月待ちの講 如月

その1

 

「信治さん、今日の月待ちは青年団ば上がらしたOBの人も参加するって聞いとっとですばってん、けっこう来(き)なさっとですかね」

「朋久さんの兄貴さんの義久さんが声ばかけち、3人どま来(き)なはっては言いよらしたばってん、どぎゃんだろかな」

「え?! 兄弟て?! 実の兄弟で、あぎゃんこつばすっとですか??」

 

 俺のすっとんきょうな返事に、信治さんはちょっと戸惑ったようだった。

 今日は2月の28日、毎月末恒例の月待ち講の日だ。

 

 俺は田山浩平、36才。この山間の小さな村の過疎化対策定住事業に応募当選し、昨年の秋口からは正式な入村を果たしていた。

 ここ数ヶ月の村での暮らしは畑作から始まり、正月には地域の祭りの大役にも選ばれた。ほぼ自動的に加入させられた青年団での活動も含め、それなりに忙しい毎日を送っている。

 役場や地域、青年団の皆にも余所者である俺を柔らかく受け止めてもらい、農作業にもようやく慣れてきたところだ。何よりもこの村での祭りや数々の行事で見られる、男同士の性的な接触を含めた「儀式」で味わえる快感が癖になってしまった自覚もあるのだ。

 

 この村ではほとんどの月の月末に、青年団員を対象とした「月待ち講」という寄り合いが夜を徹して行われてきている。

 夕飯を済ませた男達が公民館を兼ねている若衆宿へと集まり、一晩中互いの肉体をまさぐり、いじり、男としての精汁を何度も噴き上げながら、朝まで眠らずに過ごすのだ。

 この村での最大の神事である正月の白沢さんの祭りの大役を果たすまではと、入村して数ヶ月、これまでは声がかからなかった。おそらくは村の新人としての通過儀礼の意味もあったその祭りも終わり、先月末の集まりからは参加させてもらえることになったのだ。

 

 先月末の講の一夜は、それこそ白沢さんの祭りのお礼とばかりに青年団員6人全員の逸物をしゃぶり上げ、みな気持ちよくイッてもらった。

 最後は俺が団の6人から一斉に全身を責められ、それこそ3度も続けてイかされてしまったのだ。

 とかくこの村では何事につけ男同士の肉体での情交が普遍化しており、特に独身の男が集まる青年団の行事では、挨拶代わりの尺八など日常茶飯事なのである。

 

 16時前に畑に顔を出してくれた信治さんは、青年団の中でも俺と一番年が近い先輩だ。

 青年団といっても36を数える俺が一番若く、団長の良さんは40代後半、信治さんもまもなく40の年を迎える。過疎化が進む地方では高校卒業後に村内に留まる者は少なく、村全体の労働力の一員として、歓迎される部分も大きかったのだろう。

 何かにつけて新参者の俺を立ててくれることは本当にありがたかったし、年寄りからは煙たがられるのでは、との思いもここ数ヶ月のうちに間違っていたことに気付いてくる。

 事業内容としては10年間の定住が義務付けされてはいたが、この間の暮らしの中で、俺自身がこの村に骨を埋める気持ちになっていた。

 

 信治さんは俺と一緒に月待ち講の会場である若衆宿に向かうつもりなのだろう。残りの作業を急いで終わらせ、いったん俺の家へと2人で向かっていたところだった。

 

「今さら何(なん)ば言いよっとな。道則さんと昭則さんも、実の兄弟ばいた」

「え? ええ?! ……名前も身体付きも似とらすなあとは思うとりましたばってん、名字ん違うけんなあて思っとったつですが?」

「ああ、道則さんがこまかときに養子に出とらすもんだけんな。あすこは上にもう1人兄貴さんのおらすもんだけん、色々あって学校行く前に籍ば移しとらすとたい。その分、早う結婚せえて言われとらして、やおいかんごたっばってんな」

「……そうだったんですね。道則さんも昭則さんも、普通にお互いのばしゃぶりあったりしとらしたもんですけん、兄弟とかじゃなかつてばかり思っとりました」

 

