月待ちの講 睦月

その1

 

 半月前の白沢さんの祭りの余韻もようやく落ち着いてきた。

 

 白沢さんのお祭りとは毎年1月中旬にこの村の男だけで行われる祭礼である。

 七日にわたる精進落としの籠もりとウマレキヨマリと呼ばれる二段階の神事で構成されている。

 祭りの主役となる「権立(ごんだち)」をまかされた俺は、「白落とし」という男達の手や口による強制射精の儀式で一日に幾度と無くイかされてしまい、足掛け8日にも及ぶ祭りの期間中には、それこそ何十回ともなる吐精を繰り返すことになったのだ。

 籠もり最終日には「白差し」の儀式で男達の肉棒に後口を貫かれ、たっぷりとその雄汁を尻肉の奥深くに打ち込まれてしまった。

 翌日の祭礼の集大成ともなる「ウマレキヨマリ」の儀式では「白浴びせ」で全身で男達の雄汁を受け止め、そのぬるぬるとした液体の強烈な匂いに包まれたまま、白沢さんと呼ばれる巨石の隙間を「胎内くぐり」として通り抜ける。

 最後に「当家(とうや)」として俺の世話に当たっていた青年団長の良三さんの肉棒を俺が「吸い初め(すいぞめ)」し、さらに祭り期間中禁欲し溜め込んでいたその多量の精汁を「喰い初め(くいぞめ)」として俺の尻穴に打ち込まれてしまう。

 これら一連の儀式を経ての、本来であれば男子成人の儀式として)「ウマレキヨマリ」出来ました、という擬死再生による地域の生命力の循環再生を促すものだったのだ。

 

 通し8日間の祭りの間、それこそ己の限界までの吐精を果たしていたと思っていたが、どうやらこの祭りで刺激され強烈に意識することとなった俺自身の同性への憧憬と情欲は、それだけではおさまらなかったようだ。

 学生時代の寮生活でせんずりの掻き合い程度の経験はあったが、同性である男達に全身の性感帯を嬲られながらの何十回にも及ぶ射精と、籠もりの間にじっくりとほぐされた肛門を使った行為がもたらしたその快感と感動は、実に凄まじいものだった。

 その快感と村の男達の朴訥とした誠実さ、あるいは農業や林業といった生業にて鍛えられた肉体の抱き心地の良さを知ることは、幾ばくかの不安定さを見せていた俺の性的指向を見事にまとめあげ、その指し示す方向を確実に固定してしまったのだ。

 

 同性に対しての新たな欲望の滾りとそれを解決する方法を見つけてしまった俺にとって、いずれも逞しい村の男達の肉体は目にするだけで情欲の熾火を燃え上がらせてしまう。

 祭りが無事に終わったその夜、直会(なおらい)の宴会で少し酔った俺を家まで送ってくれた信治さんと、あれほどの吐精を終えた後にもかかわらず、再びの交情を行ってしまった俺だった。

 本来なら白沢さんの御前に出る前には肉体に溜まったすべての雄汁を出し切った状態であったはずなのだが、あまりの情欲の激しさからか信治さんとの交情で、結局は数回の射精を繰り返してしまう。

 そのあたりは神様にも多目に見てくださいと信治さんと2人、さすがに体力の限界を感じた翌日の早朝に笑いあったものだった。

 

 ハレの日の最たるものである祭りが終われば、日常であるケの日々が戻ってくる。

 1月の後半ともなるこの時期の作業は冬野菜や春採れ野菜の世話がメインとなっている。農閑期でもある冬期の間に、春の植え付け計画などを青年団の連中や村の農業改良指導員に話を聞きながら進めていっている状態だ。

 農家として初めての春を迎える田畑をどう整備し、どんな作物を植え付けていこうかという考えることは、山間の冷え込みの中でも少しだけ心が浮き立つものだった。

 

「今日はちいっと温(ぬ)くなってきとるばってん、どぎゃんしとるな」

 農家や団の会合ではよく顔を合わせていたが、青年団の団長である良さんが久しぶりに家に顔を出してくれた。

 良さんは俺が村の過疎化対策での入植者募集に当選したときから、役場の担当の人と一緒になってなにくれとなく世話を焼いてくれている。

 良三、というのが本来の名前なのだが、役場の人達や青年団の連中からも「良さん、良さん」と親しみを込めて呼ばれており、団で一番年下となる俺もまた、同じように呼ばせてもらっているのだ。

 白沢さんの祭りでは全体の仕切り役でもある当屋として、権立である俺の肉棒をひたすらに扱き上げ、参加する青年団の男達の中でも一番の数をこなしてくれた人だった。

 

