部品三個の、ど根性

その2 最初の呼び出し

 

最初の呼び出し

 

 西山健幸が、敷島からのメッセージで指示されたスナックの前にたどり着いた。

 

 契約書を捺印して返してほしいと渡されてから一週間後、小原社長から話に出ていた「顔繋ぎに出てくれ」と言われていた、「株式会社OHARA」の部内宴会に誘われたのだ。

 会場のスナックもそう広いところには見えないが、数人の集まりとのことだったのでまさに課レベルの飲み会なのだろう。

 入口にぶら下がっていた「本日は貸切です」の札を揺らし、カランカランと昔ながらのベルの鳴るドアを開ける。

 

「おおー、西山社長。お越しいただいてありがとうございます!」

 小原社長が大声で声をかけてくる。

「こちらこそお誘いいただき、ありがとうございます」

 にこやかに答える健幸を、総勢6人の集団がやんやと拍手で迎える。

 見れば年若い男が多く、どう見ても半数以上は20代だろう。

 小原社長以外にも1人だけ四十路と見える参加者がいたが、先週の打合せの際に同席していた専務の敷島氏だったなと記憶を掘り返す。

 

「社長も敷島さんも、毎週このような社員の飲み会に参加されてるんですか?」

 ビールでの乾杯後、酌などしながら歓談していた健幸が小原と敷島に尋ねた。

 

「社内の風通しをよくしたいというので毎回顔出してますが、お邪魔虫になってもいけないので2次会では姿を消すようにしてますよ」

 専務の敷島は体格のいい男達の中では珍しくしゅっとした体型で、ラフな恰好の他の参加者の中で1人ビジネスシャツにネクタイ姿だ。健幸の疑問に対しての返事は、管理職としてはもっともな考えだろう。

 他の若者達の口ぶりに他社の人間がいる場では少しぞんざいな口調も感じていたが、20代ではそんなものなのかもなと自分の息子のことを思い出す健幸だ。

 

「そろそろビールじゃ腹がきついでしょう」

 敷島専務がカラカラと氷を鳴らしながら、ウイスキーを作ってくれる。

 普通だとホステスがつくはずだろうが、つまみの準備をするママ1人の姿しか見ないのは定休日での貸切にでもしているのだろうか。

 

「あ、敷島専務、ありがとうございます!」

 恭しく両手で受け取った健幸が、額の高さまでコップを挙げると、半分ほどを一気に飲み干した。

 

「いやあ、西山社長もいい身体してるッスよね!」

「敷島専務っ! 今度の社長さん、どんなことやってくれるんスかね?」

 

 若い社員のタメ口での会話には少し驚かせられた健幸だ。

 それもまた若い世代中心の会社ゆえのものだと思いつつ、普段飲み付けないウイスキーのせいか、汗ばむほどの身体の火照りと目の前がちらちらと点滅するような感覚に、彼らの言葉の中に潜むどこか揶揄するような響きに健幸は気付いていないようだ。

 

「俺っ、春歌、歌いまーす!」

 場を盛り上げるためだろう。一番の若手に見える社員が大声で猥雑な替え歌をがなり出す。

 拍手とかけ声を繰り返すうちに、どこか若かりしときのバカ騒ぎを思い出す健幸だ。

 普段は焼酎ばかりで久しぶりの洋酒では酔いの回りが早いのか、軽い貧血のように周囲の光景が青いハレーションを起こしていた。こりゃあ、立ち上がるのもちょっと注意しないといかんなと、妙に冷静な部分で考えている。

 

「そろそろ西山さんの演し物でも見たいものですな」

 敷島が笑いながら尋ねてくる頃には、身体の火照りも最高潮に達している。

 

「おお、いっちょ、やらせていただきますか!」

 これも接待と割り切っていた健幸が、意気軒昂に答える。

 めまいを起こさないよう、かといって用心してるとは思えないよう注意深く立ち上がり、ちょっと準備させてくださいと、ママのいるカウンターに姿を消した。

 

「あら、新しい会社の社長さんよね。小原さんとこ、色々大変でしょう? がんばってね」

 カウンターの奥でラジオでも聞いていたのか、ママが健幸を迎えた。

「ごめんなさいね、お酌もしなくって。小原さんからつまみ出し以外はしなくていいって言われてて」

「休んでるところ、こっちこそ済みません。余興でドジョウすくいやろうと思うので、浅いザルと手拭い、あとなにか腰につける大きさぐらいの入れ物があったら貸してくれんかな?」

 

 こんな古い芸がウケるかは分からないが、春歌を歌わせるような会社であれば、それなりに盛り上がってくれるだろうという腹づもりの健幸だ。

 父や祖父が健在だった時代、宴会芸としてさんざん仕込まれたのが、このドジョウすくいだった。

 

「あら、しょうけでもあればいいんでしょうけど、この浅い竹ザルでいいかしらね。あとは手拭いはあるし、あ、腰の入れ物はこの瓢箪でいいと思うわよ」

「おお、ありがとう。完璧だよ、ママ。ちょっとここで服を脱いでいくけど、いいかな」

「上着ぐらいで済むぐらいならいいけどさ……。あ、服、忘れていかないようにしといてね」

「オッケーオッケー、そいじゃちょっと失礼して……」

 

