里見雄吉氏 作

開拓地にて

ある農夫の性の記録

第五部

熟年期

 

五 番頭の視線の先に

 

 次に目が覚めた時には夜が明けていた。窓から差し込む陽光の中、視線を横に移すと、同じ布団の中で全裸の秀さんが軽くいびきをたてている。私は秀さんの寝顔を見つめた。

 嵐のような夜は過ぎた。あれだけ濃厚なセックスは滅多にあるものではない。たった一人の男との交わりが、肉体的にも精神的にも最高の満足を私に与えてくれた。

 私の視線に気づいたのだろう。秀さんが目を覚ました。秀さんの手が私の陰茎に伸びてくる。私たちは抱き合い、口づけし、最後はお互いの陰茎をしごきあった。

「おはようございます。朝食をお持ちしました。」

 突然の声に二人は我に返ったが、時すでに遅し。番頭がいきなり、部屋の襖を開けた。そこには、礼儀正しく縁側に正座する番頭の姿があった。私たちは凍りついた。もろに見られてしまったのだ。

 番頭にしてみても晴天の霹靂だったろう。まさか男同士が全裸で絡まっていようとは・・・。番頭の名誉のためにも書き添えておくが、実際には、番頭はきちんと廊下から声を掛けたらしい。無情にもその声は我々には届かなかった。

 その理由は、この旅館独特の間取りにあった。廊下と客室とを分ける扉があるのは普通の日本旅館と同じである。しかし、入口の扉を開けると長い縁側が、まるで客室を半周するように取り囲んでいるのである。そして、その縁側をぐるりと廻って襖を開けると、ようやく客室に辿り着くという構造だった。

 当然、廊下との扉から部屋の襖までは距離がある。扉を開ける時に、

「失礼します。入らせていただきます。」

 などと言われても、そんなもの聞こえやしまい。まして私たちは秘め事の真っ最中であった。

 番頭が客室の襖を開けた時には、最早取り繕いようがない状態だった。番頭は目が点になっている。縁側に座り込んだまま完全に硬直していた。

「失礼しました。すいません。」

 番頭が反射的に叫んだ。

 男同士が口を吸いあい、しかも、二人ともズル剥けの陰茎が勃り立っている。辺りには丸まった塵紙が散乱し、脱ぎ捨てられた二人分の越中褌が枕元に転がっていた。ゴミ箱からは精液の饐えた匂いが漂って来る。

 我に返った番頭が、急いでその場から立ち去ろうとした。もろに見られたにもかかわらず、秀さんは実に肝が据わっていた。

「待っでぐれ。気(ぎ)にしなぐでもええがら・・・。」

 声を荒げることもなく、秀さんは番頭に声を掛けた。秀さんは私の身体を離し、全裸のまま立ち上がった。

 秀さんの勃起した陰茎が臍に着きそうになっている。どうしてよいかさえわからず、固まったまま立ち尽くしている番頭。しきりに恐縮する姿が気の毒だった。

 それを尻目に、秀さんは勃起マラを見せつけるように、堂々と越中褌を締めてみせた。そして、浴衣と丹前を羽織りながら、番頭にゆったりと声を掛けた。

「とんだ所(どごろ)をお見せしでしまっで、こっちごそ失礼(しづれい)しだ。どうがこの事(ごと)は、あなだの心(こごろ)の中だげに仕舞っでおいで、他(ほが)の方々(がだ)にはご内聞に願いだい・・・。」

 秀さんの静かすぎる口調が、私を現実の肉欲の世界に引き戻す。あまりの男らしさに私の陰茎は再び勃起してしまった。初めての密会だったこともあり、私の中で何にも増して性欲が優先されていた。知らない土地でのハプニングだという心の余裕も影響していたことだろう。

 番頭にしてみたら、二本の勃り立った男性器を同時に目撃することさえ、ほぼ初めての経験だったことだろう。その時の番頭の衝撃は想像に余りある。そんな番頭の衝撃と動揺など知ってか知らずか、秀さんが番頭に告げた。

「腹がすいだ。朝飯をお願いしだい。」

 私は少なからずの違和感を覚えた。それはほんの澱のような疑念であったが、逢瀬を重ねるうちに、少しずつ、そして確実に私の心の奥に沈殿していった。

 二人の関係が深まるにつれ、否応なしに認識させられていくのだが、秀さんは男らしいが繊細さには欠ける面があった。細やかな配慮といったものは苦手で、結局、それが破局の遠因となっていくのであるが、それはまた後の話である。

