旅立ち
ローがダイラムの前に進み出ると、珍しくも前脚も含め4本の逞しい脚を折り、さらにはその頭をも下げる。
文化的には二足歩行の人獣類が行う平伏と同じく、かの族による最高の敬意を表す姿勢であった。
正確に理解していたかは分からぬが、その姿を前にしたダイラムもまた片膝を着き、己の頭を垂れた。
「ダイラム殿、俺の、いや、この私の背を、私はあなたに守ってもらいたいと心から願う。
私の背に跨がるあなたを、私は私の力を持って、守り、救い、ともに闘わんと願う。
私は私のこの脚で、あなたと共に地を駆け、谷を下り、山の頂を目指さんと願う。
私は私のこの手で、あなたと手を繋ぎ、共に未来を思わんと願う。
私の背をあなたに任せ、私とあなたの人生を、共に進まんことを、私は心より願う」
それはある意味、ドラガヌとノルマドの族間に結ばれる『契り』にも似た、『誓い』であった。
森の守り手、賢馬人の背に何物かが乗ったという事実は、世の見聞を多く知るダイラムですら未知のことであり、どのように重層的な心理段階を踏んでのことかすら、想像もつかぬのだ。
世の理(ことわり)を多く知るダイラムであればこそ、おそらくは若きケンタウロス、ローの胸の内を確認せねばとの言葉を紡ぐ。
「ダイラム殿、あなたの心よりのその言葉に、まことにいたみいる私でございます。
もちろんこれは、私どもの願いでもあった、共に歩み、共に闘う友と手を繋ぎたいという希望の成就にほかなりませぬ。
ですが、ですが、本当によいのですか?
一定の体力とあなたの精を受け止めることは出来ようとも、やはり私は既に我が命の灯火の、その弱き残り火を生きる者。
より若く、より逞しき者こそが、貴殿の背を守るにふさわしき者ではござらぬのか?」
ダイラムにとっても、ローにとっても、ある意味、結論結果は出ている問いであった。
ケンタウロス、賢馬人と称されるローが、その思考を通して選んだ相手。
そこには様々な可能性、これからの進路、課題、自らの族の運命、この世の理。
それらすべてを秤にかけ、熟慮熟考した上での結論であるはずなのだ。
「そのような問いをダイラム殿がなされるであろうことは、私とて予想しておりました。
それをもってしても、私のこの『願い』は、私のこの『思い』は、いささかの揺らぎもせぬこともまた、あなたもお分かりでございましょう。
改めてお伝えします。
この私、魔の森のケンタウロス一族が族長ベルクの息子ロー、このローの願いを、どうかどうか、聞き届けていただけぬでしょうか」
顔を上げたダイラムが、その光彩が七色に揺らめく瞳を、ローに、グリエラーンに、リハルバへと向ける。
頷くグリエラーン。
頷くリハルバ。
頭を垂れたままのロー。
再びその視線が賢馬人へと戻ったそのとき、ダイラムの手がローの頬へと柔らかに届く。
「ロー殿……。
あなたの宣言に、感謝します。
この老魔導師、ガズバーン帝国魔導団団長ダイラムは、ケンタウロス族ロー殿の背を守り、あなたの手と脚と共に地を駆け、互いの一族の栄光を、この世の理を取り戻さんと、共に参りましょう。
ロー殿と、このダイラム。
互いにその身を一つとし、明日の未来を創るべく、ひたすらに邁進することを、ここに誓いまする」
ここに、ローとダイラム、リハルバとグリエラーン、地を駆ける者、空を往く者と対になり、その手綱を握り背を守る者の二組が誕生したのであった。
「ロー殿、私からも礼を言う。本当にありがとう」
「ロー殿、地と空と、駆ける場所は違えども、仲間として共に未来を探していこう。そしてダイラム殿との交情も、また私にも楽しませてくれ」
リハルバの言葉に笑い転げる男達である。
「さて、これからどうする、というのがまずは課題だろうな」
ひとしきりの話の後に、グリエラーンが切り出した。
「ケンタウロス一族とノルマドの4人を、まずはどうしたものかではあるが……」
「あのバイコーンとやらがまだこの近辺にいるのであれば、安易な再接触はしないでおいたがいいのではないか?」
「それはそうだが、ロー殿としても一族の皆が心配では無いのか?」
「ああ……。だが、一度あのアスモデウスとやらの精神支配が解けている状態であれば、大まかな状況把握は残された者達でも出来ることかと思う。
それに親父には鳥を飛ばして、俺の方の動きは伝えていくことにするので、そのあたりはそう心配せんでもいいのではと考えてるところだ」
「鳥?」
突然出て来た単語に戸惑うのはグリエラーンである。
「ああ、あんたらは知らんのか?
