摩籠の祭り、摩羅籠の祭り

その2

 

その2 前夜

 

 明日は祭りを迎える、その前夜のことである。

 祭りの『朱』であり平八の父である平七が、夕飯も終え上半身裸のまま畳にゴロリと横になりくつろぐ一人息子へと声をかけた。

 2人してビール2本と、焼酎のお湯割りを平七が2杯、息子の平八が3杯ほども飲んだ後である。

 越中褌が普段の下着である2人に取り、前布の脇からぼろりとこぼれた互いの逸物と金玉は、もはや見慣れた光景の一つに過ぎなかった。

 

「おい、明日の祭りの『直会(なおらい)』のことで、ちょっといいか?」

「ああ、次の馬曳き(まびき)のことだろう。どうせ来年からは俺が、とは思ってはおったが、他に何かあるのか?」

 

 馬曳きの代替わりだけであれば平八の言う通り、今年までは平七が、来年からは平八がと、きっちりと線が引けるはずである。

 来年からはやっと俺も一人前の男として、馬が曳ける。村の男達の一人として、六尺を締めて祭りに参加できる。

 そう思っていた平八に取り、『今年の』祭りのことで父親から話しがあると言われれば、何事かと思うのも当然ではあったろう。

 

「明日の祭りのあと、夜にある『直会』に、お前にも参加してほしくてな……。それに祭りの『朱(しゅ)』のことを、お前にはきちんと話しておらなんだったしな……」

「摩籠祭りの『朱』って、馬と馬曳きの連中の世話役以外に、何があるって言うんだ? 親父が何十年ってやってきたのも、それが上手くやれてたってことじゃないのか?」

 

 いったい何のことだ、と平八が身体を起こす。

 

「うむ、『朱』のことを知らなんだら、まあ、そんなもんじゃろうな」

「だから何が言いたいんだよ」

 

 持って回ったような父親の言葉に、少しばかり苛つく平八。

 

「儂が『八日講(はちにちこう)』に行ったときにはいつも、それこそ幾度も幾度も、男の精液の、そう、雄汁の匂いを付けたまま帰ってきたときのことは、お前も気付いておったじゃろう?」

 

 奇妙な話ではあった。

 だが目の前の平八にも、父親の言葉に思い当たることはあるらしい。

 

「あ、ああ……。そうだな……。

 えらく匂いがキツいなと思ったときも、確かにあったが……。

 いや、まあ、嫁もおらん奴らばかりが集まっとるわけだから、そら、せんずりの掻き合いぐらいしとったんかな、ぐらいには思っとったが、なにか違っとったのか……?」

 

 父親の語る言葉に毒気を抜かれたような平八。

 月に3回、父である平七がこの自宅に朝方まで帰ってこない日の話である。

 

 夜も明ける早朝に、平七がかなり疲れた様子で馬曳きの男達が集う公民館から戻ってきたとき、まさに先の平七の言葉通りに、男なら誰もが知るあの『匂い』が、迎えた父親の全身から立ち上っているときがほぼ毎度のことであったのだ。

 

 平七が語る『八日講(はちにちこう)』とは、毎月の8日、18日、28日の夜、馬曳きの男達がかつては若衆宿と呼ばれていた公民館に集まり、夜通しの宴席を行う集まりのことであった。

 当然平七が祭りの、馬曳きの『朱』を務めている間は、たとえ平八が実の息子であろうとそこへの参加権はなく、父の帰りを家で待つだけのものであったのだ。

 

 この『八日講』は、たとえ真夏であっても会場となった公民館の窓も入口も閉め切られ、始まってしまえば完全な密室の中でのそれとなる。

 子どもの頃は宿の中でいったい何が行われているのか知りたくて建物の周りをウロウロしてみるものもいるのだが、どこかに覗く隙間があるわけでも無い。

 持ち込まれる料理やつまみ、酒のあれこれから『男達だけの派手な宴会があっている』とでも思い込むしか無かったのだ。

 もっとも、朝方に少しばかり疲れた様子で公民館を去る男達の全身から漂っていた『あの匂い』の謎だけは、残っていたのだが。

 

