俺と親父の柔道場

その3

 

「ただいま!」

「おう、帰ったか。おかえり」

 

 課外や部活があるわけでもないこの時期、ダチとつるむとかなけりゃ、6時前には帰りついちまう。

 親父、9時過ぎって言ってたから、それまでには夕飯終えてたんがいいんだよなって計算すると、飯前に風呂かなって思って爺ちゃんにそう言ったんだ。

 

「風呂、先に入っちまうけど、いい?」

「ああ、かまわんぞ。儂は昼間に一度つかったからな。夕飯はどうする?」

「んー。風呂の後でいいかなって。親父、9時過ぎるって言ってたし、遅番のときって喰ってくるんだよな?」

「ああ、夜勤入りの連中と一緒に喰うらしいからな。飯は用意しとくから、風呂入って来い」

「ごめん。じゃあ、風呂済ませてくる」

 

 結局、朝からのなんかわけわかんないムラムラのせいか、朝の始業前に2回、昼休みに1回、トイレで抜いちまったんだよな。

 近くの奴等が「おまえ、精液臭えぞ」って言うのはもう慣れっこなんだけど、学校で抜くって、そんな珍しいことなんかな?

 柔道部の奴等は、けっこうやってたっつーか、便所で連れションならぬ連れズリとかもやってたし。あ、もちろん別々の個室なんだけど、けっこう隣の奴の声聞こえたりして、あれはあれで興奮してたよな。

 

「おっ、美味そー!」

 

 風呂上がり。爺ちゃん、鍋もん作ってくれてて、暖房入った居間で喰うにはまた汗かいちまいそうだ。

 奇をてらった味付けでもなくって、ごくごく普通に出汁をとっての鍋ものなんだけど、茸類や野菜もたっぷり。あとは鶏肉もけっこういい奴かな、身もたっぷりあってどれだけでも入っちまう。

 

「爺ちゃん、なにやらせても上手だよな。婆ちゃん生きてるときもよく色々作ってたし、親父もそんなところ真似すりゃいいのに」

「あいつも昔は釣りとかしとって、魚さばくのは得意なんだがな。まあ、台所がすごいことになるから、よっぽどのときでないと頼めんわ」

「ああー、典型的な『男の料理』って奴だよね。そういえば、親父が洗いもんしてるとこ、見たことないわ」

「まあ、適材適所って奴だろう」

「爺ちゃん、親父に甘すぎ」

「まあそう言うな。あれも気を遣うところにはものすごく気を遣う奴なんだ」

「ん、爺ちゃんも『奴』って使ってるじゃん」

「ありゃ、こりゃ1本取られたな」

 

 爺ちゃんとは会話がちゃんと流れるんだけど、親父とはなかなかこんなに話せないのはなんだろうな。

 中坊んときとかは、なんかこんにゃろとか思うこともあったけど、今はそんなでもないと思ってるんだけど。

 

「親父の話、やっぱりあの『お務め』のことなんかな?」

「ああ、そうだな……」

「神さんのことだとは思うけど、爺ちゃんからじゃダメなんかな、その話」

「ああ、これは御藏からお前にじゃないといかんのだ」

「爺ちゃんと親父も、昔に同じことやったん?」

「儂はそのあたり、色々すっ飛ばしたので、御藏には済まんことをしたと思っとる。お前に話しをしたいっていうのも、儂とのときのことを考えた上で、御藏独自の判断じゃろう」

「……、まあ、そこまで爺ちゃんが言うなら俺ももう、腹くくるけど。なんかちゃんとした恰好の方がいいんじゃないのか、そういうのだと?」

 

 俺、神社関連のことだと思って、爺ちゃんにそう尋ねた。

 

「まあ、今日はそう考えなくてもいいとは思うが、一応は神さんの前での話だ。いつものパンツ一丁ちゅうわけにはいかん、ぐらいでいいんじゃとは思うぞ」

 

 風呂上がりにまさに「パンツ一丁」で飯喰ってる俺を、爺ちゃんがふっと笑いながら言う。

 

「了解、一応上下着て行くことにするわ」

「ああ、そうじゃな……。そろそろ御藏も帰ってくるじゃろ。お前はどうする?」

「ちょっと考え事もしたいし、先に道場行っとくわ。親父も待っててくれって言ってたと思うし」

「おう、御藏が帰ったらそう伝えとく」

「うん、ごちそうさまでした、爺ちゃん」

「おそまつ様でしたな」

 

