親方の現場の規則(平成編)

その15

温泉と精液

 

15 温泉と精液

 

「おおっ! すげえな、純也……。

 新入りの身体が新しいDNAを取り込み受け入れて、肉体に変化が起こるのに、普通の奴なら毎日仕込んでいっても2週間、だいたいの奴なら1ヶ月近くかかるんだが、お前さんはどうもワシらに近い、体質らしいな……。」

 

 見ればさすがに3つ玉となったわけでは無いようだが、片玉だけでもここ数時間で何十倍の大きさへと変われば、本人の感触としては異物感も相当あるのだろう。

 それにふぐりの付け根、俗に『蟻の門渡り』などと言われる肛門から金玉にかけての膨らみが、それまでの何倍にも膨らんでいた。

 その感触もまた『3つの玉』という、本人の認識となっているのだろう。

 

「ここにいる奴らはだいぶ『変わっちまった』方じゃああるが、新入りの最初の一ヶ月以外では、うちでキメを許してんのは月一の『懇親会』だけだからな。

 それで何年もかかって、それぞれの肉体が『変わって』いく。

 もちろん入れた瞬間の見た目の変化は恒常的な変化よりはデカいんだが、それも何時間かすりゃ落ち着いて、また元の体型や体毛近くに戻るんだ。

 コレの繰り返しで、だんだんと『変わって』いくもんなんだが、純也、お前のこの『変わり様』は、俺やまもる、やまちゃんのそれに『近い』みてえだな。

 お前さんはやまちゃんの見立て通り、ちと最初から『違った』ようだな……。」

 

 身を起こした純也の身体は、確かに他の連中に比べ、その変化変容の違いは明らかだった。

 体重も筋肉も、体毛も、およそ元の中年太りの純也からは想像も出来ないほどに膨らみ、茂り、濃くなっている。

 早いものではすでにその『効果』が薄れ始めている男達の中で、『初入れ』からこちら、どうやらその『効き目』は強まるばかりで、純也にとっては一向に減じる気配は見られない。

 

 何年もこの『極雄会』に身を寄せ、長年親方たちの精液を注ぎ込まれてきた連中でも、純也のその変化のスピードには驚いていた。

 

 ここで取り扱う『クスリ』によって男達は、実はその全員が根本的な身体の構造すらも変えられていく。

 最初は『筋肉も脂肪もその量が増え、太く逞しくなる』『毛むくじゃらのプロレスラーかボディビルダーか』という変化であり、影響を一番に受ける親方達もまた、現在はその経過途中にいるのである。

 純也のこれまでの『普通の暮らし』では発現していなかったその兆候が、『初入れ』から始まったこの一連の経験の中で、急速に進行していく。

 そしてその変化が果たしてどのような到達を迎えるのかは、また少し先の話となるのであった。

 

 とにかく、ありったけの精液を放出し、ありったけの親方たちの精液を浴び、体内に入れられた純也であった。

 親方も、途中で『こいつは違う』と感じたがゆえの、あの3人同時の『直入れ』を行ったのだ。

 常識では考えられない自分の身体の変化。

 高揚した精神が少しの休養で落ち着けば、そこに驚きと恐怖を感じる純也の慄きもまた、理解することが出来よう。

 

 親方と田山は、純也を慰るように優しく見つめる。

 その瞳は『怖がらなくていいぞ』『俺たちが側にいるぞ』という、ある意味同族ならではの安心感を与えるものだ。

 

「お前さんが見せてくれてるこの『変化』が、いったいどっから来てるもんなのか、しっかり知っといたがいいだろうな」

 

 頃合いと見たのか、あるいは『歓迎会』を済ませた新人すべてに語られる内容なのか、昼間に一度、まもるが触れていた話を始める親方。

 親方は、自分たちの由来と『クスリ』、また一族の『精液』のもたらす『効果』について、純也のどこか不安げな瞳を見つめながら、訥々と語り始めたのだ。

 

 

 ……………………。

 ………………。

 …………。

 

 

 親方の血筋、その故郷は、北陸の山奥の小さな村落だった。

 仮にその村の名を『金精村』としておこう。

 

 その村は、先祖代々なぜか男が生まれる確率が異常なまでに高く、通常の出生では自然に半数近くになるはずの男女比が、集団の存続すら厳しくなるほどの、実に9割を超す高率で男ばかりが生まれてくるのであった。

