SA暦659年8月第4週
僕は俊也、41年7月12日生まれ。
この8月、初等教育校最後の長期休暇も終わりに近づき、9月からはいよいよ中等教育校への入学と、法的にも成人=大人の仲間入りとなる。
夏の午前の日差しがかんかんと照りつけてる目の前には、結構大きな家。
視野角内に次々に居住者情報が出てくるけど、全部知ってることだしピックアップと更新分だけを拾うようにしてる。
寮から初等校での生活担任だった武則先生と二人で歩いてきて1時間ぐらいかかったので、5kmぐらいかな。バスにしようかって先生も言ってくれたんだけど、これが最後だと思って歩いて行くことにしたんだ。
予報では39度ぐらいって言ってたけど、夏のこの時期にしてみるとそう暑くも無くって、背中にうっすら汗ばむぐらい。先生の方はそのでっかい身体がさすがにちょっとだけ重いのか、首筋から背中にかけて濡れぼそってた。
先生の締め込んだ六尺が、流れた汗を吸い取って色が変わってる。
木造の門の奥には、「鞍馬」ってしっかり彫り込まれた表札。
打ち水をしたのか、石畳がしっとり濡れてた。
門内から左手に広がる表庭の日当たりがよくって、縁側の奥の畳にごろっと大の字になればすごく気持ちよさそうだ。
家の周りに広がる林のせいか、つくつく法師の朝の鳴き声がシャワーのように降ってくる。
何度も来たことのある家だけど、こうして見ると、あらためて大きいなあって思う。
2階まで入れると今朝まで過ごした初等寮2号館の半分ぐらいありそうだ。行政保障論で習った、家族形成した人達には社会保障が手厚くなるっていうのを思い出した。
今日から僕は、この「鞍馬」家の一員となる。
来週からはこれまでの「生活も教務も、いつもみんなと一緒」だった初等教育校とは違って、「個人個人の生活単位場所からの通学」になる中等教育校に通うことになる。
一緒に暮らすことになる4人の父さん達と源太兄さんは、この2年間に何度も寮と学校に来てもらってるので、緊張は無い、と思う。
僕も月に一度は遊びに来てたし、そのうち何回かは外泊申請で泊まらせてもらってて、自分でも勝手知ったる家だ、とも思う。
心身発達論で習った、異年齢混成集団の保障としての「家族」やAGRの役割はもちろん分かってるつもりだし、法的契約主体者になれるこの18才っていう年齢の重みも、学校で嫌というほど聞かされてきてた。
それでもやっぱり、緊張してたんだと思う。
いつもはこれくらいの運動量だと汗もかかないけど、首筋に噴き出す汗と唾液の粘りけが増してるのが自分でも分かる。
微細ノジコンのおかげで数秒もしないうちに常態には戻るんだけど、心理的緊張と性的興奮の両方でアドレナリンの分泌が高まるって習ったなあって、これも頭のどこかで考えてた。
僕の横の、教育校での生活担任だった武則先生。
肩からかけた鞄には、手ぬぐいとPCD。六尺褌一丁の192センチに150キロはある毛深い身体からは、ちょっとしたときにむわっとした「大人の匂い」が立ち上がってきて、僕の下半身を刺激する。
自分でも気づいてなかったんだけど、いつのまにか僕の越中褌の前布がむっくりと持ち上がってた。
寮を出るとき「9月からはいよいよ六尺だが、今日も一応新しい生活の始まりだからな」って、武則先生と教務担任だった重人先生がまっさらの白布の前掛けくれたんだ。
新しい越中をするときはいつもなんだけど、そのときもすごく勃起して、先生達もにこにこ笑ってくれてた。
歩いてる間はちょっとおさまってたけど、この鞍馬家でのこれからの毎日を想像したせいか、隣にいる武則先生から漂う大人の匂いのせいか、僕の肉棒がまたぐいぐい起き上がってしまってたみたいだ。
