「どこかホント、いいマッサージさんとか無いかなあ……。この前見つけたところでも、覗いてみるか、どうするか……」
ネットで色々探してはいるんだけど、なかなかいい感じのところが見つからなかったんだ。
最近は大手だけで無くって個人でやってるところも色々出てはくるんだけど、どうにもピンと来ないというか、なんというか。
俺的には『ゴリゴリ痛い感じじゃ無く』『病院のリハビリとは矛盾しなくて』『施術師さんがいい感じ』ってあたりで見てるけど、特に2番目はネットで見ててもなかなか分からないんだよな。
まあ、こればっかりは実際に行って話を聞いてみないとダメなのかもなって、そう思い始めてた。
俺は大塚満也(おおつかみつや)、167センチの96キロ。
恋人無し、『今は』はまってる部活や趣味も無しの、この春に雄志社大学に入学したての一回生。
ホントなら3月中にもスポーツ推薦枠での体育会の専属寮に入寮予定だったんだけど、色々あって大学近くで一人暮らしすることになったんだ。
色々って?
あんまり楽しい話じゃ無いけど、聞きたい?
俺、去年の秋までは高校のラグビー部でバリバリ走って楕円球追っかけてた。
ちびだったからフロントはぜんぜんやれなかったけど、それなりにすばしっこかったのもあって、スクラムハーフってとこ、やってたんだ。
まあ、高校生の中ではそれなりに目立ってはいたんで、ちょっとは実業団や大学からも声がかかってさ。
雄志社に決めたのも、ここの大学のラグビー部、部員専用の寮もあって住居費安く済むし、推薦と普通入試の色々がそこまで条件違わなかったので、あんまりプレッシャーも感じなくてよさげだったから。
去年12月には先行試験も受けて無事合格。まあ春の入寮(ホントはダメなのかもだけど、3月中から入って来いって言われてた)までは、ちょっと身体作りしながらのんびりかなって思ってたんだ。
で、部活の同期の奴らと正月の初詣行ってさ。
お互い頑張ろうってお詣りした帰りがけ、交差点で子どもがトラックに引かれそうになってて、あっと思ったときにはもう飛び出しちまってた。
向こうもそんなにスピード出てたわけじゃなかったので、子どもは無事で良かったんだけど、俺の方が左の膝をやっちゃって。
入院手術は仕方無いって思ったけど、術後にお医者さんから言われたことの方が、とにかくショックだったんだ。
確か、手術後二日目だったかな。まだ足はこう、籠みたいなのに吊ってあるっていうか、ベッドの上で身動き取れなかったときだったと思う。
担当の先生、30代後半ぐらいかな。がっちりしてて、白衣が似合ってた。大学ではボートやってたって話しとか聞いてたかな。
その先生が、俺のベッドの横で、ぎしって音鳴らしながら、パイプ椅子に腰を下ろしたんだ。
「大塚君は、大学は推薦で決まってるんだよね……?」
「あ、はい。ラグビーでの推薦もらって、早期受験済ませて合格してます」
「それなんだが……。まだ早いのかもだけど、大学には知らせておいたがいいことかもと思って話をするんだが……」
「それって、俺、部活ダメってことなんですか?」
お医者さんから『話がある』って聞いたときから、なんか嫌な予感はしてた。
でもまあやっぱり、入院の時点でこの先どうなるんだろうってのは、ちょっとは考えてたとこはあったんで、まったく思ってもなかったとか言っちゃうと嘘になる。
「レントゲンや造影写真で見てもらったように、大塚君の膝はかなりのダメージを受けている。置換手術そのものは上手くいったけど、今後もしかしたら、もう一度再建手術が必要になるかもしれない」
「その、具体的にはどんな感じになるんですか? まさかもう、歩けない、とか……」
「いや、日常動作にはそう問題は出ないと思うが、医者としては、激しい運動、とりわけタックルや転倒危険性の高いラグビー等のコンタクト競技や運動は、避けてほしいと強く思う。
縦方向の曲げ伸ばし、屈伸系の動きの回復はこれまで大塚君が周辺の筋肉も鍛えてきてる分、早いと思うけど、どうしても横からの衝撃やねじれに対しては時間がかかるからね。
せめて1年ぐらいは、リハビリ兼ねながら通院してもらって、予後を診ていきたいと思ってるんだが、そうなると部活入部を前提とした大学についても、色々問題が出てくるんじゃないかと思ってね」
