金木犀

その2

文男の章

 

「あぁ、また肥えたんちゃう、その背ぇでもう80キロ越えてんねんから、肥え過ぎよ。いっくらお父さんとこの弟子やゆうても、こんな肥えるって分かってたらもうちょっと考えてたのに」
 久しぶりの連休で朝風呂としゃれ込んだ俺の姿を見た妻が、くっくっと小さく笑いながら声をかけた。

 

 高橋文男、36才である。高校時代から通っている柔道場の師範の娘だった妻と結婚し、早10年になった。歳月が当時の面影を無惨なまでに砕いてしまったのだろう。妻は洗い立てのもっこ褌を手渡すと小さな声で「ダイエット、ダイエット」とつぶやきながら、台所に向かったようだった。
 義父になる道場の師範から奨められた褌についても、父親の影響か抵抗がなかったようで、かいがいしく洗濯、アイロン掛けとやってくれている。生意気盛りの4年生の一人娘の世話も、仕事にかまけてまかせっきりにしてしまっていた。
 それでも文句一つ言わずにいつも明るく笑ってくれている妻の一言は、笑いをかみ殺しながらのセリフだったとはいえ実にキツイ一撃だった。

 

 今でも道場での師範代としての鍛錬だけは欠かさないでいるが、若い頃に比べるとどうしても運動量が減ってきてしまう。ましてやここ最近は勤続18年の市役所の中間管理職としての仕事が忙しく、週2回は顔を出す予定の道場からも遠ざかりがちだ。
 それでいて食欲は依然旺盛なままで、今でも20代の同僚から「高橋さんには負けますよ」と言われてしまうほどの大食らいだった。そのせいか4、5年前までは安定していた体重が、ここ数年で一気に10キロ近く太ってしまったというわけだった。

 

 使い込んだ紺色の生地のもっこの片側に左足を通し、股座へと引き上げると右側の紐をきっちりと結ぶ。普段は目立たないグレー地のものが多いのだが、休みとなると遊び心も出てくるものだ。
 前みつの布目を整え、逸物の収まりを確認すると、前袋も豊かな膨らみを見せたもっこ褌一丁の姿の出来上がりだった。以前使っていた越中と比べるとズボンを脱がないと着脱できないということはあるが、逸物の収まりのよさや短パンでも安心して着用できる点などで最近はもっこばかりを使っていた。

 

 電話帳を繰り、職場と自宅の中間にあるジムを探してみる。申し込みはいつでも受け付けてると聞き、早速出かけることにした。

 

「身長が166で体重が80キロと。後で正確なものは測定させてもらいますね。ああ、柔道やられてるんですか。いい身体されてるはずですよね」
 ジムのトレーナーにしてはちょっと体重が重そうだが、きちんと敬語を使える若者がタンクトップにスパッツといった姿でてきぱきと登録カードに記入していく。問診の事項に各部のサイズはもとより簡単な運動テストや、栄養士からの食事指導まであるのには驚いた。最近のジムは総合的な健康管理までやるらしい。初日の今日は簡単な体験講習にメニュー作り、体位の測定と進んでいくようだった。

 

「ホントだと週のうち、3回ぐらいは顔出してもらえるといいんですけどね。測定の結果次第ですけど、高橋さん、週に一、二回程度とのことですから基本的にはマシンが60分、有酸素運動を30分、スイミング30分程度になると思います。柔道の方と合わせれば結構身体動かすことになりますから、3ヶ月もすればご自身でもだいぶ変わってきたなって思われるはずですよ」
 もとより毎日通えるほどの暇があるわけではないが、かといって勤務と道場の都合もあるため、結局普通会員の登録をすることにした。筋量や体位などの測定があるのだが、昼も近かったのでそっちは午後からということになる。
 トレーナーの青年も食堂で食事をするとのことだったので、せっかくだからこの際色々話を聞いておこうと一緒に飯を食うことにした。

 

 佐田幸雄、と自己紹介したトレーナーは、現役の体育大生のバイトだという。話を聞いてみると、ウエイトリフティング部ということで、もともとでかかった身体が生かせる種目ということで選んだらしい。
 そう思ってみると確かにいい体格をしているが、陸上種目などに特有の筋張った筋肉の方が目立つという身体付きではない。どちらかというと俺と同じ様に、筋肉の上に脂肪の層が取り巻いているような、むっちりとした肉付きをしている。それでも部活やジムでの運動量は相当なのか、尻肉のつきかたなどは半端ではなく、男が見てもうらやましくなるような、厚みのある身体付きだったのだ。

