茶師慕情

その1

 

 S県の山間は、昔から霧の深い地方である。
 我が国で茶の栽培が行われ始めたのは、文献で見られるものでも平安の初期よりの歴史があり、この地方は現在でも生産高日本一の牙城は崩れてはいない。

 

 私、上山佐次郎がこの地で農家の庭先での茶の手揉みを始めて30年近い年月が過ぎた。高校を卒業してすぐに弟子入りした先達の茶師からは、一人前になるには早くても十年はかかる、と言われたものだ。当時は「こんな辛気くさい商売、すぐにでも辞めてやる」と思いながらも、いつのまにか仲間内でも中堅として認められるほどになってしまった。
 以前はその量の高低はあれ、県内一円の生産農家から何十人もの茶師が仕事として請われ、出向いたものだった。それが高度成長期に導入が進められた大型の製茶機に仕事を取って代わられ、多くの仲間達が製造の第一線としての、茶師という仕事を失っていってしまったのだ。
 私はもともと生家が製茶業をしていたがゆえに、茶師を本職として生きうることが出来た一人であった。本家の製茶工場は早くに生まれた息子に代を譲り、関東以西を廻り茶師として働かせてもらっている。
 一時期、烏龍茶に需要を奪われていた日本茶も、幸いこのところのカテキンやらポリフェノールやらの健康効果のブームのおかげあり、消費も盛り返している。
 もちろん私達の製品そのものが機械揉みのものに比べれば非常に高価なものとなってしまうのだが、それでも昔ながらの手揉み新茶を喜んでもらえる新しい取引先もぽつぽつと出てきている。
 最盛期に比べれば数十分の一、数百分の一の請負量ではあるが、今日はこちら、来週はあちらと、小刻みに生産者の庭を廻る日々を過ごしているのだった。

 

 ここ10年ほどは弟子もとらず一人気ままに動いていた私だったが、今年の春から久しぶりに新弟子を取ることになった。
 工場をまかせている長男の隆史からの紹介で、茶の販売を行ってくれている同期の青年の兄弟だという。学校を出た後には実家で修行していたようだが、本格的な手揉みを習得したいとのことで私にお鉢が回ってきた次第だ。
 弟子、というのもはばかられるかもしれないが、これまでにも幾人かの若者達と一緒に茶農家を廻る機会があり、私自身も若い世代の新鮮な発案に学ばせてもらうことも多い。体力の続く限りは後進の指導に当たるのも、この世界で生きてこさせてもらった恩返しと思い、「親父、すまんが頼むわ」という息子からの電話に「力不足かもしれんが」と引き受けたのだった。

 

「はじめまして、上山隆史さんからの紹介でお世話になることになりました、佐々木新悟といいます。今年で24歳になります。何でもやりますので、どうかこれからよろしくお願いします」
 待ち合わせ場所にした定宿の旅館のロビーで、ずっしりした体躯の若者が、大きな声で挨拶をしてきた。
 私自身の仕事の動きと、彼の移動の時間の関係で初対面は初夏直前、4月中旬の夜となった。今時めずらしく礼儀正しい青年だな、と思い、目を細めて話を継ぐ。

 

