白山下ろし、この村では「はくさんおろし」と読む.
毎年、田植えの行われる直前のこの時期に、耕地者それぞれの圃場(ほじょう)で行われる儀礼式である。
夏の早い時期、田に水を張り苗を降ろすその前に、圃場を祓い清め、己の生命力を大地へと注ぎ込む。
それは農耕中の安全を想い、今年もまた自らの田によき実りが来るようにとの思いが結実したものだろう。
俺が住むことになったこの村では、その思いを具現化した「白山下ろし」という儀式が、毎年のこの時期に各々の圃場で秘やかに行われている。
昨年は俺がこの村に来て初めて稲作に取り組んだ年であり、村の農業改良指導員や青年団の連中に手取り足取り教わりながらの稲作だったためか「白山下ろし」は特に勧められることもなく、やらずにシーズンに突入したのだ。
どうにも「自分の田である」という認識が必要らしく、家族単位での耕作を行っていても、その儀式に直接参加するのは中心となる耕作者1人だけなのだという。
2度目の米作りとなる今年は何とか自分でやってみろと周りからも言われもし、季節儀礼の一つとして取り組むことになったのだ。
冬場に行われる白沢さんのお祭りや秋の金精様の祭りと違い、この儀礼は田畑を持つそれぞれが独自に行うもので、期日もそう厳密に決まっているわけではない。
もっとも耕地者本人の他に「助の役(すけのやく)」と呼ばれる介添え役が1人は必要になるらしく、そのあたりは普段から親しい者に頼み、お互いの空いた日などで調整しているらしい。
この村で育ったものであれば自らの田での初儀式の際には一回りほど年上の年長者に助の役を頼むのが通例のようであったが、俺は中途入村ということもあり、青年団の中で一番年の近い信治さんに頼んで日を合わせ、あまり皆が忙しくならないうちに済ませることが出来るよう、色々手配をしてもらっていたのだ。
俺は、田山浩平37才、167cmに90kg。
一昨年の秋口に定住化促進事業で入植し、この村での生活も一年半近くが過ぎた。
基本的には農業だけで食っていけるようにと村から圃場も畑作地も用意してもらっているわけで、その分の恩返しと思いながら地域行事には積極的に関わってきている。
小さな村のことでもあり、住民や役場からも「何かあったときにはすぐに身体を動かしてくれる奴がやってきた」というぐらいの信頼は得てきているのではと、二年目にしてようやく思えるようになってきた。
昨今の米作りは、個人で行うものでは無くなってきている。
この村でも苗作りから組内の全体で取り組み、荒起し、中掻き、代掻き、田植えなど、皆で各圃場を回りながら交代で行ってきているし、実際に個々の家々で行うことと言えば、日々の草取りと水の管理が中心となるのだ。
最近では農薬散布も近隣の組合に空中散布を頼むことになってきていて、兼業でもなんとか対応出来る形にしていこうと取り組んでいた。
自分の圃場でも周囲の応援はありつつ昨年もそこそこの収量ではあったのだが、今年は米質の管理ももっと頑張らないとな、と言われてきていたのだ。
青年団の連中から聞く白山下ろしの儀礼は、形だけ見れば確かにこの村らしい男達の滾る性欲と強く結びついた儀式ではあった。
それでもそこにはまた、畠を耕し田に水を張る生業を古来から続けてきている、この地に暮らす庶民の祈りの姿があるのだと思う。
とかくこの村では、性、特に男性同性同士での肉欲の発散については、実におおらかに受け止められている。
男同士、雄同士が既婚未婚を問わず、農作業で鍛えられた互いの肉体で性欲を解消し合うことになんら躊躇が無い。
既婚者の本来の相手であるはずの女達も、自分の連れ合いが街に降りてのけしからぬ遊び事で病気をもらってくるよりも、というような受け止めなのか「男ん人同士はよかこつばっかあっけん」と、あっけらかんとしたものだった。
