男性専科クリニック

その1

 

「こんにちは。ああ、昨日電話を下さった山崎さんですね。私が院長の野村といいます。こちらは看護士の田畑君です。西田さんから聞いていらっしゃるとは思いますが、うちには治療の性格上、女性のスタッフはおりませんし、予約の日は午前と午後に一件づつしか入れませんので御安心ください。これから一緒に頑張って行きましょう。よろしくお願いします」

 

 眼鏡をかけた恰幅のいい医師が、がっしりとした肉厚の掌を私に差しだし握手を求めてくる。その手の暖かさと力強さは、始めての経験に不安を感じていた私の緊張をじんわりとときほぐすかのように、掌から全身へと伝わって行った。

 

 私は山崎登、四十二才。一六五センチの短躯に八十五キロの突き出た腹では、学生時代は山岳部で鍛えたといっても誰も信用してはくれまい。

 学生結婚で早くに生まれた娘達も、この春には就職と嫁ぎ先が決り、贅沢はできないが年の割には落ち着いた暮らしぶりではなかろうか。

 

 年甲斐もない自分の不安に、ゴルフ仲間の西田に教えられた電話番号をプッシュし、予約を取り付けたのは昨日のことだった。

 世間の同い年ぐらいの連中は、やれ今日はソープだ、明日はヘルスだと男盛りの毎日を過ごしているではないか。周囲からはそのずっしりとした腰つきから精力絶倫だろうとひやかされながら、内心では男としての一番大事な部分の自信を失いそうになっている。

 そんな私の目の前に、銀色のプレートに記された「男性専科 野村クリニック」という文字が光っていたのだ。

 

 院長の野村医師は四十代だろうか。柔和な顔付きに白衣の似合う、恰幅のいい中年医師だった。田畑君の方もこちらは三十代半ばぐらいか、腰まわりにがっちりした厚みのある身体付きの青年だ。

 お互いの自己紹介の後、病院にきて医者の側から「よろしくお願いします」と言われたのは初めてのことであるのに気づいた。その誠実な対応に、この医師に自分の悩みをすべて打ち開けてみようと腹をくくっていた。

 

「それじゃあ、お話を聞かせていただけますか」

 身体の向きを少し変えただけで、ぎいっというきしみ音が医師の腰掛けた椅子の接合部から聞こえてくる。私もそれに応えるように背筋を伸ばした。

 眼鏡の奥の小さな目にじっと見つめられながら、私はこのクリニックの扉を叩いたわけを話し始めたのだ。

 

 

 問診

 

「二カ月ほど前のことでしたか、西田とゴルフに行ったんです。コースを半日ほどまわって、シャワーで汗を流していたときのことなんです」

 医師はカルテに半身を向かわせながら、話を聞いてくれる。田畑君は私の右斜めの少し後ろに立ち、問診表みたいなものに私の話しをまとめているようだった。

 

「西田が私のチンポを急に握ってくるんですよ。びっくりして何するんだって言うと、あいつがまじめな顔して言うんです」

「お前、このごろ下の方が元気がないんじゃないかって。確かに、石鹸つけた手でぬるぬるとやられて気持ち良くはあったんですが、突然のことがだったせいかどうか、チンポが勃たないんです」

「口調や態度から判断してふざけてるんではないと思ったんです。

 それで男に握られて勃つわけないだろうって言うと、あいつが、感じるのは誰でも一緒だし、ここまでやられたら普通はおっ勃つもんだって言うんです。試しに俺のを握ってみろって言うのであいつのを見てみると、もうぎんぎんに勃ってるんですよ。

 握ってみると手に熱くてがちがちに堅くなってて。正直こりゃ、男として私の方が負けてるって思ってしまったんです。

 西田の奴、このところ風呂場で見る私のチンポに張りがないって言うんですね。

 あいつが、元気のいいチンポは萎えてるときでも亀頭に赤みがかかってるって言うんです。

 そう思って見てみると、確かにあいつのに比べて艶がない。そのときはもう年だからなって笑ってたんですが……」

 

「そうですか、西田さんに風呂場で扱かれたが勃たなかったと……。では、普段の奥さんとの夜の生活や、風俗などについてはどんな感じですか」

 

 言いよどんだ私の言葉を、野村医師が引き出してくれる。

 

「考えてみると、もう何年も女房とはなかったんですよ。早くに子どもが出来てからは、ほとんどやらなくなっていて。朝勃ちがないのも、あんなのは若い時のものだって、そんなに気にしてなかったんです」

 

「それでは、一番最近の勃起と射精はいつぐらいで、どんな状況のときでしたか」

 野村医師が続ける。

 

「ここ最近で出したのは……、たぶん三カ月くらい前だったと思います。

 スポーツ新聞のポルノ小説で妙に興奮してしまって……。確か3Pの場面で、女に入れてる男の金玉をもう一人の男がしゃぶりあげるって話しだったかな……?