「上山佐次郎です。新悟君の兄さんとこには息子の隆史が世話になっておってなあ。確かお父上は早くに亡くなられたとかの話しだったが、新悟君も大変だったろう。店の方はお兄さんが継がれたと聞いたが、どんな具合かね」
「はい、父が亡くなったのがまだぼく達が小さい時でしたので、母にはずいぶん苦労をかけてしまったと思ってます。自分は三男坊なので比較的自由が効いて・・・。兄達が1人くらいきちんと勉強させとかなきゃってことで、ぼくだけは大学まで行かせてもらいました。上がまだ2人とも独り身で自由が利きますし、店の体制にもゆとりのある今の内に、しっかり茶のことを勉強させてもらおうと無理をお願いしました。製造の方のことはまったくの素人なものでお手数をかけるかと思いますが、よろしくお願いします」
「なに、かえって何も知らない方が、色々と吸収できるからなあ。こっちも若い人と一緒に動くと勉強になるし、よろしく頼むな。まあまずは半年間、男同士2人だけの旅になるわけだから、遠慮しないで気楽に行こうや。新悟君もいい身体してるようだが、何か運動でもやってたのかね?」
「高校までは柔道やってたんですが、大学で止めたら太ってしまって・・・。デカいばかりで恥ずかしいんですが」
「なに、男は図体も態度もデカい方がいいぞ。私も80キロ近いんだが背が足りないのでちんちくりんだからなあ。新悟君はどのくらいあるんだね」
「身長は175センチなんですが、体重の方はその、恥ずかしいんですが3桁を越してます。力だけは有り余ってるので、こき使ってください」
「そうは言っても茶揉みは力も技も両方使うからなあ・・・。まあ、荷物運びや農家さんの手伝いなども結構あるので、それ以外のところでは色々頼むことも多くなるかと思うが、よろしくな」
「兄からも『自分で満足するまで、何年でもいいから揉まれてこい』と言われてます。こちらこそ、本当によろしくお願いします」
 小山ほどもある身体を畳に擦りつけるようにして頭を下げる彼を見て、実直そうなこの青年なら鍛え甲斐もあるだろうと、一人考えていた。

 

 お互い夕飯は済ませた後の対面であったため、部屋に迎え入れ荷物も開く。温泉自慢の宿の大風呂で汗を流し、早めに床を取ることにした。
 私などこの世界が長いと慣れたもので、久しぶりに人の気配を感じながらのまどろみは心地よい。しかしながら二十代中庸の若者に取っては、年代の違う同室者がいる寝室などあまり経験が無いものだったのだろう。手を伸ばせば届く距離にある若い肉体は、初めての場所、経験への緊張からか、いくども寝返りを打ちながら朝を迎えたようだった・・・。

 

「おはようございます」
「おお、おはよう。あんまり眠れなかったんじゃないか」
「ええ、やっぱり初日ってことで緊張してしまって・・・」
「まあまあ、どんなことでもぼちぼち覚えていけばいいんで、あんまり緊張しないでくれよな。リラックス、リラックス」
 かすかに腫れぼったい目をした若者が、浴衣の前を整えながら挨拶をしてきた。おそらくは男特有の生理現象を起こしてしまっているのだろう。木綿の生地を押し上げる下半身が気にかかるのか、宿のタオルをさりげなく持ち直している。
 昨夜の風呂で見た限りでは、体躯に応じた太さのものを持ち合わせているようだった。それゆえに容積を増した逸物もひときわ目立ってしまうのだろう。
 男同士の共同生活もしばらくすれば、お互いの朝勃ちなど気にもならなくなるのだが、さすがに初対面の人間との二日目では恥ずかしさも残っているらしい。挨拶もそこそこに便所へと向かう彼の大きな後ろ姿がほほえましくさえ思える。
 勃ち上がったモノを収めるのに、せんずりでもかける度胸でもあればとも思うのだが、さすがに最近の若者にそこまで求めても仕方無いことかもしれなかった。

 

「月末から実際の揉みに入ると思うが、今日からしばらくは生産者さんの畑を見せてもらえるようお願いしてるんだ。運転は頼めるかな?」
「あ、はい、もちろんです。道、教えてください」
 最初の加工日までは、まだ余裕のある今の内にということで、まずは一緒になって各生産者の畑や加工場を一週間ほど見学させてもらうことにする。
 畑毎の生育の違い、日照や雨量による地域ごとの格差。霜除けのスプリンクラーやファンなどを一々説明しながら見てまわる。加工場も各々の生産組合所持のものから、業者が持つ大がかりなプラントまで、いくつも見学させてもらった。

 

 話を聞けば、家業の関係で日本茶インストラクターの資格は既に持っているらしく、知識としての製茶の流れは自分のものにしているようだ。
 そうであれば、学問としての知識の上に、実際の手揉みや火入れの技術がしっかり身に付けていけば、製造全般についての見通しが持ててくるだろう。まずはこの半年で、どこまでいけるかを思いめぐらす。もちろん、一度のシーズンで全てが身に付くなどとは本人も思ってはいないだろうし、研究会で教師補の免状を取るのさえ数年がかりになるのだ。
 現実的に考えて、生家を兄弟で支えていくことになるだろう彼にとっては、あくまでも茶の小売りへと繋がる基本さえ押さえてくれれば、ぐらいの思いだった。
 今年は遅霜の発生も少なく、各農家共に生育は順調なようだ。それゆえに、加工日が重なることとなり、仕事としてはかなりハードになるはずだったのだが。