 しかもその体質は男のみに引き継がれ、たとえ珍しく生まれた女が他の地域の男と情を通じても、そこで生まれる赤子の比率は半々なのである。

 当たり前の話ではあるが、もしも閉じた集団の中でそのような男系体質が引き継がれて行けば、数代の時間を経てその共同体は消滅してしまうだろう。

 

 そのため、この村で子を成さんと欲する男達は、山を越えた隣り村まで行き、女たちと契約して腹を貸してもらう制度を構築していった。

 万が一女子が生まれた場合には、その子は女が住む村の子になるのだが、大抵の場合男子しか生まれないため、この村の体質を引き継いだ男の赤子は(ある意味、その契約先の村への『迷惑』ともならぬように)、金精村へと引き取るのだ。

 

 こうして体質的には他の地域へと広がることなく、男だけの血脈を伝えてきたのが、親方達、堀家の血筋に繋がる村であったのだ。

 

 乳飲み子の状態で引き取られた赤子に乳をやるはずの『母』は、すでに何代もこの村には存在し得なかった。

 子ども達が(その特殊な遺伝による身体のためだろう)母乳ではなくとも、村の男たちが毎日放つ、新鮮な精液、雄汁を飲ませることで、すくすくと逞しくも育ちゆくことは、村の男たちの中、長きにわたる経験的な知見として積み重ねられていた。

 

 彼らの精液には、良質なアミノ酸からなるタンパク質はもちろんのこと、糖質、脂質、ミネラル、さらには精液特有の、この村の男特有の強力な男性ホルモンの賦活物質までもが含まれていたらしい。

 引き継がれた体質と男達の精液取得による相乗効果は、様々な病気に対しての高い免疫力、強靱な肉体、体毛の高い発生濃度などの『恩恵』を、村の男達へもたらしていた。

 

 肉体の成長そのものも他村の子どもと比べて異様に早く、すぐに毛も生え、10の年を数える前には、いずれの男も精通を迎えることとなる。

 その逞しい肉体は、等しく村内の労働力の担い手を早期に輩出することとなり、家事、労働、教育など、すべて村全体が家族となり、互いに協力しての暮らしを営んでいた。

 外部とのやり取りに必要な金銭的な収入は林業が主となり、優良な木材を切り出し、それを売った資金によって、村の存在そのものを保っていたのだというのだ。

 

 この村においても、いや、どのような集団においても『好奇心旺盛な若者』は、常に存在しているものであろう。

 かつて、この村の男だけに伝わるこの不思議な体質に強い関心を持ち、各地に伝わる『金精伝説』との関連を調べていた男がいた。

 その若者自身が村内の男達の中でもとりわけ頑強で、強い精力の持ち主であったことも、その探究心の元となっていたのかも知れぬ。

 

 村を出て様々な土地を巡り歩いたその男は、秘境とも言える山奥で、ある温泉を守る男達と知り合うことになる。

 その温泉が有する『効能』は、なんと男が生まれた村に伝わる『体質』と、ほぼ同じ変化を男の肉体へと生じさせるものであった。

 

 一つ、肉体の巨大化、強靱化、病気への耐性獲得。

 一つ、全身への体毛の発生と増量。

 一つ、性欲精力の増大化。

 一つ、男根や睾丸の巨大化と、精液生産能力の増加。

 

 その温泉の特殊な成分に興味を持った男は、宿を守る男達に自分と村の来歴を語り、研究という名目も持ちつつ、その宿の湯守り、宿守りとなる了承を得たのであった。

 

 ところが、男がその温泉地に住み込み始めてそう長くも無い時点で、驚くような事実が発覚する。

 今でもその秘湯の宿に引き継がれる、男同士の肉体的な、性的な接触による悦楽をも追求する宿守りとしての生活の中では、日に何度も入湯し、かいた汗の量以上の温泉水を飲み干していく。

 先例によればそれによる肉体の変容は、ほぼ一カ月をもって、若者の肉体を構築しなおしていくはずだった。

 

 あの村出身の若者にとって、その『先例』が、一切通じないことが、ここに判明する。

 

 その男の肉体変容が、他の宿守りの男達が見守る中ですら、あまりにも急速に、危険にすら思えるほどの速さで進んでいってしまったのだ。

 

 それは長年温泉成分による男性の肉体変容を見慣れた宿守り達に取っても、もはやその変容の行き着く先に、恐怖を、恐れをも生じさせるほどのものであった。

 

『この若者を、この地に留め置くことは、若者にとっても、この秘湯の地にとっても、何か大きな災いをもたらすだろう』

 