 この集落の男達は幾らかの年齢となれば、たいていの者はその家その家の『馬曳き』の代譲りを受けていく。

 自然『朱』たる父親を持つ平八だけが村内の壮年の男としては唯一、この『八日講』に参加し得ないものとなっていた。

 

 そんな平八ではあったが、ある意味のほほんと、中高年の男ばかりが集まる宴席でそれなりに下の話がネタになり、さらには普段から女っ気の全くない連中であれば、互いにそれなりの『行為』が行われているかもな、という予想はしていたのだ。

 宴席の余興としてのせんずりの掻き合い程度だと思えば、大の大人がことさらに騒ぎ立てるようなことでも無く、互いに『見て見ぬ振り』をするのが礼儀、ぐらいに思っていたのであった。

 

 実際この地域では、夏場の蒸し暑さに外の空気を吸おうと夜中に集落を歩けば、そこここの小屋や物陰で、激しい、あるいは押し殺した男同士の声が聞こえることも、たびたび経験してきている平八である。

 適齢の女がいないこの集落でそのような形での欲求の解消が行われていることは、『八日講』以外の日常であっても、まさに『暗黙の了解』として成立していたのだ。

 平八自身も父親の全身から立ち上る『あの匂い』に誘われて、自らが寝室としている部屋にて己もまたその股間へと手を伸ばし、日に数度は日課となっていたせんずりの回数が、さらに増えたこともあったのであった。

 

「お前に『朱』のことをきちんと話しておこうと思うてな……」

「……、だから、その『朱』が、いったいなんだってんだよ」

 

 一拍の間。

 

「実はな……。

 儂は、儂は……、この二十数年間、祭りの『朱』として、摩籠の男達、馬曳きの男達の雄汁を、ただただひたすらに、儂の尻に受け、口にしてきたんじゃ」

「はあっ?! 何を言ってるんだ、親父?!」

 

 驚くべき平七の話であった。

 ある程度の『色事』は予想していた平八ではあったが、父である平七の言葉はあまりにも想像とかけ離れすぎており、それこそ仰天するかのような内容であったのだ。

 

 宴席に紛れた互いの少しばかりの性的な放埒、おそらくは秘め事として少数間で行われていたとばかり思っていた『行為』。

 それが祭りにおける『朱』の役割として位置付けられ、毎月の『八日講』にて大々的になされてきている。

 集落の壮年の男達の中、ただ一人これまで『八日講』へ参加することの叶わなかった平八にとって、まさに青天の霹靂のようにも思える父の告白であった。

 

「いや、おかしいだろ、そんなの!」

「何もおかしくはないぞ。お前も摩籠の男の荒々しさが昔から周囲の村落からも色々言われておったというのは、こまいときから聞かされておっただろう?」

 

 平七の言葉は、地域に伝わるある戯れ言を思い出させる。

 

「あ、ああ……。『摩籠の輩(やから)はおなごを突き殺す』ってあれか……」

「ああ、そうじゃ。昔からなぜかこのあたりで生まれる男は、まさに馬並みに逸物がデカく、その大きなもので女を荒く扱って嫌がられる、という有名な話じゃった」

 

 巨根に表される、いわゆる『男性的』な、暴力性を表す意でもある話なのか。

 

「こんな田舎の男が出稼ぎで街に下りゃあ、そんなふうに言われることもあったんだろう?

