小さな希望
ガズバーンの宮殿、その大広間にて淫獣フェンリルが生み出された日の翌日であった。
からくも王宮を逃げ出した龍騎リハルバが、ようやく西の草原へと辿り着く。
ガズバーンへの道中はワイバーンの背に乗っての数時間であったが、主に気流と地形を利用した滑空を主とするドラガヌの飛行方では、その何倍もの時間がかかってしまったのだ。
「やっとか……」
一時の休みもなく飛び続けたリハルバの疲労は限界に来ていた。
ゲルの上空、居住テントを目視出来る距離にまで近付いたリハルバ。
「ああああっ、な、なんということだっ!!!!」
ガズバーンの王宮でのあまりもの出来事に、どこか思考の一部を封印されてしまったかのようなリハルバであった。
友好国ガズバーンの状態も気にはなっていたが、なんといっても自ら『契り』を成したラルフの動向への不安が、あまりにもリハルバの胸を塞いでいたのだ。
そしてその不安はある懸念を完全にリハルバの意識から消し去ってしまっていた。
『ガル自らが率先して飛龍での移動を始めてしまったため、ガルとラルフがいない居住地に(今でこそ思えば)ワイバーンの息のかかった者達を残して出てきてしまったこと』
計算高いワイバーンが支配していたらしきガルが、なぜあのような性急な行動を取ったのか。
なぜに馬と飛龍という、移動速度では比較することすら出来ないほどの手段の違いをなんらいぶかしがることなく、随行員達を残してガズバーンへと向かうことが出来たのか。
なぜに運び込まれた飛龍の大きさに比して、まるで人族を監禁するかのような細かな鉄格子が施された『檻』が用意されていたのか。
そもそも、軍が主たる利用者であるはずの帝国最大の18頭立てともなる馬車が、なにゆえに用意されていたのか。
それらの疑問がリハルバの胸中に一斉に浮かび上がり、さらにはその思いはある一点へとその解を指し示してしまう。
ゲルに残されていたのは、ノルマド族の女と子ども、老いた者達だけであった。
働き盛りの男達、勇ましく草原を駆け、龍騎を駆る男達の姿は一人も見当たらない。
合わせて、ノルマドの男達と『契り』を結んだ龍騎の一族も、一人もいない。
残された者の話を聞く前に、すでにリハルバの中にはその明確な解答が浮かび上がっていた。
「さらっていったのか、男達を、龍騎の一族を……」
今は周辺他国との良好な関係を結んでいるノルマド、ドラガヌの一族も、かつては『狩り』を生業の中心としていたれっきとした戦闘部族である。
その戦闘力、機動力だけを見れば、一国の軍隊にも比肩される存在であったのだ。
その中心たる『契り』を結んだ男達がすべてゲルから消え去っている現状は、両一族の存亡そのものにも関わる大事件であった。
「分からぬのです。本当に分からぬのです。
ガル様、ラルフ様方がガズバーンに向かわれた後、随行の方々にはせめて暖かいものをと食事に招いたのですが、その席の途中から、残されたものみなの記憶が失われておりました。
気が付けば男達、龍騎達が一人もおらず、周辺を探ったところ、馬車の轍だけが残っていたのです。
南の龍騎一族の居住地への知らせも考えたのですが、そこまで飛ぶことが出来るドラガヌの者も一人も残っておらず、途方にくれていたところでございました」
女達を取りしきる者に尋ねても、どうやらガズバーンからの随行員達との宴席で、薬か何かを盛られたぐらいの情報しか出てこない。
馬車の移動速度を考えれば、おそらく明日のうちにもガズバーンへと同胞達が連れ去られてしまうのは確実であった。
龍騎としての最高の状態であっても、ガズバーンへと引き返すには時間が足りぬ。
リハルバが己の内心の揺らぎと、いかに自分が動くかを奇妙な冷静さで計算しようとしていたそのとき、周囲を警戒していた若い女から、報告が入った。
「リハルバ様っ、そ、そのっ……」
「いかがいたしたっ?」
「そ、その、ガズバーンから来たと思われる竜人の姿を丘の向こうに見かけて……。私、怖くて怖くて……」
この事態に及んで、残された女子どもが竜人への警戒心を持つことは当然のことであった。
まして王宮での異常な宴を垣間見たリハルバにとって、あまりにも衝撃的な出来事の連続は、もはや通常の思考すらままならなくするほどのことであったのだ。
「よいっ、私が行くっ! みなを族長のゲルに集め、子どもと年寄りを守れ!」
哺乳類である狼をトーテムとするノルマドの一族では、竜人や龍騎の一族と比べ、性差による戦闘能力の違いがどうしても表面化してしまう。
今ここに近付いてきている竜人がはたしてワイバーンと通じているものかどうかは分からぬが、それと思っての対応が必要であろう。
また、たとえそうでない場合でも、残された者達が戦闘能力の低い一族の者だけと相手に知られてしまえば、何らかの争いになった場合に遮蔽物のないこの地において、非常に不利な事態になるのは避けられない。
ここが正念場か。
その決意を胸に、リハルバが丘に向かってその身体を中に浮かせた。
「おおっ、グリエラーン様っ!
