その1 摩籠(まごめ)の祭り
山峡のわずかばかりの谷間にしがみつくようにして、二十数件の家々がぽつりぽつりと現れる。
よく見てみれば、そのうちの何軒かは空き家になっていて既にそれなりの年月が経つようだ。
かろうじて人の気配を感じる家々からも、賑やかな子どもの声は絶えて久しい。
近くの村々(といっても一山越えての話ではあるが)の者達からは『摩籠(まごめ)の集落』として呼ばれる、いわゆる限界集落の一つである。
今は子どもの声の聞こえぬこの地も一昔前には麓の炭鉱の町へ男衆が出稼ぎに向かう背景集落として、それなりに賑やかな地域であった。
かつて黒いダイヤと呼ばれた石炭需要に沸いたこの集落も産業構造の変化による鉱山閉山により一気に過疎化が進んでしまったことは、全国の同じような村落と変わりはあるまい。
当時より平地に比べ嫁の来手が少ない地域ではあったが、現在では中高年の男達とせいぜいその親の世代がぽつりぽつりと住むだけの土地となっている。
今ではもう外部との農産物の流通が大きく行われるわけでも無く、林業での動きが少しばかりはその補填となっているぐらいであろうか。
狭い平地と山の傾斜を利用した、ほぼ自給自足型の生計で成り立つ村落であった。
この寂れた、それでも現在に続くまでなんとかその血脈を保ってきたこの村で行われる秋祭り。
ここ、摩籠の集落に伝わる『摩籠祭(まごめまつり)』は、日頃の農事に供される農耕馬に敬意を表し村人が互いに一年の労をねぎらう祭りとして、かつては20頭近くの馬が集落内を練り歩いたと言う。それも今では儀礼的に飼育されている老馬1頭だけの、実に寂しいものとなっている。
それでも村落の住人達、とりわけ祭りで馬を曳く多くの男達にとっては、年に一度、村一番のハレの日の祭りとして、連綿と続けられてきたものであった。
祭りそのものは、小さな社だけが残る神社に奉納した馬を村の壮年の男達が各家を曳いて廻るという単純なものだ。
はたして『馬』がいつの間にやら『摩』へと変化したものか、はたまたその逆か。
その年、不幸があった家では馬を曳く男達全員の黙祷が捧げられる。
さらには嫁迎えや出産、子どもの節句、長寿の祝い等を行う家があれば(今ではもうほぼ無くなってしまったが)、やはり男達による朗々とした祝い唄が歌われていたのだ。
祭りで奉納される馬は、各家代表の『馬曳き(まびき)』と呼ばれる男達によって口取り・曳き回されていく。
一家からは一人の男子しか参加出来ないこの『馬曳き』のしきたりは、たとえ働き盛り男盛りの息子がやりたいと願い出ても、親の世代が自主的に引退せねばその役を引き継ぐことは出来ないようになっていた。
一般的に過疎傾向にある村々では一日でも早く村落行事を次世代に繋げたがるものではあるが、ここ摩籠の地にあってはいささか様子が違うようである。
代を譲った親の世代達は祭りの実働部隊からは一線を引き、各家を廻る馬曳きの男達の歓待へとあたる。
馬曳きの男達は普段は主たる村の労働力として働きつつ、集落内での組織としては青年団や消防団としての役割をも併せ持っている。当然のこととして誰も疑問にすら思わぬことではあったが、そこに属する男達は、この『摩籠の祭り』と、月に3度行われる『講』への参加を、その義務とされていたのである。
村の独身人口の年齢が上がるとともに、今の馬曳きの男達の最年少のものですら、すでに50の坂を越えていたのではあるが。
秋祭り、摩籠の祭りにて馬を曳く男達は、全員が褌一つだけを身に付けた、裸の姿。
かつて何頭もの馬が参加していた時代には、家々を廻った馬が集落内を通る山道に再び集まり、六尺を締め込んだ男達が早駆けをする馬達の後を追うという、実に勇壮な、馬と裸男達の競演が見られるものであった。
その身のうちの滾りをまさに『馬並み』にとも思えるほどに褌の股間を盛り上げた男達が、むくつけき裸体からしたたる汗とともに目の前を駆け抜ける。