 

 そろそろ一番茶が動き出す連休の直前、4月の27日から揉みをお願い出来るかと、毎年依頼を受けている生産者から連絡が入った。今年は荷物運びもいることだしと、すぐに車を回して向かった。
 焙炉(ほいろ)に助炭(じょたん)、茶葉の蒸し器やざるにしょうけ等、揉みに使う物品もそれなりの量がある。人手がある分、昨年までとは段違いのスピードで運び入れることが出来る。納屋に荷物を運び入れると、では明後日の朝から伺いますと、なじみの茶農家を後にした。

 

 いつもの宿に戻り、この一週間動きづめだったなあと明日は丸一日、揉みの始まる前にゆっくりと休むことにしていた。
 県内各地に散らばる生産者や施設を巡るのに移動ばかりを繰り返していたせいか、なんとなくせわしく過ごした一週間だった。温泉付きのこの定宿に戻ると、本当にほっとしてしまう。
 毎日帰った時点で彼は彼なりに復習しているのだろう、ノートに一日の動きをこまめに整理しているようだ。大きな図体の割には几帳面な字面が、真面目な性格を写し取っているようだ。こちらが覗くと恥ずかしそうに笑いながらも隠さずに見せてくれる。
 最初のうちはとにかく私の手技を見てもらい、しばらくして講習会へ参加、シーズン中盤の二番茶あたりから実際の揉みをやってもらうことなどをぼつぼつと打ち合わせる。本人としてみれば一日でも早く茶に触りたいところだろうが、さすがに商品となる葉を扱わせるわけにはいかず、これでも精一杯の日程なのだ。
 しばらくは丁稚奉公と思って、私の鞄持ちのつもりでいてくれよ、と話すとこれもまた大柄な背をかがめるようにして、お願いします、と返ってくるのだった。

 

 実際に行動をともにしてみると、純朴そうに見える彼の雰囲気と体躯が、まさにその性格を表していることがよく分かった。この手の若者は始めのうちに何か思い切ったきっかけを作らないと、その純朴さ故になかなか打ち解けることが難しいということも、この年になれば分かってくる。
 そのためには酒と色気話が一番の潤滑剤になるだろうというのも明白だった。酒でも飲みながら下半身の話しに持っていければ、と、亀の甲より年の功の考えが頭をよぎる。
 彼のノート整理も終わったようだ。なじみの仲居に声を掛け、早めの夕食を用意してもらった。
 コンビニで仕入れたビール缶を開けると、ビールメーカーの名前が書いてある小さなコップにお互いに注ぎあう。揉みが始まればアルコールも止めての作業になるため、しばらくの禁酒の前の一杯だ。
 一週間、お疲れさん、いよいよ明日から揉みが始まるががんばろうと、コップの縁をかちんと合わせた。

 

 缶ビールを何本か空けると、宿に頼んで酒を出してもらった。冷やにするかどうか迷ったが、結局は自分の好みで燗をつけてもらう。量販の安酒ではあろうが、二人で差しつ差されつ干す酒は、一人侘しく杯を傾けてきたこれまでと違い、実に旨いものだ。
 翌日が休みということもあり、お互いの家族や仕事のことなどを話しつつ、二人で結構な量を干してしまったようだった。

 

 腹もくち膳も下げてもらって卓を片づけると、畳にごろっと横になる。あぐらをかいたままの、のっそりとした目の前の巨体に声をかける。
「ああ、結構飲んだなあ。私はもう限界だが、新悟君はその身体ならあのくらいじゃ物足りなかったんじゃないか?」
「いやあ、好きは好きなんですけどそんなに量は入らないですね。大学でも先輩達には結構鍛えられたはずなんですが・・・」
「まあ、若いんだ。酒も女もほどほどにな」
「え、いや、女とか、自分、あんまり経験無いですし・・・」
 おやおや、まさか童貞ではあるまいなあ、と思いつつ、彼の性格ならもしかして? との思いも沸き立った。あまり突っ込むのも恥ずかしかろうと、さも暇つぶしに、という風にテレビのリモコンを探す。今ではどこの旅館でもあるアダルトのチャンネルに合わせると、中年と若者の2人に責め立てられている若い女が、甲高いあえぎ声を発していた。