学生時代には部活や寮生活で同性間の性的な行為についてはそれなりの経験もしてきており、せんずりの掻き合いぐらいであれば男同士の肉体的な接触には嫌悪感は無い俺だった。
それでもこの村で1年と数ヶ月、青年団を中心とした男達との噎せ返りそうになるほどの濃厚な日々の暮らしを続けてきた影響は強い。
同性はもとより男女においての静的な接触についての渇望はそう無かったこの俺が、逞しい壮年の男の裸を目にし、日に灼けた肌に接するだけで、自らの肉棒がむくむくと容積を増すまでに変わってきてしまっている。
「浩平さん、準備の具合はどぎゃんな?」
農作業でも色々世話になっている青年団の連中に日を選んでもらい、色々準備にあたってきた。
二日前までには式に必要な道具も用意しておくべし、と言われ、こざこざとしたものを取りそろえていると、助の役をお願いしている信治さんが夕方にふらっとやってきたのだった。
「おお、信治さん、来てくれたつな。
言われたつはだいぶ準備したつばってん、いっぺん見といてもらうとこっちもありがたかけん」
一日でも早く村に馴染もうと、頑張って覚えてきたこの地方の方言も自分なりには様になってきたと思っているのだが、やはりネイティブの者が直に聞くとおかしなものなのだろう。信治さんがくすっと笑いながら返事を返す。
「いよいよ明後日たいなあ。白御簾は借りてきた奴でそのままよかけんな。
陣ば組む分には良さんあたりも手伝わすだろけん、心配せんちゃよかばい。
一番は浩平の体力だけん、今日明日あたりはテテンゴもせんでおいてな、おとなしゅうしとかないかんばい」
「はは、まさか中身んこつば聞いた上で、ててんごとかせんばいた。
さすがに一晩に10回どませなんて言わるっと、若っかときと違うだろけんな、ようとしきらんたい」
「初めんうちの何回かはだっでん自分でしきっとたい。
そのうち自分でしたっちゃなかなか出らんごつなるけん、そん時ゃおっが手伝うけんな。
おっも最初ん年は無理じゃなかろかて不安に思とったばってん、こっが実際にしてみっと、助の役のおってやらすだけで、不思議としきるもんでな。
まあ、おるがときには助のもんも2人おらしたけん、ちっと違うかもしれんばってんな。
浩平もあんま心配せんでよかけん、溜める分だけ溜めとくとよかけんな」
ニッと片方の口角を上げて冗談口を叩く信治さんは青年団ではこの俺に次ぐ若い方ではあるのだが、それでも厄入りを迎える年になっている。一昨年の入植時から一番年の近い地域住民として、精神的にも肉体的にも近しくさせてもらっている先輩なのだ。
6月に行う蟲送りの神事でも一緒に神楽をやることになっており、正月の祭りの後から練習も始めていた。
入植して3ヶ月で関わることになった昨年の白沢さんの祭りでは、その準備期間である籠もり神事の間に、それこそ何十回も穢れ落としとして精汁を搾り取られた俺だ。
あのとき青年団団長で祭りの当屋でもあった良さんと並んで一番の抜きの回数をこなしてくれたのが信治さんであり、誰か一人、助の役を頼むことになると聞いて真っ先に俺が思い浮かべてお願いしようと思ったのだった。
俺の世話人役にもいつの間にかなっている良さんと一緒に頼みにいくと、「助の役すっとは始めちだけん不手際もあろうばってん、おっでよかなら、喜んで務めさせてもらうばい」と、二つ返事で答えてくれたのだ。
青年団の中では俺に次いで若いとはいえ、動き手としては信治さんも十分な年齢だ。
それなのになぜ助の役の経験が無かったのかということも、よくよくこの村の実情を思い出せばすぐに理解できた。
若い世代がいないという過疎の村ゆえに、40を過ぎても助の役をする相手がこれまではいなかったのだと腑に落ちる。