 まだ8時半ぐらいだったけど、俺は道場に向かう。

 来週ぐらいから夜の練習も始まるんだけど、三学期始まってすぐの今は、子どもの声一つ聞こえない。

 

 この、夜のしんとした道場、俺、好きなんだよな。

 夏場だと畳に染みた汗の匂いがうっすら立ち昇ってくるんだけど、1月の気温だとさすがにそんなこともなく、俺はいつものように正座して、神棚に一礼する。

 そのまま太股に手を置き、静かに目を閉じる。

 

 なにか悩んだり、あるいは何も考えたくないとき、俺、よくこれやってた。

 

 試合前の緊張、試合後の反省、進路に悩んだとき、そして親父と喧嘩したとき。

 柔道の神さんか、うちの神さんか分かんないけど、それでもなにかの神さんの前に自分を晒すっていうか、とにかく正座して静かにする時間を大事にしたかったんだ。

 

 自分ではそんなに時間が経ったとは思ってなかったけど、いつの間にか時間が過ぎたらしく、道場の引き戸ががらっと鳴った。

 

「待たせたな、すまん」

「あ、いや、別になんかあるわけじゃなかったからさ……」

 

 さすがに親父と顔合わせるのに、朝の勢いのまんまじゃおかしいし、俺もまあ、普通に対応する。

 

 親父、帰ってきてそのまんまの恰好でこっちに来たんだろう。普通のワイシャツに紺のスラックス、さすがにネクタイは外してたけど。

 こういう恰好の親父、かっこいいんだよな。

 タッパは違うけど、いい身体してるし、なんかいかにも日本人って感じの体型、安心感があるって言うかさ。

 いや、絶対、親父に言うこっちゃ無いんだけど。

 

 親父も俺と同じく、正座して神さんに一礼した。

 やっぱり柔道やってる者が道場入ったら、まずそうするのが当たり前なんだと思う。

 

 神さんに頭を下げた親父が、九十度身体の向きを変えた。

 俺も親父と向かい合うようにして、正座した男2人が相対する。

 2人の大男が広く割った両脚の太股に手を乗せ、背筋をまっすぐに伸ばす。

 

「道場で話す」

 

 そう親父が言った意味は、俺も分かってたと思う。

 

「ロク、いや、禄朗。お前が朝言った『お務め』について、話しておこうと思う。そして、最初に言っておくが、俺はこの『お務め』を、藤堂家の男として、お前にもこれから果たすべき責務としてほしいと思ってる」

 

「ここで、こうやって話すってことは、ハンパなことじゃないのは俺も分かる。神社がらみのことだってのも、なんとなく分かってるつもりだ。爺ちゃんや親父がずっとやってきてることなんだろうし、俺もしなきゃならないことならもちろん前向きに考えるけど」

 

 このとき、俺は嘘偽りない気持ちでしゃべってた。

 実際、道場で、毎朝毎夜に必要な『お務め』って、俺には神社の仕事としてやってるとしか思ってなかったんだ。

 後から考えれば、それはそれで合ってはいるんだけど、かといって、本当に『神社』のことなのかは今でも分かんないことなんだけど。

 

「『今の』お前なら、そう答えてくれるとは思っていた。ただ、俺の話を聞いた後も、そう思ってるかどうかは俺には分からん。藤堂家の『お務め』を継ぐものとして、素直に聞いてくれればとは思うがな」

「もったいぶらないで、早く説明してくれ。俺も親父や爺ちゃんにはけっこう鍛えられてるはずだろ? ちっとやそっとのことじゃ、驚かないさ」

 

「どこから話すかは迷っていたんだが……。禄朗、お前もうちの神社の神様が『五十猛尊(いそたけるのみこと)様』ってのは知ってるよな」

「ああ、そんくらいなら……。あの暴れん坊のスサノオの息子ってのは、縁起の巻物にも書いてあるよな」

「ああ、そうだ。そしてその五十猛尊が、日本のあちこちに木を植えて回ったってのは知ってるか?」

「それもなんとなく……。2人の妹の神様達と、植えて回ったんだよな」

「そこも合ってるな。では、その植えた木がいったい何が元になってたかは知ってるか?」

「え、いや、木を植えたんだから、木っていうか、種とか挿し木ってことじゃないんかよ?!」

「そこらあたりから、話を進めるか……」

 

