重森大介氏 - 三太 共作作品

「褌祝」~褌で繋がった男たち~

第四章 俊彦

 

 目覚めると男根が硬く勃ち上がっていた。朝勃ち―。男なら誰しもほぼ毎日経験する現象だ。

 

「さてと?。」

 僕は日課ともなっている勃ち上がった男根を鎮める儀式を始める。

 その儀式とは、紛れもなく自慰行為のことだ。もうかれこれ15年ほどになるだろうか。俊彦の一日はこの儀式で始めることになっていた。

 黄金の右手は男根を扱く。そして俊彦は目を閉じる。

 真っ暗なはずの視界には、仄かにある男の姿が浮かび上がる。筋骨隆々とした汗だくの上半身、その下腹部は真っ白な六尺褌に覆われており、その前袋は収まることを拒否しているかのような物体で大きな膨らみを作っている。

 顔は見えない。

 一体誰なのか、誰なんだろう―。

 

「ハァ、ハァ……」

 絶頂が迫る。

 やがて一層膨らみを増した男根の先端からは、多量の白濁液が飛びちり、俊彦の上半身の一部に仄かな温もりをもたらした。

 一息つくと、白濁液を拭き取り、俊彦は毎朝のその儀式を終える。

 

 山本俊彦。来月、30歳になる。

 独身。

 大学入学を機に長野県の山間の集落から上京し、幼少の頃に始めた柔道を続けながら柔道整復師の資格を取り、大学での専攻とは違う道となったが、卒業後は医療や介護の現場で働いている。

 柔道は、職場近くの故郷の師範の友人の柔道場で、自分の肉体鍛錬とともに後進の指導にあたっている。

 

 俊彦はいまどき、と思われそうだが、15歳になった時から六尺褌を締め続けている。

 それは、古い伝統を頑なに守る俊彦の故郷の風習である「褌祝」で、父の弟である叔父の俊夫から褌を贈られたことに始まる。

 その叔父も同じように15才を迎えた際の褌祝をきっかけに六尺褌を締め始め、以来それ以外のものは頑なに拒んできたらしい。

 

 同じ山本姓の叔父、「山本俊夫」は、俊彦のこれまでの人生の大きな岐路に必ずそこにいた。

 

 俊彦や俊夫が生まれた地域に伝わる「褌祝」は、かつては一族を挙げての大きな祝い事だったが、次第にその風潮も廃れてきていた。

 俊彦の頃には、同じ祝い事ではあったにしても、せいぜいごく近親者に赤飯を配るくらいになっていたのだ。

 

 そのような時代の中、山本家においては叔父である俊夫の盛大にすべきだという主張が通ったようだった。

 ごく近親者のみの集まりではあったが、酒宴を開き、祝いの主役たる俊彦には俊夫から、15本にもなる六尺褌が寄贈されたのであった。

 

 俊彦の褌祝を遡ること5年前、小学5年の時に俊彦は柔道を始めていた。

 俊夫が指導に当たっていた道場を紹介し、その道場の師範である松本利夫と叔父である俊夫が親身になって指導したおかげで、俊彦は中学高校時代の県大会でも、常に上位の成績を残した。

 大学を選ぶときも、叔父からの家業の礎となるような農学部への勧めを受け、その勧めのままに叔父と同じ大学の農学部に入り、叔父と同じように柔道部に入部した俊彦だった。

 

 父の弟である叔父の俊夫には三人の娘がいたが、俊彦の家は男ばかりの三人兄弟だ。共働きだった父夫婦に代わって、俊彦ら3兄弟も叔父夫婦に育てられたようなものだった。

 なかでも叔父の俊彦への可愛がりは特別で、自分と同じ道を歩ませたがっていた叔父の奨めを俊彦は嫌がることもなく、むしろそれに従順に従ったのであった。

 

 大学の合格が決まり俊彦が上京する前夜、叔父は俊彦を自宅に招き、それまでの思い出話に花を咲かせ、そして別れ際、しっかりと俊彦を抱きしめた。その時、叔父は感極まり、熱い涙を俊彦の首筋に落とした。

 

 俊彦にとっても叔父の俊夫が特別な存在だというのには、幾つかの理由、出来事があった。

 

 一つは小学校3年、いや4年かはっきりと記憶にないが、確かなことはまだ俊彦の男根がまだ単なる排尿器官に過ぎなかった頃のことだ。

 俊彦が叔父の宅の前庭で俊夫の娘たちと縄跳びをしていた。そこに農作業から休憩で戻った叔父は俊彦を見つけ、

「お?い、トシ坊、ちょっとこっちこんか。」

 と呼び寄せた。

 

