金精様の秋祭り

その1

 

童男

 

 俺がこの村に越してから一年近くが過ぎた。9月の声も聞こえ、秋口の忙しさがほっと一息つける季節を目の前にしている。
 俺は田山浩平、167センチ87キロの37才。村の過疎化対策の入居者応募で運良く当選できた、脱サラの新米農家ということになる。

 

 去年の10月にこの村に引っ越してきてから年の近い青年団の連中はともかく、古老らにはどことなく他所者扱いされているのは分かっていた。その雰囲気の中でも、正月の白沢神社の祭礼や村の苦役などを一つ一つこなしていく度に、俺自身が村の一員として少しづつ認められていくのを感じていたのだ。

 

 そしてこの秋に行なわれる金精様の祭をやり切れば、俺にとっても平年の年中行事を一回りしたことになる。そのことでやっと曇の無い村の成員として認められるのだろうということもよく理解できる話しだった。

 この村も過疎化が進む地方の例として、若年層と女性が極端に少ない世代構成になっている。特に農林業に一番重要な青壮年の働き手は俺を含めて全員独身で、嫁の来手が無い連中ばかりだった。女っ気の無い中で、農作業で肉体の方を鍛えれば鍛えるだけ、逞しい肉体には精力が溢れるほどに溜ってしまう。
 現在ほど娯楽の少なかった時代の中、地域の氏神である白沢神社の祭礼と農耕儀礼を中心として行なわれる様々な年中行事は、男達にとっても自分達の性をも解放できる数少ないハレの日だったのだ。

 

 白沢神社は村の者達からは親しみを込めて「白沢さん」と呼ばれている。
 その白沢さんの正月に行われる大祭のときに俺は、本来は新成人がやるはずの「権立(ごんだち)」という大役をさずかった。
 大祭儀礼そのものはもともと村に育った少年の成人式であり、祭りの内容も「籠もり」と「ウマレキヨマリ」という疑似的な死と再生を体験することで生命力の賦活を行い、収穫、実りといった現世利益に影響を及ぼすという狙いを持った民俗学的にもよくあるタイプのものだった。

 

 ところが新参者のこの俺にまかせられたこの村の権立とは、一週間に渡って青年団の男達に全身を嬲られ、男の汁を扱き抜かれると言う「性人式」とも言えるものだった。
 もともと女手の少ないこの村では、昔から男同士の肉欲の交わりが行なわれており、妻帯しているものでもその方面の快楽を楽しむのが常となっているらしかった。
 それ以来、青年団の連中とは、毎月の晦日に公民館代わりの若衆宿に泊り込んでは、一晩中やり狂う日々に溺れていたのだった。

 

 そんな俺が青年団のまとめ役である良三こと良さんから、金精様の秋祭りのことを聞いたのは9月に入ってすぐの頃だった。

 

 祭そのものは収穫を祝う秋祭りにふさわしく、御輿を担いだ男達が村の家々を巡り歩くというにぎやかなものだ。秘祭というのにふさわしい正月の祭礼などと比べると、表向きはどの地域にも見られるような村を上げての祭だった。この時期には村を出ていた者達も親戚の家などを頼りに帰ってくるものも多いという。
 もちろん、この村での祭がただの御輿担ぎで終るはずがない。
 良さんの話しによれば、秋祭りでは年のいった者も含めて村の男衆全員で楽しむんだと、日に焼けた顔をスケベそうにゆがめて笑った。

 

 村の裏手の山の中腹にある白沢さんは巨大な自然石を祀ったもので、簡単な祠はあるが神社としての体裁があるわけでもない。それでも白沢さんの辺り一体は、男だけが入ることを許されているという女人禁制の聖地だった。

 

 祭は白沢さんの前で神事を行ない、清められた山車を六尺一丁の男集が担いで村中を練り歩く。特にこの一年に祝い事や逆に不祝儀など特別なことがあった家では、振るまい酒をご馳走になるのだ。

 

 良さんの話しによれば家々を巡り終えると、男達は再び白沢さんの前に戻り、山車を解体するという作業をするのだと言う。その最後の儀式が「山揺すり」あるいは「男揺すり」と呼ばれるものだった。
 この時期、帰省した者も含めて還暦前の村中の男がこの祭には参加する。そして女人禁制となるこの儀式こそが、この村での祭にふさわしい、淫猥さに満ちた内容なのだった。

 

 一日かけて男達に担がれた山車は、上部の飾り山を外され、担ぎ棒と台座だけにされる。その台座だけになった山車に「童男(どうだん)」と呼ばれる若衆が一人乗り込むのだことになる。しっかりと童男が座り込んだことを確認し、祭に参加したすべての男達が山車を前後に大きく揺らす。
 この「山揺すり」あるいは「男揺すり」と呼ばれる行為が、祭を無事に終えるための儀式なのだった。この男揺すりこそが祭りのクライマックスであり、童男に選ばれた男の意地の見せ所なのだという。

 

 御輿や山車を祭の度毎に壊す、あるいは壊すまねごとをするというのは、よく見られる風習でそう奇抜なことでもない。
 ところがこの村では、山車の上に乗る童男は、何と全裸で木製の張型を尻穴に埋め込み、台座の上で揺らされるその刺激だけで、自分自身には手も触れずに射精しなければならないのだと言う。
 そしてこの童男の尻に収まる男の逸物を模した張型こそが、金精様と呼ばれる白沢神社の御神体なのだった。

 