 恥ずかしい話ですが、通勤途中だったのでトイレに寄って、自分で出しました」

 

「ほう、3Pですか、確かに興奮する話しですね。

 ところで先ほどの話で西田さんに、そう男性にぺニスを触られて、また山崎さんも西田さんの勃起したぺニスを握ってみて嫌悪感はありましたか」

 

「びっくりはしましたけど、心配してるのかなって思いが強くて、別に気持ち悪くはなかったですね」

 

 確かに、気持ち悪い、という気は後から振り返っても記憶に無い。

 

「それでも少し、西田さんと色々勃ち具合などを比べてしまい自分自身に劣等感を持ってしまったということですか」

「ええ、それまでは別に気にもしてなかったんですが……。不安になってまわりの連中に聞いてみると、ソープの常連だとかそんな奴ばっかりで……。

 やはり色々気になってしまい、西田が世話になってると言っていた先生のところを、やっとお訪ねした次第です」

 

「だいたいのお話は分かりました。男にとって勃たない、力強い勃起がないっていうのはとても不安なことですからね。ところで奥さんの方は、山崎さんのそんな状態に対して何か仰ってますか」

 

「いえ、あっちの方はあんまり好きじゃないようで。五年ほど前から寝室も別にしてますし、あれは私が悩んでいることすら気がついてないと思います」

「では、山崎さんの場合、奥さんとのセックスの有る無しや妊娠等の必要性が問題と言うわけではないですね。ご自身と同年代の男性と比べて自分の性欲、勃起力が弱いのではないか、そういう疑問が一番の不安要素だと思ってよろしいですか」

「はい。やはりそのことが一番気にかかってますので……。性欲そのものが周りの連中より弱いという気はしてますし、インポについてはさきほどお話したとおりです。とにかくよろしくお願いします」

 

 このとき野村医師がその柔和な顔で大きくうなずき、田畑君にカルテになにか書き入れるように指示をした。

 後から聞いたことではあるが、自分自身の治療の目的を明確にすることが、回復に取っては大きなポイントになるらしい。

 

「それでは性欲のことについては、次回以降の治療で説明するとして、今日は勃起不全について少しお話ししましょうか」

 

 

 説明

 

「男性の勃起不全、よくインポテンツと呼ばれているものですね。これには大きく分けて三つの原因があります。

 一つは陰茎に血を送るシステムになんらかの障害が生じて、物理的に勃起が出来なくなってしまって起こるものです。

 二つ目は勃起するための神経になんらかの障害が起きるもの、これは糖尿なんかでおこる奴ですね。

 もう一つは物理的に勃起はするはずなのに、精神的なものなどさまざまな要因で、興奮しても勃たない、という状況になってしまっているものです」

 

 野村医師はゆっくりと説明してくれる。

 

「山崎さんの場合、三カ月ほど前という近い時期に勃起も射精も経験してらっしゃるので、物理的な原因ではなかろうとは思います。

 しかし、しっかりした体格もしてらっしゃいますし、一般的な高血圧や糖尿、高脂血症などの生活習慣病、その他にも感染症などの血液の検査は必要だと思います。

 そんなに時間はかかりませんので」

 

 シャツを捲った左腕で、看護師の田畑君が血圧を測ってくれる。

 セパレートの白衣の胸と二の腕の盛り上がりが、鍛えた若者の肉体から溢れる熱気を伝えてくる。

 普段より少し高かったが、やはり病院での緊張でしょうねと田畑君がにっこりと笑ってくれた。

 左腕の静脈から血液を採取し、結果が出るまでしばらくお待ちくださいとのことで待合室でスマホでも眺めて時間をつぶすことにする。

 

 40分近く待ったであろうか、田畑君が検査結果を持って戻ってきたのだろう。診察室へと再び声をかけられた。

 

「詳しい検査は血液センターにまわして次回の来院のときに結果をお渡ししますけど、一応ここで簡単に出来る分では血糖値、HbA1cの反応も出てないようです。

 他の感染性もいくつか調べさせてもらいましたが、HIV、梅毒、その他の炎症などの反応も見られないですね。その点では安心されていいと思いますよ」