 叔父の俊夫は父の5歳下で今は55歳になっているが、その時はまだ30代半ばであった。

 それは見事な体つきであり、夏はいつも六尺褌一丁の裸体を惜しげもなく披露していた。その股間を隠す六尺褌は、純白のはずが、土と汗で汚れていた。

 

 褌一丁の叔父に抱かれた俊彦は、腰あたりに固い何かを感じた。今思うに、それは勃ち上がった叔父の男根だったと思う。

 

「叔父さん、固いこれって、なに?」

 俊彦が叔父に問うと、

「これはな、男が自分が狙っている獲物を自分のものにしたいと思った時のサインなんだよ。俊彦も大きくなるとわかる日が来る。」

 と教えてくれた。

 その固くなる部位がなんなのかは、今はわかってはいるが、叔父のいう自分が『狙っている獲物』が何なのかは未だ解明できていない俊彦であった。

 

 もう一つは、俊彦の褌祝の時のことだ。

 儀式としての六尺褌の締め初めが終わり、俊彦の褌祝の祝宴が始まった。お祝いに叔父が褌を俊彦に渡した時、叔父は俊彦を別室へと誘い、二人して宴席を中座することになった。

 二人だけの部屋で叔父は俊彦の真正面に立ち、

「俊彦、着ているものを全部脱ぐんだ。俺がお前に褌を締める手ほどきをする。」

 と、宣言した。

 

 俊彦が叔父の突然の言葉にも素直に従い、すべての服を脱いで素っ裸になると、叔父もまた同じように素っ裸になった。

 六尺褌一丁の叔父の体はそれまでもよく目にしていたが、目前に露わとなった叔父の陰部に、俊彦はそれを凝視してしまっていた。

 

 叔父の股間に鎮座する男根と陰嚢は、例えるものがないほどの存在感があった。

 俊彦が見つめる中、叔父の男根は徐々に膨らみを増し、ついには天を突くように熱り勃った。

 

 叔父は、

「これから俺が六尺褌を締める。お前はそれをしっかり見て、褌の締め方を会得するんだ。」

 というと、慣れた手つきで、とはいえ、一つ一つの所作がわかるようにゆっくりと、六尺褌を締めていく。

 締め終わった叔父の六尺褌の前袋は、その内容物の存在を、その形を、その膨らみを、はっきりと映し出していた。

 

「さ、俊彦、やってみるんだ。」

 いくら丁寧に締め方を見せてくれたとはいえ、15の年を迎えたばかりの俊彦に、初めての長尺の布の取扱いがいきなり出来るものではない。

 先ほどの褌祝そのものでは叔父たちがうまく締め上げてくれたのだが、自分で締めたわけでは無い。

 見よう見真似で始めるが、すぐに分からなくなってしまう。

 するとすぐに、叔父のグローブのような、しかし、温もりのある手が差し伸べられ、なんとか締め終えることができた。

 

 俊彦と叔父の俊夫の褌がしっかりと締め上げられたそのあとには、叔父は男性器の取り扱い説明のような講義を始めた。

 性器部位の呼称やその役割、精通のこと、夢精のこと。生物学的には子孫繁栄のためには女性と交わるのが必要なこと。その際、勃起した陰茎を女性の膣に挿入し、摩擦運動を繰り返すことで精液が放出されること。弛緩時の敵からの攻撃に対処するため、男性の絶頂は加速度的に減退すること。

 加えてマスターベーション、別の言い方ではオナニー、日本ではセンズリと呼ばれる、自慰行為があること。

 この先、男が性的に興奮すると理性より本能が優先してしまい、場合によっては犯罪になる行為を起こすこともあること。

 そのため日常的に自慰により精液を体外に放出することで、性的興奮をコントロールすることができるよう、日常的にそれらの行為を行うべきこと……。

 などなど、いわゆる性教育とも言える講義をとうとうと述べた。

 

「お前もそのうちするであろう、センズリの仕方を教えておこう。」

 叔父はそう言うと自らの男根を勃起させ、その固く勃ち上がった男根を扱き、射精に至るまでを実演したのだ。

 晩熟の方であった俊彦は、それらすべてのことが初見であり、ただただ驚くばかりであった。

 そして、自らを実験台にしてまでも俊彦にきちんと性の知識を伝えようとする叔父に、ただただ感謝した。

 