 

「今ではエロビデオもそうそうめずらしいもんでも無くなったからなあ。これくらいの刺激じゃあ新悟君とかは、そう興奮もせんだろう?」
「あ、はあ、・・・」
 ねっとりとした中年の舌使いと若者の荒々しい腰使いが対照的に見える作りは、この手のビデオにしてみると結構凝ったものらしかった。目のやり場に困ったような顔をした青年を、ついついからかってみたくなる。

 

「昔は旅館でブルーフィルムとか言って、白黒モンの上映会とかあっててなあ。結構興奮したもんだぞ」
「シロクロって、何ですか?」
「あははは、今の若い人には分からないかな。私達の頃は男女モノのストリップやポルノを白黒、女同士を白白、男同士を黒黒とか呼んでたんだよ。温泉街にはどこででも、そういうのがあるのが当たり前だったしなあ」
「クロクロとか、なんか、すごいですね・・・」
「はは、まあ、そいつは皆で割り勘だったからよかったんだが、おっ勃ったチンポ納めるための女呼ぶ分は個人持ちで結構高かったんだ。金を持ってるおえらいさんはそれなりに処理出来ていいんだが、若くて金が無い連中はどうしようも無くてな。そんな奴らが集まって、お互いにせんずりの掻き合いとかしたもんだぞ。新悟君も部活とかやってたら、先輩からせんずり競争とかさせられなかったかい?」
「部活そのものは高校までだったので、そんなには・・・。大学で入部した奴とかからは、けっこう色々やらされたって聞きましたけど・・」
 画面から漏れ聞こえるびちゃびちゃとした卑猥な音と嬌声が、男2人の空間を満たしている。今時の若者にしては、あまりこの手のものに免疫が無いのか、おそらくは盛り上がった股間を隠そうとしてか、あぐらから立て膝に座り直す姿が見てとれた。
 そういえば、この一週間は一人きりになる時間もそうそう取れず、トイレででもやらなかった限り、せんずりも行えてないはずだ。健康な肉体を持つ若者であればあるほど、満たされない性欲が仕事や運動では昇華出来ないことは、自分自身の経験からも明らかだ。

 

「酒も飲んだし、飯も食ったし、一っ風呂浴びるか。そうそう、いつもの大風呂でなくって、今日は一緒に部屋風呂に入ってみないか?」
 さすがにこの雰囲気のままでは辛かろうと、風呂に誘った。
 温泉が自慢のこの土地では町中の宿とはいえ、宿泊者用の大浴場の他に部屋付けの内風呂も用意がある。この一週間は二人とも開放感のある大風呂に入っていたのだが、アダルトビデオに興奮した若者の下半身への興味と、密室でお互いの距離を近づけておこうという中年男の賢しさの兼ね合いが、今日は部屋の風呂に入る方を選んだ。

 

 一緒にと誘う私に「どうぞお先に」と遠慮する彼を、「揉みを習うんなら、教わり賃だ。一緒に入って背中でも流してくれ」と、笑いながら脱衣場に追い立てる。
 それじゃあと服を脱ぎだすと、うっすらと覆った脂肪の内側に運動で鍛えられた肉体がむっちりとした陰影を作っている。100キロを越すというその裸体は、同性の私から見てもほれぼれするようなボリュームで迫ってくる。
 さすがに私の半分ほどしか人生を重ねていないせいか、健康的なその肌はどこか肉感的にぬめった光を放っている。圧倒的な若さからもたらされる、むっとするほどの熱気が、目の前の肉体から発せられている。
 私が乱れ籠に無造作に服を投げ込んでいくと、身を隠す最後の布きれに、彼の目が止まった。
「それって褌ですよね・・・。この前から気になってたんですが、実際に締めてるところは上山さんので初めて見ました」
「はは、越中褌だが君たちの世代には珍しいんだろうなあ。旅が続く私達には、これが一番便利なんだぞ。夜洗っとけば翌朝には乾いてくれるし、かばんに詰めるにもかさばらないしな」

