一 再開にあたり
私こと、里見雄吉は、この三太さんのホームページで幼い頃からの体験を自叙伝「開拓地にて」として、掲載していただいている。
ここでお詫びしなければならない。私はかつて別のサイトに、別名で多くの体験談を投稿してきた。いや、それは体験談ではない。なぜなら、その多くが完全な創作だったからだ。
某掲示板に、「今朝義」の名で「開拓地にて」の原型となる体験談を掲載したことは既に書いたが、真相はそれだけに終わらない。某サイトには「作治」と「源蔵」の名で、また別の某サイトには「吉三郎」の名で投稿していた。そう、私は今使っている「里見雄吉」も含め、五つのペンネームを使い分けて来たのである。
心苦しかったのは、それが同一人物だと知らず、今朝義を除く四者それぞれに、温かな励ましのお手紙を送ってくださった方が、何人もいたことだった。しかも、「開拓地にて」を読み、里見雄吉宛てに感想を送ってくださった方の中には、吉三郎宛てはもちろん、十年以上前に、作治宛て、源蔵宛てにも感想を送ってくださった方までいて、自分のしていることに罪悪感を感じざるを得なかった。
吉三郎名義と作治名義では、特に多数の作品を発表していたのだが、五年程前(作治と源蔵に至っては十年以上前)、彼らが突如として筆を断ったことを記憶しておられる方がいるかもしれない。その真相は、両者にファンメールをくださった方々を欺く結果になったことで、精神的に辛くなってしまったことが最大の理由であった。
また別の事情もあった。某サイトの管理人さんから、私の幼少期の体験を事実のままに書いた場合、児童ポルノと判定されかねないので掲載できないとの旨を伝えられたのである。そのため、祖父との関係という、私のホモ人生を決定づけた根源的な部分を書くことができず、書き進めるうちに、空しさだけが大きくなってしまった。こうして、私の創作意欲は断たれ、いつの間にか、吉三郎として発表した作品群は放置と相成った。
そのまま五年が経過した頃、ふとしたご縁で、このサイトの管理人である三太さんと繋がれたことが転機となり、事態は再び動き始めた。私の創作意欲は見事に復活し、陰茎をキトキトに勃起させながら、幼い頃の思い出と向き合う日々が始まった次第である。
そんな機会を提供してくださった管理人の三太さんには、心からの感謝しかない。
さて、この「ノベルス三太」で自叙伝を公開するに際し、私の駄文にお付き合いいただいたうえ、多くの感想まで送ってくださった方々には感謝と恐縮の一言である。そんな中、
「続きが楽しみです。」
「他にも作品がないのですか?」
温かな励ましに加え、もっと読みたいというお言葉をたくさんいただくようになった。
自叙伝「開拓地にて」を書くのは、とてもエネルギーがいる。すべてがすべて鮮明な記憶というわけではないから、エピソードの時期や背景など、詳細を調べ直さなければ辻褄があわない部分も多々出てくる。記憶の曖昧な部分を、適当に補完し続けたら、それはもはや自叙伝の呈をなさない。
体験談を書く場合、妥協を許せない自分が常にいる。これはなかなかの重圧である。
正直、自叙伝の執筆に少し疲れてきた頃でもあった。サイトの管理人の三太さんからも、「書くのが苦痛になるのでは、本末転倒ですので、嫌にならないペースを大切ですよ。」
との助言をいただいたこともあり、しばらくTwitterでの「日々雑記」の投稿だけにしようと気持ちを割り切ることにした。
短文、しかも、現在進行形の日常をそのまま書き込めばよいのだから、気楽に書き綴れる。書くことの楽しさという、原点に立ち戻りたくなったのだ。
孫とのやりとり、最近飼い始めた子猫のやんちゃぶり、これらは些細な日常ばかりだが、その根底には幸福がある。孫とのケンカだって、幸せの一部なのだ。その間、S治とも心を通わせる日々もあった。
書くのが辛くなったのには、止むにやまれぬ事情もあった。「開拓地にて」の第一部が完結した後、第二部以降を書き続けるには、どうしても吉三郎名義で発表した作品と同じ内容のものを書かざるを得ない。
というのも、吉三郎名義で発表したものの多くは創作だが、中には事実を下書きにしたもの、ほぼ事実であるものも含まれているからである。畢竟、完全な創作のものにしても、例え虚構だとしても、作品というものは、常に作者の経験というフィルターを通して生まれてくるものである。続きを読まれた方の中には、
「あれ? これ、どこかで読んだことがある。」
そういう疑念を持たれる方も少なからず出てくるはずだ。
実際、ファンメールをくださった方の中には、文体の特徴から、吉三郎が里見雄吉であることに気づかれた方はいた。その方には謝罪とともに、事の次第をお伝えした。しかし、吉三郎、里見雄吉、作治、源蔵の四人が同一人物であることにまで気づいた方はいなかったようだ。この事実は、管理人の三太さん以外、未だ誰にも伝えていなかった。
そんな中、確かなのは、吉三郎=里見雄吉であることを隠したままでは、書き続けることは不可能だということだった。
続きを読みたいと熱心に応援してくださる方の期待に応えるためには、自叙伝を再開するしかない。しかし、それは吉三郎、里見雄吉、作治、源蔵、この四者を四者とも応援し、ファンメールまで送ってくださった方々を失望させることも意味している。
解決策はただ一つ。すべてを打ち明け、きちんと謝罪することだ。自分の都合といえば都合なのだが、「開拓地にて」の続きを書くことが、最大の贖罪になるのではないかと考え、今回の決断となった。
改めてお詫びをしたい。里見雄吉、吉三郎、作治、源蔵、それぞれの存在を信じ、それぞれにファンメールまで送っていただいた方々、本当に申し訳ありませんでした。
この場を借りて、真実を語れたことで、私の気持ちは多少なりとも軽くなりつつある、それですべてが許される訳でないことは重々承知だが、今後は、過去に書いたものとの類似点を気にすることなく、思うままに書き綴ることができる。
今後、これら四名義で発表した作品のうち、完全に創作のものは小説として、事実がもとになっているものや、ほとんどが事実なものは、「開拓地にて」の第二部以降の一部として、順次、改訂し掲載していきたい。
その手始めとして、かつて源蔵というペンネームで書いた作品を、大幅に加筆改訂してみることにした。それが「義父との秘密」という作品である。「開拓地にて」の第五部の掲載に合わせ、小説として公開していただけるよう管理人さんにお願いした。
改めて確認するが「義父との秘密」は完全な創作である。しかし、当時の時代感、農村の描写、田舎の伝統的な暮らしなどの背景、婿さんとの関係性、セックスの描写などは、私の体験というフィルターを通すことで、かなりリアルに仕上がったと自負している。自叙伝とは違い、完全なフィクションとして、そちらはそちらで楽しんでいただければ幸いである。
なお、「義父との秘密」は今から十年程前に書いたものなので、年齢等は、十年前のままとなっていることを踏まえて読まれたい。
閑話休題。「開拓地にて」であるが、時系列で書き続けるのは少ししんどくなっていたので、過去に吉三郎名義で発表した「福島県の農家の親爺」との体験から再開したい。
吉三郎名義での発表では、事実を曲げて書かざるを得なかった部分が多い。ここでの公開にあたり、事実に近い形で書き改めたので、以前の公開版とは一部異なった記述があるが、前述のような事情の結果だと了解されたし。