そんな僕を見て、すぐに気持ちを分かってくれたんだと思う。武則先生が「いい感じにいきり勃ってるな」って尻をさすりながら褒めてくれたのが、すごく嬉しかった。
先生がカランカランって玄関先の引き紐を鳴らし、少し重めの引き戸を開ける。
もちろん父さん達や兄さんの方でも僕らの視野角内情報の重みづけはしてあるだろうし、移動状況と現在地は分かってたはず。
それでもこればっかりは、他集団のテリトリー侵入の際にはそれなりの声かけをするのが昔からの習わしだ。
「こんにちは、6区教育校から来ました。こちらへの家族加入対象者の卒業生、俊也と、生活担任の三澤武則です」
「ああ、先生、お世話になります」
「おお、待っとたぞ-」
「先生に俊也に、二人とも遠くまでお疲れ様でした」
「歩いて来られたんでしょう? シャワーでも浴びますか、先生?」
「よし上がれ上がれ、何回も来とる家だし、緊張するもんでもないだろ」
玄関先に、わらわらと父さん達。
家長でもあり一番年上の逸郎父さんが先生に挨拶すると、他の三人の父さん達と源太兄さんが次々に声をかけてくる。
先月は実習の都合で学内面接に来れなかった源太兄さんも、6月に会ったときより一回り大きくなったみたい。兄さんの体格、もう肉付きや貫禄も父さん達とも遜色無い感じ。
毛深い腹になじんだ褌の前袋もすごく盛り上がってて、納まっている逸物とふぐりのでかさを想像させてた。
もちろん見ようと思えば眼球内外投影どちらともで、父さん達や源太兄さん、武則先生も含め、肉茎の平常時から勃起時の細かなサイズ、全身の性感帯マッピングまでデータ見れるけど、こちらが意識的にズーミングしなければ「見ないふり」も出来る。
みんなの数値、一瞬確認したけど、先月の数値とそう変わってないようで、視野内にまとわりつく情報をカットオフする。
洗足盤で足を洗わせてもらって、玄関をくぐる。
さっき見た縁側続きの座敷に通してもらうと、まず父さん達と武則先生が一人一人抱き合ってねっとりと舌を絡ませながら、お互いの褌の前袋を押しつけるようにして擦り合った。
これって立ったまま行うときの立位正挨拶。
この二年間、先生と父さん達は心理教育で一緒に過ごす時間も長かったはず。当然、肉体心理共感指数も高くなってて、しっかりいい感じになってるんだ。
先生の次は僕の番。
父さん達の中で一番年長の逸郎父さんから、順に挨拶を済ませる。武則先生との挨拶で父さん達全員の肉棒はもうむっくりと勃ち上がってて、僕の越中の上からごろごろとぶつかりあう。
もちろん僕のもずっと勃ちっぱなしで、一枚布の腋からは逸物が丸見えになってたって思う。
挨拶も終わって、みんな畳にどうぞってなった。源太兄さんが人数分の麦茶を持ってきてくれる。
これまでも外泊で泊まったときとかは、伍三郎父さんや源太兄さんと色々遊んでたり、父さん達の接交に混ぜてもらったりとかだけだったんで、きちんとみんなで卓を囲んで話すなんてのは、いっとう最初の学外訪問外泊のとき以来かも。
加入先への訪問・外泊そのものが心理・肉体接合値上げるのが目的なので、お互いの全身に潤滑ローション垂らしての肉体接触や、父さん達との口唇接交で射精液飲ませてもらったりとかは当然だったし。
武則先生、「すんません」と手刀切って、かんかんと日の照ってる前庭を背にどっかりと座った。下ろした肩バックからごそごそってPCDを出してる。
僕の方は、一瞬どっちに座ったがいいのか迷ったんだけど、まだ先生の側だろうって思って、先生の横に腰を下ろす。
一応手続きですからって、先生がPCDの画面を父さん達にぐるっと回してる。
「この2年間、本当にお疲れ様でした。実際には源太君の加入と引き続きでしたので、逸郎さん始め、鞍馬家ご家族のみなさんには4年間学校に通い続けていただいたわけで、大変だったかと思っております。
