上がりは高く値が付き、生産者や我々に取っても気合いが入るものだ。番手が上がる直前のものは自宅で楽しむ分として、それでも加工場のものよりは上等なものとして扱ってくれている。
 運転は今シーズンは新悟に任せることが出来、初日の揉みの緊張に疲れた身体にはありがたかった。

 

「その、文蔵さんとは、前にあるんですよね・・・?」
 宿までの道すがら、おそるおそるといった調子で新悟が尋ねてくる。予備知識も無く文蔵のエロ話を聞かされる側になってしまったわけで、そう思うのもむべなるかな、ではあった。
「まあ、あいつとは腐れ縁のようなもんで、昔から色々あってなあ。もっとも、この世界、半年は男だけで暮らすわけで、結構そういう奴も多いぞ。それを向こうも知っとるので、生産者でも手を出してくる連中もいるからな。農家に嫁の来手は少ないし、後腐れ無い関係だし、一発抜く分には男女どっちでもいいってのも多いからなあ」

 

「今でもやったりしてるんですか?」
 おやおや、妬いているのか、とその瞬間は思ったものだ。ところが運転席の横顔を見つめてみても、そう不満げな顔でもない。真意が分からず尋ねてみる。
「なんだ、妬いてるのか? たまにちょっと楽しむことはあっても、別にそういう関係でも無いぞ」
「あ、いえ、その、なんというか、文蔵さんもいい男だなあ、って」
 ・・・この若者も、私や文蔵に劣らず、色気だけは旺盛なようだった。

 

 宿で飯と風呂を済ますと、早く上がった分、夜を長く感じてしまう。
 願掛け、という程でも無いのだが、一番茶の間だけはアルコールも入れないようにしているため、2人だけの部屋では時間がゆっくりと過ぎていく。

 

「なんだか身体が火照るんですが、やっぱり生の葉のせいですかね」
 風呂あがりに宿の浴衣に着替え、布団に寝転がると新悟が尋ねてくる。
 兄弟からでも聞いていたのであろうか、新悟のつぶやきに茶師のしての最初の関門を感じているのだろうとの思いにいたる。

 

 茶を扱うものの宿命だが、手揉みの時期にかかり身体が慣れない最初のうちは、茶を扱えば扱うほど単純に身体は「興奮」し、「眠れなく」なるのだ。
 よく眠気覚ましにはコーヒーを、などと言われるが、1日に飲用する杯数や低温で淹れる玉露などを考えると、カフェインの含有・取得量はコーヒーよりも茶の方が遥かに高くなるのだ。
 ましてや摘んだばかりの葉の殺青からの振るいや揉みを1日中行えば、蒸気や葉の細胞が壊れる際の揮発、乾燥にあたっての細かな粉塵の吸い込みなどで、その夜の睡眠は不可能なほどに遠くなってしまう。
 私ほどの年になれば、なかなか寝付けない、ぐらいのものだが、若さと体力のある新悟に取っては、効果の高い興奮剤として働いてしまうのだ。

 

「新悟なんか若い分、なんだかいてもたってもいられないような感じだろう。私も最初の頃はそうだったが、茶のカフェインのせいで悶々として寝れなくてな。明け方にセンズリかいて、ようやくうとうとするぐらいだった。さすがにまったく寝れないと明日がキツいからなあ。便所ででも一、二発、抜いて来るか?」
 しょせんは慣れの問題なので、あまり深刻に思わせるのも逆効果だと軽口も交えて答えていた。

 

「・・・眠りたいというのもありますが、親父さんと一緒に、せんずりヤりたいです」

 

 2人の間の緊張もだいぶほぐれてきたきたことだし、こちらとしては向こうもてっきり軽口で返してくるだろうと思っていたのだ。
 ところがそのしっかりした返事は、これまでの私の勢いへの流れるままでの付き合いでなく、ましてや息子や年もいかぬ若者としての遠慮でも無く、まごうこと無い1人の男としての発言に思えた。

 

 一昨日の風呂場でのせんずりのかきあいの後、私達2人は同じ布団で枕を共にして一夜を過ごした。
 朝方に抱き合った若い肉体の昂ぶりを扱いてやり、逐情させはしたが、そこに肉欲としての生々しいやりとりがあったわけでは無かった。おそらくは童心に帰った息子とそれを甘えさせる父親、という役割を、互いに演じていてしまった結果のことだったのかもしれない。
 あのままであれば私にしろ新悟にしろ、あれは一夜の気の迷いだったと言い張ることも出来たはずだ。

 

 だが今日の新悟の言葉は、その言い回しも内容も、あくまでも男としての欲望の発散を対象としたものに感じられる。そうであれば私もまた同性の年重のものとして、そのまっすぐな欲望に正面から向き合うべきなのだろう。
 いつもの軽口を封印し、新悟の目を見据えながら話す。