 まあ、確かに旅行んときとかに見る分にはデカい奴が多いとは思っちゃいたが、そうそう比べるもんでも無いしな……」

 

 父親が語る話の方向がどこへ向かうのか、まったく見えない平八である。

 

「……その、親父が『朱』を引退するってときに突然そんなこと言い出すってことは、その、俺に『馬曳き』だけでなくって、その、その『朱』も引き継げって言いたいんかよ……?」

 

 父親がなぜ、祭りの前日になってこのようなとんでもないことを言い出したのか。

 平八なりに考えての結論が、『そう』なのであった。

 

「まあ、そうなってほしいところではあるんじゃが、ことはもう少し複雑じゃてな」

「どういうことだ?」

 

 目の前の疑問に喰らい付くことで、心中に広がる不安をなんとか打ち消そうとする平八。

 

「摩籠に伝わってきたこの『朱』という奴は、形としては男達の性欲を満たす『器』のように思えんことは無いな。

 それはまるで……」

「まるで『女のように』ってことか?」

 

 平八の太い眉が、ひくりと動く。

 一般的な意味での『女性』への攻撃性を抑えるために、代用となる『者』=『朱』を、男達の中で融通していたのか、そうとも受け止めることの出来るシステムである。

 

「確かに『今』考えればそうなるじゃろう。ただ、祭りが始まった数百年前にはそのようなことまでは必要無かったはずじゃ」

「ああ、男と女の数のバランスが悪くなったのは、せいぜいここ数十年か……」

「そうじゃな……。それと『朱』という、この役を呼ぶその言葉そのものにも、実は意味があるんじゃなかろうかと、儂は思うている」

 

 おそらくは初めて『朱』としての役割を負ったその夜より、平七はが一人、その心の中で数十年にもわたって問い続けてきた疑問と、そこから引き出された自分なりの『答え』なのだろう。

 

「今はもう縁起を書いたものの失われておるし、引き継いでるものもおらんことではあるんだが……。儂が子どもの頃、爺さんから聞いた話で次のようなことがあった」

「…………」

 

「祭りで馬を奉納する『おやしろさん』は、以前はここには無かったものだと言う。

 あるとき、この土地に生まれた一人の子がおり、その子はたいそう身体が弱かった。数え三つの年になろうとした矢先、その子どもが重い病にかかり、親達ももう寿命だなと泣き暮らしておったのだと。

 そのとき、雲の間から一人の神様が下りてきて言った。

 村中の逞しい男を集め、その赤子に精を与えよ、とな。

 両親も半信半疑ではあったが、空から下りてきたものを神様と思い、その言うことをとにかく信じ、村の男達に子どもに精を注ぐことを頼んで回った。

 男達も不思議に思いながら子どもの家に集まり、皆がそれぞれの逞しい逸物を扱き上げ、次々と男の精をその子どもに浴びせたのだと。

 たちまちにして子どもの熱は下がり、それからはそれまでの赤子時代が嘘だったかのように元気になり、逞しく育ちゆきては、ついに村を支えるまでの立派な男になったという。

 その空から下りてきて赤子を救ってくれた神様を祀ったのが、今の『おやしろさん』に御座す神様と言うわけじゃ」

 

 平七平八の親子に民俗学の知識があれば、それはどこか垂直型の来訪神の由来にも似ている寓話の一つでもあると分析できていたであろう。

 有名なものであれば沖縄のニライカナイ信仰による水平型の類型に対し、京都は鞍馬寺へと伝わる垂直型の来訪神伝説などは、その典型でもある。

 そして各地に残るそれには、多種多様なバリエーションが展開されていたのであった。

 

 平七の語る昔話に、平八が呟いた。

 

「逞しい男達、赤子、精を注ぐ……。

 もしかして『朱』ってえのは、『女の代わり』じゃなくって、そんときの『赤ん坊』を指してる、って、ことなんか!」

 

「ああ、そうだ。いや、そうじゃないかと儂は思っておった。

 儂も今のお前が思ったようなことを、この『朱』を引き受けたときに、ぼんやりと思ったもんじゃ。もっともその頃にはもう、その話を語る者もほとんどおらんでな。

 実際に今では、馬曳きの男達の中でも、『朱』の存在を、体(てい)の良い『女の代わり』と思うとる者もおることじゃろう。

 儂としても子どもの頃、聞いた覚えがあるかないか、ぐらいの話を、今さらに広めたがいいとは思うてはおらんだったしな」

 