 親父が訥々と語る神話は、神社の家系に育ったものの、爺ちゃんの話をうろ覚えに聞いてたぐらいの俺の勉強不足を補う内容だった。

 実際、そのときの俺の知識って、うちの神社の由来とかって、せいぜい木を植えて回った神様の、その生命力を分け与えてもらう、そのくらいの理解だったんだよな。

 

「神様が植えていた木や植物は、もともと五十猛尊様の父親になる須佐之男(すさのお)様の、身体に生えてるあちこちの毛のことだったんだ」

 

「毛ぇ?!」

 

 俺、親父の説明に素っ頓狂な声を上げた。

 そりゃそうだよな。林業の神様とか教わってたのに、いきなり『毛』とか言われちまうとさ。

 

「そうだ、『毛』だ。眉毛から楠(くす)、顎のヒゲから杉(すぎ)、胸毛から檜(ひのき)、そして尻の毛から槇(まき)と榧(かや)。五十猛尊の神様が植えたのは、父親である須佐之男神の体毛だったわけだ」

「なんだよ、それ。気持ち悪くねえのかよ」

「普通に聞いたらそうだな。だが、日本の神様の髪や体毛、爪ってのは『切っても切っても生えてくる』っていう意味で、生命力の固まりって思われてたんだな」

「知らなかった……」

「古事記や日本書紀、その他色んな神話を読んでいくと、ションベンやクソからも神様は生まれてるんだぞ」

「クソからもって、ホントかよ……。まあ、いっぺん切ったり自分の身体から出たにしても、途切れることなく次々に生えてきたり、出てきたりするってのが、生命力ってのに変わるってことなんかな」

 

 まるで古文の授業を受け直してるような気になってたんだ、そのときの俺は。

 

「ああ、その通りだな。で、男に取って、何度出しても途切れない、生命力の一番のものはなんだと思う?」

 

 先生からの突然の質問、って奴だった。

 

「え、え? それって……、もしかして、セーシってことかよ……」

 

 そのときの俺、話がどっか変な方向に行ってるなってのは感じてたんだ。

 

「当たりだな。その『精子』『精液』を、神社の祭神である五十猛尊に奉納する役目を代々の『お役士』として務めてきたのが、我が藤堂家ってことになる」

「そう言えば、神社に祀ってある神様の御神体って、チンポだったよな……」

 

 何回か爺ちゃんに見せてもらった『御神体』、黒い毛が敷き詰められた箱に入ってたのって、木で作った男のチンポだったんで、とにかくびっくりしたことがあった。

 まあ、その後、テレビとかで各地の神社でも『そういうの』が御神体にけっこうなってるみたいっての知って、納得はしてたんだけどさ。

 

「ああ、そうだ。御神体を『金精様』って言うのは、お前も知ってるだろう」

「いやいや、それって……。ガキん頃はおもしろがってたけど、結局普段目にするもんでもなかったし……。でも、奉納するのがセーシで、その、いや、爺ちゃんや親父がやってきた『お務め』って、もしかして……」

 

 そんな馬鹿な! って思いと、あるいは、って、両方の思いがあったんだと思う。

 毎日の『お務め』が終わった後の親父からむわっと立ち昇ってたあの匂いを感じたことは何度もあったし、特に夜の『お務め』の後に息が上がってる親父の姿も目に焼き付いてる。

 それでも、頭のどこかで『そんなはず、ねえよな』って打ち消し続けてたのかもな、俺。

 

「ああ、お前の思ってる通りだ。師範も俺も、ずっと『お務め』として、神さんの前でセンズリをして、朝は1回、夜は3回、精液を奉納してきた」

「爺ちゃんも?」

「ああ、そうだ。俺が『お役士』を受け継いだ後も、仕事などでどうしても『お務め』出来ないとき、親父さんが代わってやってくれてたのはお前も知ってるだろう」

「あ、ああ、確かにそんなこと、あったよな……」

 

 俺は頭に浮かんだ素朴な疑問を尋ねてみる

 

「その、親父……。親父って、今でも毎日、『お務め』、やってるんだよな……?」

「ああ、そうだ。その通りだ」

 

 確かに俺も1日に10回とかやっちまうことあるし、親父もお袋死んでからずっと1人なわけだし、男盛り働き盛りだし、出来ないことは無いとは思うけど。

 それでも神さんの前で、この道場で、親父や爺ちゃんがチンポしごいて汁出してるなんて、なかなか頭の中に絵面が浮かばない。

 

「その『お務め』を、俺にさせたいってことなんかよ……」

「ああ……。そうだ、その話しをしようと、お前をここに呼んだ」

「親父、まさかその、病気とかでその『お務め』が出来なくなってきてんのか?」

 

 聞きづらい話だったけど、なんかの病気とかじゃないかなって思うのは、息子として当然だろ?