 

「それは私とお互いのチンポを扱きあって、雄汁を出したいってことでいいのか?」
「親父さんと、やりたいんです。親父さんが精液出すのを見たいし、ぼくが汁を出すのを見て欲しいんです」
「昼間の文蔵の話しを気にしてるんじゃなかろうな? 対抗意識でするようなものでも無いかとは思うが・・・」
「そんなんじゃないんです。文蔵さんももちろんいい男だなあとは思ったんですが、それよりなにより、親父さんと肌を合わせたことが純粋にうれしかったんです。自分でも周りが女性に熱を上げてるときに、どうにも違和感を感じてばかりでした。奥手なんだろうと思い込もうとしてたんですが、このところの親父さんや文蔵さんとのやりとりの方が、自分に取っては自然に思えるんです。親父さんと一緒にいるとそれだけで嬉しくなるし、仕事や人生の面でも尊敬しています。文蔵さんみたいに何でもこなせるって感じではないかもしれないですが、ぼくとも文蔵さんみたいな付き合いをしてほしいと思っています」

 

 この年齢の若者の、この瞬間にしか出来ない、なんともストレートな感情の吐露だった。
 座布団を整え、あぐらではあるが座り直す。仕事の質問ともまた違う、これは人として真面目に答えないといけないことだと、さすがの私も感じていた。

 

「この仕事は、番手が上がりきる秋口までの長丁場だ。それまで組になったもの同士は飯風呂移動も含めて、ほとんど一緒に過ごすことになる。そんな中でお互いが思い合える間になるのはとてもいいことだと私も思う。だが、万が一、仕事以外の面で嫌なところが目に付き始めたら、それこそ目も当てられなくなるぞ。新悟もお兄さん達の手前、途中で『嫌になりました』って帰るわけにもいかんだろう。それでも大丈夫か? もちろん私も新悟を初めて見たときから、ああ、いい奴だなあ、いい男だなあと、思っていた。好ましいと思ってる奴から付き合ってほしいって言われるのは、この年の男に取って、これほど嬉しいことはないぞ」
「はい、ぼくは今、自分の気持ちを告白をしているつもりです。ここしばらく一緒に過ごさせてもらって、親父さんの生き方や考え方を知れば知るほど、自分の気持ちの中で親父さんの存在が大きくなってきました。一昨日のことは確かに驚きましたけど、ホントに親父さんや男同士が嫌だと感じてたら、あんな風には出来なかったと思います。初めて会ったときから、ぼくは親父さんに憧れと、好きだという、両方の気持ちがあったんだと思います」

 

 もうこれ以上の会話は必要ないだろう。浴衣をはだけると新悟の前に身体を進める。
 分厚い身体を引き寄せ、お互い膝立ちになると分厚い胸板を引き寄せる。
「目を開けたまま、キスをしよう」
 うっすらとにじんだ汗は風呂上がりのせいか、それとも緊張のせいなのか、なんともいえない若い男の匂いを鼻腔に届けてくる。
 浴衣と下着を急いで脱ぎ、絡み合いながら布団へと倒れ込んだ。

 

「この前のと違って、本気でやるぞ。いいんだな?」
 男同士の肉欲を交わすときには、普段の私では無くなってしまうのかもしれない。
 文蔵さんとのときもそうなのだが、どちらかといえば荒々しく、一方的に責めるのが好きなのだ。
 新悟にとっては男同士の「本気」の意味も想像するしかないのだろう。ぐっと抱きしめられ、舌を交えての濃厚な口接が返事だった。

 

 思う存分若者の舌を味わった後、仰向けにした新悟を上から覗き込む。柔道で鍛えた筋肉の上に、むっちりと乗った脂がなまめかしい。
 これまで嬲られたことなど無いであろう乳首に唇を当てると、私の下で大きな身体がびくびくと反応する。
「乳首、舐められたことはあるか?」
 その質問の最中も、すでに勃ち上がった両乳首をこりこりと指先でいじっているのだ。震えるほどの快感を味わっている様子に、責める立場としての喜びを感じてしまう。

 

「んっ!」
 勃ち上がりのよい左の乳首に舌を当てる。最初はゆっくりと円を描くように舌を転がしていくが、次第に歯も使っての刺激を強めていく。全身のひくつきと、声を上げまいとしてるのか、くいしばった口元から漏れる悲鳴のような声がいっそういやらしく響く。
 唇が左右の胸を何度も往復し、左の側を痛みを感じるほどに噛みこめば、もう片方は唾液をつけた指先で柔らかに刺激する。
 耐えられないほどでは無い、それでも日常ではまず体験したことの無い痛みと、ほぐされるような愛撫を何度も繰り返すと、唾液に濡れそぼった乳首はいつのまにか小豆ほどにも膨れあがった。

 

