重森大介氏 - 三太 共作作品

「褌祝」~褌で繋がった男たち~

第一章 利夫

 

「解散ッ!」

 監督のどこまでも通るような野太い声が、道場に響いた。

 辛く、厳しくも、終えてみれば実に爽やかな稽古が終わった。

 

 松本利夫は、今、全国大学柔道選手権大会に出場する某大学柔道チームのキャプテンを務める。キャプテンと言っても選手ではなく、チームをまとめ、選手のあらゆる面を掌握するサポートメンバーであり、控え選手の一人だった。

 チームの代表としては主将を務める同級生の川中がいる。その川中と肩を組み道場を後にすると、二人が生活を共にする寮の部屋に戻った。

 

 利夫は長野県北部の山間に開けた町の出身で、父はその町で道場を開いていた。

 いずれは、その道場の跡を継ぐべくして幼少期から父から直接指導を受け、まさに柔道に明け暮れる日々を送ってきた。父は利夫を文武両道に長ける男として育て、学問についても厳しく指導してきた。そんな父の指導に対し、利夫は文句一つを言うことなく、従順にそれに従った。決して強制ではなく、自ら進んでそうしていたのだ。

 誰が見ても真に強い男になりたい、その一心だった。

 

 高校卒業後、利夫は柔道の強豪校である東京の某大学に進学することとなり、初めて親元を離れることとなった。

 入学後、すぐに柔道部へと入部した利夫はメキメキと実力を伸ばしたが、2年生の冬に膝を痛めてからは伸び悩み、それが原因となり思わぬ成績しか上げられずにいた。

 一方、同室の川中はそんな利夫を尻目に、より実力をつけ、全国指折りの選手にまで成長した。利夫は自分自身の選手としての活躍はすでに諦めていたが、柔道から離れることはせず、柔道部に身を置いたままキャプテンとして、主将である川中を全面的に支援することに専念していたのだ。

 

 毎年、全国大学柔道選手権大会は晩秋に開催されることとなっており、夏休みは休日を返上しての練習が続いたが、旧盆の8月15日を挟む3日間だけは休むこととなっていた。

 利夫は、今年はその休日を利夫の郷里で過ごさないかと川中に提案していた。

 東京育ちの川中はこれまで旅行もままならなかっただけに是非行きたいとなり、明日がその出発日となっていた。

 

 二人は入寮してからの仲だったが、妙に反りが合ったことから、すぐに意気投合し、どんな時でも二人でいる、周囲もうらやむような仲となった。

 ただ、その本当の理由は、それぞれが人にはいえない心に秘めたある共通の思いがあったからだ。

 

 互いにその時点では知らぬことではあったのだが、二人は女にはまったく興味を示せない男だった。

 お互いを「そうだ」と確信したのは、実に入寮したその日のことだった。この大学の柔道部員生は名門ということもあり、全員が部が管轄する寮での生活となる。

 入部し、寮へと案内されたその日、そんな二人が偶然にも同室に割り振られていたせいだった。

 

 利夫の郷里では、男子が15歳になると六尺褌を締める資格を与えられる。

 それは〝褌祝〟と呼ばれる風習が今も残る地域であり、利夫の頃は家を上げ盛大に祝宴が催されるほどだったのだ。

 利夫はその〝褌祝〟以来、自らの下着としては六尺褌だけを着用していた。

 

 時は高度成長時代に差し掛かっていた。

 利夫や川中に年の近いものの中で、六尺褌を常用しているものはすでに稀であったろう。大学に合格し入寮前の身体検査では、50人ほどいる新入生の中でも利夫だけが褌を身に付けていたのだ。

 

 そもそも利夫は早熟なほうで、小学4年生の冬には精通を迎え、自慰に耽ることもしばしばあった。当時において性機能は成熟していたかもしれないが、心はまだ幼いままだった。自慰による性的快感を得るというより、自分自身の行為で射精にいたる現象が面白かったのだろう。