 

「ん? いや、そういうわけではないな。今でも、夜の3回も別に回数だけならまったく問題ない。ただ、昔に比べると、3回奉納するまでにちと時間がかかるようになっちまった。俺と親父さんの関係のように、俺自身の体力のあるうち、そう、お前のバックアップに回れるうちに、代を譲っておきたいと思っている」

「よかった……。話し途中まで聞いてたら、親父になんかあったんかと思っちまうところだったぜ……」

 

 俺、本心だった。

 なんかいつも反発しちまう親父だけど、倒れるとかは御免だった。

 

「どうだ、やってくれるか? どうせ1日4回とか、お前ならやったうちに入らんだろう」

「そりゃ、別にやらない理由ってのもねえし、爺ちゃんや親父の負担とか減らせるんだったら……。でも、仮にも神さんのことなんだし、俺なんかがやってもいいんかよ? 親父みたいに資格あるわけじゃねえしさ」

 

 親父、お袋と一緒になったとき、何ヶ月か勉強して神職になったって聞いてたんだよな。

 

「神社の神事に携わるとなると確かに資格がいるし、出来ればお前にも養成所での研修を受けてほしいとは思うが、この『お役士』による『お務め』はあくまで藤堂家としての儀式だからな。外に見せるための資格は必要無い。ただ、な……」

 

 親父が言い淀んだ。

 

「なんだよ、ただ、って。言わなきゃならないことあるんなら、さっさと言えよ」

「……、この『お役士』を誰かに伝えるための『お役士渡し』って儀式をお前に受けてもらわにゃならん。こっちの方が、お前が受け入れてくれるかが分からなくてな」

「なんだよ、なにされる、いや、するんだよ」

 

 センズリが奉納って聞いたら、やっぱ不安になるよな。

 

「うむ……。『お役士渡し』は夜通し行われる」

「一晩中って、ことか」

「普段の『お務め』では今はもう使わないが、『お役士渡し』のときには『務めの香』という興奮作用のある『香』を聞く」

「キク?」

「ああ、『キク』っていうのは『耳で聞く』の漢字使って、意味は『嗅ぐ』ってことだ」

「線香みたいなもんの匂いを嗅ぐってことか?」

「まあそんなもんだな。そして、先代と役目を継ぐ者とが、その体力と精力を一晩に渡って互いの身体を使って分かちあうんだ」

「なんだよ、その体力と精力を分かち合うって?」

 

 ぞわっとした感じが背筋を駆け上がってくる。

 

「体力は、柔道の打ち込みや稽古でその全力を神様の前で披露することだ」

「精力ってのは、センズリ競争でもするってか?」

 

 俺はもう、どうにでもなれって気持ちもあって、ぞんざいな口調で尋ねてしまう。

 

「センズリなら俺やお前には、それこそ試練にすらならんだろう?」

「言われてみりゃ、そうか。いつも結構、回数やってるしな……」

 

 なんかふにゃふにゃした問答だ。

 

「『お役士渡し』では俺とお前が、互いに相手のチンポをしごいたりしゃぶったりしてイカセ合い、そして、お互いの尻に精液を注ぎ合って、それこそ金玉が空になるまでイきあうことが求められる」

 

 開いた口がふさがらないって、こういうことを言うんだと思う。

 

「なんだよ、それって! センズリで俺の精液を奉納するってのはまだ分かんないでも無いけど、その『お役士渡し』って、俺と親父がホモになるってことじゃんか!」

 

 俺、聞いてた中身への疑問を、一気にぶつけちまった。

 

 俺が親父のチンポをしゃぶる?

 親父が俺のケツを、俺がチンポおっ勃てて、親父を掘る?

 なんじゃそりゃっていうか、実の父親からこんなこと真面目な顔で言われて、驚かない息子なんていやしないだろ?

 なあ、俺の考えの方が、『普通』だよな?