「胸の感度は充分なようだな。こちらはどうだ」
 自分の身体を新悟の足下にずらしながら、脇腹、両腰、太股と軽く爪弾くような愛撫を加える。たまに反応が悪い男もいるのだが、新悟についてみれば実に感度良好のようだ。身体中、どこをいじっても重たい肉体をよじるように反応してくれる。
 両手と唇をフルに使い、股ぐら以外のありとあらゆる場所を責め立てた。

 

「あ、あっ、ああっ!」
「気持ちいいんだろう? 素直に気持ちいいと言え! 言わないと止めるぞ!」
「ああっ、き、気持ちいいですっ! 気持ち、いいっ!」
 おそらく快感を伝える術など持ってなかったのであろう。わざと意地悪く命令し「言わされた」という大義名分を作ってやる。声に出せばより一層感じてしまうのは、雄として当たり前の反応だった。

 

 わざと触らずにいた肉棒は体躯に見合った図太いものだ。
 先端のぶっくりとした割れ目からは大量の先走りが溢れ出し、肉竿や金玉はもうてらてらとした粘液にまみれている。
 新悟の年齢と経験の無さから考えれば、手や口で刺激すればあっと言う間に雄としての汁を噴き上げてしまうことは明白だった。
 その体格からも一度や二度の射精で満足することは無いだろうが、それでも心を通わせあっての初めての逐情だと考えれば、感じすぎるほど感じてからイッてほしかった。

 

 もっさりと茂った股間に顔を近づける。新悟の顔に目をやると、さんざん焦らされ直接的な刺激を待っているのがストレートに伝わってくる。
 もう少し楽しんでやれと、一つ一つの玉がまるで鶏卵のような、やわらかなスウェットでも履けばその膨らみが目立ってしまうほどのふぐりを、舌の全面を使って舐めあげた。
 肉棒への刺激を期待していただろう新悟にとっては、予想外の責めのはずだ。そんなところを愛撫されるという想像すらしていなかったのだろう、べちゃべちゃと舐めあげ、ふぐりの中の玉を吸い上げるように刺激すると下半身が持ち上がり、更なる刺激を求めているのが分かる。

 

「あ、あ、玉、玉が、玉が気持ちいいですっ!」
 快感を口にすることには抵抗が無くなったようだった。
 軽い痛みを感じそうなところまで双方の玉を口と手で刺激すると、全身震えるほどの反応を示してくれた。
 そろそろ埒を上げさせてやるか。さすがに初めてでこれ以上の寸止めは可哀想になってくる。慣れ親しんでくれば、このまま何時間もイかず勃起のままの刺激を繰り返し、「イかせてください」との懇願を待っての射精も楽しいものだが、さすがにそこまで期待するのは酷というものだろう。
 最後の仕上げは、口と手でしっかりとイかせてやることにする。

 

「チンポ、もうイきたくてたまらんだろう? イかせてやるからイくときはイくって言えよ。しゃぶりあげてる口の中でイッていいからな。思い切り、イけっ!」
 返事を待たず、真っ赤に膨れあがった先端を口にする。その太さ長さは、この体勢では半分も飲み込めない。
 溜め込んだ唾液でぐちょぐちょと扱き上げ、べったりと腫れ上がった亀頭の表面を舐め回す。切れ込んだ鈴口には舌先を差し込み、粘膜の内側を細かく振るわせる。
 唾液と先走りでずるずるとぬめる、指が回らないほどの太棹を右手で扱き上げると、二つの大きな玉が急にせりあがって来るのが分かった。

 

「あ、ダメですっ! い、イくっ、イきますっ! イくっ!」
 跳ね上がるように腰を振る若い肉体を上半身で押さえ込み、竿がつぶれるほどの力で握ったチンポを扱き上げる。
 その瞬間、私の喉奥に飲み込むしか仕方のないほどの大量の精液が放たれた。

 

「・・・親父さん、俺の、飲んでくれたんですか・・・」
 いつのまにか、新悟の口調も変わっていた。高校や大学時代のことを思い出したのか、それとも本来の一人称がそうなのかは分からない。私も興奮すると使ってしまうわけで、おそらくこれからの夜の付き合いでは、互いに呼び合うようになるのかもしれなかった。

 

「新悟のだから、うまいさ。まだ少し残ってるが、キスしていいか?」
 こくりとうなずく若者に、白濁液の残る唇を寄せる。
 一瞬、匂いに気付いた感じもしたが、その意味するところも分かったのだろう、自分の出した汁を吸い上げるような、荒々しいほどのキスを繰り返した。

 

 出してまもない新悟の肉棒が、縮こまることなく再びその太さを増していくのが、2人の腹の間に伝わってきた。
 男同士、雄同士の盛りあいの初日は、こうして私が若い新悟の汁をたっぷりと味わうところから始まったのだ。