親方の現場の規則(平成編)

その2

親方

 

2 親方

 

「すみません、親方。

 もっと早く着くはずだったんですが、今朝方の人身事故で電車が遅れるわ、ダイヤが乱れて超満員にはなるわで、さっき◯◯駅についたもので……。」

 

 満員の電車に揺られ田山に案内されたのは、この『極雄会』の社屋ともなっている建物だった。

 玄関で声をかけた田山に促され、入口すぐの応接間のような部屋へと通された純也。

 

 田山が『親方』と呼んだ男は、かなり汚れた作業服のまま、こちらに近づいてきた。

 

 屋外での仕事も多いのか、顔も腕も日焼けした肌が汗を浮かべていた。年で言えば、田山と同じぐらいか、壮漢壮年の男である。

 見上げるような身長は180cmはあるだろう。それなりの体重のためか、プロレスの選手と言われても納得してしまう。

 

 顔は強面で、口髭が男らしさを増していた。

 短い首は頭そのままの幅と見誤る程に太く、服の上からも判る盛り上がった胸板はバンと張って、分厚い。

 袖から見える腕も、暑さにはだけた作業着の前から覗く首の下から覗く厚い胸筋も、太い剛毛に覆われていて、まるでヒグマかキングコングの人間版だった。

 

「暑い中ご苦労様だったね。

 田山から話は聞いてるから、心配はしなくていい。

 うちが扱うような、こざこざとした雑多な現場は初めてかな。後から息子が現場を案内するから、どんなところかを見てきなさい。」

 

 見た目に反してその話し方は穏やかで、純也はひとまずここならと、安心したのだ。

 親方自ら、お茶を淹れてくれる。

 ソファに座るように促され、案内役の息子さんが来るまで、この会社のあれこれの話を聞くこととなった。

 

 息子さんの母親とは死に別れのような状態で、いわば父子家庭として、田山と親方の2人で親方の一人息子との暮らしを守ってきたとのことだった。

 それもこの会社の寮で、みなから支えられてきていて出来たことだったろうなあと、懐かしそうに話す親方。

 

 建築現場という、互いの身体の安全、いやその命すらを任せ合う職場においては、社員同士の『意思の疏通』が一番大切と考えてきたこと。

 経営者としても、ここで働く男同士が、相手が何を考えているか言葉にしなくても分かり合える、まさに兄弟肉親のような人間関係を創ることを、会社の基本ルールとしていること。

 そのため社員は全員、外に家庭は持たず、男だけの住む社員寮に一緒に暮らしながら、文字通り『裸の付き合い』をしていることなどを、話してくれた。

 

 中年に差し掛かった時点でのリストラで将来への不安に苛まれていた純也にとっても、家賃、光熱費など食費以外のものがすべてタダなのはなによりもありがたかった。

 話を聞いていれば、賃金そのものにそう手を付けずに、日々の暮らしを構築することが出来そうなのだ。

 案内してくれた柔和な笑顔の田山や、強面でありながらもしっかりと話しをしてくれる目の前の『親方』も、同じ会社の寮で一緒に暮らすと知り、この職場への興味が俄然湧いてきた純也だった。

 

 純也も自分の家族構成や生い立ちのことを、2人の前で話していく。

 女の兄妹ばかりの中でたった一人きりの男として育ったこと。男兄弟がいてなんでも話せている友達がうらやましかったこと。父親が仕事の関係でほとんど家にいなかったことなど、自らの生育歴も、なぜかこの2人の前では不思議と自然に話すことが出来る。

 

「なんだかお二人の話を聞いていると、ここはずっと独り身だった自分にとって、最高の場所なんじゃ無いかと思えてきます。」

 

 味毛もないが誠実さだけを旨として生きてきた自分としても、男同士、同性同士、雇用主と従業員達が、それこそ気兼ねなく一つ屋根の下で暮らすことが出来ているこの会社に、すでに惹かれていることを言葉にしていた。

 そのような会社と縁を結ぶことができ本当に嬉しいという自分の気持ちを、親方と田山に、素直に伝えていたのだ。

 

「はは、そういうふうに受け止めてくれるのは、やはり嬉しいもんだな。

 だが、話を聞いていると、純也君は、それこそ男同士での生活体験はほぼ無いみたいだし、それこそ一緒に立ちションしたり、風呂場で逸物を洗いあったり、せんずりを手伝ったりしたことはないんだろうなあ?」

 