ラグビーってさ、真っ直ぐ走るって言うより、横に、斜めに動くことの方が多いんだ。
入院してた病院、ケースワーカーさんもいて、色々調べてくれてるらしかった。
それはそれでありがたかったんだけど、やっぱり俺、泣いちゃってさ。
「ずっと身体を動かしてきた君にはつらい話だと思う。だが、色んなことの手続きや気持ちの問題にしても、少しでも早い方が切り替えも色々出来るかと思って、今日話をさせてもらった。
リハビリはこれからだが、親御さんともよく相談して、今後のことを考えてほしい」
自分が頭の中だけで考えて想像してたことと、実際にお医者さんの言葉を耳にすることとは、すごく違うんだなって、俺、そのとき思った。
子どもを助けようと飛び出したことには何も後悔なんか無かったし、ちょっとヒーローみたいな自分もかっこいいとは思ってたし。
でも、俺、ベッドの上で自分があんなにぼろぼろ泣くなんて、思ってもみなかったんだ。
それからは、もうバタバタだったかな。
もう大学生なんだしホントは自分でやらなきゃいけないことだとは分かってたんだけど、親父もお袋も、お前はリハビリに専念しろって、大学のことやら保険のことやら色々やってくれて。
お袋は『あんた、自慢の息子だよ』って言ってくれてさ。目の前の子どもを見殺しにするように育てた覚えは無い、とか息巻いちゃって、なんか俺、きついんだけど笑わせてくれて。
保険とか、形としては俺が勝手に車の前に飛び出したことになるわけなんで色々めんどくさかったみたいだけど、そのあたりは親父が上手くやってくれたみたい。
スポーツ推薦の前提となる部活参加が無くなっちゃうと一番心配なのは学費のことだとは分かってたんだけど、親父が『金のことは心配しなくていいぞ』って言ってくれて、そっちでも俺、涙、出ちまった。
親父の話だと保険交渉とかそのあたりは、ちらほら来てたスカウトの話しとかもプラスにはなったみたい。
大学への報告も最初は親父がやってくれて、後は細かな条件の部分で俺もやり取り。向こうも色々状況考えてくれて、とにかく一般入学へと鞍替えしてくれたのはホントにありがたかった。
入部するはずだったラグビー部の部長も『主務(マネージメントの方ね)として入ってもらって、医者から大丈夫って言われたら、俺達と一緒に走らないか』って言ってくれた。
すごく、すごく、ありがたいし嬉しかったけど、走れない自分、走ってる周りを見ると、キツくなるなってそのときの俺、思ってて。さんざん考えはしたんだけど、結局断っちゃったんだ。
それでも『来年になってもいい。いつでもいい。うちはそのあたりはあまり上下や学年も厳しく無くやれてると思うし、いつでも歓迎するぞ。待ってるからな』って言ってくれた部長さんの言葉、今でもすごく嬉しく思ってる。
正月に怪我して、退院は3月。バタバタしての引っ越しと色々な手続き。
そんなこんなで入学式も終わって、心にぽっかり大穴は空いちゃってたけど、とにかく動かなきゃなって、大学の周りを歩き回ってる俺だったんだ。
無気力っていうかさ。何にも興味を示さなくなってた俺のこと、お医者さんも心配してくれたんかな。
『気分がほぐれるんだったら、マッサージとか指圧とかもリハビリに支障無いんだったらやっていいよ。高校でも世話になってたんだろう?』って言ってくれて。
ここらへん、コンタクト率の高い競技を中高ってやってると、馴染みの整骨院とかあるし、そういうのも想定してくれてたんだと思う。
そういうのもあって、どっかいいとこ無いかなって思って、マッサージの店とかちょこちょこ探してたんだ。
で、この前、引っ越し終えたワンルームマンションの近所歩いてたらさ、なんかビルの入口に小さな立て看が出てるの見つけて。
黒板には色チョークで『リンパマッサージ Asamoa』って。
まずは『Asamoaって、なんて読むんだろう?』って思いながら見てたらさ。有資格者、痛くない、とか、そんな簡単な説明も下の方にあって、どんな感じなんだろうって気にはなってた。
今日は授業も昼までだったし、初回割引もあるみたいだし、入って雰囲気違ったら次の予約入れなきゃいいしって思って、覗いてみることにしたんだ。