 ヒトが、ヒトあらぬモノへと変わりゆく恐怖。

 それを恐れた宿守り達は、この地からの若者の追放を苦渋の末の決断としたのである。

 

 あまりにも急激に進む若者の肉体変容に、一分一秒をも時間を惜しんだ宿守り達の決断を、責めることは出来はすまい。

 突然の決定に、やっと己の肉体の由来解明への足掛かりを得た若者の慟哭も、図りうるものでも無かったであろう。

 

 宿守り達と温泉の蒸気に包まれたごくわずかな日々の暮らしは、若者に取り『こここそが、己の本来の居場所だったのだ』とも思えるほどに、心地良い肉体と精神の変容、宿守り達との男同士の快楽に満ちた、素晴らしい日々であったのだ。

 

 宿守り達もまた、幾度も口接を交わし、互いに扱き、しゃぶり合った若者の逸物を愛しくさえ思っていた。

 すでに男同士の後口を使った情交を踏まえていた若者にとって、宿守り達とのそれは耽溺すら覚えるほどのものであったのだ。

 

 互いの思い、その胸中を察しながらも、宿を去る若者は、もう二度とこの地へと足を踏み入れぬこと、村の者にしろ誰にしろ、決してこの地のこと、この湯この地のことを漏らさぬようにと約束させられる。

 それはまた、青年が守り通さねばならぬことと己で理解をしながらも、この地、この湯、この男達への去りがたい感情は、募るばかりであった。

 

「このような形で君を追い出すことになってしまい、本当に申し訳なく思う。

 

 おそらくは、この地で息をし、水を飲み、食物を口にする毎日でなければ、このようなことにはならなかったと思う。

 この地の、この湯の蒸気を、息を続ける間、常に体内に入れ続けなければ、この温泉は豊かな肉体的収穫をもたらすものとして、君と君の一族、その子孫の生活の日々を、悦楽に満ちたものへと変えてくれるはずだったろう。

 

 君を放り出すせめてもの詫びに、この地の温泉の成分を煮詰めたものを、君と君の子孫のために、君の下へと届けよう。

 

 この地のことを外に知らせぬために、何処から、ということだけは伏して送るが、たとえ君が何処に移り住もうとも、君と君の子孫の手に渡るよう、我らの側で調べていく。

 自らの一族の謎を解きたいという君の期待にも、なにゆえこの地の湯が君の身体にこのような変化をより強く起こすのかも、何も分からぬままに、君を追い出してしまうことになる。

 

 本当に本当に、君には済まないことをする。

 

 これからの君の人生が、より豊かで、快楽に満ちたことになることを、我らは祈っている」

 

 互いに名残惜しくも、山を下る青年を見送る宿守り達。

 こうして若者は二度とその地を踏まず、生まれ故郷の村へと帰ることとなった。

 

 しばらくの後、青年の下に差出人もその住まいも分からぬ形で、大きな袋に詰められた白い粉が届くようになった。

 それはおよそ10年ごとの間隔で、青年の、その一族の下へと届くこととなる。

 一度覚えた悦楽の、男としての快感の境地を奪うことをあまりにも不憫に思った宿守り達からの、青年の一族に対しての贈り物であったのだ。

 

 あの快楽に満ちた日々を懐かしみ、送られてきた白い粉を湯で溶いたものを飲んだ若者は、己の身体中に、あの悦楽と昂ぶりが戻ることを知る。

 一族のものへとその利用を許すには、乱用とならぬような『掟』を決めざるをえないことではあったが、利用量を間違えさえしなければ、それはまさに究極の快楽をもたらすものとして、存分な効き目と量が担保されていたのであった。

 

 青年の生きる時代には湯に溶かして口にするだけのものであったその粉は、時代が下るとともに、溶かした湯を尻穴へ注ぐ、あるいは体内へと直接『入れる』方策さえ『発見』されていく。

 粉を廻る歴史の中で、それまで湯で溶かしていたものを、自分達の体液、小便や溢れる精汁で代用させる挑戦者が出てくるのは、さらに後の時代のことである。

 その『己の体液で粉を溶かす』ことそのものが、青年には解明できなかった『あの温泉と、村の一族の体質の親和性』を、逆側から証明していくことになるのは、それから数百年の時が必要であったのだ。

 

 

 ……………………。

 ………………。

 …………。

 

 