 

「最初は混乱するだろうし、とんでもないことだと思うのは当たり前だと思うさ、俺もな……」

 

 親父、俺の反発に喰ってかかるかと思ったんだけど、なんかしんみりした言葉が返ってきた。

 俺、拳を振り上げてたわけじゃないけど、それでも驚きと小さな怒り(といっても、何に怒ってるのか俺にも分かってなかったけど)に襲われてた俺は、心の中の拳の下ろしようが無くなってた。

 

「なんだよ、しんみりしちまって……。興奮してる俺が馬鹿みたいじゃないかよ……」

「すまんな、禄朗」

「その、親父も、その、さあ……。爺ちゃんと、『そういうこと』したんかよ……?」

 

 俺、おそるおそる聞いてる。

 爺ちゃんと親父が、って思うと、なんかこう、胸がもやもやしちまってた。

 

「……、まず考えるのはそこだろうな。ああ、そうだ。俺は師範の、親父さんのチンポをしゃぶって、ケツをやりあって、互いの精液を飲み合った」

「親父も爺ちゃんも……、その、ホモだったのかよ……」

「男同士で性的な行為をするってことだけをお前が『ホモ』だと言ってるんなら、その通りだろう。だが、男が男に性的に惹かれる、男だけに性的な興味を持つ、という意味で言ってるんだとしたら、俺も親父さんも違うだろうな」

 

 そのときの俺には、親父が言ってることが全然分かんなかった。

 次に俺が言った言葉は、親父にとってはすげえきつい言葉だったと思う。

 

「そんなこと言われても分かんねえよ。じゃあ、お袋や婆ちゃんはなんだったんだよ? 家政婦? 都合のいい小間使い? おかしいじゃんかよ、そんなの!」

 

 俺、自分の言葉に興奮しちまってた。最後は大声で、いや、悲鳴みたいになってたんだと思う。

 

「そう思うのも無理は無いと思う。俺はお前が生まれてすぐ、親父さんから『お役士渡し』の儀式を受けた。30才ぐらいだったか。あのときはお前が生まれるまで待ってくれてたんだろうな。だがな、俺は母さんを、親父さんも義母さんを、愛していた。そのことだけは知っておいてほしい」

「そんなこと、言ってもよ……」

「……俺としてはお前に頼むことしかできん。禄朗、『お役士渡し』受けてくれ。頼む」

 

 親父が両手をついて頭を下げた。

 練習終わりに互いに礼をすることはあっても、頼み事で親父が俺に頭を下げるなんて、始めてだった。

 

「止めろよ、親父っ! 俺なんかに、頭下げるなよっ!」

 

 もう俺、頭ぐちゃぐちゃだった。

 神さんの前でのセンズリ、親父とホモしろって、もう、俺、なにもかも分かんなくなってた。

 とにかく俺の前で頭下げてる親父の姿を、これ以上見たくなかったんだ。

 

「頭上げろよ、親父っ。俺、やるから、なんでもやるから」

 

 俺、もしかして泣いてたのかもしれなかった。

 なんかもう、どう考えていいのか、どうしていいのか、頭が回んなかったんだ。

 

 親父の肩が、びくりと動いた。

 

「やって、やってくれるのか」

「爺ちゃんも親父も、やってきたんだろう。俺も藤堂の男だ。わけわかんないけど、やるしかないんだろう?」

 

 疑問文なんだけど、もう、疑問とかじゃなかったな、このときの俺。

 

「すまん。いや、ありがとう、禄朗」

 

 親父がいっそう、深々と頭を下げる。

 俺、なんかもうたまんなくなって、親父に近づいて無理やり頭を上げさせたんだ。

 

「もう、分かんないけど、とにかくその『お役士』っての、俺、やるからさ! 親父が俺に頭下げんなよ。なんか、ヤなんだよ、そういうの!」

 

 俺、大声上げてた。なんか、頭の中、ぐちゃぐちゃしてた。

 正直、そんな変なことって思ったけど、親父や爺ちゃんがやってきたことを俺がやらない、やれないってのはなんだか負けた気がして、そんな気持ちもあったんだと思う。

 

「本当にいいんだな? 禄朗?」

「男に二言はねえよ! やるっつってんだろう!」

 

 親父が頭を上げ、背筋をまっすぐに伸ばしてもう一度尋ねてきた。

 俺も居住まいを正し、ちょっと怒鳴ってたけど、きちんと答える。

 

「よし、俺はお前に、今度の金曜、『お役士』としての責を渡す。それまで、出来ればセンズリもしないで溜めておけ」

「努力は……、するけどよ……」

「せめて、控えろ」

 

 月曜の今日から数えて5日の禁欲。そんな長期間のセンズリ禁止なんて、俺にはとうてい無理ってことは、親父も分かってたと思う。

 そのとき、俺の顔をじろっと睨んだ親父が、急に立ち上がったんだ。