この村に移住してからずっと、信治さんは新参者の俺にとって兄弟のような、同級生のような、年齢も農業に対する思いも、かなり近い位置にいてくれた。
食材だけは潤沢にあり旨い米も食べ放題なこの村に育ち、長袖を勧める周りの声を無視しランニング一丁で農作業に励む信治さんの肉体は、赤銅色に灼けたその肌を鬱蒼と茂る豊かな体毛が覆っている。
俺もかなり色黒で毛深いほうではあるのだが、信治さんに比べるとまだまだ生っ白い自分の肌は、月待ちの行事で肌を合わせ互いの家に行き来して肉体の交歓を楽しんでいるときでも、どこか恥ずかしさを感じてしまう。
入植した一昨年は青年団の中でも俺と2人のみの30代だったのだが、一年半という年月が過ぎる中、いまや労働人口であり独身の男としてはこの俺だけが唯一の30代になってしまっているのだ。
この村の様々な農耕儀礼、通過儀礼には、男同士の性への偏向が多大に見られる。この「白山下ろし」の儀式もまた例外では無く、信治さんの説明にもあったように、祭りの当事者である田の耕地者そのものの精力が問われる儀式でもあった。
儀式の目的は、己の圃場を浄め、秋の実りに繋がる土地そのものの生産力を高めるための行為として行われるものである。
村で最初に田植えを行う田では、これとは別に山の神を実際に田の神として迎え入れる小規模な神事が行われるのだが、そちらは個別圃場の白山下ろしが済んだ後に、組内の人を集めて行われる予定だった。
荒起こしに中掻きと耕起作業が済み、畦塗りも終えた取水前の圃場に、4間四方ほどの平地を用意する。山から切り出した細竹と注連縄で界を結び、白幕で陣囲いを作る。
この陣そのものを村の連中は白山と呼ぶのだが、誰に聞いてもその由来はよく分かっておらず、とにかく昔からそう呼んでいたもののようだった。
俺自身は儀式の主体者として、陣内においては体内の穢れであるとされる吐息を漏らすことは許されず、口元で含み紙と呼ばれる白和紙を噛んだまま、一言も発せずに儀式を進めていくことになる。
この白山下ろしの儀礼では豊饒を予して、陣の中の特定の場所に、耕地者自身がなんと己の男根から絞り出される精汁を垂らし、雄としての生命を直接大地に注ぎ入れることが目的となるのだ。
豊饒=多産のイメージからか、男性の精液を収穫の対象となる土地や川、海に対して漏らすという儀式は、学生時代に教養で受けた民族学の授業でニューギニアやアマゾンでの事例として学んだこともあったような気もするのだが、ここ日本でこのような形で行われるなどということは初耳だった。
田の神そのものも特に九州南部では傘をかぶったそのシルエットが男性器を想像させるのか、子宝や子孫繁栄に御利益のある性の神としても扱われて来ていることにも関係するのかもだが、このあたりではどちらかというと村の入り口や別れ道を護る塞の神としての性質の方が強く出ているように思えていた。
いずれにしろ、とにかくセンズリと助の役の介助によって、一晩のうちに何度も汁を飛ばすという行為には、どこか原始的な生命力崇拝の信仰があったのではないかと思われたのだ。
助の役である信治さんは、儀式的には「その場にいない人」として扱われるので、動きも会話も、自由に出来るとの話だ。
唾液を吸ってしまう俺の口を封じる含み紙を取り替えたり、儀式終了まで絶やすことの出来ない篝火も助の役の管理になる。
特に後半は俺の放精を助けるためにもその口と手、全身を使って一晩中動き回ることになるらしい。
儀式では白装束と白足袋を身に付けるとのことだが、梅雨前の時期では日が落ちればけっこうな寒さとなってしくるだろう。
篝火も陣内に四カ所は置くのだが、肌を寄せ合い、暖を取るためにも助の役を置くのが通例になっていることだと聞いたものだ。