 最後に叔父は、

「ちょっと時間はかかったが、俺も褌祝のときに教わったことをすべて伝えたつもりだ。これから男の性に関することで疑問があったら、なんなりと聞いてくれ。

 それと、もし、もしも、お前が望むなら、今日から六尺褌を締めてほしい。

 俺も、自分の褌祝の時から六尺褌を締め続けている。それが、大人になった男の証だからだ。今日から俊彦も一端の大人なんだから。

 今日の褌祝のお祝いに、京都にある“褌屋”という俺の馴染みの店から取り寄せた、このオーシャンブルーの青海波という柄の褌をあげよう。ここぞ、というときに締めて欲しい。」

 と言うと、俊彦の答えを求めようとせず、大広間に戻った。

 

 一人残された俊彦は、自身のまだ陰毛が生え揃ったばかりの局部が固く、熱く、勃ち上がっていたことに気づいた。

 なぜ己の局部がこうも熱く、固くなっているのか。その根本的な原因を当時の俊彦には理解できるはずもなかったのだ。

 

 叔父の進言通り、俊彦はその日からそれまで穿いていた下着をすべて処分し、褌を締め始めた。

 家族はもちろん、周囲の誰もが褌を締めてはいなかったが、敬愛する叔父の言うことなら、と、そういう思いがあった。

 叔父への敬意と服従の証でもある、褌を締め込んだ自分の姿。だが、その姿を貫くには周囲からの特異な目にも耐えねばならない。

 それでも叔父のようになりたい、誰よりも叔父に近づきたい。

 その一心が、俊彦にこれからの人生が褌とともにあることの決意をさせたのだった。

 

 褌祝があった時、俊彦は中学3年。

 第二次性徴が比較的遅かった俊彦にも、ほどなく精通が訪れた。

 夢精だった。

 ある日、なんの前触れもなく、明け方に目覚めると、股間が濡れていることを感じた。慌てて褌を解くと、俊夫の股間は、白濁液でぐちょぐちょになっていた。

 

「これが夢精なのか。」

 俊彦は褌祝で叔父から六尺褌の締めかたを教わった際、

「精通はまだのようだな。いずれその時は来るだろう。その時こそ、大人の男になった証だ。」

 と夢精のことも聞かされていた。

 自分にもやっとその現象が訪れたことが大人になれた証だと喜び、俊彦はさっそく叔父に報告したのだった。そのときの叔父が自分のことのように喜んでくれたことを、俊彦は覚えている。

 毎日の朝の行為は、この時から始めたことだった。

 

 俊彦は30歳になるが、女性との交わりは未だ経験がなかった。

 無論、避けてきたわけではなく、単にその機会が訪れなかっただけではあったが。

 女性との恋愛経験もあった。だが、俊彦の慎重さが災いしたのか、性的に親密な行為に至るほど、長続きすることはなかったのだ。

 

 

 ある時、いつも通っているスーパー銭湯でのことだった。

 いつものように脱衣場で六尺褌を解き、浴場に向かった。サウナに入るとちょうど向かいになる場所にある男が座った。しばらくするとその男は俊彦に見えるように陰茎を勃起させ、扱き始めた。

 見て見ぬ振りをするが、その男は俊彦を誘うように手招きをする。嫌気がさした俊彦は脱衣場に戻り、体を拭いていた。すると遅れて脱衣所に戻ったその男は俊彦に近寄り、

「気持ちいいこと、したいんだろう? 相手になるよ。」

 と耳元で囁いた。

「結構だ。そんな気はない。」

 と断り、早々に銭湯を後にした。そんな男女のナンパに近いような行為が何度か続いた。

 また別の日には、

「お兄さん、ホモなんだろ?」

 と直接聞かれたこともあった。

「なんでそんなこと聞くんだ。俺はホモなんかじゃない。」

 と答える。

「お兄さん、褌してるだろ? 褌してる奴はたいがい、ホモだ。違うのか? ふーん。」

 と言い捨てられることもあった。

 

 褌=ホモ?

