第2章 磯で学ぶこと
俺達にとって、この磯は第二の学校でもあった。
学校では教えてくれない、いろいろな事が学べた。もちろん先生は赤褌の親父さんだ。
大抵の場合その内容は、海で生きる術と磯釣りの様々なコツであった。
どういう所が危険なのか、どんな所に魚がいるのか、毒のある生き物の見分け方は、魚の種類によって釣り針に餌をつける一つ一つのやり方や。
親父さんは、海のことや魚の事以外にも沢山の学ぶべきことを教えてくれた。
喧嘩をしたあとの上手い仲直りの仕方や、男は潔く負けを認める事で大きな人物になるんだとか、水平線の向こうに何を見るか? なんて、ちょっと詩的な感性を持つことなんかまで。
俺達は毎日のように親父さんと話し、笑い、叱られ、一緒に考えるようになっていた。中学生になる頃には、親父さんは俺達の家族のような存在にさえなっていた。
何でも気軽に相談できる大人って、思春期の少年達にとってはいかに貴重な存在だったんだろうと思う。
両親や学校の先生には言えないことでも、気を置かずに話すことができる大人がいる喜びは、俺達にはかけがえの無い、本当に宝物のようなものだった。
親父さんにはなんでも話した。なんでも話せた。
好きになった子のこと。友達を裏切ってしまったこと。
そして男としての、性の悩み。
そのとき、俺は中学一年生になっての最初の夏休みを満喫していた。
受験にはまだ間があるし、小学生の頃のように行動が規制されることも少なくなったし、ちょっぴり冒険することのできる最初の夏休み、というわけだった。
磯に来る他の連中はというと、下は小学五年生から上は中学三年生と、入れ替わりはあるが、大体いつも十二、三人ぐらいが集まっていた。
初めて親父さんと夏休みに一緒に過ごすとき、磯の少年達の誰しもが、最初に習うことがあった。
それは俺達にとっても親父さんにとっても、もうそれが当然であるかのように決まっていた習い事だった。
それは何だか大人になるための最初の儀式のようで、自分自身が成長したような高揚感があるものだったのだ。
この村の男達は幼い頃から褌で泳ぐのが当たり前だった。親の世代も子ども達も、磯では褌を締めている場合が多い。
当然、磯に集まる少年達も、その父親や年上の兄弟から褌の締め方は教わってきている。
しかし、赤褌の親父さんにかかると、その「締め方」を一蹴されるのだ。
「こりゃ男をあげる締め方じゃない。」
親父さんに言わせると、俺達の締め方では、歩いたり泳いだりしているうちに褌が緩んでしまい、前袋の脇からちんぽや金玉がはみ出し、だらしなく見えてしまうそうだ。
「男の中の男というのはどんな場面であっても微動だにせず、気持ちを緩めることなく、キリッとしていなければならない。」
親父さんはいつもそう話していた。
褌を締めるときにはキリキリと布を細くよじり、しっかりと腰に回す。
金玉をキリッと包み込み、ちんぽがふらつかないように前袋をぎゅっと締め上げる。
最後に縦褌をケツの割れ目にぐいっと食い込ませるようにするのが、親父さんの言う伊達な締め方らしい。
この「褌の男らしい締め方」が、毎年の夏休みに繰り返される、親父さんと少年達による一つの「儀式」になっていたのだ。
俺達は輪になり、親父さんを真ん中にして何回も何回も締め方を練習した。
きゅっと端を口に挟み、くるくると晒を巻いて細くよじり、股を通して股間をきつく固定する。その後、ケツの谷間を通して巻き付け、腰の脇でキリッと捻じる。
股間にぴったり張り付くように強く締め上げると、何だか気持ちまでシャンとしてくるから不思議だ。
今までのように前布がちんぽや金玉を覆うだけのそれとは違い、股下に通す布自体にねじりをかけきつく覆っているせいで、人によってはちんぽや亀頭、玉の形まで前袋にしっかりと浮かび上がる。
確かにこの締め方なら、ちんぽや金玉が脇から顔を覗かせることはなくなりそうだった。
俺も三年前に教わってから、今ではもう早業のように、あっという間にキリッと締め上げることができる。
俺も親父さんくらいに凄い身体なら、かっこいいんだけど。
いつもそう、思ってた。
それでもまあ、俺も将来、あんな逞しい身体になることを目標にしてがんばろうと思っていたんだ。
赤褌以外の姿した親父さんを見たことがないから、親父さんの普段の格好はまったく想像がつかなかった。
それでもとにかく、あれほど褌の似合う男は、日本中探してもなかなかいないのだろうと思う。
キリッと上がった褌の脇から逞しい脚が引き立つ。後ろ姿は交差した紐が粋だった。それがケツの肉をえいっとばかりに引き上げ、見事に引き締まった尻を飾っている。
そして、なんといっても、男であることを如実に物語る前袋の巨大な膨らみ。
ぱんと張った二つの玉は大きく張り出し、雄のシンボルを引き立てている。
親父さんのキリッとしたその締め方は、大人ならではの太いちんぽと亀頭の形を俺達に見せつけているようにも思えていたんだ。
とはいっても、親父さんを見慣れている俺達にとって親父さんの褌姿は、ちっともいやらしい感じには思えていなかった。
むしろ、こんな男になりたいという憧れの象徴だったろう。
親父さんが、海に突き出した岩に立つ。
俺達に一声かけると、親父さんは綺麗な放物線を描いて海に飛び込んだ。
水しぶき少ないその飛び込みは、実に見事なものだった。
青い空に、親父さんの日焼けした体と赤い褌がよく映えていた。
濡れた身体で海から上がってきた親父さんの身体からは海水が滴り、その全身をさらに逞しく見せつけてくる。
なにより男らしく変化していたのが、褌の膨らみだった。
濡れてぴったり股間に張り付いた布は、親父さんの股間の膨らみを誇らしげに強調している。
亀頭のくびれは濡れた前布にくっきりとその形を見せ、金玉のありかを示す楕円の形はたっぷりとした重量感を示し、その所有者が紛れもない雄であることを訴えていた。
臍から膨らみに沈み込む陰毛は、赤い前袋の表面に中の黒い影まで映し出していた。ぐっしょりと濡れた剛毛が、褌から外に向かって一斉に這い出そうと黒い茂みをもさもさと脇から覗かせている。
成熟した大人だけに許されるその装飾は、男の性の匂いを伴い、俺に荒波のように襲いかかってきた。
海からその逞しい体を引き上げる親父さんを見たそのとき、俺は自分の心臓が速く鼓動を打ち始めたことに気づいていた。
だが、それがいったい何によって引き起こされたものなのかまでは、分かっていなかったのだ。