狼と龍騎の一族
「ヨーホー、ヨーソー!」
「ヨーホー、ヨーソロー!!」
午後の日差しを受け、光り輝く草原。
その遥か上空を、背に受けた陽光をくっきりとした影として落とす、いと疾き2つのものが舞う。
「ヨーヨー、ホー!」
「ヨーヨー、ソー!」
その美しく空を駆ける姿は『草原を往く者達』、強き羽根を持つ龍騎ドラガヌ一族と、彼らと共に生きる、狼獣人ノルマドの一族。
滑空に適した羽を持つ龍騎ドラガヌの背には、狼獣人たるノルマドの姿。
それは『人馬一体』と評されるほどの、人と馬との美しい関係にも似て。
「はははっ、久しぶりの遠出もよいものだな、ラルフよ!」
「はいっ、父上っ! 南の湖にて赤き藻の発生とのことでしたが、たいしたことでなくよかったです」
2騎の龍騎ドラガヌの背にて手綱を持つ狼獣人2人は、いくらかの空間を空けての会話をなんなくこなしている。
どうやら狼獣人の父と、その息子のようだ。
ノルマドの一族にとりその後継の選任にあたっては必ずしも世襲を旨として行われるわけでは無いのだが、この親子については血の通った実の父子関係が成立している。
「このままゲル(移動式の簡易住居群)へと帰るのも興無きこと。どうだラルフ、また我が龍騎ダルリハと、ラルフが龍騎リハルバよ! ゲルへ着くに、どちらの組が早くあるか、一勝負せぬか?」
「また父上はお戯れを」
「ダルリハには前回の勝負での貸しがあります。ぜひとも、ラルフ殿、ガル殿」
「なにを言うか、リハルバよ。貸しが溜まる一方の結果になるのは目に見えているぞ」
ラルフがその背を預かる龍騎リハルバが、耳を裂く風音にも負けぬ音量で騎乗の二人へと声をかければ、ガルが龍騎ダルリハがそれに答える。
父上と呼ばれるは、狼獣人ノルマドの族長ガル、その人であった。
本来、息子であるラルフとその龍騎リハルバで十分な調査飛行に、持ち前の好奇心から着いてきたのであろう。
ガルの龍騎ダルリハと兄弟のように育ったラルフの若き龍騎リハルバは、常々その能力を競い、高め合う、よい友人でもあったのだ。
「互いの了承は取れたようだな! ヨーヨー、ホー! それっ、往けっ! ラルフっ、遅れるでないぞっ!!」
「ああっ、もうっ、父上っ!! 仕方無いっ、リハルバっ、征くぞっ!」
「ラルフ殿っ、承知っ! 我が羽に賭けてもっ、ダルリハには負けないっ!!」
乗馬に例えれば、並足から早足への変化であったか。
一瞬の早駆けでガルとダルリハが先行したものの、すぐにラルフとリハルバがその背に迫っていく。
「ヨーヨー、ホー!」
「ヨーヨー、ソー!」
草原を歩く民が見上げた空に舞う2騎の姿は、疾く、美しい。
滑走と羽ばたきで巧みに空を往く彼らの行く手を遮るものは無い。
………………
…………
……
「まさか同着とは、儂の手綱さばきも衰えたものか」
「そんなことを言うと、ダルリハが怒りますよ」
「はは、それもそうだな。我が手綱があれの飛行の桎梏となるようであれば、もはや引退を考えねばならん」
「戯れ言が過ぎます、父上っ!!」
ゲルに帰りついた2人の会話を聞けば、どうやら何事にも積極的な父ガルに対し、その息子ラルフは常に諫める側にあるらしい。
狼獣人特有のがっしりとした体幹から伸びる四肢は、ガルやラルフの動作を洗練した動きにすら魅せるほどだ。
簡易式の住宅であるゲルの中にはその体高ゆえに入れぬ龍騎を外に残し、2人は集落で一番大きな円形住居の入口をくぐる。
「ガル様、ガズバーンのグルム様より手紙が来ております」
「ほう、グルムからとは久しいな……。どれ……。
おお、ラルフよ。グルムからなにやら我々に贈り物をしたいとの知らせのようだ」
目を通したガルが、嬉しそうに息子へと声をかけた。