「2月に入るともういっぺんどま寒なるとは思うとですばってん、ちっとでん温くなっとありがたかもんですね。平地とは違おて、やっぱりこっちは朝の冷たかですよ」

 この地に暮らすみんなとなるべく早く打ち解けたくて、耳にする方言をなるべく使ってみるようにはしている。

 

「明日ん集まりは、よかなら褌ば締めち来なっせ。みなで一緒に温くもっとよかけんな。汁ばほいっぱい溜めとかんといかんけん、今日はててんごすっといかんばい」

 越してきて4ヶ月にもなると良さんの卑猥な冗談口にもさすがに慣れてくる。

「いじるとはよかばってん、出したらいかんて話でしょたい」

 俺の返事にあっはっはと笑ってくれた良さんだった。

 

 良さんの言う「明日の集まり」とは一体なんのことなのか。

 

 明日、1月の晦日31日の夜から翌2月1日の朝にかけ、この村では月末恒例の「月待ちの講」が行われる。

 参加者は基本は祭りの主体でもあった青年団の7名になるのだが、50を越え団を抜けた年長の男達の参加もたまにはあるらしい。

 今回は祭りの慰労も含め、気兼ねなくすごせるようにと団の連中のみの参加となるようだ。

 俺自身は「白沢さんの祭りが済むまでは」との周りの声に従い、入村からこれまでの参加は見合わせてきていたため今回が初めて参加となった。

 

 全国のあちこちに「旧暦の庚申(かのえさる)の日の夜中に体内から抜け出し、閻魔大王に人間の悪さを伝える三尸(さんし)の虫の動きを抑えようと一晩寝ずに過ごす」という伝承が残っている。

 これらの言い伝えとおそらくは村落での互助組織として機能していた民間銀行的な「講」の組織が混じり合う中で、いわゆる「会合」や「宴会」との区別がつかなくなっていったものが「庚申講(こうしんこう)」なのだろう。

 さらに時代が下るとこの庚申講は月末やあるいは各月の15日、22日、23日などに住民が集まる「寄り合い講」へと変化していったものも多く、俺が移住してきたこの地域にあっては、青年団による月末の泊まり込み行事へと受け継がれているようだった。

 

 実際の中味はと言えば(大きな行事の前後などで開かれないときもあるようだが)、毎月の晦日に主に青年団の連中が公民館にもなっている若衆宿に集まり、夜明けまで寝ずに一晩過ごすというものだ。

 寝ずに、という内容からして先ほどの庚申講が変形したものとは思っていたが、この村での男性同性同士の様々な肉体での交情を知った今では、その中身が単なる飲み会や親睦を深めるためだけのものとはとうてい思えるはずもない。

 現に良さんや信治さん、他の団員からも「初めてならたいがな面白かて思うばい。しっかり溜めてこんといかんけんな」と何度も念を押されたぐらいだ。

 団で一番年の近い信治さんの話だと、毎年1月末の講では白沢さんの権立をやり通した男が、今度は皆の精を抜く係になるという。

 

 確かに白沢さんの祭りでは、立ち居振る舞いから三度の食事、果ては大小便の世話まで、青年団の連中の手でひたすら奉仕され、雄汁を抜かれまくった七日間だったのだ。それ以降、初めて開かれる月待ち講で、権立だった俺がそのときの借りを返すような意味合いで全員に奉仕するというのは、ある意味、理にかなっているようにも思えた。

 

 七日籠もりの神事で男達に自分の肉棒を、扱き、しゃぶられ、ついには尻肉を犯されながら放った精汁は、いったい何十回になるだろうか。

 今度はあれを俺一人で他の団員達にやり返すとなるのなら、かなり気合いを入れないといけないことは明らかだったのだが。

 

 泊まりということでその一日をどのように過ごしているのか、青年団の連中にぽつぽつと聞いてはいたが、夕食は各々軽く済ませた後、日も落ちた8時ほどから三々五々と集まってくるという。酒やつまみ、夜中に小腹が空いたときの軽食などは、自分達で用意して一晩中寝ずに過ごす。

 夏場は夜明けを待って、冬場でも5時頃には解散。2、3時間仮眠して自分の処の午前中の仕事を済ませ、午後はゆっくり過ごすのが定番だそうだ。

 月初は組合関係での用事もそこそこあり、丸1日休むというわけにはいかない。そのあたりはみなで協力しながら乗り越えてきているのだろう。

 