 そのような中、利夫の認識を一変するある出来事が起こる。

 小学5年の夏、地域の子供会が開催した川遊びに参加した際、ある同級生の父親の褌姿に心を奪われ、それ以降、性的興奮を得る自慰の際、思い浮かべる対象が成熟した大人の男となったのだった。

 それから数年後、待ちに待った褌祝の儀式では、初めて利夫の心を奪った友達の父親ら、地域の大人たちから、褌の締め方だけでなく、男性器の機能や生殖のための行為を直接に、身振り手振り、手取り足取り教えられることとなったのだ。

 かつては生の女体に挿入する実技もあったらしいが、戦後はさすがになくなったらしく、それでもいわゆる大人になるための男子向けの性教育の場としても褌祝は機能していた。

 褌祝の講義では大人たちが実際に男根を勃起させ、自慰行為により射精に至ることや、膣への挿入を教え込む。女体が用意出来るわけではないので、男の菊門を女性器に見立てた実演もあった。

 利夫はその一連の講義にこれまでにない性的興奮を覚え、特にすでに覚えていた自慰の実技では大人たちに見られながら射精に至ること、行為を見られることでの快感も覚えることになった。

 利夫が男しか愛せない男になったのは、この時の経験が大きな岐路になったのだろうと、後になって回顧したものだったのだ。

 

 大学で寮の同室となった川中は、そんな背景が利夫にあるとはその時点では知る由もなく、事前の身体検査や同室であるがゆえに否応なく目にする六尺褌を締め込んだ利夫の体に、熱い視線を送っていた。

 川中はそれまで褌を着用したことはなく、また他人が締めている姿を見ることすら初めてだった。

 さらに筋肉の鎧をまとった利夫の体はその時点ですでに体毛に覆われており、その猛々しさに川中は目を見張った。

 

 そんな川中はというと、高校時代、部活動の先輩から〝かわいがり〟と称される後輩いじりを受け、利夫とは違う形での同性との性体験を繰り返していた。つまり自慰行為の強要や先輩の局部への奉仕、肛門性交に至るまでを経験していたのだ。

 初めは嫌だと思う川中だったが、回数を重ねるうちにそれらの行為が自らの快感へと変わっていく自身に迷いや疑問を感じ、自責の念に駆られ家出したこともあった。

 しかし、すでに川中の性的指向は変えられようのはずもなく、逆にそれを受け入れることこそが、真の男への道だと自己決定していたのだ。

 

 入寮初日の夜、二人はこのようなそれぞれの過去を吐露しあった。

 話した内容は故郷のこと、柔道のこと、趣味嗜好のことなど多岐に亘ったが、互いにさすがに自らの性的興奮が同性へと向かっていることそのものには言及できないでいた。

 そんな中、ふと川中が、

「立ち入ったことを聞くかもしれないが、松本くんは褌を締めてるようだけど、どうしてなの? 俺、褌姿って初めてだったし、とても印象に残ってるんだ。」

 と真顔で聞いてきた。

 利夫は、

「うん、川中くんがそう思うのも仕方ないかもね。だって今日だって俺だけだったし、田舎でもいつも六尺褌してたのって俺ぐらいだったからな。

 いいんだよな、褌って。言葉では言い表せないんだけど……、とにかくしっくり来るんだよ。締めた時、心が整うっていうか、気持ちが引き締まるんだ。

 もちろん、あそこもだけどね。」

 

 利夫は、目の前の川中に対し、自分の胸中をどう表現したらいいか、しどろもどろになっていた。

 しかし、その時、利夫は川中の股間が徐々に膨らみを増していることを見逃さなかった。無論、自身の股間も同じだったが……。

 

「俺の田舎じゃ15歳になると大人の男になったお祝いをするんだ。褌祝っていうんだけどね。

 六尺褌って子供のうちは締めちゃいけなくて、この15才の褌祝で皆に認められて初めて締められるようになるんだ。俺、それが嬉しくて、初めて締めた時もすごく気持ちよくて、だからずっとそうしてるんだ。これからもずっと、六尺褌だけでいくつもりだよ。」