正式には9月の1日付けになりますが、いよいよ俊也が鞍馬家のみなさんとの家族契約となります。諸元表の方もお手元に届いてたかと思いますが、一応確認させていただきますね。
俊也、YY型、41年7月12日生まれ。現在18才と1ヶ月です。
8月1日付けの測定で183.5センチ、136.4キロ。肉体成熟度は15才4ヶ月時に第二次性徴の発現が始まり、現時点では声域の低音変化・性器周辺部の発毛はほぼ終了しております。
体幹毛の発生についてはご覧の通りでこれからとなり、ライディッヒ細胞の活性具合から判断される発毛時期は、18才6ヶ月から19才6ヶ月ぐらいと予想されます。遺伝子型から見ると逸郎さんと同じ禿頭有毛タイプでの発現となりますので、本人も楽しみにしているようです。
肉茎は勃起時の腹面計測23.5センチ、背面計測25.5センチで、第二次性徴周期終盤までにはもう少し変化が見られると思います。現時点においても同年齢群の平均を上回ってますので、落ち着いた時点ではけっこうな大きさになるんではないでしょうか。
性腺刺激ホルモンの分泌は現在上昇期にあり、精巣及び副腎の発達具合から見て、精通の方は体毛発毛後の1年後から1年半後ぐらい、おそらくは19才6ヶ月より20才時までには迎えることができるかと思います。
中等校2ないし3学年中の時期となりますので、こちらもほぼ平均的な発育群内が予測されています。その分、他の生徒との時期の競合も見られるかもしれませんので、中等校教員・教授よりの指示には注意深く従うよう指導をお願いします。
遺伝子符号については、これも諸元表の通りで、3世代遡った時点まででの皆さんとの類縁関係は認められませんでした。
学校でも他生徒への面倒見も良く、他者との親和性の高さから場を和ませることが出来る才能を持っており、我々教師陣も非常に助かっておりました。
鞍馬家のみなさんとの適合指数も、この2年間の最終値が、肉体接合・心理接合の6人トータルで99点を超えてますので、非常に良好な関係が取り結べると思います。
まあ、このあたりのことはこれまでの心理面接、肉体面接でみなさんも実感されてるとは思いますが……」
どの話もこれまでの面接で出てたんだけど、こうしてきちんとした形で聴くと、ああ、僕という一人の人間がこの鞍馬家の一員になるんだなって、改めて思う。
最後に家族契約書に父さん達一人一人の署名もらって、もちろん僕も署名。先生や僕も含めて統制局へ契約合意の報告すると、こちら側の手続きは終了だった。
これで法的には「鞍馬俊也」として、鞍馬家への加入が完了。
俊也って名前の方は7年次の幼名変更のときに考えに考えて決めたし、結構気にいってる。
GRに行く連中は名字を自分で決めるんだけど、家族加入のときは加入先次第。
鞍馬俊也、結構いい感じ。
名字をもらうことで、初めて色んな契約が出来るようになるし、やっぱり自分が「大人」になるって感じがするんだ。
武則先生、統制局の人とちょっと話してて、関連する色々は全部終わったみたいだった。
「これで家族加入の手続きは終了です。
私達も精一杯教育してきたつもりですが、精通を迎えるまではまだまだ子どもです。肉体もこれから出来上がってくるかと思いますんで、みなさんでよろしくご指導ください。
中等教育校入学の手続きも完了してますし、学校の方はこれまでの友達と一緒ですから大丈夫かとは思いますが……。
今日は加入儀式やら褌祝いやらでこいつが主役でしょうし、私の方はこれで引き上げさせていただきます。
隣保の方々への紹介は9月に入ってからになるでしょうから、そちらは中等校の生活担任教授に引き継いでおきますので、よろしくお願いします」
「本当にお世話になりました。
では、本日から俊也君を『鞍馬俊也』として、この家で預からせてもらいます」