 当日を迎えた俺は昼間のうちに翌日の作業の準備を行い、街に下りてスーパーに向かった。

 初めての参加でもあるし自分の夕食と一緒に宿への差し入れもと、惣菜やサンドイッチ、握り飯を多目に仕入れておく。

 一風呂浴び念のためにと尻もしっかり洗うと、団の連中から何本ももらった六尺褌を締め込む。

 握り飯と総菜で軽く腹を満たし、青年団の中では一番の下っ端ではあるわけだし準備もあろうかと集合1時間前の7時には着くようにと家を出た。

 会場である若衆宿に向かう足取りは、初めて参加することになる行事への緊張と好きあった男達との中でどのような快感を得られるのかの期待の中で、自然と早足になってしまっていた俺だった。

 

 こんばんは、と宿の玄関の引き戸を開けた。

 カラカラと響いた音に、奥の広間の方から「おお、来たな」と声がかかる。

 暖房の効いた室温に上着を脱ぎながら大広間に進むと、すでに2人の先達が来ているようだ。

 

 俺から見て5つ上の篤志さんと道則さんが座布団にどっしりと座り込み、煙草をくゆらしながら話し込んでいた。

 2人は同い年でもあるせいか、農作業や役場での会合などでも一緒にいるところを見かけることが多い。

 篤志さんは色黒の肌に短髪、中背肉厚のむっちりした身体付き。うっすらと生えている腹毛と胸毛がいやらしさを感じさせる。

 道則さんは上背もあり、全身に筋肉と脂肪が乗ったボリュームのある肉体が見事な坊主頭だ。

 2人とも早くに来て会場の準備をしてくれていたのだろう。広間の右奥には座卓が並び、すでにコップや取り皿、箸の支度なども済んでいるようだった。

 

「早く来たつもりだったんですが、準備は世話になりました。今日は初めての月待ちなので、よろしくお願いします」

 畳の間に膝を揃え、2人に頭を下げる。越してきて数ヶ月になるとはいえ、団でも一番の新人なので、そのあたりはきちんとしていた方がいいだろうと思ってしまう。

 

「権立はお疲れ様でしたな。あんときはたいぎゃな気持ち良かったろけん、今日はおっ達ば気持ちようしてもらうっとんごたっけん、よろしゅう頼むな」

 道則さんが笑うと無くなるような目をさらに細めながら顎をぐいっと上げ、茶化すように話しかけてくる。

 

「良さん達ん来てから言わすはずが、ミチが言うと楽しみの無(の)うなったい」

 篤志さんが横から慌ててさえぎった。

「ありゃ、言うて無かったつな。そっば早よ言うとかなんもん。こっちはもう浩平にも言うてあってばっか思うとったもんだけん、すまんばってん聞き流しちはいよ」

 同学年らしい気の置けない会話での篤志さんの話っぷりと道則さんの言い訳を聞けば、やはり今回は俺が皆に奉仕する形になるようだ。

 

 このまま道則さんに謝らせるのも何か悪い気がして、俺は笑いを殺しながら答えた。

「良さんや信治さんからあらかた聞いとりますけん、気にせんでよかですよ。今日はがまだしますけん、道則さんも篤志さんも、気持ちよう俺(お)っば使ってください」

 

「おお、信治からもう聞いとったつな。良さん達が秘密にしとっとば、おっが早う言うてしもたてなったら、どぎゃんしょうかて思うたたい」

 おどけた道則さんの言い様に、さらにこちらも笑いが出てしまう。

 

「はは、よかですよ。俺もあれだけ世話んなったみんなにどぎゃんして恩返ししようかて考えよったところですけん。みんなに色々すっとはこっちからお願いせんといかんて思とったので、ちょうどよか塩梅でしたけんね」

 標準語とチャンポンになっている俺の方言がおかしいのだろう、道則さんも篤志さんも笑いながらまあまあと席を勧めてくれる。

 一通りの準備は終わって暖房も効いていることもあり、2人とも上半身は脱いでしまっていた。

 とりわけ道則さんのズボンの股間の盛り上がりは、大きめのみかんでも入っているのではなかろうかと思うほどで、こちらの目も惹かれてしまう。これから始まる皆での行為に興奮を隠しきれないのだろう。

 見つめる篤志さんも、ほらほらという感じの目線を送ってくる。

 2人の楽しそうな様子に青年団の連中にとってのこの月待ち講が、この地域の娯楽としてかなりの比重を占めてるのだろうと思えるのだ。

 

 残りの4人も次々と顔を出し、7時半過ぎには全員の顔が揃った。

 篤史さんと道則さんの先例もあるせいか、軽く汗ばむほどのストーブの熱気に皆上半身は脱いでしまえば、むわりと男達の匂いが立ち昇ってくる。

 晒された男達の肌は一様に赤らみ、どこかそわそわと浮き立っているような気配も伝わってくる。

 同性の肉体への情欲を感じているのは、祭りで開花させられた俺ばかりでは無さそうだった。

 