 血を分けた兄弟で互いの肉棒を扱き合いしゃぶりあい、ましてや相手の精液を美味そうに飲み込むまでの2人。

 祭りの籠もりや先月の月待ち講で、普段青年団で接している道則さんや昭則さんの堂々とした体格での絡みを思い出し、俺はどこか火照ったような疼きを覚えてしまう。

 

「こん村で生まれたもんは、兄弟はもちろん、親父や爺さんとでん、色々すっとは当たり前んこったい。さすがに二人っきりんときにするもんはあんまりおらんだろばってん、祭りや月待ちんときは、どぎゃんしたっちゃ一緒になるけんな。

 俺(お)っも親父ん太かつばこぶったこつもあるし、親父にしゃぶられたこつもあるけんな。他所(よそ)んもんからすっとおかしかて思うとだろばってん。昔は身内ん集まりんときに若っかもんがせんずり競争させられよったとかも聞くけん、ここらへんではそぎゃんとも当たり前んこつだったっだろたいなあ」

 

 おそらくは、精通や射精そのものが村の成員として認められるための通過儀礼であった時代の名残なのだろう。それにしてもそれらの行為が直系の父親や祖父、ときには兄弟とともに行われているというのはやはり驚きだった。

 この村の祭りや普段の集まりでの男同士の交情では、隠微さよりもあっけらかんとした快感の追求の方に針が振れているような感じはしていたのだが、そのあたりの風潮も親子や親族間での行為を正当化するためにと、非常に繊細な感情表出のコントロールがなされているのかもしれない。

 

「いや、そぎゃん言わるっとそぎゃんでしょばってん、やっぱり初めて聞くとたまがっですよ。道則さんや昭則さんば見とって、初めてんときは信治さんも不思議に思たつじゃなかですか?」

「こまかときからそぎゃんもんて思っとったけん、別におかしかても思わんだったばってんな。

 良さん達ん頃までは男組、若者組て言うとんあって、せんずりもそこで教えちもろたて言いよらしたな。俺(お)っ達の頃でん年上のもんに裸ば見らるっときでん、チンポば晒すとよりも身体ん痩せこけとる方が恥ずかしかて思っとったけんな。そんあたりが街んもんとはだいぶ違(ちご)とったつかん知れんなあ」

 

 のんびりした口調とは裏腹にかなり過激な話しだとも思うのだが、どうにもこの村での男達との暮らしが進んでいくと、それもこれも当たり前、という感覚になってしまっている自分がいるのだ。

 おおらか、と言えば聞こえがいいのだが、性的成熟が一定の年齢を待たずして村の労働力として即決されなければならなかった時代の名残かと思うと、山村で生きる厳しさが思われてしまう部分もあった。

 

「後は誰(だ)っの来なさっとですか?」

「茂さんと保典さんては聞いとるばってんな。泊まりてなるけん、明日に予定の入ったら出れんごてならすけん、確実かは分からんばってん」

 

 やはり泊まり込みの行事で、かつ一晩中やり狂うという月待ち講の性格ゆえ、翌日や体調、仕事のことを考えればおいそれとの参加も難しいのだろう。

 農作業そのものは顔も見知った同士で互いに補えあえるのだが、家業や子どもさんがいてはなかなか大変だろうと考えた。

「来(こ)らす人達は、みな独身の人ばっかりですか?」

 入村してそれなりの日は経っているが、日頃からよく接している青年団員以外の連中についてはまだ家族構成までは把握出来ていなかった。

 

「義久さんと保典さんは嫁御もおらす。娘息子はみな街に出とらすかな。保典さんはもう孫もおらすばってん、県外におらすもんだけん盆正月でんなかとなかなか会えんて言いよらした。

 茂さんは十年ばっかり前にかくさんが病気さしてな。後添えも貰わんまま、1人でおらすたいなあ」

 

「その、嫁さんのおらす人達は、嫁さんの方も毎月の講でなんばしよるかは知っとらすとですか?