逸郎父さんが、先生に深々と頭を下げる。
「こちらこそ、本当によろしくお願いします。ほら俊也、おまえも頭さげんか」
武則先生のでっかい手で、頭をぐいっと押し下げられた。慌てて正座しなおして、父さん達の前に平伏する。
「あ、はい、俊也ですっ。今日からよろしくお願いしますっ」
「よし、これで俊也も鞍馬家の一員だ。しっかり鍛えるから、がんばっていい男になれよ」
逸郎父さんが、にいっと笑って言ってくれたんだ。
先生がそれではって、退出の準備始めた。
普通に学校や寮でなら、これだけ大人が集まったら普通は接交や乱接交始まって、扱き合いやしゃぶり合いでみんな何度も射精することになっちゃうんだろうし、先生もなにか名残惜しそうだった。
武則先生にはホントに世話になったと思う。
教務担任だった重人先生と二人で、僕達11回生、2班8人の面倒をすごくよく見てもらったんだ。
初等校後半の4年間、高学年中の付き合いだったけど僕にとっての一番身近な「大人」だったわけで、学校で一番たくさん射精液飲ませてもらったのも先生だった。
でもまあ、遠くに住んでるワケでもないし、会いたくなったら学校に遊びに行けばいいって分かってるのには、なんだかホッとしてる。
学校のときにも中等校に行った先輩達がけっこう遊びに来てて、先生達との会話もなんだか「大人の世界」って感じで、すごくうらやましかったんだ。
今日の僕みたいに卒業後の公的手続きが済めば、形としては「大人」にはなるんだけど、やっぱり射精できるようになって初めて周りに認められるってのもあるしね。
精通済ませた先輩達が報告に来たときとか、みんなの前で先生との口唇や肛門接交を見せてくれて、すごく僕たちも興奮したんだよな。
そうそう、夏期休暇に入るちょっと前、AGRに入ってる3つ上の先輩が精通報告に来てて、ちょうど僕たちも交えて肉体訓練がてら接交しようってことになった。
あのときの参加者は、先生方4人と僕たち11回生16人とで、総計20人。
さすがにその先輩、精通後2週間でどれだけ出しても出したりないって感じだったみたい。
先輩、たしか先生達には肛門接交、僕たちには口腔接交で全員に一度ずつは出して、射精液、飲ませてくれたんだよね。担任だった先生達とはあの後も楽しんで、学校に来てる間に30回近く出したってことだった。
儀礼的なことで、もしかして衛生局側で精液生産能を上げてくれてるってのもあるかもなんだけど、やっぱりすごいなって思うのも当たり前だよね。
僕もこれから初等校に行ったときには、後輩達からあんな風に「大人なんだ」って思われるように頑張らなきゃなんだけど。
武則先生を玄関に見送るとき、修了式や初等寮出るときにも感じなかった切なさみたいなのが、急に襲ってきた。
お祝いの日なんだから、しゃきっとしろ、って、先生も言ってくれるんだけど、11年間の居場所に別れを告げて、新しい場所に進むってのの不安も、やっぱりあると思うんだ。
先生を見送るとき、源太兄さんが後ろからぎゅっと抱きかかえてくれてた。尻肉のあいだにぐりぐり当たる源太兄さんの逸物の感触に、寂しさにちょっと萎えかけた僕の肉茎がまたぐいっと持ち上がるのを感じる。
そんな僕を見て、武則先生、かえって安心したらしい。がんばれよって小声で言って、頭ごっつんて拳固でこづいて、学校に帰っていった。
家の前まで送って、大きな背中が見えなくなるまで、僕はずっと手を振ってた。先生も何度も振り返って、手を振ってくれてた。
ちょっと、涙が出てたんだと思う。
源太兄さんが耳元で「また遊びに行けばいいさ」って言ってくれたんだ。たぶん最近に中等校入学を迎えた源太兄さんだからこそ、生活担任の先生との別れの寂しさを一番分かってくれてたんだと思うんだ。