 親方がびっくりするようなことを言ってきた。

 たとえ昭和の生まれであっても、純也自身、温泉旅行などは別として、地域の銭湯にすら行ったことはないし、トイレで並んで用を足しても、隣の男の性器をまともに見たことがない。

 同じ『モノ』を持つ男同士、しっかりと見たい気持ち、比べてみたい気持ちはあったのだが、そのときに限ってなぜかドキドキしてしまい、視線をやることが出来なかった。

 もちろん同級生や先輩のモノをじっくり観察したことも無いし、ましてやお互いのせんずりを見せ合うことなど、想像すら出来ない。

 

「はい、そういうのはぜんぜん経験が無くって……。

 男兄弟がいる友人がうらやましく思えたのも、そういうのが自然と会話に上がっていたからだとは思います。」

 

 それら一連の『出来なさ、経験の無さ』は、純也にとって、同性の肉体・裸体との接触が『嫌・不快』だったからでは無い。

 単に機会と自分の思いきりがなかっただけの話なのである。

 

 親方から聞く男だけが住む寮生活の話は、先ほどの言葉通り、純也が想像していた『理想の暮らし方』にも思えてきていた。

 これまでの人生の中、女性との肉体関係はもちろん何回かあったが、それはそれでドキドキするという感じではなかったと思う。

 むしろ、こうして目の前に股を開いて座っている親方のような、漢臭い同性の股間の膨らみを見る方が、自分にとっては激しく『いやらしい』気分になることに、今まさに、この状況の下で、純也自身が気が付き始めていたのだ。

 

 ああ、だから俺は、電車の中で触れていた田山さんの乳首や腋毛に感じてしまい、そしてあの特徴的な臭いにも嫌な気分にはならなかったのか?

 

 自らの奥底に眠っていた『思い』に気付いた純也は、かあっと自分の顔が熱くなるのを感じた。

 

「あ、あのう、その……。

 俺は、その、なんというか、そういう『経験』がホントに全くないんですが、大丈夫ですか?」

 

 もしやここは『そういう経験が豊富な男だけ』が、戦力としても仲間としても、求められているのでは無かろうか?

 純也は不安になり、目の前の2人に聞いてみたのだ。

 

 親方と田山は向き合って、思わずハハハッと大笑いする。

 純也の思う『経験』の意味が分かったのだろう。

 

「純也君は、男同士が一つ屋根の下で暮らすことが出来て嬉しいと、さっき言ってくれただろう?

 もうそれだけで、いや、まあ、そして、男のチンポや金玉のことを、それこそ『考えるだけでも嫌』ってんじゃなければ、大丈夫だぞ。

 純也君のようにそこがクリア出来てさえいれば、すぐ自然に、仲間の裸の体を受け入れて、男同士、同性同士、互いを大切にするようになる。

 それは仕事上でも生活の上でも、ワシが考える最も重要なことなんだ。

 だからこそ、ワシも含めて、ここの全員が裸同然で共同生活をしながら互いを理解していく中で、お互いの存在を尊重する態度が身につくんだ。」

 

 親方が田山の肩を叩く。

 

「こいつとも幼馴染みなもんで、もう60年近い付き合いだ。

 お互い今年56歳になっちまうが、互いの身体のほくろの場所、ケツの穴の形、金玉の裏の臭いまで知り尽くしてる。

 うちの会社の連中は、みんながみんな、そんな感じだ。

 だから互いに、顔を見ただけで、何を感じているのか、考えているのか、自分のことをどう思っているか、鏡に映したように、分かりあえちまうんだよ。」

 

 田山が親方の話を継ぐ。

 

「純也君も40年間、男として生きてきて、男の気持ちの方が分かるだろうし、身体の悩みも同じ男だからこそ分かることが多いだろう?

 自分にも、チンポや金玉が付いていて、40年もそいつと付き合ってきてるんだ。自分のチンポや金玉が嫌いで、見るのも嫌だということはないだろう。

 他の男についても同じだよ。自分と同じように、股座に男のシンボルをぶらさげている。

 だからこそ、相手のチンポや身体のことも、どう労われば良いか、わかるんだよなあ。

 自分のチンポが大切なように、男の仲間達のチンポも大切に思えるようになる。

 ここでは、みんながそういう同士愛に溢れた人間になって欲しいんだよ。」

 

 話も一段落したとの判断か、顔を見合わせニヤリと笑った二人が腰を上げ、休憩室と呼ばれる隣の部屋へと純也を案内した。