 家でどぎゃん話になっとっとかって思うとですばってん……」

 妻子ありながらも同性同士の肉の交わりに参加する男達の気性がなかなか分からない俺は、ついつい信治さんに根掘り葉掘り尋ねてしまう。

 

「義久さん達ぐらいから上のもんは、結婚すっとも近くから貰うとが普通だったけんな。

 こん村で育ったもんなら講や祭りで男がなんばしよっとかは周りからも聞いて分かっとるこつばってん、そっと同じに神様んことに端から口ば出すともいかんて教わっとるけん。

 昔の組合のツアーんごて、行った先でおろよか遊びばすっくらいなら、見知ったもん同士で色々心配せんで済むとん方がよか、てぐらいのもんかも知れん。

 俺(お)ったいの世代ぐらいからはもうおなごそのもんが少なかもんだけん、一層難しゅうなっとるけんな。

 そんあたりば分かった上で、浩平んごたる他所(よそ)から来てもろたもんと一緒に村ば支えていかんと、ってなってきとっとたい……」

 

 男に取って都合のいい理屈ではあるのだが、一昔前の団体旅行などでの風俗利用の様が目も当てられないほどにひどかったことの裏返しかも知れない。

 俺も以前勤めていた会社の先輩などから、今ではソープランドとなった個室風俗店や、アジアへの旅行先での「武勇伝」とやらをさんざん聞かされたものだ。

「昔は二輪車三輪車、金積めば花びら回転とやりたい放題だったからなあ」

 倫理観と同じく、財布の紐も緩かった時代だったんだろう。

 近隣の同年齢の男達から見れば、この村のもの達は派手な女遊びもせずに男同士で連んでいるばかりで、ある意味「真面目」と思われていたのでは、との考えも浮かび、どこか渇いた笑いを覚えた俺だった。

 

「今日は保典さんが一番年上にならすけん、たぶん何もかんも仕切ってさすとじゃなかかな。

 あん人は見た目も狸んごてしとらすばってん、金玉のたいがな太してな。そん太か玉ば弄らせながら、他のもんのせんずりすっとば見っとが好いとらすけん、一晩中せんずり大会んごてなっとじゃなかろかな」

 

 色んな思いは巡りつつも、信治さんの話す今夜の内容に股間が膨らんでしまう俺は、入村して数ヶ月の内にこの村の男達との肉体的な接触に性感を昂ぶらせてしまうように染められてしまっているのだろう。

 

 家に帰り着き、朝から街で仕入れておいた総菜で腹を満たした。

 信治さんと一緒に湯を使い軽くしゃぶりあいはしたものの、今夜のことを思えばここで出すのももったいないと、先走りの汁をすするだけに留めておく。

 シャワーを使いながら互いの腹の中まできれいにすれば、2人ともに準備万端となった。

 

 公民館になっている若衆宿についてみると、もう半分ほどの人数が集まっていた。

 部屋の設えや軽食飲み物の準備と思い早めに出てきたつもりではあるが、来月からは2時間以上前には来ておかないと一番乗りは出来なさそうだ。

 

「久しぶりのごてしとるな。だいぶ慣れちきたては思うばってん、どぎゃんしとんなさるな」

 青年団のOBでもある保典さんが、そのごろんとした身体を丸めるようにして広間の一番奥であぐらをかいたまま、声をかけてくる。

 こちらは膝を正して挨拶のために前へと進んだ。

 

「お久しぶりです。良さんや団の皆さんにも世話になって、春採りの目処もついてきたところです」

「そぎゃん堅苦しゅうせんちゃよかけん、足ば崩しなっせ」

 

 太丸い鼻の頭を赤く染めた保典さんは久しぶりのこの手の集まりそのものが嬉しいのだろう、開式前にもうビールを進めてしまっているようだ。

 お孫さんもいるという割には後退した額から頭頂にかけては天井の蛍光灯を反射するほどに艶光りし、目尻を下げた小さな目からは黒い瞳が精力的にこちらを見つめていた。

 OBと言っても団長の経験もあるそうで、本人からしたら青年団そのものが気の置けない者の集まる集団なのだろう。始まる前から無礼講とばかりに薄い肌着とステテコ姿になったその姿は、むんとした男臭さを漂わせている。

 丸く出た腹から続く胸のラインには、その内容物のずっしりした重量感が表れており、こんもりと盛り上がった股間には下着の前布からはみ出した黒々とした茂みすら透けて見えている。