「まあ、その、親父の話を聞いて、最初に感じたような『変な気持ち』は薄らいだけどよ……」

「話はまだ続く、もうしばらくは聞いておけ」

 

「今でこそ『摩籠(まごめ)』と呼ばれるこのあたりだが、それこそ昔は『摩羅籠(まらごめ)』の村と呼ばれとったらしい」

「マラって、それってその、『チンポ』のことだよな……」

 

 これまでの平七の話を聞き、息子である平八にも連想出来たのであろう。

 

「ああ、そうじゃ……。さっきの話のことでもあり、お前が言うように他所と比べることもそう無いので分からぬことかもしれんが、このあたりに生まれる男の『摩羅』は、どうも平均的なそれと比べるとかなりデカいようなのじゃ」

「まあ、確かに、子どもの頃見てた馬曳きの連中の褌もすげえ盛り上がってたし、組内での旅行のときなんか、他の団体の奴らに比べると全体的にデカかった気もするな……」

 

「そんな男達の中で祭りの『朱』を、赤子、子どもだと見立てるとすれば、それを男達の中から一人選ぶには、どんな選びようになるとお前は思うか?」

 

 平七の質問の意味までは分からぬ平八。

 

「……まあ、単純に考えりゃ、背の低い奴、小柄な奴、若い奴ってことになるんじゃねえのか?」

「だとすると、お前が今の馬曳きの連中と儂を見て、どう思うんじゃ?」

「ああ、親父が小柄ってことで選ばれる訳はねえなあ……。デカい方って訳でも無いが、もっと背の低い奴も何人かおるだろうし、年にいたっては、馬曳きの中じゃもう最年長か……」

「ああ、そうじゃな。では、他に儂を『朱』としたのは、いったい何が要因じゃったろうな……」

 

 いやらしそうにニヤリと笑う平七である。

 

「まさか、まさかな……」

「おそらくは、その『まさか』じゃろうて」

「まさかその、チンポの『大きさ』……、いや、違うな……。そのチンポの、まさか、『小ささ』で選んでるのか……?」

 

 どこか気の抜けたような、呆然としたような、平八の返事であった。

 父親からの話に、ことが自分にも及ぶのかと思い始めた矢先に、さらに頭を殴られたようなショックが走る。

 

「ああ、そうじゃ。

 儂が親から来年からはお前だと『馬曳き』を譲られた年、祭りのあとの『八日講』に、初めて参加したときのことじゃ。

 儂はおっ勃った逸物を当時の馬曳き全員と『摩羅比べ』をさせられ、その中で一番『小さいモノ』として、今の『朱』の座につくことになった。

 ああ『摩羅籠(まらごめ)』が『摩籠(まごめ)』となったように、昔は『馬曳き(まびき)』ではなく、『摩羅曳き(まらびき)』と言うとったらしいがな……。

 まあ、そのあたりの話は置いておいても構わんじゃろう。

 そしてもちろん代替わりで新しい馬曳きが入ってくれば、あるいは馬曳きの代替わりが無くとも祭りの後の『直会』では、馬曳きのもの達の間で『摩羅比べ』は行われる。

 そしてその度に毎回、この儂が『勝者』として、『朱』として居残ってきた訳じゃ……」

 

「そりゃ、おっ勃ったときをマジマジと見たことなんかは無いが、親父のがそんなに小さいとは思わないんだが……」

 

 男二人だけの暮らしが長くなれば、たとえ親子と言えども自然と相手の裸体がその視野に入ることも頻回となっていく。

 

「これが、他所のところであればな……。

 ここ、摩籠の、いや、摩羅籠の地では、儂のモノは確かに比べてみれば、それなりのモノでしか無かったんじゃな。

 まあ、一度『朱』として祀り上げられたら、次に近しい大きさの者が新しく入ってきたとしても、すぐに人を変える、ということにもならんだったろうとは思うておるがの……」

 

