冨士見消防署獣人吏員

その1

司令室での引き継ぎ

 

「皆さん、前勤(まえきん)体制、お疲れ様でした。それでは初動班切り換え時刻の2030(フタマルサンマル)となりましたので、猪野山良次(いのやまりょうじ)第一班副班長より、報告と引き継ぎをお願いします」

 

 日も落ち、昼勤務者も退勤し終えた20時30分。

 ここ冨士見消防署の中央司令室では、消防吏員達による勤務内容の引き継ぎが行われようとしていた。

 引き継ぎといっても朝方のそれとは違い、24時間の勤務時間中、前半12時間、後半12時間の間に行われる、初動班体制の交代宣言のようなものである。

 それぞれの班員達も勤務態勢の中で関わってきてはいることなので、勤務する人員自体がすべて入れ替わる朝の引継ぎに比べれば、その内容としては簡単なものと言っていいだろう。

 

 進行役を務めているのはヒト族の30才前後の吏員か。

 紹介を受けたのは、明るい栗毛色から落ち着いた茶色へと既に体毛色の変化も済んでいる、50手前の猪獣人である。

 

「ああ、では前勤務帯の報告を行う。

 本日0830よりの12時間における出動は救急6件、火災及び救助要請は0件でした。

 これより後勤務(あときんむ)時間帯12時間における初動班を、熊部班長の第一班より、牛ノ宮班長の第二班に引き継ぎます。

 牛ノ宮班長他、二班の皆、よろしくお願いします」

 

 促されたのは白い体毛と小さな目が印象的な、こちらもかなり大柄な牛獣人。

 全体に一例をし、十数人の男達の前で引き継ぎを受ける。

 

「熊部小隊長、猪野山副班長以下、一班の皆さん、初動対応お疲れ様でした。これより第二班が初動責任となります。

 二班吏員全員、救急及び火災・救助要請への安全な運行に努めます。一班の皆さんは、バックアップよろしくお願いします」

 

 頭を下げる牛獣人。

 進行のヒト族の吏員から、最後に壁際に立っていた熊獣人へと声がかかる。

 

「では最後に熊部隊長より一言お願いします」

 

 進行を務めていたのはヒト族の相良新一(さがらしんいち)、30才。火災現場の際にはバックアップに回り、救急及び救助要請の際には自らも救急車に乗る消防士長である。

 相良から『隊長』と呼ばれ机前のスペースに身体を寄せたのは、このシフトでは一番年長になるであろう五十過ぎの熊獣人であった。

 

「いつものことだが、一班の皆はお疲れだったな。気を抜くわけでは無いが、交代での仮眠休憩も取りながら、後半はバックアップをしっかりやっていこう。

 二班の皆は時間的に救急割合も増え、一番キツくなるシフトなのは承知かと思う。こちらも気を抜かず、されど過度の緊張もせぬよう、落ち着いて要請対処をお願いしたい。

 それではこれより後勤務態勢に入る。

 総員、動け!」

 

 隊長と呼ばれた黒毛豊かな熊獣人は、熊部弦蔵(くまべげんぞう)、52才であった。

 190センチを超す身長に150キロ近い体格は、消防署内でも一番の巨躯を誇っている。

 第二班の班長、牛ノ宮大河(うしのみやたいが)も体重は熊部とそう変わらずかなり大きな図体ではあるのだが、それでも上背も含めて熊部に軍配が上がるのは致し方の無いことであろう。

 

 ここ冨士見消防署は昼勤務の署長を含む8名と、24時間勤務後、48時間の休みをベースとする3小隊体制でシフトを回している。

 熊部弦蔵はシフト内2班体制を敷くこの冨士見消防署内の、第一班6名、第二班同じく6名、計12名の男たちによる第一小隊を率いる隊長であり、職制上は第一班の班長も兼務していた。

 もっとも第一班では普段から、今夜引継ぎを担当した副班長、猪獣人の猪野山良次が実質的な班長業務を引き受け、弦蔵自体はやはり隊長職として全体に責任を持つ体制で回しているのだ。

 この24時間を担当している第一小隊においては、両班ともに獣人3名、ヒト族3名所属のバランスの取れた班構成がなされている。

 とは言っても、本来であれば一つの班は7名で構成されるのが定員のはずではあるのだが、昨今の消防士不足のあおりを受け、ここ冨士見消防署においても各班マイナス1名での配置をせざるを得なくなってしまっていた。

 

「お疲れ様でした。隊長、いのりょーさん、仮眠どうぞ」

 

 副班長の猪獣人、猪野山良次は同僚達からは『いのりょーさん』と呼ばれているらしい。

 ついこの間までは『いのさん』で通っていたのだが、親戚にあたる猪野山佐吉(いのやまさきち)が新人消防士として今年度から同職場に配置となり、2人の区別のために良次が『いのりょー』、若い猪野山佐吉が『いのきち』と呼ばれることになった。

 幹部職員からすると眉を顰めざるをえない吏員同士の『あだ名呼び』ではあるのだが、火災や救助活動現場における互いの呼び合いに敬称を付ける時間すら惜しむ現場職員からの支持が、この慣例を無くせない理由の大きなものだったのだ。

 

「ああ、ちょっと休ませてもらうか。なんかあったらすぐ声かけてくれ」

「まあ、放送聞こえちゃいますからね。なるべくゆっくり休まれてください」

 

 ふふんと鼻を鳴らしながら、ニヤリと答えたのはがっちりとしたヒト族の吏員だ。

 他の吏員達がみな青色のものを着用している中、1人だけオレンジ色の活動服姿は、レスキュー資格を持つ隊員なのだろう。

 