果たして以前から行われてきていたのか、それともこの村での爛れたような雄同士の肉欲の果てがこの儀式となったかは疑問なのだが、ともかく陣内に掘られた東西南北、さらには北東の方向と、合わせて五カ所の穴のそれぞれに、射精を二回り、計10回の噴き上げを一晩で行わないといけないのだ。
もちろん普通に一人で己が肉棒を扱きあげて汁を飛ばしてもかまわないとのことだが、一晩の数時間の内に10回というのは若かりし頃であればいざ知らず、この年になるとなかなか出来ないものだろう。
そのための助の役の存在が大きくなり、一晩中俺の肉棒を扱き、しゃぶり、少しでも耕地者の負担が減るように補助する役目を負っているのであった。
青年団の男達のような四十代、あるいは五十代ぐらいまでの耕地者であれば、助の役の介助でなんとか回数をこなすことも出来そうな気はするのだが、これが60や70を越えてもまだまだ現役で農作業に励んでいる世代はどうなのか、下ろしをするよう勧められたときに尋ねてみた。実際、次の世代が街や県外に出てしまい、高齢家族だけで農業を支えているところも多いのだ。
青年団の連中の話だと、そういう場合は本来は介助に徹する助の役もまた自らのモノを扱いて播種に協力するのだという。ときには助の役を3人ほど置いて、まるで陣の中が乱交場のようになるのだという話もあり、この村にあってはあながち誇張したものでも無いように思われた。
もっとも青年団や年長の男達が「10回連続だと幾ら若い者でも無理だろうが、ちゃんと間に休憩入れながらの射精であるし、助の役もいてくれるので、あまり心配しなくても大丈夫」と口を揃えて言うあたりは、この村ならではのことかも知れなかったが。
当日を迎えまだ日のあるうちにと、信治さんと俺、さらに心配して顔を出してくれた青年団長の良さんとの3人で圃場に向かった。
あらかじめ均しておいた地面に竹竿で四方を固定し、幣を取り付けた注連縄を回して界を張るのだ。
風除けの御簾を張り回して陣内の五カ所に浅い穴を掘る。篝火のための結構な量の薪も用意してあり、準備は万端のようだ。
2人が腰掛けるための椅子になる胡床(きしょう)と供物台を置けば、儀式の場となる白山の完成だった。
「浩平は信治にゆるっと任せとっとよかけんな。信治はしっか浩平の太かつばこぶってやって、気持ちよおイかせてやらんといかんばい」
良さんはいつものように方言丸出しの卑猥な冗談を残し、ニヤニヤ笑いながら帰っていった。いよいよ信治さんと2人だけの時間となる。
陣に入ってしまうと俺は含み紙を咥え言葉を出すことが出来なくなるため、信治さんとは事前に色々と打ち合わせをしておいた。
一つ、最初の数回は自分で扱いて出す。その間、信治さんは胸をいじったりして俺がなるべく早くイけるように協力する。
一つ、だいたい1時間に一度の射精を目安にして、信治さんが時間を見計らって合図を送るので、大丈夫であれば俺が立ち上がってからの毎回のスタートにする。
一つ、回数を稼ぐためにも射精後に連続でイケると判断したら次の方角に対してもそのまま続行する。
一つ、俺の方が大丈夫と判断したら、信治さんの合図を待たずに始めても構わないし、信治さんもすぐに対応する。
一つ、数時間のうちでの二桁におよぶ射精となるため、過度の摩擦で皮膚が裂けたりすることもある。痛みを感じたら手を握り締めることで信治さんに伝え、助の役である信治さんは俺が痛みを感じたら手による刺激を避け、唾液とオイルでの尺八をメインに射精を手伝うことにする。
一つ、後半はとにかく汁を出すことが目的となるので、信治さんに扱いてもらったり、しゃぶってもらうことで、俺の方は射精に専念する。
一つ、射精の間の時間は身体が冷えてくるので、俺の後ろに重なるように信治さんが座り、互いの体温で暖を取る。