 

 もう一週間になる共同生活だ。風呂や部屋での着替えなどで、お互いの下着は嫌でも目に入ってきていた。
 以前からちらちらと気になる視線は感じていたが、大風呂の入浴では声もかけづらかったのだろう。柔道をやっていたのであれば、どこかで見てきていたのでは、とも思ったが、最近では柔道家=褌というイメージでもないのだろう。20代の若者にしてみれば、一枚布の下着は初めて目にするものだったらしい。

 

「なんといっても金玉が蒸れないしな。君もこいつに代えてみたらどうかね。せんずり掻いたときでもすぐに汁を拭き取れるから便利だぞ」
「あ、は、はい。でも・・・」
「なにかのときにチンポがおっ勃っても、自由が効くし、金玉もぶらぶらしてて気持ちいいしな。何枚も持ってるから、使ってみるかい?」
「あ、はあ・・・」
「褌に包まれる奴もデカそうなのをぶらさげてるじゃないか。男はそうじゃないといかん。さ、風呂に入るぞ」
 卑猥な冗談に顔を赤く染める若者を尻目に、腰紐を解き、はらりと布を取り去って浴室へと向かう。新悟君の大きな身体も、のっそりと後ろに付いてきた。

 

 内風呂といってもさすが温泉宿のせいなのか、湯船と板張りの間造りは本格的なものだ。
 一間ほどもあるかのような檜風呂にはなみなみと湯が湛えられ、男二人でもゆっくり横たわることが出来そうな広い洗い場には、中庭に面した窓から初夏の宵闇の心地よい風が入り込んでくる。
 桶にくまれた湯がざあっと彼の肌を駈け降りる。赤みを増し艶やかさを一層露わにした肉体が、うらやましいほどの若さに満ちている。年相応にくたびれた自分自身の身体を一瞥すると、まあこれも人生さと湯に浸かる。
 新悟君も前を押さえながら、一抱えもありそうな太腿で湯船の縁を乗り越え、私の横に静かに身体を落とし込んだ。

 

「ふう・・・。やっぱり日本人は温泉が一番だなあ・・・。新悟君もそう思うだろう」
「そうですよね。大きな風呂ってのは一番気持ちいいですよね。家の風呂ではなかなかこうはいかないですし・・・」
 ざばっと湯を両手ですくい、ごしごしと顔を洗いながら声をかける。
 大きな湯船とはいえ標準体重以上の二人が並べば、どうしても肩や肘、太股も触れあってしまう。一瞬、身体を固くした新悟君だったが、温泉の効能か先ほどのアルコールのせいか、それとも文字通りの「裸のつきあい」のせいなのか、ゆっくりと緊張がほぐれていくのが分かった。
 ここの温泉の特徴である、とろりとした湯の手触りが実に心地よく、肩や腕をさする手の平になめらかなぬめりを供している。じっくりと入るに程よいぬるめのお湯が、全身から疲労という二文字を溶かしだしてくれそうだった。
「背中、流しましょうか?」
「おお、すまんなあ。頼むよ」
 暖まった身体を湯船から持ち上げると、洗い場の腰掛けに尻を落とした。
 片膝を立てて三助をしようとする新悟君が、私の背中に洗い桶の湯を浴びせかける。石鹸を泡立てたタオルが力強く肩から腕を擦り始める。

 

「さすがに若いもんの力で擦られると気持ちいいなあ。お父さんとかにもやってやったのかい?」
「その、まだ、ぼくが保育園のときでしたので・・・」

 

 言葉に出した瞬間、しまった、との思いがよぎった。

 

 背中越しに聞こえた押えた抑揚の返事と一瞬止まった手の動きが、父のいない家に育った若者の複雑な感情を伝えてくる。分かっていたつもりだったが、会話の応酬をどこか私の方から社交辞令にしてしまっていたのだろう。
 それでも流す背中を安定させようとしてか、私の肩を掴んでいる大きな掌の力が弛むことの無かったことが、失言をしてしまった私にはありがたかった。