あれに見えるは龍騎ドラガヌの一族っ!
我らの接近を知り、迎えに来てくれたのでしょう」
はたしてノルマドのゲルに向かう二人はグリエラーンとダイラムの竜人二人であった。
ワイバーンであれば数時間、ドラガヌの必死の飛行で約一日との距離にあるガズバーンであったが、徒歩しか移動手段の無い二人にとっては、2週間以上もかかる道のりをひたすらに目指してきたのであった。
「おおーい、ドラガヌの御方っ! 我はガズバーン皇帝グルムが息子、グリエラーンだ。族長ガル殿へのお目通りがしたいと伝えてくれー!」
今後のよすがに繋がるはずの糸の突端にようやく触れることが出来たグリエラーンが、不用心にも大声でリハルバの飛影へと大声を放つ。
上空を旋回しながら、いぶかしがるリハルバ。
「同行のものは誰だ、名を名乗れ!」
この距離があれば直接的な脅威はあるまいと、リハルバが聞き返す。
「ああ、彼は帝国魔導団団長、12が大魔導の一人、ダイラム殿だ。かつてガル殿にも魔導の教えをしたとも聞いているっ!」
グリエラーンの伸びやかな声が草原を渡る。
その声の調子、飛龍を運び入れた実態を知らなげな気配などを勘案し、一定の距離を置きつつもその足を大地へと着けたリハルバである。
「こちらへはどのようにして参られたのか。ガズバーンからであれば馬も馬車もあるかとも思えるが」
「ああ、よんどころない事情にて、歩いてこちらへと向かったのだ。出立はもう半月も前のことだが、ようやくここまで来れた。
そのことも含めて、ガル殿と話をしたく、なんとかここまでの歩みを進めてきた次第だ」
幾分かの情報提供、互いの出自と簡便な歴史の確認。
近付かないリハルバに、グリエラーンもまた若干の警戒心を持ち始めたのだろう。互いの距離を保ったままの問答が続いた。
ワイバーンの支配下にあったガルの様子に微妙な違和感を感じたリハルバであったからこそ、グリエラーンとダイラムの様子に別個の安心を感じたのは、魔導の力と直感とが連動している若き龍騎ならではの判断であった。
「分かった、あなた方のことを信じよう。この丘を越えれば我らのゲルだ。ただ、あなた方が会いたがっているガル殿は、残念ながらここにはいない」
全体像を伝えるかどうかは別として、この情報の伝達は、リハルバにとっても大きな賭であった。
「どちらかに出向いておられるのかな、ガル殿は?」
「ああ……、ガル殿、そしてその子であるラルフ殿は、今現在、あなた方のガズバーンにいるはずだ」
その瞬間、竜人達2人に極度の緊張が走る。
「な、なんと言われた! ガズバーンに、ガズバーンに行かれたというのか!」
「なぜ、なぜ今なのだ。なぜこのときに……」
2人の慟哭とも取れる叫びに、ようやうワイバーンの影響の懸念を捨てたリハルバが、尋ね返す。
「やはりガズバーンでは、なにか恐ろしいことが起こっているのだな……。
私も昨日、ガズバーンにいたのだ。
からくも、いや、己の力の無さゆえのあまりにもみじめな逃走をしてきたのがこの私だ。
あなた方も、あの地から、あの王宮から、『逃げてきた』と判断してよいのだな?」
「あ、ああ、そうだ、そうなんだ……。なんという、なんということだ……」
ここに来てようやく互いの置かれた立場、状況を共有する前提が整ったのである。
ゲルに案内された竜人2人と、リハルバとの間での熱心なやり取りは、何時間も続いたのであった。
互いの情報を共有する中、だんだんと見えてきたガズバーンの現況と、アスモデウスの顕現で味合わされたグリエラーン達の経験が、リハルバの心の奥底まで染み入っていく。
とりわけ父である皇帝グルムの精を受けざるを得なかったグリエラーンの心情を思えば、自らがあの場を飛びすざったことが唯一の正解であったことへの慰めも出来ようものであった。