 余興でドジョウすくいでも、というのは想定していたわけで、自分で用意してきた五円玉に細紐を通したものを鼻につけ、さもおかしげな風貌を作りあげる。ポロシャツと肌着を脱げば、いかにも中年太りの上半身が露わになった。手拭いを頭に巻き、うまく長さを調節する。

 ズボンを脱げばわざと履いてきたクレープのステテコが、いかにも昭和風な「おじさん像」を作り上げた。

 さて、準備も整ったと、ママに声をかけた。

 

「ママ、カラオケで安木節、あるかな? あるんなら流してほしいんだけど」

「大丈夫よ、そっちで合図出してくれたら、すぐ流すから」

「頼んだ!」

「頼まれた!」

 酔いと思った以上の身体の火照りにママとの漫才のような会話を残し、ステテコ一丁の半裸姿で皆から見えるカウンターへと向かった。

 

「おお、西山社長の登場だ。一同、拍手~!」

 若い社員が場を盛り上げる。

「その恰好は、ドジョウすくいですな!」

 敷島の言葉は若い連中に、何が始まるかを教えるためでもあったのだろう。

 

「西山製作所社長、西山健幸。不肖ながら、みなさんの前でドジョウすくいの男踊りを披露させていただきます! お目汚しではございますが、しばし静聴願います!」

 

「よっ、待ってました!」

「ステテコか、あれ? 俺、履いてる人初めて見た!」

「パンツ透けて見えてるぜ。なんかエロいな!!」

 滑稽に見えるよう、大げさに挨拶をすれば、6人しかいないフロアが静聴とはほど遠い賑わいで満たされる。

 

 健幸の気配を覗っていたママが、ちょうどのタイミングでカラオケを流し始める。

 三味線と鼓、銅銅鑼による、思わず手拍子を打ちたくなる陽気な調べが店内に流れ始めた。

 

「うわっ、腰、へこへこ振ってるぜ!」

「がに股開いて、女の前じゃ見せられないよな、あんな恰好」

 

 保存会の人が聞いたら怒り出しそうな野次が飛ぶが、今どきの若い者が予備知識も無く踊りを見ての感想ならそんなものだろう。本場島根の知人から習った昔を思い出しながら、健幸が低く落とした腰を前後に滑稽に動かしながら、フロアをあちこちと動き回る。

 

 大げさに腰を前後に振りながら、ドジョウを探す健幸。

 逃げるドジョウをがに股で追い回す。

 追いついた健幸が、なんとかドジョウを捕まえようと悪戦苦闘する、滑稽な姿。

 つるつるとどこまでも健幸の手から逃れようとするドジョウの動きを表すパントマイムは、賞賛のどよめきを生む。

 やっと捕まえたドジョウを腰の瓢箪につるりと入れる姿に、拍手が鳴り響く。

 

「ドジョウってウナギのことなんすかね?」

 必死に踊る健幸を見ての若手社員の呟きに、小原社長にいたっては腹を抱えて笑うほどだ。

 

「西山社長、あんなに頑張って腰振ってるのに、ステテコ履いてちゃ邪魔じゃないんすかね? ねえ、ステテコ脱いで、股間見せつけながらやってもらうって、どうです?」

 1人の社員がとんでもないことを言い出した。

 

「えっとお、もしかして、西山社長、チンポ勃って無いッスか?」

「ホントだっ! 社長の前、ポコって盛り上がってるぜ!!」

「そんな露出狂みたいなんじゃ無いッスよね、西山社長?」

 

「まずいっ! 勃つなっ!」

 

 健幸は焦っていた。

 激しい腰の動きで、下着に擦れる逸物。

 物理的に自分のペニスに血流が流れ込む、あの独特の感覚。

 

 ソファーや椅子に座ったみなの眼前で、1人半裸となって立ち踊りする自分に興奮しているのか?

 息子と同じぐらい、いやもっと若い者達に、囃し立てられることで、見られることで、俺は興奮しているのか?

 いや、俺は露出狂なんかじゃ無いはずだ!

 それでも自ら1人でしごき上げるとき以上に興奮し、下着に染みまで作らんとしている自分の股間。

 

 衆目の注目を得る、というのはたいがいの人間に取って心地よいものだ。

 少々口が悪いとはいえ、体育会気質の若い連中から「社長、社長!」と気軽に声をかけられ持ち上げられて芸事を披露するのは、どこか甘い誘惑に落ちていく自分を感じる瞬間もあった。

 だが、今ここで感じている健幸の違和感は、そんなものでは無い。

 

「ステテコ脱いだ、下着だけの社長見てみたいなー」

「パンツいっちょになった西山社長、カッコいいッスよね、きっと」

「いいな、それ! それそれ、脱ーげ、脱ーげ!」

 

 一斉に皆がコールを始めてしまい戸惑う健幸だが、その心情には「裸踊りでもやってやるよ」と製作所で言っていたときとは段違いな変化が生じていた。

 惑乱する敷島の心配を他所に、「脱げ脱げ」と囃し立てる回りの声はおさまることが無い。

 