 コップも皿も行き渡ったが、どうやら普段の宴会のようにビールで乾杯、というわけでは無いらしい。

 アルコールは眠気を誘うこともあり、飲むも飲まないも一人一人の自由にしてあるそうだった。俺はおそらく自分が主役となりそうな一晩を意識をはっきりとして乗り切ろうと、大きな薬缶で沸かしてあった麦茶をもらうことにする。

 夏場以外でも麦茶が出るのは珍しいが、温かいそれもまた乙なものだ。

 

 ビールやジュース、コーヒーや茶類などそれぞれの好みも様々だったが、団長の良さんの音頭でとりあえずの乾杯とテーブルに並んだ肴を摘まむ。

 良さんの次に年長の、これもまた大きな身体をした昭則さんは夕飯が間に合わなかったようで、腹減っててすまんなと言いながら結構な量を腹に納めていた。

 

 小一時間もした頃だろうか。信治さんからの目配せで、押入から布団を取り出すことにする。

 他の連中もテーブルの上や畳の上のビール瓶やペットボトル、灰皿を片付け始めるのを見れば、いよいよ「そのとき」が迫ってきたようだ。

 

 人数分より多い十人分の布団を敷き詰めシーツを張ると、各々ズボンを脱ぎ捨て下穿きだけの姿になる。俺もこの村に来てほぼ常用となった六尺姿が5人、大柄な昭則さんと道則さんは越中姿だ。

 篤史さんが用意しているのはローションだろう。1人遊び用のホールを使ったときぐらいしか経験は無かったが、この村の男同士の交わりには実用的かつ快感を何倍にもしてくれる優れものだった。

 

 皆が敷き詰めた布団の上で車座になると、昭則さんが話し始める。

 良さんの乾杯も昭則さんからの提案だったのを考えると、どうやらいつも世話役の良さんを立てる意味でも、今回は昭則さんが進行役となるらしい。

 

「白沢さんはみんなお疲れさんでしたなあ。

 特に浩平さんは初めての祭りが権立ばしてもらうことになったけん、たいがなたまがったては思うばってん、何十回も果ててもろうち、よか祭りになったてみんな感謝しとるけんな。

 今回の講は祭りではイかさるるばっかりだった浩平さんに、他のモンばぐっさんイかせてもろおうかと思うとります。

 朝までで時間はゆっくりあるけん、一人一人と話しながら、楽しみながらしてもらうとよかけんては思うとるばってん、浩平さんはそっでよかろかな?」

 

 新参者の俺に気を遣ってくれてるのだろう。年功序列であれば一番下の俺に対し強権的に押し付けることも出来そうな事柄も、こちらにしっかり尋ねてくれる。

 

「当日の直会ではなんだか興奮したままで、きちんとご挨拶も出来なかったと思うので、まずは御礼を言わせてください」

 

 俺は膝を揃えて座り直すと、皆の前で手を付いた。

「先の白沢さんの祭りで新参者の俺がなんとか権立という大役を勤め上げることが出来たのも、皆さんのおかげだと思っています。本当にありがとうございました。

 今日のことは少し聞いていましたし、俺も皆さんに気持ちよくイってもらえるよう精一杯頑張りますので、朝までよろしくお付き合いください」

 

 頭を下げた俺の周りで拍手が起こる。

 褌一丁での大の男のこのような格好に誰からもふざけたような声が上がらないことは、心の底から嬉しいものだ。

 

「頭ば上げなっせ。そぎゃんこつば言わるっと、おっ達も涙の出(ず)っごつ嬉しかけんな。

 籠もりんときしか話せとらんものもおっどけん、今日はじっくりみんなと話しながら楽しんでもらうとおっ達も嬉しかばい。

 若っかもんと違うて上のモンは回復すっとも時間のかかるけん、今日は年上から順にしてもらおうて思とるけん、そっで皆よかかな?」

 

 村の寄り合いや組合の打ち合わせで顔を付き合わせることも多くはあったが、確かに一人一人の団員と個別に話し込むということはあまりなく、入村からこちら、気を張って毎日過ごして来てしまっていた部分もあったと思う。

 昭則さんの言葉は、そんな俺に団員達とのゆっくりとした触れ合いを勧め、逆に他の連中も俺との行為だけの射精では終わらないということを示しているのだろう。

 明け方までの長い時間を俺との行為だけで終えるのはもったいないというのは当たり前で、各々が好きに絡み合う中、俺との順番を待つ算段らしかった。