「その、親父が俺に『直会(なおらい)』のことで話しってのは、親父が『馬曳き』と『朱』を引退することになって、次の『朱』の選び出しに、この俺も参加しろってことなんだよな……?」

「ああ、その通りじゃ……。そして儂は、馬曳きはもちろんじゃが、儂がこの数十年やってきた『朱』の役割も、お前が継いでくれればと、思うておるのじゃ」

 

 平八としてみれば、思ってもみない父からの提案であった。

 目の前にいる父親、平七は、その尻で、口で、何十年もの間にわたって、この地域の屈強な男達の精汁を受け続けてきたのだという。

 その『朱』としての役割を、実の息子である平八に継がせたいという心情は、当の平八にはまったく理解しがたいことであった。

 

「親父は、俺が村中の男達の慰み者になることを、願ってるって言うのか……?」

 

 まったく頭が着いていっていないままの、感情が抜け落ちたような平八の訊ねである。

 

「ああ、そうではあるんじゃが……。

 だが、『朱』が馬曳き達の『慰み者』というのとは、ちと違うとは思うておるがな……。

 お前にはひどい父親だと思われるじゃろう。

 だがな、平八。儂はこの『朱』となって数年した頃に、あることに気付いたんじゃ……」

 

 平七の呟きに、首を傾げる平八である。

 

「どういうことだ、親父……?」

「儂はもう70になる年寄りじゃな?」

「ああ、まあ、それはそうだな……?」

 

 質問の意図が分からぬままの平八である。

 

「その70にもなる年寄りが、このようになんの心配もなく身体を動かすことが出来、それなりに力仕事も出来、さらには男達の汁を口にし、尻に受ければ、儂の逸物も激しく嘶き、あまつさえ一晩に何度も出してしまうんじゃ」

「その年でも、何度もイケるって言うのかよ?」

「ああ、そうじゃ、平八。そのことと、儂が最初に言うた『男達の精を注がれた赤子の話』を思い合わせれば、なんということになる?」

 

「男達の精をその身体に注がれた赤子は、それまでとは打って変わったかのように逞しく育ち、村を支えるよき男となった……」

 

 やはりどこかに感情が押しやられたままなのか、抑揚の少ない言葉を返す平八である。

 

「ああ、そうじゃな、平八。

 そしてな、平八。先ほど儂は、男達の中には『女の代わり』と思うものも多いとは言ったがな。

 それでもやはりこの『朱』と『馬曳き』の関係には、皆どこかに『おやしろの神様』が絡んでおることは分かっておるのか、この数十年、馬曳きの男達はみな、『朱』たる儂にいっさい無理強いをすることなく、その精を注いでくれてきたのじゃ」

 

 父親の語りを静かに聞く平八である。

 

「儂は男達の逸物を喜んで咥え、しゃぶり上げ、喉奥に打ち付けられる精汁をなんと美味いものかと飲み上げてきた。

 尻への穿ちも、慣れた男達が実に優しくほぐし、けして無理することなく、その奥へと熱き汁を放ってくれた。

 こちらが慣れてくれば、その動きもだんだんと激しさを増してはいったが、それでもそのときどきの儂の逸物もけして萎えることなく、男達の深くも甘い出し入れに、とろとろと汁を漏らしてしまっていたのじゃ。

 そして男達の汁を浴びれば浴びるほど、飲めば飲むほど、尻奧でそのような熱き汁を受け止めれば受け止めるほど、儂の身体は生き生きと若返り、この肌艶も増してきた気がしておるのじゃ……」

 

 あまりにも淫猥な、あまりにも強烈な、父の話であった。

 その根底に『男達の精汁を受けることでの健康と長寿の恩恵』が秘められていることは、呆然としたままの平八も理解はしている。

 そしてその恩恵を『受ける』者として父が息子を見ている、ということもまた、理解できてしまったのである。

 