一つ、助の役の信治さんは声を出すこと含め行動に制限はないため、俺の興奮を増し射精しやすくするための色気話もする。
一つ、終盤となる早朝は互いの眠気や俺の勃起力の低下もあるので、信治さんが間々の休憩時にも、俺の乳首や肉棒を刺激し、頃合いを見ながら射精動作への判断をする。
一つ、なるべく早く終わって、俺に体力が残っていれば、信治さんへの御礼も兼ねて、家で盛りあおう。
……最後の約束事は神事とは関係ないが、この村に馴染んできた俺にとっては信治さんへの慰労も含め、大事なことだった。
夕方になり、そろそろ稜線に日がかかってくる。日も少しずつ長くなってきている時期でもあり、暗くなるのを待っているとそこそこの時間になってしまった。
基本は篝火の灯りのみを頼んでの儀礼式であり、日が落ちてからが本番の儀式である。
俺と信治さんは白山に入る前に家の裏手の井戸水を何度もかぶり、体外の穢れを祓う禊ぎとした。
水温も低くはあるのだが、白沢さんの祭りのときに早朝に行う、まるで丸太で殴られたような衝撃にも思える厳冬期の禊ぎに比べれば、まさに「身が引き締まる」ように思える程度のものだ。
清めた互いの身体をしっかりと拭き上げ、白鉢巻に白装束、白足袋を身に着けた。
以前は六尺褌を締め込んでの儀式だったらしいが、迅速な射精を導くためにいじられる逸物と金玉を助の者が介助しやすくするためか、今では素肌そのままに白装束を纏うことにしているらしい。
そのままだと装束の衽(おくみ)が汚れるのでは、と心配すると、信治さんから「後半は端折るのもめんどくさくなって全部脱ぐこともある」と言われてしまった。
禊を済ませ、改めて田に向かう。
儀式そのものは何か特別な開始の合図があるわけでもなく、俺自身が陣内に入れば、もうそこからがハレの空間での時間を過ごすことになるのだ。
四角い白い和紙を三角に一度たたみ、直角の角の側を半分ほど折り返す。口から吐く息を周りに散らさぬよう、軽く噛み含む。
三宝に昨年この田で取れた米とこの時期の野菜などの供物を乗せ、結界の中に用意した台に供えると陣の中央に移動する。
儀式の当事者である俺は、最初に恭しくも三宝を奉じた後は基本的に射精する以外の何か役割があるわけでも無い。
助の役である信治さんも俺と同じ白装束を纏い、陣内に入る。
特に祝詞を上げるわけでも無く、四方を照らす篝火の準備が終われば、いよいよ己の精力の試される白山下ろしの儀式の始まりだった。
いきなり始めても構わない、とのことではあったが、なんとなく気持ちを落ち着けるため一度は陣の中央にある胡床に腰を下ろす。
後ろから俺を抱きかかえるように信治さんも同じように座った。
「最初は出来れば2、3回続けてイッとくと後が楽だけんな」
耳元で囁く信治さんに頷くと、俺の始めようとする気概が伝わったのだろう、信治さんもまた俺の最初の射精に取りかかるために立ち上がった。
南向きに座っていた俺が身体をずらし、胡床の左側、方角としては東側にあたる浅く掘られた地面を足下にして立つことになる。
前を捌き腰の後ろに端折り、儀式への緊張と期待にいくらか太さは増しているがまだ勃ちきってはいない己の肉棒に手をかけた。
信治さんは後ろから太く毛深い左手を俺の尻肉の間から前に回し、金玉を揉み上げてくる。右手は前合わせから胸に差し込まれ、乳首の先端を唾液をまぶした指先でぬるぬると刺激しはじめた。
この間の男同士の肉の交わりで互いの性感帯を知り尽くした信治さんの手が、的確に俺の興奮を誘う。
全身を濃い体毛に覆われた信治さんの腕の剛毛が、ざわざわと俺の尻肉から玉裏にかけてを嬲り上げる。
その刺激に一気に勃ち上がった俺の肉棒が先端に露を滲ませ始める。
まずは一度自分でイッてしまおうと、俺は動かす右手の速度を上げる。