 番頭も心を決めたらしい。秀さんの言葉に無言で頷くと、そのまま朝食の配膳をしてくれた。私も急いで浴衣を羽織り、散乱した塵紙をゴミ箱に捨てた。

 何事もなかったように給仕をしてくれる番頭の姿に、私は接客のプロの姿を見た思いだったが、もろに見られた動揺で、正直、私は朝食の味わう余裕などなかった。

 しかし、今、改めて考えてみると、前の晩、風呂場で乳くりあっている場面を見られた可能性もあったので、もしかしたら、内心、

「やはり・・・。」

 とほくそ笑むなり、気持ち悪がるなりしていたのかもしれない。

 この番頭とのエピソードには最後におまけが付いた。帰り際、我々の車が旅館前の凍った坂道を登らなくなってしまい、最後は番頭の運転する宿の四駆で引っ張ってもらうはめになったのだ。件の事件があっただけに、何ともバツが悪く、二人で顔を見合わせたのが懐かしい。

 見られたことで、かえって肝が据わったのかもしれない。あるいは、開き直ったのだろうか。秀さんは、三回に一回くらいの割合で、この不動湯温泉旅館を逢い引きの宿泊地として選ぶようになった。もしかしたら、秀さんには多少の露出趣味があり、見られることに興奮するタイプだったのかもしれない。

 そう考えると、見られた瞬間の落ち着き払った態度や、勃り立ち、萎える気配のない陰茎を誇示するかのような振る舞いにも納得がいく。

 件の番頭であるが、我々のことを覚えているのかいないのか、翌年以降も何事もなかったように出迎え、布団を上げ下ろしし、そして食事を運んでくれた。

 もちろん、こちらも素知らぬ顔をしていた。ただし、番頭があの時の約束を本当に守り、秘密の光景を周囲に口外せずにいてくれたか否かは、今となっては確かめる術さえない。

 

 朝食後、温泉宿を後にした私と秀さんは、車で三十分ほどの高湯温泉に立ち寄った。ここには玉子湯という有名な露店風呂がある。そこでゆっくりと温まり、その後、福島駅に移動して、構内の飲食店で昼食をとった。私はもう二~三日、旅を続ける予定だった。秀さんは電車で帰るという。

 昼食後、別れ際に、切符売り場の前で握手を交わした。しかし、秀さんは握った手を離そうとしない。そして、私を強い力でぐいぐいと引っ張って行く。

 行先は駅の公衆トイレだった、そのまま中にに連れ込まれ、個室に入るやいなや扉が閉められた。

 私は後ろ向きにされ、ズボンと越中褌を強引に引きずり下ろされた。秀さんもズボンを下ろし越中褌を外すと、すぐに後ろから覆い被さってきた。秀さんの陰茎が私のアナルをまさぐっている。挿入がうまいのは、背後からでも、立ったままでも変わらない。秀さんが腰を突き出しただけで、何の苦痛もなく、私達は再び一つとなった。

 秀さんは興奮しきっていた。狂ったように私のアナルを背面から犯しながら、私を振り返らせ何度も私の口を吸った。秀さんはキスをすると、さらに興奮が高まるタイプだった。見ている者がいたとしたら、ほとんど強姦のように感じたかもしれない。強姦と違っていたのは、私が抵抗していなかった点だけだろう、

 その間にも、秀さんは私の股間に手を回し、私の逸物をしごいている。激しいピストンに合わせるかのように、すぐに快感が身体の奥から湧き上がって来た。いつもより興奮していたのだから、私も満更ではなかったのだろう。

「あぁ、出る。」

 腰がガクガクし、思わず大声で叫びそうになったが、ここは駅の便所である。私は必死で声を押し殺した。

 下半身に痺れるような快感が走った。次の瞬間、それはめくるめくして迸った。私は秀さんの手の中で射精していた。四回目の放出だった。程なく、秀さんが私のうなじを舐めまわしながら、私の直腸の奥深くに子種を放った。秀さんは六回目の射精である。

 秀さんがゆっくりと陰茎を引き抜いた。

「一回(がい)で満足だ・・・。」

 誰かが入って来るのではないかと入口を覗いながら、水盤で股間の辺りを洗っていた秀さんがボソリと呟いた。鏡には萎えた秀さんの陰茎が映っていた。

 何だか別れづらくなってしまった私達は、待合室に並んで座った。取り留めもない話をしただけだったが、その間も、コートの中でお互いの手を握り合っていた。

 十六時過ぎに、秀さんとは駅で別れたが、一年で一番陽の短い時季である。周囲には既に夜の帳が落ち始めていた。改札口に消える秀さんの後ろ姿を見ていると、何ともいえない切なさが込み上げてきた。