 と続けた。

 

 既に怒張していた利夫の男根は前袋の中で窮屈になったばかりか、薄めの生地のジャージの上からも、その様子がはっきりと見て取れるようになっていた。

 川中の股間も同じだった。

 

 目の前にいる理想の相手。

 気力、体力、精力に溢れた若者二人は、どちらともなく、その手は相手の股間を求め始めていた。

 

「俺……」

 もう言葉は要らなかった。

 ジャージの上からお互いの股間をしばらく弄んだ二人は、上下の着衣を脱ぎ捨て、利夫は六尺褌に、川中は純白のブリーフだけになった。

 

 川中は利夫の股間を褌の上から舐め回し、前袋から逸物を引き摺り出すと、口に頬張った。川中の尺八で利夫の男根はさらに膨らみを増し、鈴口からは透明な液体が溢れだした。

 その後、一糸纏わぬ姿になった二人は一晩中、互いの漲る性欲をぶつけ合い、雄汁が枯れるまで男の精を放出し続けたのであった。

 

 入寮の翌日から始まった部活の稽古はそれは厳しいものだった。だが二人はその後に待つ二人だけの秘密の時間を楽しみにしながら耐えた。

 同室ゆえに毎晩でも身体を重ねることは可能ではあったが、柔道に対しての敬意を持った二人は試合の前や合宿など、特別練習の期間中には禁欲することでさらにそれが達成出来たときの喜びが増すことを知った。

 二人は厳しい鍛錬と肉体の快楽の解放とのバランスを、うまくコントロールしていったのだ。

 

 学年が上がり、鍛錬を重ね、互いにもはや右に出る者がいないほどの選手に成長したが、その強く結ばれた絆が解かれることとなる日が目前に迫っていたことに、二人は気づくはずもなかった……。

 

 

 大学3年の夏、短い休暇を利夫の故郷で過ごすために、利夫の自宅へと向かった二人は、翌日早朝、○△山の登山に出かけた。

 真夏の太陽は早朝にもかかわらず、ジリジリと照り付けている。

 麓でも標高1,000メートル近いことや、樹木が日光を遮り、涼しささえ感じる道のりは快適だった。標高2,500メートルの頂上に到達するのには2時間ほどを要する。

 途中、八合目あたりに避難小屋があり、また随所に湧水があったため、装備品も必要最低限で済むことから、地元ではこの登山道そのものが特にスポーツ愛好者にはトレーニングの一つに活用されることが多かった。

 

 二人は着実に歩を進め、午前10時過ぎに避難小屋に着いた。

 暑い中のため、疲れを感じ始めていた二人は、小屋で休憩を取ることにした。到着すると、我先に小屋の奥にある休憩室の畳に寝転がる。

 軽食をとろうと利夫がリュックサックに手をかけようすると、川中はその手を遮り、利夫の手首を掴み、自らの股間に誘ったのだ。

 

 その後は流れに身を任せた二人は、高原の美しい空気と鳥の囀りが周囲を満たす空間で、夏期の特別練習に没頭するため大学の寮ではしばらくの禁断だった行為に集中した。

 すでにお互いの性感場所を知り尽くしているばかりか、お互いがお互いの菊門に男根を挿入しあったりと、男同士ならではの行為はたくましい肉体の組んず解れつを繰り返し、多量の雄汁を2度、3度と放出した。

 

 汗びっしょりとなりながら行為に耽った二人はやがて空腹感を覚えたため、持ってきた握り飯を頬張ることにした。

 腹ごなしをした二人は、その後、頂上を目指す。

 程なく頂上に到着し、雄大な眺めを堪能した二人は、再び登山道を下りはじめた。

 緩やかな傾斜と森の中を葛折が続く。川中は太腿の筋肉トレーニングになるといい、走るように下り坂を駆け降りていく。

 方や利夫はスピードを抑えて歩を進めているうち、川中の姿を見失ってしまった。

 