同時に、今あの広間で行われているはずのあまりにもおぞましき行為もまた、想像出来てしまったのではあるが。
狼獣人であるガルと龍騎ダルリハ、同じくラルフとリハルバ。
互いに『契り』を結んだ者同士の情愛が、おそらくはことさらに陵辱されているだろう現状には、胸打ちひしがれる思いがこみ上げてくる。
「とりあえずは残されたノルマドの者達の安全の確保が第一だ。
これは我がドラガヌの一族の生育地にて保護を頼むつもりでいる。さらにはガズバーンの王宮におそらくは囚われている同胞達、ノルマドの民、もちろんガル殿、ラルフ殿、ダルリハ殿の奪還をも視野に入れなければならない」
「ああ、あなたに取ってはそこが目的となろうが……」
「我に取って、とは、他に何があるというのだ、グリエラーン殿?」
一族とノルマドの安全と保護を優先する立場のリハルバが、グリエラーンの何か含みのありそうな言い回しには違和感を感じたようだ。
「……もちろん、最初に手を着けるのはそこだということで私の考えも一致している。ただ……」
「ただ、なんだ? はっきり言ってくれ」
外見ではあまり区別がつかぬものではあったが、長命なドラガヌ一族の中でもリハルバは若くして『契り』に至った、ラルフを『始めの1人』とする若者であった。
種族の違う者から見ればどこか賢者のたたずまいを持つドラガヌ達の中でも、リハルバはまだまだ血気に溢れた青年であるのだ。
「私は、このあまりにも不幸な状況を打破するためには、やはり根本の存在であるアスモデウスに対しての何らかの行動を起こさねば、と考えている」
「あなた方は直接あの眷属の力を味わったのでしょう?
私はほんの片鱗、そのざらついた、淫猥な『気』を、ほんの少しだけ肌身に感じただけで、『契り』を結んだラルフ殿すら置き去りにして逃げてきたのだ……」
ダイラムとグリエラーンにも、その慟哭は痛いほどに伝わっている。
「だからこそ、だからこそなのだ、リハルバ殿!」
グリエラーンもまた、若く熱い思いを持つ青年であった。
「アスモデウスに直接相対した私には分かる。あれはどのような強大な軍をぶつけても勝てる相手ではない。この世の理を越えた力を持つ連中だ。
戦おう、などという夢すら私には見ることが出来ないのだ、リハルバ殿。
我らに出来ることはただ一つ、周囲の国々をも巻き込み、魔導の力を見いだし、育て、あやつらの動ける範囲を徐々に狭めていくことのみ。
古の伝説に聞く『封印』に近い動きを、我らが作り上げていくしかないのだろうと思っている」
熱く、しかし、訥々と語るグリエラーンの言葉に、聞き入るリハルバ。
「若い、若いあなたがそこまでのことを考えているのか……。私は、私はいったい、どうしたらいいのだ」
苦しそうに語るリハルバ。
その問いに答えたのは、老いた魔導師、ダイラムであった。
「まずは先ほどの話に出たノルマド一族の保護が最優先の問題じゃろう。
それに目処がつけば、リハルバ殿。どうか、どうか我らの足となり、翼となり、世界を回る手助けはしてくれぬじゃろうか。
アスモデウスを封じるための、人と、力を集める手助けをしてはくれぬじゃろうか」
長い人生を、ひたすらにその力の研鑽に努めてきた老人の瞳が、リハルバを見つめる。
その問いに、おろそかに答えてはならぬというドラガヌの若者の心も、また純粋なものであった。
「済まない……。グリエラーン殿、ダイラム殿……。
それは出来ぬ、出来ぬ……。私には、出来ないことのだ……」
「恐怖か、ドラガヌのお方よ。
その力をここにいたって生かせぬは、己の恐怖心から来るものなのか?」
思わず立ち上がる老ダイラム。
「違う、違うのだ……。