 

「ジムではそんなん穿かなあかんねやね。スパッツ言うかな、それ?」
「ジャージや短パンの方も多いですけど、ホントは身体のラインが分かる服の方がいいんですよ。どの部分の筋肉を動かしているか、いつも意識してトレーニングするのが肝腎なんですよね」
 中庭に面した食堂で横並びに座った彼に尋ねてみた。

 

 彼の肌に張り付くようなスパッツが、どっしりと開いた股間の膨らみを強調している。こんなふうに、と言いながら彼が一抱えもあるような太股を開いたり閉じたりして見せた。その度に上向きに収められたことさえ分かる竿と金玉が作るもっさりとした固まりが、何とも卑猥に蠢く。亀頭の膨らみさえ露わにするような薄手の生地が男の部分を強調するかのように伸び縮みしている。肉感的に蠢く彼の股間を間近に眺め、俺はごくりと唾を飲み込んでいた。

 

「高橋さん、手足も太い柔道体型運動ですし、きっと似合いますよ」
 幸雄君が俺の太股に手を伸ばすと、肉厚の手のひらを内股に差し入れてきた。ゆっくりと俺の股肉を確かめるように撫で上げる。何とも言えない快感が忍び寄り、どうしてもすぐ傍にある強烈な雄の肉体を意識してしまう。

 

 今は義父となった師範と若いときにかきあった男同士のせんずりの経験が、ふと、甦った。

 

 高校一年の頃だったか、道場の片づけを終えた俺は、当時、風呂場で日課にしていたせんずりに没頭していた。疲れ魔羅、の言葉通り、激しい稽古の後にはなぜか男の部分が滾り勃ち、シャワーの刺激ですら勃起してしまう。
 いつものように石鹸を泡立て、一心不乱に扱き上げているさまを、忘れ物を取りに来た師範に偶然にも覗かれてしまったのだ。
 勃ち上がった勃起を握りしめたまま思わず固まった俺に恥をかかせまいとしてか、師範は「男同士だしな、そういや俺も最近溜まってるから、一緒に一発抜かしてもらおかな。な、ええやろう、文男」とにっと笑いながら声をかけてくれた。

 

 最初は肌を寄せ合いながら、お互いが自分で扱くだけの稚拙な行為だった。それでも二人で何回か経験するうちに、お互いの肉棒に手を伸ばしあうようにさえなっていった。他人の手で扱かれる感覚は、一人で行うときの数倍もの快感を味あわせてくれる。毛深い大きな身体に抱かれ、成熟した雄の放つうっすらとした体臭を嗅ぎながら、俺は何度も声を上げ、師範の手のひらを栗の花の匂いのする液体で汚していたのだった。

 

 同性愛、と呼ばれる行為ではなかったのだと思う。

 

 次第にエスカレートしようとする行為を一定の部分で押しとどめたのは、当時30代後半の師範の方だった。
 若さ故の性への衝動から更なる行為を求めていこうとする俺に対し、こんなのは遊びだからと、手以外での刺激を許すことはなかった。

 

 自分自身の男の肉体への憧れに気づくと、部活の特定の後輩から向けられる視線の意味するところも分かるようになっていく。
 俺自身、ともすれば慕ってくれる後輩へと手を伸ばしそうになる自分に恐れを抱き、道場の師範へ就職の決定を報告しにいったときの行為を最後のものとして、一人で己を慰める毎日へと戻っていったのだった。

 

「腹も埋まったし、ちょっと施設の方を案内しましょうか。その後各部の測定をさせてもらいます」
 はっと気づくと、俺は勃起していた。
 俺の意識を引き戻したのは肉棒に感じた彼の指先だった。一瞬のこととは言え、ズボンの生地越しにはっきりと感じられた爪先は、確実に俺の勃起を察知したに違いなかった。その瞬間、幸雄君は手を引き、何もなかったかのように俺に声をかけたのだった。

 