俺らは昔から、遠い場所にいる仲間には餌付けして常に身近にいるようにしている『鳥』を使って、情報の伝達をしているんだ。
それがこいつら、『鸚鵡(おうむ)』って言うんだが、確かにこの森以外ではこのあたりでは見かけない鳥ではあるな……」
ローがヒューっと高い音の口笛を吹けば、パサパサとした軽い羽音を響かせながら、一羽の鸚鵡(おうむ)がその逞しき肩へと羽根を下ろした。
「ああ、森でよく見かけた鳥ではあったが、あなた方が庇護していたのか!」
「庇護、というものでは無いが、どちらかというと共生に近い存在かもだな。こいつらは森と塒近くに集団で住まっていて、かつ、一羽一羽がが決まった番(つがい)を持っている。
雌性個体は塒に、雄性個体は俺らに付いて動き、番同士の惹き合う習性と、餌付けに依って俺ら個人に懐く習性を利用して、情報のやり取りをするんだ」
考え込んでいたダイラムが、ローに尋ねる。
「この森の植生がどうにも周辺の土地とは馴染まぬような気がしておったのですが、もしやそのオウムとやらの生活環境を守るために、あなた方の移動と植生の地域確保を同時に行っていたのですかな?」
「そのあたりはもう昔のことなのでよく分からないが、そういう目的というか、こいつらとの付き合いが長いというのは聞いたことがあるな……」
「ダイラムの疑問もあろうが、まずはベルク殿等との連絡手段が確立されているというだけでも進展だろう。
となれば、次の進路、行き先をどうすればいいのか、改めてダイラムの考えを聞きたいところだな」
切り替えの早いグリエラーンが、ダイラムにもまた、思考を先に向けるようにと意図的な質問を出していく。
「そうですな……。
ドラガヌと庇護していただいたノルマドの者達に付いてはリンバル殿がよく調整してくださることでありましょう。
ケンタウロス達についてもロー殿がこちらの状況を伝えつつも、あの薬の影響がもう少し抜けねば身動きは取れますまい。
となれば、彼らの塒に戻るよりも、先に進むがよかろうかと。
ここからの移動と考えれば、より大陸の西へと向かい、西方連合の者達との渡りをつけるというのはどうでしょう?」
4人の中で、大陸間を実際にその足で動いたことがあるのはダイラムだけである。
帝国の次期皇帝として、いわゆる帝王学を学んでいたグリエラーンにも一定の知識はあれど、あくまでも書物上の知識の詰め込みであり、実践にはまだまだ不十分だということを本人も自覚していることでもあった。
リハルバやローにおいては、その身体能力により広範な移動圏域を我がものとはしているのだが、その中にはアスモデウスの対抗勢力となりうるような、他の集団や国家の宛ては無い。
「西方連合か……。確か4ヶ国の緩い連合体であると、父から聞いたことはあるが……。宮廷儀典でも代表の方の謁見はあったと記憶しているが、親しく話をしたことが私も無いのだ……」
グリエラーンの言葉にローが少しばかり驚いた表情を見せたのは、この若者が改めて次期皇帝としての継承権を持つということを思いだしたせいか。
「ガズバーンの状況も気にはなるが、今のこの勢力で戻っても、何か出来るというわけでも無いだろうし、ダイラムの薦めの通り、西へと向かってみるか!」
若者らしい、楽観的なものの考え方は、ある意味『お坊ちゃん育ち』というのはあるのかもしれぬ。
それでもダイラムの目から見れば、その『楽観性』こそが、わずかにみえた未来への希望に繋がるものかと思えていた。
「西方連合の構成国には、海洋性国家もございまする。また、気候条件もこちら側とは違いかなり温暖な地が広く続くために、邂逅する種族も多く見られましょう。