 そんな健幸を目を細めて見ているのは敷島だった。

 

「ねえ、敷島専務、西山さんのステテコ、脱いで欲しいッスよね!!」

「ははは、いくら何でもそこまでは、だろう。いや、西山社長がやりたいって言うんなら、男らしいその姿、私もぜひ見てみたいですがねえ。小原社長はどう思われますか?」

「いや、西山さんが自分から脱ぎたいって言うんだったら、そりゃあぜひ見てみたいもんだがなあ」

 

 カウンターの後ろで煙草をくゆらしていたママが、ふうっと一息、天井に向けて紫煙を吐く。

 

 元請けの社長達からこんなセリフが出て「いや、出来ません」などと言える下請けはいないだろう。

 ああ、これがもしかしてかつての取引先が「口籠もっていた」理由なのか?

 健幸の心中にちらりとした恐れが走る。

 それでも7名の社員を支える社長として、いやその前に1人の男として、腹を切る覚悟は決めていた健幸である。

 たとえどんなに恥ずかしい姿を見られても、契約が途中で切られるようなことの可能性は、少しでも小さくしておきたい。

 健幸は瓢箪をくくりつけていたステテコのゴムに、ゆっくりと手をかけていた。

 

「お、西山社長、脱がれますか?! ほら、みんな拍手で盛り上げろ!」

 敷島専務が若い社員に檄を飛ばす。

 大きな拍手と一緒に指笛も高く響き渡る。

 

「元請けの幹部である自分が作った酒を、下請け先である西山社長が飲み残すなどということは、ありえないはず」

 そう分かった上での、敷島の小さな策略。

 敷島が健幸に進めたウイスキーの水割りには、最近流行りの勃起薬を粉末にしたものが溶かし込まれていたのであった。

 

「あはははは、やっぱ勃ってるぜ、西山社長!!」

「勃起がブリーフ、ちょこんと盛り上げてる!」

「勃ってても、あの様子じゃ短小じゃん! 俺だったら恥ずかしくてやれねえかなあ」

 

 ステテコを脱ぎさった健幸の下着は、白ブリーフだった。

 突き出た腹に表される身一つで工場を切り盛りしてきた男盛りの肉体が、中学生のようなブリーフだけを身に付けている様は、それだけで若者の失笑を呼ぶ。

 ドジョウすくいの滑稽な踊りは、へこへこと腰を突き出すような動きを特徴としている。

 ただでさえ男女の性交を思い起こさせるその動作が、フロアの更なる笑いを呼ぶ。

 

 自分の年齢の半分もいかないだろう連中の前で、明らかに勃起した下半身を笑われているという屈辱。

 その勃起すら、小学生かと見まがうような盛り上がりしか見えない、自らの逸物の大きさ。

 普段であれば、銭湯でも別に隠すわけでもないその「事実」が、周囲が普通に着衣している中での半裸姿ということで、強烈に健幸の羞恥心を燃え上がらせる。

 

「恥ずかしい。だが、俺のチンポは見られれば見られるほど、固くなってきている。こんな小さいチンポが、今にもイキたいと、いなないている」

 

 全身の肌を羞恥に赤く染めているという健幸だが、その紅潮ですら、密かに盛られた薬の作用だと言うことを分かってはいなかった。

 もっとも、たとえ服薬していなくても、この状況で恥ずかしさを感じないというはずも無かったのだったが。

 

「西山社長の短小チンポ、突き出ただけで、揺れもしねえよな!」

「針みたいなチンポで、ブリーフ破れそうなんじゃね??」

 

 容赦ない野次が飛ぶ。

 カラオケはリモートがかかったようで、健幸はまた、ドジョウすくいを最初から繰り返す。

 

 着衣の男達に囲まれたブリーフ一丁の健幸がやっと踊り終えたのは、それから数分後のことだった。

 急いでカウンターの奥に着換えに戻ろうとする健幸を、敷島が呼び止める。

 

「いや、社長。もうそのままの恰好で飲みましょうや。みんなもそう思うだろう?」

「そうだそうだ! 西山社長、パンツいっちょで酌してくださいよっ!」

 仕方なく、ブリーフだけを身に着けた健幸が、敷島の横に腰を下ろす。

 

「元気いいですな、見られて勃っちゃったんですか、西山さん?」

「いや、ははは、どうしたことかと自分でも恥ずかしいんですが……」

「いやあ、笑かしてもらいましたよ、西山社長! 今度は全部脱いでやってほしいな!」

「来週はラインの連中だから、言っときますね、専務!」

 

 このまま続けていけば、飛んでもないことになるんじゃなかろうか?

 漠然とした、しかしそのどこかに密かな恍惚をも紛れ込ませている感情が、健幸を襲う。

 

「来週は工場の連中が集まるみたいなんで、またよろしくお願いしますね」

 帰り際の敷島の耳元での囁きに、ねっとりとした響きを感じる健幸。

 その股間は硬くいきり勃ち、ブリーフの前布を押し上げたままだったのだ。