 

 自身が自身のプライドで締めていた褌が、世間的にはそういうふうに取られているのかと知り、褌を締めることに戸惑いを覚えるようになった。

 時代はLGBTQなどと、性的少数派も市民権を得て、同性婚も認められるなど、多様性を尊重する風潮が急速に高まりつつある時だった。著名人でも男女に限らず、自らの性的指向をカミングアウトし、かつて地下に潜るしかなかったゲイ、レズビアンなどはそれを自らのアイデンティティーとしてむしろその指向をプラスに転換し、積極的に活動することが当たり前となっていた。

 俊彦はそんなムーブメントは自分とは別の世界のことだと、あまり気にすることはなかった。

 

 ある日、俊彦が柔道整復師として定期的に訪れている医療機関に、新しい理学療法士が着任した。

 見た目にもごく普通の男性で、俊彦より5つほど年上だったが、的確な指示や患者のための医療をチームとして実行するなど、俊彦から見ても人間的に尊敬できる人物だった。

 俊彦がその人物に親近感を抱いたことには、もう一つ理由があった。

 偶然にもその人の名前が田中俊彦、つまり、自分と同じ名前をしていたためでもあったのだ。

 

 その田中俊彦の存在が、俊彦にとって大きな転換をもたらす出来事があった。

 俊彦が仕事を終え、ロッカー室で着替えているところに田中がやってきた。

 俊彦はちょうどズボンを脱ぎ、Tシャツに六尺褌だけの格好だった。

「前から聞いていたけど、山本くんって、本当に六尺締めてるんですね。いやぁ、お似合いだ。ガタイもいいし、やっぱりいい男には六尺が似合うね。」

 田中はそういうと、自らもズボンを脱いだ。

 なんと田中の股間は、俊彦と同じ六尺褌で覆われていたのだ。

 俊彦にとっては珍しくも無い下着姿ではあったが、

「あ、田中さんもそうなんですね。俺、中学の頃からずっとこれなんです。今さらボクサーとか穿く気にはなれなくて。どうも締まりが悪いと言うか、このほうがしっくりくるもんで。」

 というと、田中は、

「僕、ラテックスアレルギーなんだ。パンツのゴムとかゴムの手袋とかでアレルギー反応がでるんだ。ひどい時には呼吸障害を起こしたりすることもあって。だから下着には小さい頃から苦労してさ。高校の時だったかな、同じ症状の人から褌がいいと教えられて、それ以来、日中は六尺、家では越中で過ごすようにしてみたら、とても楽でね。」

 と身の上話が始まった。

 俊彦は自らのことも話し、褌で意気投合した二人は、日を改めて夕食を共にすることになった。

 

「田中さん、俺、田中さんとは名前もそのまま同じだし、どう言ったらいいか、親近感があったんですよね。ありふれた名前だけど、近くに同じ名前の人がいるって、不思議な気持ちもありました。」

「それは僕も同じだよ。それに、褌も。こんな偶然、滅多にどころか、まずないよね。」

 酒の勢いもあって、話は盛り上がった。

 徐々に話はお互いの深い部分にも触れることになり、いい年をした男同士、性に関する部分に差し掛かった。

 

「山本くんって、決めつける訳じゃないけど、その歳だし、彼女とか、将来を決めた人もいるのかな。」

「それがなかなか出会いがなくて。いい人、いませんかね。」

「そうなんだ。それはそうと……、僕、ゲイなんだ。」

 

 田中の突然の告白に、俊彦は驚いた。

 

「だよね、こんなこと突然に言われると驚くよね。

 僕、そりゃ誰にも、っていう訳じゃないけど、親しい人には自分のことを正直に言うことにしてるんだ。その方がお互い割り切った付き合いができるし、嫌なら嫌で付き合わなければいいわけで。

 今、多様性なんとかって言うけど、僕たちゲイにはまだまだ住みにくい社会なんだよね。君はどう思うかわからないけど、大概の人は避けるし、汚いもの扱いというか、わかった途端、見る目が変わることってまだまだ当たり前だろうし。」

 

 田中は続けた。

「僕、自分がゲイだって、男しか好きになれないって、自分がそうだってわかった頃は悩んだよ。なんで普通に生まれなかったかってね。

 でも、普通って何が基準なんだろう。僕らからすればゲイが普通。女を好きになれる人は普通じゃないんだ。だから、自分がゲイだってことを認めるしかないわけで。変えようがないんだよね。

 だから、自分自身の在り方って、ちゃんと決めてる。自分を好きになろう、自分を隠さないって。そう思うようになって、もちろん、ある出会いがあって、そう確信できたんだけど。その人から教わったことで自分の人生は変わったよ。

 将来のことだって、今の制度上、死ぬ時は一人だから、ちゃんとその準備もしておこうってね。」

 