「贈り物、とは? 父上?」
「ふうむ、なんでも帝国領内で珍しい飛龍を捕らえたらしい。ドラガヌ一族に比べてもかなりの大きさの成長個体らしく、大量の物資運搬にも適うのでは、とのことだ。
我らの季節移動の際の乗騎として、使ってみてはどうかとの話のようだな」
アスモデウスがガズバーンに『出現』したのは、すでに2週間前のことであった。
しかしその『出現』により、城や帝国領の大規模破壊が行われたわけでは無く、いまだワイバーンによる兵士や王宮にいる者達の生気が吸い取られているだけの時期であった。
当然、帝国の民もまたその事実を知らず、ワイバーンの操り人形と化したグルムの変化にも気付いてはいない。
ましてや近隣諸国、遊牧民であるノルマド、ドラガヌの一族にあっては、一般的な意味での危機意識すら湧いていない状態であった。
「確かにゲルの移動は毎回一苦労ですからね。物資を一度に大量に、しかも飛行によって運べるとなると季節毎の悩みはだいぶ解消するものかと。
ただ、それほどの大きさのものとなると、平時においての食料や空間の確保もまた同時に考えていかねばならないのではないでしょうか」
極めて冷静なラルフの分析である。
遠慮の一切見られないその指摘は、親子の年齢の近さもまた影響しているのだろうか。
若き参謀とも言える息子の成長を見るガルもまた、どこか嬉しさを隠せないようである。
「お前、本当に儂の息子なのか? まあ、よく育ったといえば、そうなんだが」
「父上っ! 笑い話にすることではございますまい。グルム陛下の恩賜とはいえ、一考は必要かと思っただけでございますよっ」
「はは、その調子で儂の浅い思慮をこれからも諫めてくれ。
おい、グルムへの返信を伝える。『お申し出は大変ありがたく思いつつも、我が民にて貴殿の捕獲されうる飛龍の生育を成就出来るか、甚だ不安あり。各種より多き情報を求む。』こんな感じで出しといてくれ」
「それが、族長……」
ガルの言葉を聞いた側近の者が、困り果てたようにその口吻をわずかに上向ける。
「うん、どうした?」
「実はガル様宛のものと別に、我が一族名の宛名にて別の通信もあったのですが……」
「ほう、それにはなんと?」
「輸送に時間がかかるがゆえに、すでに移動の手配は取ってあると」
「なに?! もうこちらに向かっているというのか?」
「はい、帝国最大の18頭立ての馬車にて明後日にはこちらに到着予定とのことでございました」
帝国でも最大を誇る馬車での仕立てとあれば、その巨大さ、一行の重要性がおもんばかれるもの。
「おいおい、グルムにしてはえらい慌てようだな。そういう奴だったっけ?」
「父上、いずれにしてもこちらに既に向かっているとのことであれば、なにがしかの用意は必要でございましょう。
とりあえずは飼育空間の確保と、推測される食料の調達が必要かと思います」
「ああ、そのあたりはお前に任せる。儂の方は、とりあえずドラガヌの連中含め、族会議を招集することにしようかの」
「よしなに」
穏やかで伸びやかな日々を送っていた草原の覇者達に、いくらかの緊張が走ったのは言うまでもなかった。
二日の時間など、あってなきようなもの。
報を聞いた翌々日、ガル達はガズバーンからのものものしい一行を迎えることとなる。
………………
…………
……
ことの始まりは、アスモデウスの出現から十日後あたりのことであったか。
王宮の奥、大広間にて繰り広げられている屈強な兵士達によるおぞましいまでの乱交は、日々その参加する兵団枠を広げながら続いていた。
何十人もの兵士達に幾度もその口を、総排泄腔を犯され続けているグルムではあったが、その表情は硬化したまま、いささかの変化も見られぬようである。