「それは、その、俺としては……、いや、親父としては、この俺が『健康で長生きするために』って思ってるってことなのか……?」

 

 紐解かれていく父の話に、わずかばかりに生気が戻ってきている平八である。

 

「ああ、父親としての願いはまさにそれじゃな。そしてもう一つ……」

「まだなんかあるのか?」

「儂の話の最後、『精を注がれた赤子は村を支える立派な男となった』ということもまた、お前が継いでくれぬかとは思うておる理由の一つなのじゃ……」

 

 性的な関係を、男達の精汁すべてをその身体で受け止めるという関係を、それらを前提とせぬのであれば、実に過疎化地域における次世代育成のよい話となったであろう。

 しかしそこに横たわるのは、中熟年の同性間で行われるはずの、濃厚な性の絡み合いなのである。

 

「お前も分かっておるじゃろうが、この摩籠の、摩羅籠の地はこれから大きく発展することも変わることもないじゃろう。

 今いる皆がだんだんに年寄り、最期は火が消えるようにして無くなる村かとも思うておる。

 だが、もしお前が、村で一番の若手となってしまったお前が『朱』となれば、もしかそれをわずかばかりでも遅らすことが出来るのではないか、ふと儂は、そう思ってしまったんじゃ……。

 お前の寿命が尽きるまで、もしこの地に一人でも二人でも、男でも女でも、誰の血でも構わぬ。新しい血を呼ぶことが出来れば、そのようなことになにか繋げることがお前に出来るのなら、それはそれで儂としては『村のため』になるのではと、思うておるのじゃ……」

 

 平八とて50の手前を数えるまで、この過疎の村から『逃げ出さなかった』一人であった。

 

 カジカ鳴き、アキアカネ舞う、この地。

 

 山肌では茸を、栗を育て、葉物野菜は何処其処で多種なものが育つ土地。

 わずかな水田ではあるが、この地に住まう者の口にする量には充分過ぎるほどの米がその年の秋の実りとして得られる土地。

 林業で得られる収入は少なくも現金をもたらすものとして、今でもそれなりに周辺の地域との流通が残されている。

 日の出とともに目覚め、山の早い日没は家を守れとの土地からの命でもあるこの土地。

 

 毎日の細々とした暮らしの積み重なりは、単なる『郷愁』という言葉だけでは表すことの出来ない、すべての事柄を包摂していた。

 それらすべてが、平八の肉体にも、その精神にも、深く深く染みこんでいた。

 

 それは今現在、集落に残るすべての者達にも言えることであったのか。

 その思いの薄きものであれば、中学高校卒業とともにこの地を離れ、ほぼ二度と『生業』をするために帰村することは無い。

 今、このときにここに暮らす男達はみな、やはりこの土地に、ここに住まう己達に、遙かなる愛着と愛情を重ねていたのだ。

 

 平八もまた、確実に『残った』者の中の一人であった。

 祖先が、祖父が、父が、母が暮らしたこの土地を、どこか諦めにも似た思いは持ちながらも、深く深く、愛している者の一人であったのだ。

 

「話としては分かった……。

 ただ、俺が明日の『直会(なおらい)』に出るってことは、その、親父も最初にやったはずの『比べっこ』、ああ『摩羅比べ』ってのをやることなんだろう?

 それで、その、俺が確実に選ばれるってのが、分かってるのか?」

 

 その選定が厳密な『大きさ』によるものであれば、平八の疑問ももっともなものであったろう。

 

「まあ、儂が何年もの間『朱』として選ばれ続けておったため、今の馬曳き達の中で、今さら新しい『朱』に祀り上げられるのはどうにも、となる感情の者が多かろうというのは、お前も分かるじゃろう?」

「ああ、そうだな……。これまで『挿れる』『出す』側だったものが、急に『挿れさせろ』『飲め』となるのは、それはそれでキツい話だろう……」

 

 馬曳き達もまた、あくまでも『人』の集まりなのであった。

 