 まだ五十代後半でもあるし、老け込むというわけでも無いのだろう。端から見える勢いとしては、今現在の団長でもある良さんよりも遙かに活動的に見えるほどだった。

 

「白沢さんの祭りでは、ほいっぱい皆からヤられたて思うばってん、どぎゃんだったな?」

「はは、あれほど気持ちよかったのは生まれて初めてでしたよ。祭りんなかったら、今日のごたる月待ちの行事も楽しみにはならんだったでしょうし、最初ん年にさせてもろたとは、ホントにちょうじょうでした」

 にこにことした風貌から尋ねられると、こちらも思わず正直に答えてしまう。

 実際、白沢さんの祭りでの籠もりの経験が無ければ、この村での生活の中でも俺自身の性的な指向がここまで固まるのには、もっと時間がかかったことだろう。

 己の肉体を使い相手に快感を与え合うあの集団での儀式は、自分自身の中にどこか「恥ずかしいもの」「隠すべきもの」としていた「性的な心地よさへの欲望とその発露」が、自由であるとともに当然のものだという認識に至らせてしまっていた。

 保典さんの質問とそれに対する自分の答えも、この村に来る前であれば公の場所で交わされる会話に出来るなどとは露ほども思わなかったことだろう。

 

 そうこうしているうちに時間前ではあるが予定されていた参加者がみな揃ったようだった。今の青年団では上から2番目になる副団長の昭則さんが最初に声を上げる。

 先月もそうだったことを思えば、月待ち講にあたっては団長の良さんでは無く、主に仕切るのは昭則さんがやっているのだろう。

 

「時間にはちと早かばってん、参加者も揃ったけん、そろそろ始めさせちもらいます。今日はOBの保典さん、茂さん、義久さんも来ちもろとっけん、最初に保典さんに一言もの言うちもろてからと思とります」

 

「団ば上がっちかるは大勢で集まっともなかなか無かもんだけん、今日はたいがな楽しみにしとりました。年の功で俺っが色々仕切らせてもらうごて頼まれちゃあおるばってん、気持ちんよかこつならどんどん途中でん言うちはいよな。

 茂と義久も楽しみにしとったてこつだけん、年寄り組も若っかとも、みなで一晩中楽しむるごてしていこうち思とるけん、みなもなんさまよろしゅう頼むなあ」

 

 立ち上がった保典さんは、くたびれた肌着が柔らかく包み込んだ丸い太鼓腹とずんぐりむっくりとした四肢が、まさに狸親爺の体をなしている。団員で言えば、朋久さんを一回り大きくした感じだろうか。

 昭則さん道則さんが兄弟でほとんど同じ体型をしているのを見た後には、逆に朋久さんと義久さん兄弟は初見では兄弟とは思われないだろう。

 義久さんは農作業で鍛えられた筋肉の上にうっすらと脂肪をまとった中肉中背の姿であり、腹の出た子狸のような朋久さんとはまったくの別体型だ。

 体格体型だけを見ていれば、保典さんと朋久さんの方こそが兄弟では無いかと思えてしまうのだった。

 

 直前まで茂さんが手を伸ばしていたらしい保典さんの股間はステテコの生地を押し上げ、むっくりとした亀頭の形すら露わになっていた。身体を伸ばした際に浮き出るラインと尻を覆う一枚布の様子から、やはり越中褌を下履きにしているようだ。

 ステテコの盛り上がりにわずかに滲んだしみが先走りか小便なのかは、ここからは判別が付かない。

 

「腹ん空いとっともおるどけん、ちっと飲み食いしちから始めようと思うけん、最初はおもさん喰うちはいよな。せんずり大会しとっときに、ちかがつれどんすんなら、のさんけんな」

 保典さんがそのまま乾杯の音頭を取る流れで、まずはひとしきりの小宴会となった。

 現役団員だけであれば現団長の良さんの方針でアルコールは飲むも飲まないも自由なのだが、保典さんは宴席では盛り上がりたいタイプなのだろう。

 皆が注がれたビールで乾杯し、俺も2杯を一気に空ける。その後は焼酎のお湯割りを楽しむことにした。