私が、私の背を預けることが出来るのは、今のこの世で『契り』を結んだ、ノルマドのラルフ殿ただ一人……。これは、これは、破れぬ、私には破れぬ、ラルフ殿との『誓い』なのだ」
血を吐くようなリハルバの言葉であった。
その文言に含まれた重みに思い至ったダイラムが、放心したかのようにどっとその腰を落とす。
「ああ、そうじゃった……。ノルマドとドラガヌの間に交わされる『契り』のことを、この儂が失念しておったとは……。
済まぬ、リハルバ殿、まったくもって、済まぬ……」
宙を見つめながら、ダイラムが諦めたかのように呟く。
「ご存じだったのですね、我らの為す『契り』のことを……」
「かつてこの地にも魔導の研鑽をと、しばらくガル殿とその親様に、世話になったことがある。
あのときはガル殿とダルリハ殿とがちょうど『契り』を交わされたすぐのときだった。そのときに『他言は無用』との条件で教えていただいたのだ。
もっとも、ガル殿にとっては、どちらかと言えば武勇伝のように話してはおられたが……」
「リハルバ殿、申し訳ないことであるのかもだが、私もまたあなた方の『契り』がどういうものか、知識としては知っております。
王宮で父から受けた帝王学には、各地の秘められた風俗や禁忌も含め、多様な情報があったのです。ですが、私はそれを承知の上で、あなたにお願いしたい。
私と共に空を駆け、この世界を守る一助となっていただきたいと」
グリエラーンの言葉もまた、その立場において誠実そのものの言葉であった。
ドラガヌのリハルバ、魔導師ダイラム、帝国皇帝嫡子グリエラーン。
それぞれがそれぞれの立場から発する言葉に、何一つの嘘はなく、何一つの含みも無い。
それがそれぞれ三様に理解出来ているからこそ、誰もが次なる言葉を紡ぐことが出来なかったのだ。
長い沈黙を破ったのは、リハルバであった。
「一つ、一つだけ、考えがある……」
「なにか案があるというのか、リハルバ殿?」
身を乗り出すグリエラーン。
「我らの中での『契り』とは、あくまでも個々人の気持ちの中、思いの中で成立しているものだ。それに反する行動を取ったとて、なにか種族としてそこにタブーがあるわけでも、罰則があるわけでも無い」
まさにそれは『ラルフ以外の者をその背に乗せる』行為のことを言っているのであろう。
「だが、やはりこの『契り』の重みは、私自身の中に深く根付いており、どのような理由があろうとも、私の心がそれを拒否してしまうのは事実なのだ」
深く頷く緋色の若き竜人。
「だが、互いの話を統合すれば、おそらく私があそこに残してきてしまったラルフ殿は、たとえ本人の意思に反したものではあっても、すでに『契り』の盟約を破った形になっているだろうことは、容易に想像がつく」
リハルバの言葉を聞くグリエラーンの胸中に蘇るのは、やはりあの実の父親の精汁を『自らが欲して』口にしたときのことか。
血流が止まるほどに強く握りしめた右手が白く濁り、その痕跡を残している。
「だから、というわけでは無いのだが……」
首を微かにかしげることで、話を促したのはダイラムであった。
「グリエラーン殿、私と、この私と、『仮の契り』を結んでいただくことは可能であろうか。
三日とは言わぬ、一日でよい。
私とあなたと、私とラルフ殿が行ったような『行為』を、互いに為すことは可能であろうか」
リハルバの紡ぐ文言の途中から、その声にはある種の力強さが戻ってきていた。
己の心を振り切り、理由付けのためかもしれぬその提案は、この状況にあたって生み出されたギリギリのバランスをもった産物にほかならない。
「そこまでの、そこまでの覚悟をしたリハルバ殿の言葉を、私が流すことなど出来はしない。
その行為が、あなたにとって大変につらく、その心に大きな傷跡を残してしまうことだというのも思い描けてしまう。