 彼に連れられて回った各施設は、出来てまだそう年月も経っていないらしくどこも近代的な設備が整えられていた。震災の後に再建したのだというプールやサウナも充分に広く、これなら会費の元は取れそうだと妙なところで感心してしまうほどだった。一通り見て回り、医務室を兼ねている測定室へと向かう。

 

「細かく測定しますので、ズボンも脱いで下着だけになってもらえますか。そっちの籠、使ってもらっていいですので」
 幸雄君が、裸になる俺に気遣ってか、かちりと部屋の鍵をかける。
 俺は初日は申し込みだけだと思っていたので、もっこ褌のまま出てきてしまっていた。道場の連中は師範の影響で練習の際はもっこや越中の奴が多いのだが、さすがに職場の検診などでは一々説明するのも面倒くさく、トランクスで過ごしている。
 まあ、別に恥ずかしがることでもあるまいと脱ぐことにする。俺はシャツを脱ぎ捨てるとベルトに手をかけた。ズボンを脱いだ途端、俺はあっと声を上げそうになった。
 先ほどの勃起の名残の先走りがもっこの前袋に染み、くっきりと紺色を浮き出させていたのだ。

 

「へえ、もっこ褌ですか、珍しいですね」
 普通の人は六尺や越中の名前は知っていても、よっぽど高齢でも無い限り、もっこ褌までの知識はないはずだ。ただ、そのときの俺は、学生の幸雄君がもっこを知っていることの不思議さも忘れるほど、慌ててしまっていた。
「ま、取りあえず先に測定やっちゃいましょう」
 幸雄君は俺の先走りに気づいているはずだが、にっこり笑うと、測定を始める。

 

 身長体重はもとより、首回り、腕脚の各位、胸囲腹囲、現在の筋力と細かくチェックしていく。その度に触れる幸雄君の指先が俺の肌を撫で上げていく。抱きかかえるようにして受ける測定に、俺は今日2度目の勃起が起こるのを押さえきれない。
 全ての測定項目にチェックが入ると、幸雄君がまたもや俺の背中から腕を回してきた。胸囲は測り終えたはず、と思っていると右手がもっこの膨らみへと向かってくる。

 

「高橋さん、食堂で俺見て、勃ててくれたんでしょう。すごくうれしいです」
 彼が耳元で囁く。俺より10センチほど高い身長に90キロ近い肉体が、背中から俺の身体を抱え込む。尻肉には肉棒がごりごりと当たり、熱を持って昂ぶりを伝えてきていた。

 

「男同士やないか、そんな・・・、幸雄君・・・」
「大丈夫ですよ、測定中になってるので誰も入って来ませんので」
 俺の言葉がとぎれがちになり、彼の手がもっこの布越しに肉棒を扱き上げる。先ほど思い出した、師範との行為が熱いたぎりとなってよみがえる。俺は昂まる欲情を押しとどめる努力を放棄した。幸雄君は俺の勃起を確かめると、手早く服を脱ぎ捨て見事な裸体を晒し、再び俺の背中に手を回してくる。
 いつの間にかもっこの紐が外され、左足首に絡まっている。幸雄君が足下に跪き、勃ち上がった俺の肉棒にゆっくりと顔を近づける。妻にもされたことのない行為の予感に、身震いするほどの快感への期待が背筋を昇っていく。

 

「あ、ああっ」
 彼の暖かな口内の感触に俺は思わず声を上げた。若い頃であればそれだけでイッてしまいそうになるほどの快感だった。
 亀頭をねぶりまわす舌の動き。肉棒を上下に扱き上げる唇の締め付け。舌先を鈴口に差し入れられるとうめき声すら上げてしまう。鈴口と裏筋を舐め回し、くちゅくちゅと音を立ててしゃぶりあげる彼のテクニックに翻弄されながら、俺は何度も絶頂の寸前へと導かれた。

 

 白いカバーを掛けられた簡易ベッドに座らされると、どこから持ち出したのか、幸雄君がスキンを俺の逸物に装着した。ぬらぬらとした唾液をまぶすと、俺の両足にまたがるように腰を落とす。
 ゴム越しに暖かな締め付けが伝わる。俺は目の前に広がる幸雄君の胸肉を舐め上げ、突き出た乳首をこりこりと歯でいらった。ひくりと身体を震わせた彼の動きに、一瞬、締め付けが緩む。俺はその隙を狙って、ぐいと肉棒を突き上げた。

 