 次に会えるのはいつだろう。

 

 その後、私は国道十三号線を東に向かった。飯坂温泉、板谷峠、米沢市。そこで進路を北に変え南陽市、上山温泉と夜の国道を車で走り続けた。

 現れては後方に遠ざかっていく家々の灯を見るたびに、その一つ一つに家庭があり、例外はあろうが、愛情に溢れた夫婦がいるのだと思った。

 確かに私にも家庭があり娘がいることは同じだったが、愛情に溢れた夫婦生活というのとはあまりに趣が異なる。私にとっての夫婦生活とはセックスの苦痛そのものだった。愛する者と暮らしたいという細やかな願いさえ、田舎の開拓地では、生涯叶うことなどないだろう。

 家族がありながら、自分の本心を打ち明けることも理解してもらうことも難しい。男しか愛せない性(さが)を背負って生まれついた我が身の惨めさが恨めしかった。

 

 山形市に差し掛かった辺りだった。田舎道を走行していると、不意に携帯電話の呼び出し音が鳴った。見ると秀さんからだった。私は道端に車を停めて急いで電話に出た。

「本当(どう)に楽しがった。家に帰っでがら、昨日の晩のごどを思い出しだら興奮しでしまっで、今、せんずりごいだどころだ。」

 それはつまり七回目の射精である。二日間とはいえ、実際に会っていたのは二十四時間ほどに過ぎない。その間に七回の射精とは、とても六十七歳とは思えない精力であった。

「また会えるかな?」

 私が尋ねると。

「もぢろんだ。俺の方ごそ、ぜひまだお願いしだい。」

 嬉しかった。私の五十代は秀さんとの関係を抜きにしては語れない。しかし、人の気持ちは変わっていく。やがて、二人の関係は少しずつ崩壊して行くことになる。

 些細なすれ違いが重なったとしても、六十代後半の今なら、きっと許せただろう。しかし、五十代になったばかりの私には、それだけの心の度量がなかった。普通なら許せることも許せなかった。おそらく惚れていたのだろう。

「五十にもなって・・・。」

 と恋愛に長けたノンケの男は言うかもしれない。しかし、田舎で生まれ、田舎で生きてきたホモは、本気で人を好きになった経験がほとんどないのだ。県下最大の人口の〇〇市だって、たかが地方都市に過ぎない。仲間の数などたかが知れている。

 田舎のホモが、切ない程に人を好きになったことがあったとしても、それはノンケ相手の実現不可能な片想いのことがほとんどで、最初から不戦敗を決め込んでいる。

 私の秀さんへの恋愛感情は、まるで青二才のそれとでも言おうか。恋愛素人の私には、上手に男を愛することができなかった。それは田舎ホモの苦しく、哀しい無様な生きざまそのものだった。

 

 二回目以降の逢い引きは、記憶が混ざりあってしまって、いつのことだったかはっきりしなくなっている部分も多いが、この初めての夜のセックスだけは別格である。秀さんもそれは同じだったらしく、あの夜から数年経ってからも、電話の向こうで、

「不動湯の夜を思い出しではセンズリしでしまう・・・。」

 そう繰り返し語ったものだ。

 不動湯温泉には、精液にまみれた思い出がたくさん詰まっている。しかし、残念なことに、東日本大震災から数年が経ったある日、突然、火災で全焼してしまった。それは秀さんとの関係の終焉でもあった。震災後、すれ違いながらも何とか均衡を保っていた二人の関係は、思い出の宿の焼失とともに、一気に破綻へと向かって行った。まるで思い出の木造旅館が灰燼に帰するのに合わせるかのように、二人は男と男の特別な関係から、ただの友人へと戻って行ったのだ。

 初めての出会いから十八年。気持ちが冷めてから十年。そして、二人の関係が完全に破綻してから七年が経つ。いや、ありのままに書こう。破綻の後に訪れた、秀さんの死からでさえ既に三年が経つのだ。

 しかし、今でもあの夜のことを思い出すと、私の陰茎は驚くほど硬くなり、隆々と天を仰ぐ。

「嫌になったが、嫌いにはなれなかった。」

 秀さんとの関係を、一言で言うとこうなるだろう。嫌になって別れたはずなのに、どうしても秀さんを忘れられない自分がいる。

 数枚しか残っていない秀さんの写真を眺めながら、秀さんとのセックスを思い、今日も逸物をしごきたててしまう私であった。