 時代も変わり、借り腹という手段を取ることが難しくなっていけば、この村の存続そのものが危うくなっていくことは想像の通りである。

 まもるの祖父の世代にあっては、ある意味では『商売女』の腹を借りる形へとその代を繋ぐシステムへと変化していた。

 かつての男だけの村で暮らすもの達と、いつの間にやら都会へと近付いていったものたち。

 この二つの集団が支え合いながらその血を繋げてきた、かの青年の子孫たちであった。

 

 そして、この男達の下には、今でも10年に一度、差出人不明のままの、ずっしりと重い小包が届いていたのである。

 

(*この秘境の温泉については、この小説を掲載している共作者である熊本の三太君の『金精の湯』という作品で、その後の温泉宿の物語が描かれているので、興味ある方はぜひ読んでほしい。)

 

 一方、田山の故郷の東北の過疎の村も、親方の堀家の村と同じように、伝統的に男性しか生まれなかった稀有な地域であったようだ。

 

 この田山の父親と、親方の父親、そう堀家の先代が、戦時中に偶然にも同じ部隊として一つ屋根の下で暮らしていたのである。

 たとえ軍属といえども、上級兵でも無い若者に食糧なども潤沢には用意されることの無い時代であった。

 そのような中、自分達の肉体の頑強さや全身の毛深さ、性欲精力の強さに気付きあった二人はすぐさま意気投合し、当時は戦友愛とも称された同性同士の肉体関係を強く結ぶことになる。

 若い二人は互いの精液を相手の体内に入れ合ううちに、自分達の体液・精液に、不思議な効果があることに気付いていくのだ。

 

 戦争が終わり半年ほど経った頃か。

 なんとか無事に帰国を果たした田山と親方の父親同士は、まだ敗戦の影響が大きく残る中、親方の村へと戻り、一つ家にて暮らし始めた。

 二人ともこの時期に、それぞれに息子を授かることとなったのだ。

 二人が子を成した相手は、当時の習いで言えば『愛妾』、あるいは『商売女』とすら評された相手だったのかもしれぬ。

 それがこの『極雄会』を興し、まもるの成長を見守る親方と田山である。

 

 彼らの父親達は、互いに一族に伝わる口伝として、特定の女性を家族として迎え入れることは世の不審を集めるとして戒められていた二人であった。

 田山の父は、数年後、もう一人の子を授かることになるが、その子は田山の祖先が暮らす東北の村へと預けられた。

 おそらくは息子を金精村と別の場所で育てることで、万が一の血脈の途絶えを回避するため、自らが生まれ育った村と、当時暮らしていた金精村と、二つの村に血を残したいという、田山の父の思いもそこにはあったのだろう。

 

 田山康裕の弟は東北の村で別に育ちゆくこととなったが、この村で生まれ育った親方と兄である田山は、その後を一生の付き合いとして、生きていくこととなる。

 田山の弟とも連絡を取りながら、互いの一族の血脈をなんとか絶やさぬようにとの思いもあったのだろう。

 

 その後、父親と同じ形で『護(まもる)』という息子を得た親方、堀とおる(徹)は、一族に伝わる昔ながらの方法、すなわち己らのたっぷりと溜まる精液による子育てを、田山や村の男たちと共に行うこととなった。

 

 最初は哺乳瓶の吸い口が詰まらぬように、ぬるま湯で薄めた精液を、月齢が上がれば直接滾り勃った肉棒の先端、自らのぱっくりと割れた鈴口を吸わせていく。

 逸物を己の手で扱きながら、必死で吸い付く赤子の姿を見守る親方と田山の目は、優しく潤んでいる。

 快感極まり吐精の瞬間を迎えても、まだ飲み込みの機能が幼いまもるに負担がかからぬよう、なるべくじっくりと、幾度にも分けての噴出をとコントロールする男達。

 

 この金精村の子どもの成長は早い。

 普通の子どもであれば、生後一年から一年半ほどかけ、離乳を果たし幼児食へと切り替わるものだろう。

 上下の歯が揃うのも2才中頃と言ったところか。

 

 この村の血を、かつての若者の血を強く濃く引くまもるは、血筋の違う田山の精も大量に取り入れたせいか、半年ほどで歯も生え揃い、父親達と同じものを食べることが出来るようになっていく。

 それでも、すでに『美味くて栄養価の高い飲み物』として、男達の精液の味わいが刷り込まれているまもるにとって、それは禁じられるものではない。

 汗蒸した布団に川の字になり、寝付くまでは左右の『父達』の逸物をねぶり、その吐精のたびにどろりと濃い汁を飲み干し、その毛深い肌の温もりに包まれ、腋や胸、股間から立ち上る雄の匂いを感じながら育っていく。