「あっ、ああっ、いいっす、高橋さん、いいっすよ」
 大学での口調に戻っている彼が押さえながら出す声は、一層俺を興奮させた。
 激しく動いても大丈夫だと判断した俺はいったん立ち上がり、今度は前屈みになった幸雄君の尻肉にがつがつと股間をぶつける。どっしりとした彼の腰を壊さんばかりの勢いで引き寄せる。金玉が尻にあたり、接合部から漏れるぬちゃぬちゃという卑猥な響きがあたりに満ちた。狭い測定室に二匹の雄の匂いが広がる。

 

「俺も、いいっ、いいよっ、幸雄君っ、いいぞっ」
 ベッドやテーブルを使い、幾度も体制を変えて男同士の肉の交わりが続けられた。イきそうになる度に動きを止めて一休みするのだが、男の尻を犯すという初めての経験のせいか、いつもより早い絶頂が訪れそうだった。
 ベッドに仰向けになった彼に覆い被さる俺の背中に、射精寸前の寂寞感が駆け上がってくる。俺はもう限界だと思うと、自分の腰の動きに合わせ、先走りと2人の汗でぬめった彼の肉棒を精一杯扱き上げた。手のひらに吐きかけた唾液のぬめりが扱き上げる手のスピードを増し、雁で引っかかるはずの人差し指と親指の輪が亀頭の先端まで届く。

 

「ああっ、幸雄君っ、イくっ、イくよっ」
「高橋さんっ、そんなされたらっ、俺もっ、俺もっ、イくっ、イくっ」
 絶頂は一瞬、彼の方が早かった。むっとする栗の花の匂いが幸雄君の胸から腹へと広がる。射精が後ろの神経にも影響するのか、びくっびくっと何度も雄汁を吐き出すその動きが肉棒を締め上げる。新たなその刺激に俺は堪えきれず、俺の彼の尻肉奥深くに肉棒を突き入れ、何度もしゃくり上げるようにしてイッてしまったのだ。

 

 部屋に備え付けのシャワーで順番に汗を流すと、彼が自販機で飲み物を買ってきてくれていた。部屋中に漂っていた汗と栗の花の匂いも、換気がいいのかいつの間にか消えてしまっている。
 どうぞ、といって差し出してくれたスポーツドリンクを受け取ると、俺は疑問に思っていたことを聞いてみることにした。

 

「その、幸雄君は俺が男好きって分かったんか? 自分でもこんなん初めてだったんやけど・・・」
「初めてって・・・、うわ、俺、大変なことしちゃいましたかね。何となく分かるんですよ。俺の股間とか見てるときとか、ちょっと普通の人と視線が違いますしね。こんな仕事してると何人かは、これだってのがピンと来ます。家族持ちとかは関係ないんですよ」
 あんな激しい交わりの後だというのに、実にあっけらかんと幸雄君は答える。男同士のセックスはスポーツみたいなもんですよ、という彼の言葉にちょっとした安心感を覚えながらも、今日は帰って女房にどんな顔して会えばいいのか不安に思うのは当たり前だったろう。
 男同士のセックス・・・。とりとめのない彼の話を聞きながら俺がその言葉から連想したのは、高校時代、俺を慕ってくれていた一人の後輩のことだった・・・。

 

 勇二・・・、二つ下の後輩。自分の中でも封印していた思い出だった。
 すでに師範との経験があった俺は、あいつの俺に寄せる思いに気づいていた。そして、その思いが分かっていたゆえに俺は手を出せなかった。引退試合のとき、あいつの肉棒は勃起していたはずだ。
 俺の道着をくれって言ってくれたのがすごくうれしかったのを思い出す。最後に声を聞いたのは、確か大学合格の電話をもらったときだったろう。それでももう、10年以上、昔の話だった。

 

「高橋さん、どこから来られてるんでしたっけ。俺は尼崎から来てるんですけど」

「東灘だよ」

「あれ? そこって正岡さんの出身地じゃなかったかな? 確か東灘って言ってたし・・・。ああ、今度来られた副支配人なんですけど、確かそこの出身って言ってたんですよね」

 

 身繕いを済ませた幸雄君の口からその言葉が出てきたとき、ズボンを履こうとしていた俺は、思わずよろめいてしまうほど驚いた。勇二、あいつの名字は・・・、正岡だった・・・。