重なる摩擦に潤滑体液の分泌すら間に合わず、スリットやその口吻に血の滲みが日に日に広がる様だけが、王宮の奥、広間での淫らな陵辱の痕跡として現れてくるのであった。
「なかなかに心開かぬ奴ではあるな、グルムよ。といってもわずかではあるが、我にもお前の心情に映るものが見えるぞ。
どうやら西のノルマドなる一族、なかなかな生命力のある奴等らしいな。
まだまだこの地での淫気の収集は続けていくが、新しき土地に目をつけておくのもまた楽しかろう。
今回は我も見てみたい気もするし、一つ、手紙を書いてくれるかな、グルムよ」
自らの意思無く、ワイバーンの指示がなければきらめく光彩を持つ目の瞬きすらしないのではないかとすら思えるグルムであった。
その筆跡はかつてのまま、ワイバーンの指示にそった手紙をしたためるその手の動きにも、ためらいや遅れは見て取れない。
帝国皇帝から草原の一族への『贈り物』として、ワイバーン自らがノルマドとドラガヌの地へと向かうその内容は、ガルの手に渡った手紙そのものであったのだ。
毎夜毎夜、広間の兵士達にその身を穢されながらも、もはや『淫気』の完全な傀儡と化したかのような皇帝は、今日もまたその姿を王宮のバルコニーに現し、帝国内外から訪れた客を歓待していく。
………………
…………
……
「これはこれは、グルム皇帝の使者のお方ですな」
「『草原を往く者』ノルマドの族長ガル殿ですね。竜人帝国ガズバーン皇帝陛下グルム様よりの贈り物を届けに参りました」
「遠路はるばる、よくお越しくださいました。いや、馬車もまた立派なもので、このようなものは西国連盟においても見ぬものでしょう」
「さっそくですが披露目をさせていただいてもよろしいですかな? 移動中、飛龍の疲労を避けるため、日除けの布をしておりましたもので」
おそらくは街道の幅をすべて占有していたであろうほどの馬車であった。
その後部には大きな檻のようなものが、広い布にて日の光をさえぎるかのように掛けられている。
「ああ、それであの布が……。もちろん構いませぬぞ。暴れたりしなければ、ゲル集落の南方に飼育場所も確保しております」
「手回しのよいことですな。それでは、まずはご覧あれ」
使者の指示により、一件の家ほどの大きさのある檻を覆っていた布が外されていく。
中身の巨大な生き物に対してはいささか不釣り合いな、かなり細かな鉄格子で組まれている。
檻の前部が大きく開け放たれ、草原の地へと緋色の巨体が下ろされていく。
「おお、これはまた立派な飛龍だ。しかもグルム殿と同じ緋色の体表とは、実にめでたいものではございませぬか」
ガルの感想もまた当然のことであったろう。
似た姿態を持つ龍騎ドラガヌの一族と比べ、その大きさはさらに3倍ほど、畳まれた羽が広がれば、ここのゲル全体を影にするほどの翼面積を誇るであろう。
意図的に『淫の気』を押さえたワイバーンの姿。それは、この世界の住人からすれば、ある種の憧憬すら感じられる飛龍そのものであったのだ。
もっとも実際の飛龍=ドラゴン属と比べれば、でっぷりと膨らんだ腹の質感や、禍々しいほどにまでに凶悪なその手足の爪に違いは見られるのではあるが、飛龍そのものの実際の目撃数も少なく、その生息地環境の厳しさゆえに、容姿観察の一般化が出来ているものでも無い。
たとえノルマドの一族を束ねるガルであっても、初めて見るに等しい生き物であったのだ。
「人獣類とは違い人語を話すわけではないのですが、その知能は大変高く、こちらの言語や一定の心理、動作の読み取り能力は高いかと思われます。
グルム様、ご子息グリエラーン様も幾度かその背にまたがり、高き空を舞われたとのこと。