「まあ、大きさが極端に違えばまた話も変わろうが、もし儂のモノとお前のモノがそこまでの差がなければ、元々儂と競うような者は数人しかおらぬし、付き合いの形が大きく変わることを嫌う者もおるだろう。

 勃ったところをしかと見たわけでも無いが、儂とお前のモノがそこまでの差があるのだとは思えぬものでな……」

 

 あくまでも平常時での比較ではあろうが、越中の布の緩みにぼってりと垂れる逸物や、朝立ちの名残で前布を突き上げる様などは、親子それぞれが目にしてきたことである。

 平七が連れ合い、平八の母を亡くしてのここ15年ほどは、風呂上がりに家の中を裸のままで彷徨くことなど当たり前の、男二人だけの暮らしであった。

 

「そしてそこに先ほどの意識が及べば、他の馬曳き達も『平七の後を平八が継いでくれれば』と思うものも多かろうて」

「ああ、なんというか、そこはテレビで言う『忖度』ってのが働く訳だ……」

「まあ、そう言うことじゃな。そこを厳密に『定規で測れ』などと言い出す者は、誰もおらんはずじゃ……」

 

「…………」

 

 話の流れ、帰着点がようやく思い描けたのか、平八からはもう言葉も出ぬようだ。

 

「もちろんお前が今年の直会に出たくないと思うなら、無理に出る必要はない。

 村の『朱』を決める『摩羅比べ』は、毎年の祭り後の直会のときと、各家の代譲りで新しい『馬曳き』が入ってくるときに行われるんじゃ。

 もしお前が今回の直会に参加せずにおれば、これまでの『比べ』での儂との競り合いから考えて、清太か儂のすぐ下の喜八あたりか。どちらか儂の代わりが一人選ばれ、其奴がこの先の『八日講』で皆の汁を受けることになるだけじゃ。

 お前は来年の祭りまでの間にどこかの時点で儂と交代して、新しい『馬曳き』として『八日講』への参加とすればよい。

 儂の時と同じように初めて参加するときの『講』では、選び直された『朱』との『摩羅比べ』をすることにはなるが、そのときにはもう、さっきの話では無いが、その間に村のためにとやってきてくれた新たな『朱』に対して、皆の気持ちも変わっていることじゃろう」

 

「親父はそのパターンだったというわけか……。そのときの、親父の前の『朱』より、そんなに親父のが小さかったのか?」

「というよりも、儂が馬曳きになる前年に当時の『朱』が身体を悪くされての。馬曳き達の中でも『次の朱を選び直さねば』との気運があったらしい」

 

「ああ、なるほど……。

 つまりは俺が今年の直会に出れば高確率で俺が『朱』として選ばれ、出なければおそらくは別の奴がこれからの『朱』として祀り上げられ、どちらにしてもそれがこの後は何年かは続くことになる、ということなんだな……」

「ああ、そうじゃ。時期的な問題で結果が変わるというのもおかしなもんじゃが、おそらくはそうなると、儂は踏んでおる……。

 そしてそれが分かった上で儂はお前に、明日の祭りの後の『直会』に、『摩羅比べ』の儀式に出てくれんかと、思うておる」

 

 長い話であった。

 互いに越中褌一つだけを身に付けた親子が、胡坐座になり向かい合っている。

 よく似た体躯をした二人は、その太い首、手足、突き出た腹が、まるで鏡像に見えるほどのものだ。

 

 焼酎の熱気が残るにしては、時も経ちすぎていた。

 

 それでも70になる父と50も近い息子の年齢の差を考えれば、父親たる平七の肉体から立ち上る生気と体温は、かなりの『強さ』を持っているようにすら思えてしまう。

 それは果たして『朱』としての数十年にもわたる男達からの『精』の受け渡しによるものなのか。

 確たる証左・証拠があるわけでも無かったが、息子の平八から見ても、他の70のものと比べても、どこか異様に思えるほどの我が父の精力に何らかの『理由』を当ててしまいたくなることは、否定できないことであったのだ。