「おーい、川中! 川中!」

 と叫ぶが、川中は反応しない。

 一抹の不安を感じた利夫がスピードを上げると。登山道の路肩が崩れているのに気がついた。

 下を覗くと、崖下の沢に川中の姿を見つけた。

 慌てて崖を下ると、そこには息も絶え絶えの川中が横たわっていた。おそらくは足を滑らせた際に転び、打ちどころが悪く、頭を岩にぶつけてしまったようだ。

 

 利夫の呼びかけに、

「さっきの利夫、最高だったよ。また……」

 と弱々しい声で答えた川中は次の瞬間にはぐったりっと全身の力が抜け、利夫の腕の中で息を止めてしまったのだった。

 

 利夫は流れ落ちる涙を拭うこともなく、麓まで走りだした。

「川中、川中……。」

 利夫は川中の無事を祈るばかりだった。

 麓の村の交番に着くと、すぐさま利夫は救助を依頼し、警察の先導で再び現場に戻った頃には川中の体はすでに毛布に包まれていた。

 微笑んでいるかのような川中の顔を見ると、利夫はここに誘ったことを悔いた。

 

「俺が、俺が誘わなかったなら……。全国大会で優勝し、オリンピックにも選ばれるはずだった川中を、俺が、俺が死なせてしまった。俺が殺したようなもんだ……。」

 

 その日から利夫の苦悩は続いた。

 川中の野辺送りはしたものの、利夫は実家に留まったまま、道着に袖を通すことすらできない。

 そんな利夫を心配した監督は、悔いることはない、確かに川中を失った事は大学にとっても、柔道界にとっても損失だが、利夫は川中の分まで生きて、形は違っても川中の柔道を後進に伝えていくべきだと説得した。

 

 1か月も経った頃、ようやく立ち直りを見せた利夫だが、大学の柔道部を退部し、その分、川中の分までと頑張って高成績で学位を取得し、翌年3月には晴れて卒業式を迎えることができた。

 川中の分も将来は柔道に携わるべきと考えていた利夫は、自らの柔道の原点でもある父の道場の跡目を継ぐべく、故郷に戻ることにしたのであった。

 

 悲しい過去を背負い、残りの人生を川中の追悼に捧げるべく故郷に戻った利夫は、しばらくの間は父に許しを得て道場で門下生の指導をしながら、毎日川中をなくした山に登り、弔った。

 あの小屋での二人だけの営みは鮮明に記憶しており、利夫は自らの雄汁を川中に捧げる聖水として使うと心に決めていた。

 あの時を思い浮かべながらの自慰行為により放出した雄汁を川中が転落した現場に撒き、手を合わせる、という行を自らに課し、実行する毎日が続いた。

 

 悲しみから癒えるには時間を要したが、1年が経った頃には父の跡目を継ぎ、正式に道場の師範となり、地域の学校や町内などに出向くなど柔道の普及にも奔走するまでになっていた。

 次第にさまざまな活動で忙しくなったこともあり、小屋を訪れてのあの「行」は、川中の月命日を含め、月に数度の行いへと変わってきていた。

 

 そんな暮らしを続けていた利夫に、人生の大きな岐路となる出会いが訪れる。

 

 それは故郷に戻り3年目を迎えた、4月のある日曜日のことだった。

 道場の新入生入会式が執り行われ、そこに並んだ小学生3年生から6年生までの10人の子供たちの中で、利夫の目を驚かす少年が立っていた。

 その少年を一目見た利夫は、直感した。

 

「あの子はきっと、川中の生まれ変わりだ。」

 

 まだ幼いが、川中のあの視線、顔つき、まだ子どもだががっちりした体型など、なにもかもが同じなのだ。

 確信はない。

 だが、なによりもその少年の名は俊夫という。字は違えど、読みは自分と同じ“トシオ”。

 運命的な出会いでしかなかった。少なくとも、利夫にはそう思えた。