ドラガヌ族との共存を図られいるガル様ではございますが、運搬用の乗機としての運用の検討含め、まずはその背に一度乗ってみられてはいかがでしょうか?」
当然、屋外での歓迎であったこの状況には、龍騎ドラガヌの一族もまた隣席している。
ちらりとそちらを見やったガルの目に、盟友ダルリハが鷹揚に頷く様が映る。
龍騎ドラガヌと狼獣人ノルマドの一族は、はるか昔には東部森林の覇権を巡る敵対した種族であった。
長き争いの後、手を組むこととなった二つの一族は、その足と羽の能力を最大限に生かせる草原へと進出していく。
その過程において、長命を誇るドラガヌと一般的な寿命を持つノルマドの民との間には、他種の者から見ればある意味奇妙な関係構築が成されてきた。
現在、ドラガヌで飛行能力、体力ともの成人を迎えたものは、幾代かにわたりノルマドの民との一対一の契りを結ぶことによってのみ、その背を預ける者を選んでいたのだ。
ガズバーンの使者の言う飛龍というものが自らの体格の数倍を誇るものとはいえ『その背に乗せる者を問わぬ』というただ一点において、ダルリハがガルへと魅せた表情には、一族の持つ矜恃になんら影響するものでは無いとの判断が込められていたのである。
ドラガヌの一族にとり目の前の飛龍の在り様は、地球人類が『家畜』という生き物に対して持つ情感と、ある意味似通ったものがあったのやもしれなかった。
「手綱の扱い方は、龍騎一族のものと同様のはず。進行方向の選択が左右、両方を引き上げれば上昇、完全に緩めれば下降、テンションのかかる時点での調整にて水平高度の維持、という形になります」
さっそくワイバーンの大きな背に乗ったガルが、実際には既にアスモデウスの眷属の傀儡と化している使者の説明を受けている。
なにゆえに淫獣たるワイバーンが、自らの背に彼らの言う『小さき者ども』による騎乗を許すのか。
「みな、見ておれ。乗りこなしてみせるぞっ!」
ガルの手綱の引き起こしにて、その羽を伸ばし、大きな羽ばたきを始めるワイバーン。
住居の場所からは一定の距離があるとはいえ、幅20メートルを越すその両羽の生み出す風圧は大量の砂埃を舞上げる。
「おおっ、これは力強いっ!
御者一人割くことで、この図体での搬送量が確保出来れば、ゲル移動にはかなりの軽減が出来るぞ!」
地上に残る者達にかろうじて届いたガルの声は、このようなものであったろうか。
駆け出しと飛び上がりで飛行を開始する龍騎ドラガヌの優美さには到底及ばぬその姿は、確かに力強いと評されるものではあったのだが。
その巨体ゆえ、地上との関係で安全とされる標準飛行高度はかなり高い位置となる。
地上からは一度見失えばほぼ追視認が難しくなるほどの上空にて、手綱を握るガルが呟いていた。
「ふうむ、ドラガヌと違い飛行中の翼の上下が激しい分、揺れ振幅については考慮の必要があるな……。旋回範囲と最小旋回径については、試乗を繰り返して確認していかねばなるまい……」
生活と飛行、移動が一つのものとなっているノルマドの民による、実務的な分析である。
息子の前では剽軽な面をことさらに打ち出すガルではあったが、この実直さゆえに族長たる任を託されているのであろう。
そして、その瞬間、ガルの意識の外からかけられた言葉はーーー。
「ふむ、ここまで上がればお主等の龍騎とやらも追いつけまい。さて、ゆるりと話をしようではないかな、族長ガルとやら」
「なっ、なんだっ! ま、まさかっ!!」
地球人類が自ら騎乗していた馬が、突然己に話しかけられとしたら、そのときのガルの驚愕の意を感ずることが出来るだろう。