男達の裸と汗と、逞しい馬達のその姿に、集落の子ども達もこぞって歓声を上げていたのだ。
今では年老いた馬に無理をさせることも出来ず、ゆっくりとした歩みの中で、それでも一軒一軒、家々を丁寧に廻る馬に十数人の裸男が付き添っていく。
さすがに役を持つ数人は法被を引っかけてはいるが、男達の大半のものはきりりと締め上げた真っ白な六尺褌一丁の見事な裸体を、秋の明るい陽射しの中で汗ばませているのだ。
どの男も山峡での生活と労働に鍛えられた、太り肉(ふとりじし)の逞しい肉体をしていた。
馬曳きの男達のその中に、これもまたでっぷりと肥えた腹、逞しい首、盛り上がった厚い胸と太い手足が目立つ、集団の中で一人だけ、『朱い』褌を締めている男がいた。
男達の中でも、おそらくは最高齢の者として讃えられている証でもあるのか、あるいは何か特別な役回りでもあるのか。一人装束の違うその男の朱い褌の前袋は、ゆったりとした膨らみを見せている。
もっとも他の者達のそこもまた、それ以上の猛々しいまでの盛り上がりを見せているのではあったが。
過疎の村に漏れずして、この地の馬曳きの男達の年齢も年々その平均を上げていく。
肌を晒す男達は若くても50代前半か。褌姿の男達のそのほとんどの者は、60才前後、あるいはその上の者達だろう。
この土地だけの話では無く、過疎化の進む地方においての60代はまだまだ現役、働き盛りであることは、少し事情を知るものであれば誰しもが首肯出来ることである。
男達はみな、その年には似合わぬほどに肌の色艶めざましく、張りのある全身から漲る精力は、ある意味この地域の男達だけが持ち得るもののようだった。
馬曳きの者達自身が、この村においての一番の労働力の供給源なのである。
そんな摩籠の集落での祭りではあったが、今年ばかりは近年に無いほどに、男達の力の入れようが違っているようだ。
「今年は平七さが、もう年だ。次の『朱(しゅ)』を選ばんとな」
「平七さんところなら、馬曳きも息子の平八との入れ替わりもあっぞ」
「平八が『朱』を継ぐんなら、面倒も無いんだがのう」
祭りを前にした時期、男達の話題はある一点に集中していた。
話題に上がった『平七』という男の名は、『馬渡平七(まわたりへいひち)』。逞しき馬曳き達の中で一人だけ朱き六尺を締め上げていた祭りの中心人物、『朱(しゅ)』と呼ばれる者であった。
この村では『馬渡』『馬渕』等、『馬』の付く同姓の者も多いため、自然と互いの呼び慣らしは下の名で、ということになっている。
「平八が『朱』も継いでくれるなら、周りもそのままでいけるんだがな」
「平七としてみると、息子を今晩の『直会(なおらい)』に寄せるかどうかも、迷うとこだろうて」
「直会に来させて平八が『朱』を継げば、逆にこれからは平七が平八を使って『楽しめる』ようになるからのう」
祭りの前の高揚が昂ぶりゆく集落のそこここで、男達の囁く声が聞こえる。
祭りの『朱(しゅ)』(あるいは『主』か?)を、これもまた30年近く務めてきた『平七』とやらが喜寿の祝いを迎える今年は、『朱』の引退の年として、次なる新しき『朱』が選ばれることとなるのだ。
男達の話しを聞けば、どうやらその『朱(しゅ)』の選び直しは、祭りの済んだこの夜の、『直会(なおらい)』と呼ばれる宴席にて決まるらしい。
話しに出て来た『馬渡平八(まわたりへいはち)』は、これまでの『朱』たる『平七』の一人息子であり、今年ですでに48を迎える男であった。
父に似た逞しい肉体はずっしりと太く重く、膂力精力に満ち溢れている。その強い欲求の解消には、日に二度三度もの性の噴き上げが欠かせぬほどだ。
普通であればとうに馬曳きの代譲りを受けて当然の年齢ではあったが、父の平七が長年務めてきた『朱』たる存在であったがゆえに、この年まで祭りの間も家を守ることに専念してきたのであった。