 

「いや、すまんな・・・。気をつけてたつもりだったんだが、つい・・・」
「いえ、いいですよ。なんかこう、上山さんの背中流させてもらうと、もし生きてたら親父とも、こういうの出来たのかなあとか思ってしまいますし・・・。実際にはこっちがデカくなってから一緒に風呂に入ることなんて、あんまり無いんでしょうけど・・・」
「そうだなあ、我が家でも息子に背中流してもらうことなんぞ、そう無いし、新悟君の三助を今のうちに堪能しておくか」
「はは、そうですね。あ、その新悟君、っていうのなんだかこそばゆいですし、『新悟』って呼び捨てでいいですよ」
「じゃあ、そっちの『上山さん』も止してくれ。どうにも役所の役人に呼ばれてるようで具合悪い。というか、こそばゆいしな」
「うーん、それなら『親父さん』でいいですか。兄貴とかまだ若いのに下の人たちからそう言われてて、なんかちょっといい感じみたいなので」
「おお、かまわんぞ。親父さん、か。いい響きじゃないか。まあ亡くなられた実際のお父さんには悪いが、しばらくはこんなおっさんの背中をお願いするかな」

 

 場の雰囲気を取り戻そうと、少しおどけた口調で返す。背中から伝わる青年の手の動きの変らぬリズムが、内心、嬉しかった。
「ぼくの方がお世話になるわけですし、背中だけでなくって全身でも洗わせてもらいますよ」
「はは、そんなこと言われると色っぽい気持ちになってしまうなあ。溜まってきたら下半身を新悟に頼むかもしれんぞ」

 

「・・・、その、親父さんのなら、かまわないです・・・」

 

 瞬きほどの逡巡の後だったかと思う。
 妙な緊張をほぐそうと、からかいも含めた言葉かけであったが、背中からはつぶやきにも似た思いもかけない言葉が返ってきた。
 背中越しになる彼の表情を読み取れる訳でも無く口調からだけでの判断ではあったが、そこには冗談への応答ではない、どこかとまどいを含みつつも真摯な心情が込められていたような気がしたのだ。

 

 湿った雰囲気にしてはいけない、との咄嗟の思いもあったのかもしれない。
 もちろん二人の間柄を創り上げるにはこの機会を逃すともったいない、という打算と、アルコールに刺激された生来のスケベ心もあったのだろう。腰掛けた尻をぐるりと回し、彼と正面に向かいあった。

 

「よし、なら一丁せんずりの掻き合いでもやるか。明日は休みだし、新悟もこの一週間はヤってないだろうし、きっと溜まってるだろう」
「あ、いえ、そんな・・・」
「どうせ男同士だ、恥ずかしがることなんてお互いないようにしようじゃないか。半年も一緒に過ごすんだから、チンポもケツの穴も見せ合うようなつきあいをしていこうや。茶揉みを教わりに行ったら、こんなことも教わったと、兄さん達に笑って話せるようになりゃいいさなあ」

 

 とまどう青年を尻目に、石鹸の泡をざっと流し、彼にも腰掛けを勧めた。男二人が小さな腰掛けに尻を乗せ、向かい合うような格好で見つめ合う。
 股間を覆っていた自分のタオルを取り去ると、目の前の若者に見せつけるように腰掛けたままの膝を大きく割る。新悟の太股にかかっているタオルを奪うように放ると、大きな身体に見合った逸物とふぐりが、ゆったりとぶら下がっている。

 

「よし、私のやる通りにやってみろ。男同士のせんずりの掻き合いだ。思いっきりスケベにやろうや。まず手の平と股ぐらにたっぷり石けんを塗りつけてな、そうして亀頭をぬるぬるにしてシゴくんだ。そうそう、すごく気持ちがいいだろう?」
「はい、ああ、すごく感じます・・・」
 冷静さを取り戻さないうちにと、先手先手で攻めていく。この手のどこかおとなしさを感じる若者には、こちらのペースで少しだけ高圧的に出たほうがよい、というのも長年の経験の賜物だ。

 