人獣類が闊歩するこの世界においても、動物と人語を解する人獣類との差は歴然としたものがあり、たとえトーテムとなる動物との関係においても、会話を通じた意思疎通が可能となるわけでは決して無いのだ。
「お、お前は何者なのだ……」
思考停止に近い状態のガルは、手綱のコントロールへも意識を割くことが出来なくなっていた。
もとより、あくまで自らの意思で飛行をしていたワイバーンにとっては、なにほどのことでも無いのではあるが。
「ふむ、分からぬのも無理は無い。我はアスモデウス様が仔、ワイバーンである。こたびはお主等の一族の持つ生命力にちと興味があり、わざわざ我自身が出向いてきたというわけだ」
「な、ア、アスモデウスがすでに復活していると言うのか!」
「まあ、我がその証左ではあるな、ガルよ。して、我が背に感じるお主の力、生命力、なかなかのものだな」
「な、な、なにをしようと……」
遥か高空を飛ぶワイバーンの背、そこはもはやガルにとって一切の逃亡が許されぬ監獄と化している。
「なに、お主に我の『淫の気』をわずかばかり当ててみたいと思うておるだけだ。我が主アスモデウスさまのそれと違い、我の『淫気』は閉ざされた空間ではかなりの力を持つが、お主等の暮らす地のような外に開けたところではいささか効率が悪い。そのため、我に直接触れた一族の長を、ゆるりとその力をいただこうとしておるだけなのだ」
「それは、儂を、儂をお前の傀儡にしようということなのか……」
「お主等の言葉で言えば、まさにそのようなものであろうな。一度味わえば、その甘美さに二度と手放したくなくなること必定であるぞ」
おぞましくも淫蕩なるワイバーンの視線に、思わず身体を震わせる狼獣人の長。
その脳裏には、長年の盟友である帝国皇帝の姿が浮かぶ。
「ま、まさかグルムも……」
「ああ、あの竜人の皇帝とやらも毎夜毎夜、逞しきその身体を下賤な兵士どもにいいように扱われておるぞ。
あの口も、鼻も、総排泄腔も、男どもの精汁で溢れ、たまらぬ匂いを放っておるようだな。
もっとも本人はいささか反応が鈍くなってはいるようではあるが、どこまで保つものかのう」
まさしくもガルの頭に『おぞましい』絵面を浮かばせるワイバーンの言葉であった。
そしてその状況をガルへと聞かせるその意図もまた、容易に推察されることなのである。
「わ、我もまた、お前の力の虜にしようというのか……」
「そのためにわざわざこのような状況を作り上げたのだ。まだまだ我が身には足りぬ『淫の気』を練り上げるため、お主にもちと協力してほしくてな」
「そのようなことに我が加担すると思うのか!」
「ふむ……。しかしてお主らが、あの小さき羽を持つもの等とやっていることと、いったい何が違うというのだ?」
ワイバーンの疑問の言葉に、その身体を硬直させるガル。
「知って、知っておるのか、我らの『契り』のことを……」
「先ほど、だいたいの者の頭は探ってしまったからな。なかなか面白きものでは無いか。ガズバーンがグルムも、それに混ぜてやってはくれぬかのお」
狼獣人を見やる淫獣の顔、そこに実に淫猥なる笑みがこぼれる。
ガルの言う『契り』とは、いったい何を差し、どのようなものであるのか。
かつて狼獣人ノルマドの一族と、龍騎ドラガヌの間に敵対関係があったことは先に述べた。
森林生息地を争うその闘いは長きにわたったが、生活圏域のわずかな違いと、両一族の特性に応じた居住地の移動については、戦争の間に水面下での粘り強い妥協案の策定が練られていたのである。
結果、騎乗する相手として互いを認め合うことで、陸と空における重合的な移動空間を草原へと求めた両族が、歴史的な和解にいたる。
その過程において、矜恃高きドラガヌ達が己の背にまたがるものを見定めるための儀式性の高いある『行為』が、固定化されていったのだ。