 話しを聞いているだけで俺の肉棒は、部屋着にしていたジャージの柔らかい布地に小山を作るほどに興奮してしまっていた。
 白沢さんの祭で権立となった自分が、当然この金精様の祭でも、童男と呼ばれる役を引き受けるものだとばかり思ったのだ。村中の男達の前で素っ裸のまま山車に乗り、尻に張型を突っ込んで射精することができるとなれば、男好きにとってとんでもなくスケベ心を刺激するシュチュエーションであるに違いない。

 

 それなのに良さんは、今年の童男については一番若い信治さんに頼むというのだ。
 未知の快感への期待も込めてなぜさせてもらえないのかと不満をいうと、良さんはこともなげにこの村で育った男でないと童男はとても勤められないのだという。

 

「金精さんの祭は浩平ではまだ危なかけんなあ。信治ならもうよう慣れとっけん。こればっかしは怪我すっといかんけん、来年ぐらいになるまでは浩平には無理だろうて話しになってなあ」
「すまんばってん今年は堪えちはいよなあ。本当は浩平の言うごつ、権立がすっとが当り前ばってん、ホンに済まんなあ」

 

 何でも良さんが言うには今回の男揺すりの儀式は俺では怪我の危険があるとのことらしい。
 俺もにわか農家とはいえ、学生時代はレスリング部に所属し肉体もある程度は鍛えている。そんなところにお前では怪我するから危ないと言われれば、逆に俺にやらせろと鼻息が荒くなるのも無理のないことだろう。
 良さんはそんな俺を見て、本当に済まないと謝ると、なぜ金精様の祭が俺にとって危険なのかを話してくれたのだった。

 

 男揺すりの儀式では金精様と呼ばれる張型を突っ込むことになる。
 それだけならこの一年で何十回も男達のものを受け入れてきた俺でも耐えられそうなものである。ところがこの儀式では台座に固定された金精様を自分から迎え入れ、振り飛ばされるほどの「揺らし」と呼ばれる衝撃に耐え、さらには扱きもせずに噴き上げないといけないだと言う。
 確かに男達のものを受け入れて快感は感じるようになっていた俺だが、入れられただけで噴き上げてしまうトコロテンにはまだまだ経験が足りない。ましてや、木製の金精様となればこちらの受け入れ体制によっては傷ついてしまうこともあるだろう。
 木製の金精様を難なく受け入れ、その刺激だけでイッてしまうほどの鍛錬は、男同士による交わりを数多く重ねないと無理なのだという。良さんの話しは確かに説得力のあるものだった。

 

 童男に選ばれた信治さんは一ヶ月に渡って精進潔斎をし、もちろん禁欲生活に耐えなければいけない。一ヶ月間、溜りに溜った雄汁を男揺すりという最後の瞬間に噴き上げることが選ばれたものにとっての最大の喜びであり、また苦しみでもあるのだった。
 童男にと推薦されるためには男達との交わりで、最低でもトコロテンが出来るようになるのが条件だと言うのだ。良さんの話しに自分が選ばれなかったことを一応納得したものの、来年の童男にはぜひとも名乗りをあげたいものだと、俺は信治さんに対して変な競争心を感じていた。

 

 九月の第四土曜日の早朝に、祭の当日を迎える。
 元々は旧暦の十月十五日に行なっていた祭だが、帰省するものなどの都合で、十年ほど前に決め直したのだと言う。
 冬の訪れの厳しいこの地方では早くも稲刈りも済み、秋山の手入れも終わった日曜日にいよいよ、祭りが始まるのだった。

 

 この日まで一ヶ月の禁欲に耐えた信治さんを中心に、六尺ひとつの男達が白沢さんの前に集まってきた。
 正式な神主がいるわけでもない白沢さんの様々な年中行事では、青年団の男衆の持ち回りで選ばれる「当家(とうや)」という代表者が祭の一切を取り仕切る。今年の当家には良さんが選ばれていて、俺が権立を勤めた祭でもなにくれとなく世話を焼いてくれていた。その良さんの祝詞で祭が始まるのだ。

 

 白沢さんの巨石の前で祝詞をあげた良さんは、祭に参加する男達と山車に塩を撒き、御幣をふって祓い清める。
 この祭では青年団だけでなく帰省してきた男達も含め、村中の壮年の男達が参加する。いつもは青年団の七人で色々な行事を仕切っているのだが、今日ばかりは過疎の村とはいえ四十人ほどの裸の男達が集まっている。
 平地では残暑の残る九月だが、山あいのこの村ではもう肌寒さを感じる時期だ。それでも御神酒と祭の興奮で男達の体温は上昇し、触れ合う肌と肌がなまめかしく汗ばんでいる。
 一通りの神事が終ると、いよいよ山車担ぎとなる。こればかりは40代までのまでの男達が中心になり、20人ほどの担ぎ手で村中の家々を練り歩くのだ。
 そいやそいやのかけ声で激しく上下する山車は、担ぐ男達の汗を吸い取り秋空に見事に踊るのだった。

 

 昨年亡くなった哲二さんの家の庭先では、男達が盛大に山車をゆさぶった。奥さんは食べ切れないほどの酒とご馳走を座敷に用意してくれ、男達は仏壇に飾られた遺影に一人一人手をあわせる。何人かの目に涙が光ったのは生前の故人への思いだけでなく、一緒に山車を担ぎ男同士の交わりも経験していた連中だったのかも知れなかった。

 

 半日かけて25軒の家々すべてを巡った山車は、追いかける子ども達を帰すと男達だけで再び白沢さんの前へと帰ってくる。振るまい酒に肉体を赤く火照らせた男達に取っても、新たな昂ぶりが生まれてくるのだった。

 

 男達にとっての第二の祭が始まろうとしていた。