「なるベくぅ? なーんかトゲのある言い方だなぁ?」

 

 答えたのは話し始めた隊長の熊部では無く、一緒に仮眠予定の猪野山良次の方だった。

 

「あはは、あ、バレましたかね? まあ、なにを、とは言わないですけど、隊長に、いのりょーさん、お休みなさーい」

「まぁーったく、先輩達に敬意を持てや、敬意を!」

 

 いのりょーさんこと猪野山良次が、はーっと息を吹きかけたゲンコツで、会話をしていたヒト族の吏員の頭をこづく真似をする。

 互いにニヤリと笑いながらのそれは、男しかいない現場でのじゃれ合いに近いものだろう。

 

 端から聞いていればいったい何の話しだ、となる会話か。

 

 からかうかのように両名に声をかけたのは、第一班のヒト族吏員、レスキュー(特別救助)資格を持つ荒尾蘭堂(あらおらんどう)36才、いわゆるヒト族肉体系消防吏員だ。

 熊部としては社交辞令として『寝いってしまってたら、起こしてくれ』との意を伝えたつもりではあった。

 それを分かった上での蘭堂からの返事は、日頃の熊部や猪野山ら、獣人吏員達における『仮眠室利用』の実態を熟知した上での『なるべく休まれてください』との、言わば皮肉とも言える言葉だったのだ。

 

 ヒト族と各種多様な獣人達が混在して住むこの社会では、各種族におけるそれぞれの習性や体質の違いについては、かなりの部分で共通理解をしあう状態になっている。

 相良や荒尾など、もう数人いる小隊内のヒト族吏員と比べ、熊部や猪野山、牛ノ宮等の獣人吏員達は、火災現場での体力維持や外皮体毛等による損傷性の低さ、荒れた現場での踏破性の高さ等から、消火活動の先陣を切ることが多い。

 この現場配置の違いなどは、種族特性を生かした『差』の最たるものだ。

 同時に生理的な違いの多くも互いに認識されており、とりわけ勤務中における『休憩』『仮眠』などの時間の使い方は、ヒト族と他の獣人族では、かなり大きな違いがあったのである。

 

 そこに現れる単純な『差』とは、果たして勤務時間中に起こる『生理的な欲求』を指していた。

 中でも排尿行為などと並んで、今ではごく当たり前に社会に受け入れられてることが『獣人族における日内射精回数の保障』とでも言えるものである。

 

 一般的な話しで言えば、ヒト族にしろ、どの種族にしろ、署内勤務中に排尿を催した際、それを禁ずることなど出来ないことは、容易に理解できよう。

 それとまったく同じ生理現象として、獣人達、特に雄性個体における射精欲の解消は、かつてのヒト族中心の社会における『煙草休憩』的な在り様にて広く受け入れられているのだ。

 

 種族による差は大きいものの、獣人が通常勤務中に数度の吐精をすることは、すでに『当たり前のこと』として、周囲の者達も捉えている。

 ここ冨士見消防署内においても仮眠や休憩時間中に獣人吏員達が『抜いて』いること、それも『それなりの回数』をこなしていることは、衆知の事実であった。

 もちろんそこには『人前ではさすがに行わない』という不文律もまた働くために、必然、二人仮眠の場合はそれぞれが布団の中で背を向けて、ということが通例となっていたのだが。

 

「いのりょーさんっ、その、交代の時に後片付けだけは、お願いしまっス!

 けっこう、その、色々匂うっスから……」

 

 熊部とともに仮眠時間に入る猪野山に声をかけたのは、やはりヒト族の良町悟(ややまちさとる)24才であった。

 その言葉の後半が、消え入るように小声となったのは、先輩吏員達への遠慮もあるのだろう。

 良次の親戚である猪野山佐吉の配置までは署内で一番の若手であった悟は、使いっ走りの任を佐吉へと譲ることが出来て、ホッとしているところである。

 相良と同じく班内事務要員ではあるが、大型消防車の運転及び各種機動車の操作のために現場に赴くことも多い若者だ。

 熊部達の次の仮眠には自分と相良が入ることから、布団の中にべっとりとこぼれた濃厚な雄汁の匂いはさすがに勘弁、といったところか。

 

「おう、さとる! ちゃんとまとめて捨てとくから心配すんな。ああ、佐吉とは蘭童が一緒だよな。あいつの分のゴミ箱は、もう入れるとこ無いかも知れんがな」

「お、おじさんっ、じゃなかった、猪野山副班長っ! それって、ほら、蘭童さんには俺、悪いと思ってるんスから!」

「ん? 俺は別に気にしとらんぞ、いのきち。つか、そんなの気にしとったら、この仕事なんぞ、やれんしなあ」

 

 第一班副班長の猪野山がガハハと笑いながら返事をし、突然話を振られた署内でも一番の若手になる猪野山佐吉、20才が、あたふたと返事を返す。

 ゴミ箱云々の話題は、自分らの番のうちに、せんずりの後処理をしたティッシュでゴミ箱がいっぱいにしとくという示唆なのか。

 蘭童の返しも、そのような豪胆さがあるがゆえの、同期仮眠者として獣人である猪野山佐吉とのペアリングがしてあるからだろう。

 

 ひとしきり笑いが出た後に、猪野山良次と苦笑いをしている熊部がともに仮眠室へと向かう。

 残された吏員達も二人を見送った後、まるで何事も無かったかのように通常の業務へと戻るのであった。