ノルマドの青年と、ドラガヌの一族。
互いに雄性の個体間のみで成立するその儀式は、後に『契り』としての呼称を得、飛ぶものと駆けるもの、その双方に取り非常に特殊な関係を構築する礎となっていく。
成人に達したノルマドの若き雄性個体は、族間の交流の中で見定めた一人の龍騎へ自らと『契り』を成してほしいと願う。
今ではともに生活するために成人年齢より以前から知り合う中での交友が深まるわけではあるが、かつては生活圏の違いから互いの族間には一定の距離があったため、その目的に限った人的な交流も意図して行われていたのだ。
若きノルマドよりの依頼に指名されたドラガヌが同意すれば、二人は互いに協力しあいかつての両族の暮らした森の奥深く、『契り』を行うためだけの閉鎖された空間を用意する。
ほぼ褥(しとね)とその周囲を閉鎖するだけのそれが用意出来れば、いよいよ二人は『契り』のためにそこに三日三晩籠もることとなるのだ。
その中でどのような行為が行われているのかは、特にノルマドの民の中で共有されているものでは無く、すでに『契り』を済ませ特定のドラガヌとの関係が成立した先達より、あくまでも口伝で密やかに伝えられているだけのことであった。
このノルマドとドラガヌの雄性個体間でのみ執り行われ得る、『契り』という儀式。
それはこの世界でも非常に珍しい、異種族間における性的な接触を定時定性的に行う画期的なシステムとも言えるものであった。
騎乗契約とも取れる『契り』成就のため、用意した空間に入った2人は、種族の違いを超え、己が性的な親愛と欲望を、互いにぶつけ合うのである。
竜人属と同じ、総排泄腔に格納されたドラガヌの性器と、哺乳種をトーテムとする狼獣人。
身体形態がまったく違う同性異種の2人が欲情し合い、その精汁を互いの肉体へと注ぎ合う。
ドラガヌの相手に対しては巨大とも言えるその肉体に覆い被さるようにして、若き狼獣人の最大限に勃起した陰茎が龍騎の下腹部、スリットへと強く差し込まれ、粘膜同士の摩擦の快楽に溺れるのだ。
あるいはこれも竜人と似た、太く白く、筋肉で形作られたしなやかなドラガヌの生殖性器が、ノルマドの尻穴を幾度も穿ち、その奥へ大量の精汁を送り込む。
彼らの交合を観察すれば、ノルマドにおいては陰茎先端の亀頭と根元の亀頭球の二段階の膨らみが、ドラガヌ同族間における交合とはまた違った深い快感を相手に与えることとなる。
ドラガヌにおいてはその体格差ゆえのノルマドのそれと比べると長大な生殖性器が、青年の尻穴の奥深くを穿つ。
またノルマドのそれとは違い筋肉で構成されたドラガヌの性器は、差し入れられた尻穴で狼獣人のいまだ発達過程にある前立腺を揉み上げ、その取り囲む肉壁をぐるりと撫で回すことすら可能であった。
先端も肉茎も、そのすべてが筋肉で占められている性器であるがゆえのその奔放な動きは、若き狼獣人をよがり狂わせるほどの愉悦を与えるのだ。
しなやかで太く蠢くドラガヌの陰茎と、固く長く、強き膨らみを持つノルマドの肉棹。
相手のあらゆる体腔を、口と舌、肛門、総排泄腔、そのすべてを犯し尽くす交情は互いに一睡もすることなく、あまりの快楽に蕩けた脳髄の下、それらの行為を何十何百と繰り返し、三日と三晩を過ごすこととなる。
互いに同族間の性交や交情では得られぬその究極の悦楽経験が、2者間の繋がりをより強く、より深く結びつけていくことは想像に難くない。
決められた日数を過ごし互いの体液と混じり合ったむせかえるほどの獣臭性臭に包まれた2人が目隠しの布をくぐり、四日目にして再びの外の光を浴びるとき、ノルマドにとっては一生を、ドラガヌにとってはその長き人生の中のある程度の節目となる時間を、共に過ごす伴侶としての関係が成立する。