はだけた胸の突起物を信治さんの爪先がギリリと捻ったその瞬間、俺のこの夜最初の吐精が訪れた。
「んっ、んんっ!」
「イけっ、イけっ、ぐっさんイけっ!」
いつもであれば遠慮することも無く上げるよがり声を出すことが出来ない。そのことが、より一層の興奮を誘う。
信治さんも自分の経験から、この状態での俺の快感の度合いが分かるのか、射精の律動に合わせて肛門と玉の間を指先で刺激し、俺の性感をより高めてくれる。
「よか気ばやったな。二度目は、南んとはすぐイけるな?」
信治さんの問いに俺は声を出さずに頷首し、そのまま椅子の前、南面した浅穴の前へと移動する。
「こぶってやるけん、イきそうなときはおっの頭ば叩きなっせ。慌てておっが口に出すといかんけんな」
まだ俺の側の余裕があるのが分かるのだろう。信治さんが笑いながら二度目を促してくる。
「こぶる」というのはこの地方での「しゃぶる、ねぶる」の方言だが、良さんや信治さんに言わせると「しゃぶる」よりももっとねっとりと舐めまわす、という感じの表現のようだ。
南側の浅穴に向かって立った俺の前に信治さんがしゃがみこむ。
先ほどの名残汁が垂れる逸物は、太さは維持しているのだが硬度は失ってしまったようだ。
うなだれた俺の肉棒を信治さんは根元を右手で支え、伸ばした舌ですくい上げるように口内に納める。
「んんっ、んっ、んんっ……」
イッた直後の亀頭をじゅるじゅると刺激され、俺の鼻息が上がる。
かがみ込みたくなる刺激をなんとか堪えていると、再び俺の中心に血が集まり始める。
玉を揉みながら根元を扱き上げ、ぷっくりと膨れた亀頭をねぶり上げる信治さんのテクニックに、2度目の吐精はそこまで迫っていた。
もう、そこまで、との思いで信治さんの頭を押しやるとすぐにこちらの意図を感じ取った信治さんが口を離し、最後の瞬間を俺自身の扱き上げに任せてくれる。
自分の先走りと信治さんの唾液というぬめりのある液体にまぶされたチンポを握りしめ、上下に激しく扱く。
玉の裏から上がってくる寂寞感と一緒に、腰奥深くから二発目の雄汁が駆け上がってきた。
「んんむっ、んっ、ん、んんんっ!」
最初の放埒よりも幾分か勢いは弱まったが、その分余韻は長く感じられた。
二度目とはいえ、溜め込んだ雄汁は一度目ともそう変わらない量が出てくれたのではなかろうか。
さすがに二桁の射精回数は、と身構えていた節もあったのだが、もう1/5が済んだと思えば少しは気が楽になる。
助の役である信治さんがこの場所にいてくれるだけで、これほど心と肉体の負担が減るものかと、自分でも驚くほどの短時間での射精だった。
「よかよか。二回目ばってん、すごか量出したなあ。あっと言う間に二度目もイけて、浩平もたいがな溜めとったっだろたい。
こん調子なら十ぺん出したっちゃ、お釣りのくっどたい」
信治さんの笑いながらの言葉も決して俺をからかったり揶揄するものではない。俺の吐精を心から喜んでくれているのが伝わってくる。
掃除のつもりか俺の萎えかかった肉竿を再び口にし、尿道に残った汁を吸い上げられたときには、あまりの刺激に信治さんの頭を押さえつけてしまった俺だった。
初回の射精は東の地に出し、その後は南、西、北、北東と時計回りに行っていく。
日没から夜明けまでにこれを二回繰り返すことで儀式終了となる。
儀式の途中と最後に出すことになる北東の方角は、鬼来る方、鬼門にあたる。元々は四方計八回の吐精で済ませていたようだが、いつの間にか農耕者の精力試しの様相を帯び、後に2回分が増えたのだという。
そのせいか、5回目10回目にあたる北東への射精だけは助の役も共に、あるいは助の役のみの射精でも構わないとされているが、これはかなり高齢のものだけが「代わりに」執り行っているぐらいで、実際には助の者との扱き合いで2人分の汁を注ぐことが通例らしかった。