 俊彦は、目の前の田中の話を聞き、ショックを覚えていた。

 

 なんでも普通はこうだ、と決めつけているけど、自分にとって普通なことが、普通でない人もいる。普通って誰が決めるのか。

 それに田中さんは先のこともちゃんと見据えている。果たして自分にそれができているだろうか。いや、そうじゃない。

 

「田中さん、俺、田中さんと出会えてよかった。

 俺って、いままでそんなこと考えることすらなかった。男は女を好きになる、女は男を好きになる。確かに生物的にはオスとメスがあって、オスとメスで子孫を繁栄させていくことが当たり前だけど、そうじゃない生き方があるって分かった。それに将来のことも。

 俺、今はこれで十分だけど、いずれは自分の死に方というか、身の処し方を考えなければならないって、ずっとずっと先のことかと思っていた。

 ありがとうございます。本当に、ありがとうございます。」

 その日の二人は、意気投合して夜が更けるまで語り合った。

 

 翌日、昨晩の酒がたたったか、目覚めた時頭痛と吐き気がした。

 日課の儀式をなんとかこなし、朝食をとると楽になった。その日の仕事は、派遣先の介護施設で担当している利用者のケース会議が予定されていた。出席者には田中もいるはずだった。

 三々五々集まり、全員が揃うと早速会議が始まった。

 

 今日のケースの対象者は85歳、男性、独居だった。

 話を進めていくうちに、その方は三世代続く鉄工関係を営んでいて後継者がいない、子はすべて世帯を持っており、それぞれがその方との関わりを拒んでいる、現状ではいずれ事業をたたみ、資産を処分し、おそらくどこかの施設が終の住処となるだろうということだった。

 俊彦はその話に我が父や叔父を重ねていた。

 彼らも今のままだといずれはこうなる。それでいいのか。

 自身の将来すら定まっていないが、自らの原点である山本家のことをきちんと考えなければならないのではないか。

 田中さんはゲイかも知れないが、決して住み良いとは言えない今の社会に適合し、きちんと死に方まで想定しているのに、自分はその日さえ良ければ、という日々をただ消費しているだけではないだろうか。

 そう考えると、居ても立ってもいられなくなった。その日は仕事を終え、道場での稽古を終えると足早に帰宅し、自問自答した。

 

「自分しかない。自分が、俺が山本家を継がなければならない。父と叔父が受け継いで来た山本農場を、俺が支えなければならない。そして、目標にしてきた、なりたい自分を具現化しているあの叔父の近くにいたい。敬愛する叔父と、一緒にいたい。」

 そう思った。

 

 色々考えあぐねているうちに、俊彦は寝落ちしていた。

 ふと夢から目が覚める。

 俊彦の股間のモノが熱り勃っていた。

 夢に出てきた相手は、叔父だった。日課の儀式の時に瞼に映る、上半身裸で六尺褌を締めているその男の顔がはっきりと見えた。俊夫叔父さん、その人だった。

 夢の中の俊夫が、熱り勃った肉棒を扱き始めた。熱く、強く、扱き始めた。今は瞼に映るその男の顔もしっかり捉えられている。

 

「叔父さん……」

 俊彦は叔父を思いながら、幼い時に触れたあの固く勃ち上がった叔父の男根や六尺褌一丁で水遣りをしている叔父を思い浮かべ、自らの男根を扱き続けた。

 俊彦としては初めて特定の人を、そう、それは他でもなく「叔父である」俊夫を思った自慰だった。

 

「俺は、俺は叔父さんが好きだったんだ。男として、同じ「男」である叔父さんを求めていたんだ。」

 

 俊彦は、そう確信した。

 30歳になった今、ようやく俊彦は自分の本性を知り、それはそれで嬉しく、さらに激しく男根を扱いた。

 その行為は俊彦にとってとても長く感じたが、絶頂が訪れると、俊彦の精は自らの腹、胸、そして頭を越えて飛び散った。

 これほどまでに胸が痛くなるほど、思いを込めた自慰は初めてだった。30歳を越えたというのに、俊彦はようやく自らの思いを確信した。

「俺は、男が、いや、叔父さんが好きだ。他の誰でもない、叔父さんが好きなんだ。俺は、俺は、叔父さんが欲しい。」

 放たれた白濁液もそのまま、俊彦は目を閉じ、瞼に浮かぶ叔父を思いながら再び眠りに落ちた。