一度『契り』を交わした2人はそれ以降、互い以外のものとの性的な関係を一切拒絶し、己が性欲の解放は契りを成した相手とのみ行うこととなる。
それゆえに一生という尺度でこの関係を見た場合、ノルマドにとっては『契り』を成す前に、長命なドラガヌにおいては生涯幾人かと結ぶ『契り』と『契り』の間にて異性との生殖行為を行うことで、その子孫の存続を保障するのである。
族長ガルとその息子ラルフが他種の父子と比べればいささか年齢が近く、互いのやり取りに遠慮が無いこともまた、それに影響していることやもしれぬ。
もっとも息子ラルフについては元よりの性的指向が同性へと向くものであったため、子を成す行為をせぬままの、リハルバとの『契り』へと至ったのであったのだ。
この世界においても非常に稀な、性的関係性と拘束を元とした契約行為が行われていることは、およそノルマドとドラガヌの2族以外においては、ほぼ知られることは無い。
たとえ同族の間でおいても、『契り』を成した後の関係がもてはやされることはあっても、その行為内容が族員の中ですら公に語られることは皆無なのである。
その秘められた行為を、『敵』とも言えるアスモデウスの眷属が知り得ていたことへの驚きと、かのワイバーンの言葉に込められたあまりにもおぞましい結末への想像が、ガルのたくましい肩をも震わせていた。
ある意を決したガルが、もう一度その瞳に力を込め、長い首を振り返らせているワイバーンへと言葉を返す。
「そのような傀儡にされるのであれば、我が命などここで捨てるっ!
我が一族ノルマドに、盟友ドラガヌの一族に、栄光あれっ!!!」
いつの間にかガルの右手には、遊牧の民が常に腰に帯びている短剣が握られていた。
その切っ先が筋肉逞しい喉元へ向かおうとしたとき、退屈したようなワイバーンが一言を発する。
「動きを止めよ」
帝国皇帝グルムを、その意思高き屈強な兵士達を、室内とはいえ離れた場所からですら意のままに操る淫獣の力は、我が肌、我が肉体に直接触れている狼獣人に対し、より一層の優位を持った力を発することが出来る。
喉元に向いた切っ先に視線を動かすことさえできず、その一瞬の姿勢を固定化されたガルの目が悲しげに光る。
「分からぬ奴だな。このような事態を我が予想しておらぬとでも思っておったのか。
まあよい、別に先のような話をお前にする必要も無かったのではあるが、人の感ずる絶望というものの気を見てみたかったものでな。
さて、お主の記憶と人となりを、我が物とさせてもらおうか」
ワイバーンの指先が、ガルの額を指差す。
そこから流れ込む思考と、流し込まれる思考が濁流のように交差し、一瞬にして族長ガルの瞳からはその意思の輝きが失われてしまう。
「ふむ、此奴の息子を連れ、このままガズバーンへと戻ってみるか。
この狼の身体と龍騎とやら、さらにはあのグルムなるものを淫猥な交わりへと導けば、またおもしろいものが見られるやも知れぬ」
驚いたことに、この言葉はノルマドの族長、ガルの口から発せられていた。
グルムよりも強い力で支配されたものか、誇り高き狼獣人の長、ガルの肉体と精神は、もはやワイバーンに乗り移られたただの一個体としての存在へと大きく変化してしまっていたのだ。
ばさりばさりと大きな羽ばたきの音が聞こえる。
ガルの騎乗したワイバーンが、再びゲル近くの草原へと舞い降りていく。
「おお、帰ってこられるようですな」
「視界限界消失されたときにはどうしようかとも思いましたが」
ノルマドの、ドラガヌの一族達が見上げる中、緋色の飛龍が再び大地にその肉体を近づけていくーーーーー。