 大の大人二人が勃起したチンポを見せつけ、せんずりを掻き合っている姿は端から見れば実に滑稽なものだろう。それでも生まれたままの姿の雄同士が、肉欲という、本能の一番深い部分をさらけ出してしまえば、お互いに秘密を共有し合った悪ガキ同士のような関係が生まれる。どこか猥雑さをも伴った、男としての一体感がもたらされるものなのだ。
 そしてこの一体感、それこそが、手揉みにしろ何にしろ、教科書では伝わらない「技術」を伝え合う男同士には必要なものだと私は信じていた。

 

「新悟は左手でシゴくのか。じゃあ、右手で金玉を一緒に揉んでみろ。そうだ、中の玉を転がすようにじんわり揉むんだぞ」
「あああ、気持ちいいです・・・」
「そしたら金玉を二つとも握り込むようにして、引き下げてみろ。チンポシゴくのがすごく感じるだろう」
「うわ、すごい、すごい感じます・・・」
「そのまま亀頭をぐちゅぐちゅ揉んでみろ。どうだ、感じるか?」
「ああ、あああ、そ、そんな、すごい・・・」
 若さにまかせた普段のせんずりでは、射精へと一直線に向かう刺激しか経験したことがないのだろう。ぬるぬると亀頭や玉を責めながら、じっくりと自らの快感を高めるという知恵はまだ無いようだった。
 玉を揉みながら剥き出しになった亀頭を石けんと先走りでずるずると弄り回す。直接的なイキそうになる刺激とは違うのだが、毎日でも放出できそうな肉体の若者にとっては、生殺しのような快感なのだろう。全身を揺らしながらよがる姿が実に男らしい。

 

「おお、新悟のチンポからも先走りがだらだら出てるぞ。気持ちよくてたまらないんだろう?」
 お互いの興奮を昂ぶらせようと、目の前に繰り広げられる状況をわざと口に出した。若者も口に出すことが興奮を呼ぶことを本能的に悟っているのか、こちらの股間を見つめる目が欲情を露わにしている。
「ああ、親父さんのチンポもすごい・・・。びくびくしながら汁が垂れてて・・・。見てるだけでイキそうです・・・」
「まだだぞ、まだ辛抱しろ。もっと感じて、イくときは一緒にイくぞ」
「もう、もう、ダメです。イキそう・・・」
「どうだ、イキそうか?」
「もう、寸前です。あ、あ、イキそうです」
「よし、2人とも立ってイくぞ、新悟」
 腰掛けを蹴飛ばすように立ち上がると、浴室の壁にもたれかかるように並び立つ。左手で逸物を扱きあげている若者の右側に立つと、どっしりとした肉厚の腰に手を回す。寸前、と言った言葉を裏付けるように、射精直前の全身の硬直が、びくびくと彼の肉体を駆けめぐっている。
「よし、一緒にイくぞ、イケるか? 新悟」
「あ、ああ、駄目です、親父さんっ、イくっ、イクッ!」
「私もイくぞっ、ああ、イくっ、気持ちいいぞっ!」

 

 お互い堪えきれなくなったその瞬間、前屈みになった肉体が、がくがくと痙攣する。肉棒の先端から白濁した汁がいきおいよく飛び散る。日常ではおよそありえない、他者の本能のままの射精を目前にすることが、二人の興奮をさらに誘う。

 

 最後の一滴が尿道を下り降りる感覚が、ぶるっと身体を震わせたのか、青年の肉体の緊張が一気に弛んだようだ。腰に回していた腕同士が背中に回ると、互いの放出した液体の汚れもかまわずに固く抱き合う。
 同性同士の肉体が直接触れあうことへの嫌悪感が、若い新悟に生じていないのかという一抹の不安も忍び寄る。だが、抱き合った重みのある身体に、こちらを拒否する動きは見受けられなかった。

 

 肩にかかる彼の頬に感じた温もりは、汗であったのか、それとも本人も知らず知らずの内に流れた涙腺からの分泌物だったのかは分からなかった。
 温泉に暖められたせいか、二人の下半身から発するむっとする独特の匂いが、噎せ返るような強烈さであたりを包んでいる。
 どこか大役を果たしあえたような思いが通じたのか、いつの間にかごく自然に、二人の唇は近づき、重なりあっていた。