 

 普通の子どもであれば、まだ乳飲み子と言われる時点で、すでに己の子、まもるが豊かに育ちゆくことを確信した親方と田山は、まもるの、そして村の男たちに安定した生活が送れるようにと、自分達で会社を興そうと決意する。

 戦後の好景気の兆しが見え始めた昭和三十年代後半であったか。親方と田村はまだ幼いまもるを村の男たちへと託し、都会へと生業の場所を移し、建設会社を立ち上げることとしたのだった。

 

 当然そこには、起こした会社を成長したまもるの生活の受け皿となるような計画もあったのだろう。

 

 村に残ったまもるも、屈強な男たちの愛情に包まれながらすくすくと成長していった。

 小学生ともなれば、村の様々な集まりにも顔を出すようになり、村の男達の汗と雄汁を浴びていく。

 やはりその血のせいか、4年生、9才のときに精通を迎えれば、もうそのときより、多くの村の男たちとしゃぶりしゃぶられ、扱き扱かれの毎日を過ごしてきたのだ。

 

 純也が、まもるや親方との距離の近さから、田山もまた親方との血の繋がりがあると思い込んでいたのは仕方の無いことであったろう。

 実際にはその血の交わりは無いも同然のことではあったが、あるいは太古の昔、同族から分かれたそれぞれの家系であったということも、また否定することは難しい。

 

 戦争という状況の中で知り合った、まもるの祖父と田山の父親。

 その2人の子である親方と田山は、この村にてまもるという一粒種を授かった。

 一人息子のまもるを残し、都会へと向かった親方と田山が、現在の『極雄会』を興し、自分達が気に入った男たち、肉体労働に勤しむ、逞しく屈強な、体力精力に溢れ、何よりも男同士の友愛を大切にする者達を、少しずつ集めていったのだ。

 もちろんそこには、親方の一族へ10年ごとに届く、例の温泉成分と自分たちの精液を使ってのことではあったのだが。

 

 親方と田村が予測した通りに、戦後の好景気の中で、事業はそれなりの規模へと拡大していく。

 それは自分達の子孫に対し、村と都会という2つの生活拠点を創り上げ、少しでも安定した生活を保障したかったからでもあろう。

 

 金精村で育つまもるが中学を卒業するぐらいの頃であったか。

 親方と田山は自分たちの精液と堀家に送られてくる温泉成分を、ある手法と行程で精製すると、戦後、多量に巷に出回ったあのヒロ○ンの、数十倍もの効果がある活力剤・催淫剤となることを発見する。

 驚くべきことに精製されたこの『クスリ』の使用にあたっては、肉体・精神への依存や影響を示さず、摂取取得による肉体の変化、それも男性ホルモンの放出への影響か、より『男らしい』姿に変化していくことが分かったのだ。

 

 精製に当たっては『新鮮な』精液の必要性と、有機物以外の何物でも無い体液の混入によることで、精製した後の日持ちがしないことだけが残念なことだった。

 使用者への『肉体』や『精神』の『変容』を押さえたものであれば、しばらくは保管が効くものもどうにか作れるのではあるが、一度あの『変容』を味わってしまえばそのような代替品的な反応でおさまるはずもない。

 

 何年もの保管に耐える温泉成分と、出したばかりの状態で精製する新たな『クスリ』は、親方と田山、さらに今では同じ血を引くまもるの雄汁をも利用し、必要な時ごとに精製しているのだ。

 作り上げたモノもせいぜい三日ほどで傷んでしまい、社外に広げることを断念せざるを得ないのが実情である。

 

 温泉成分のみの摂取においても体格や体毛の少しばかりの変化は見られていたが、堀家と田山家、双方の一族の精液とによる精製後には、体臭や性臭、雄性器の発達がよりいっそうその速度を増し、さらには打たれた者の性的指向の対象が、同性同士、男同士へと傾いていくことすら観察されていた。

 さらに実験を重ねれば、堀家田山家の一族の体液そのものにも、その『効果』が顕れることが分かってくる。

 ここにあの『温泉』と、『金精村』で暮らす男達との親和性が、逆説とはいえ証明されたのであった。

 この出来上がった『クスリ』を、さらに田山や堀家の男達の体液で『溶く』ことで、爆発的なまでもの『効能』が得られるのは、ある意味では当たり前の理屈だったのだろう。