だが、だが、私もまた、あなたの背を預かるためにそれしか無いのであれば、ぜひその『仮の契り』を結ばせていただきたいと願う」
竜人とドラガヌ。
互いにその瞳から流れ落ちる水分は、他族に取っては汗と同等のものであるのではあるが、この場においてだけは、両名の頬を伝うそれは互いの感情と共感によるものに他ならなかった。
これまで考えられもしなかった一つの小さな未来が、小さな希望が、そこに生まれようとした。
「本当に、本当に、よいのですな。リハルバ殿、グリエラーン様。これはお二人互いの将来にも関わること。
本当に、本当によいのですな」
自らが見届け人となることでしか、この話が成り立たないことを理解したダイラムが、二人の意思の再確認を行う。
「ああ、ダイラム。私、ガズバーン帝国皇帝第2継承権を持つグリエラーンは、ドラガヌが民、リハルバ殿との『仮の契り』の儀式を、ともに執り行うことを心より望む」
「私、ドラガヌ一族リンバルが息子リハルバは、ガズバーン帝国皇帝嫡子グリエラーン殿との『仮の契り』を行いたく、その希望をここに宣言する」
再びの沈黙。
集う三人の男達にとり、明日への希望が、明日への小さな階段が、小さな小さな手がかりが、やっと目の前に現れたのである。
おそらくは、『仮の契り』、その一日においても、多大なる感情の揺れが二人を襲うだろうとはダイラムも予測はしている。それでも、いや、それだからこそ、種の違う二人の若者達だけが持ち得る勇気が、意気込みが、その揺れを御すこともまた確信しているダイラムであった。
「では、明日からは先ほどのノルマドの民の移動と保護に全力を尽くしましょう。
後にお二人の儀式を経て、まずは近隣諸国にこの危機を知らせることから始めなければなりますまい」
老いたとはいえ、竜人としての矜恃と体力はまだまだ現役であるダイラムであった。
その声には、力強さとともに、どこか明るささえ感じられる。
それはあの王宮を後にしたとき以来、初めて見えた、わずかな光明への期待と希望に満ちたものであったのだ。
立ち上がるグリエラーン。
雰囲気を察した二人も、その背を伸ばす。
「リハルバ殿、あなた方の風習にあるかは分からぬし、私が学んだ中にもそのような記述があったわけでも無いのだが……。
あなたとの『契り』の前ではあるが、あなたを抱いてよいであろうか。
あなたと胸を合わせ、その背に手を回し、互いの体温を感じ取る行為を、私に許してもらえるだろうか」
異文化の種族との最初の接触で気を付けるべきプロトコルは、帝王学を学んだグリエラーンにとってはその血に染みこんだものとなっている。
グリエラーンの持って回ったような言い回しに、リハルバもまた、この二日で初めての笑みを見せる。
「私もあなたの肩を抱きたい。その逞しき胸の筋肉を確かめたい。
そして、そして、『仮の契り』を済ませ、それから、本当に、もし、もし、ラルフ殿を救いだすことが出来たならば、契りを交わした者同士、三人で互いの身体を抱き合いたい。
それを唯一の希望として、私はまずは、今ここであなたと抱き合いたい」
歩みよる二人。
体格も体型も大きく違う二人ではあったが、その胸の思いは今、確かに一つとなっていた。
それを見守る魔導師の心にもまた、熱きものが溢れてゆく。
強く、強く、抱き合う二人の遥か上空に、きらめく星の光が見える。
アスモデウスと、これよりもまた生み出されていくだろう、その眷属達。
その力を、ただ恐れるでなく、ただ忌避するだけでなく。
この世界の理を守るべく、若き命がここに小さな繋がりを作った。
それは今日よりも明日、明日よりも未来をと、人々が繋がり生きてきた証でもあったのだ。
了