出来れば魔導の力持つ者達との、連絡連携が出来ればよいのですがな……」
「何か心当たりはあるのか、ダイラム?」
「かなり昔のことではありますが、一定の訓練をしたものが幾名かはおりますが、果たしてどう動いてくれるものやらではございます」
これまで黙って話を聞いていたリハルバがここで口を開く。
「ダイラム殿の言う『魔導』というものだが、私やロー殿にもわずかだがそれがあると聞く。その力は訓練や練習で高めることは出来るものなのか?」
「おお、それは学んでいただかねばと思っていたところでございますよ、リハルバ殿。グリエラーン様始め、リハルバ殿、ロー殿にもその力を知り、強めるためのいささかの訓練が必要かと思っております」
ダイラムとしてはガズバーンを出た時点より、頭の中にあった計画であった。
なにぶんにも様々な出来事が次々に起こりゆく中、その時間が取れなかったのだ。
「そうとなれば、西方連合を目指して西へ向かい、その道中にダイラムより我らの魔導の力を鍛えてもらう、という方針でいくことでいいかな?」
やはりグリエラーンの判断が一番早い。
そしてそれは、これから起こりうる様々な困難の中、大いなる利点であろうともダイラムは思うのである。
「異議無し!」
「私もそれで! この身にあの悍ましき『淫の気』に、少しでも対抗する力を身に付けることが出来るとあれば、どんな訓練にも耐えてみせます」
ローもリハルバも、それぞれの思いはありながら、互いの意思が一つとなった。
「大陸の東西間の大移動だ。かなりの距離、時間もかかることになると思う。
ロー殿、その、オウム、とやらは、それほどの距離の移動は大丈夫なのか?」
「ああ、キイロについては大丈夫だ。こいつらは地球体の裏側からでもちゃんと動ける、飛べると教わってる」
ローが、その肩に止まる黄色い鸚鵡の喉を優しく撫でる。
その刺激を受け、キイロと呼ばれた鸚鵡の曲がった嘴から、高い声が森に響く。
「オレ、キイロ! オレ、キイロ!」
「しゃ、喋れるのか?!」
グリエラーン等が一斉に大声を上げた。
彼らの生息域には、人語を話す鳥獣の存在は見られなかったのだ。
「ああ、いや、違う違う。こいつらは『喋ってる』んじゃ無くて、くり返し聞いた『音を真似する』ことが出来るんだ」
「いや、それでも、驚いたな……。あ、だが、それもまたもしや連絡手段の一つとして使えるのか、ロー殿?」
「うーん、それをやるのは手紙も書けぬほどのホントに緊急事態のときぐらいだな。
20回も繰り返せばけっこうまともに真似することが出来るようになるが、前に覚えてたのと混ざったり、たとえば移動途中で他の鳥の群れと一緒になったら、そいつらの鳴き声を真似しちまったりするし。
あくまでも基本は足に着けた文筒に、紙を入れて飛ばすって奴になる」
「いや、これは私達も互いに情報を交換しながら、各地の知識と経験を学び直さぬといかんようですな……。
それこそが、そのような知識の蓄積こそがもしやアスモデウスに対する、何らかの『力』を見いだすよすがとなるやもしれませぬ」
「それでは、ここから4人で西へ向かうことにしよう!」
グリエラーンとしても檄の意味としての声掛けであったのだろう。
だが、その動きがローからの言葉で、はたと止まってしまう。
「済まん、みんな。まあ、その、こう言うのを隠さないようにってあんたらに習ったことなんで、ここで言っちまうが、ダイラム殿。
旅立ちの前に、また俺のを何発か抜いてくれないか?
さっきのグリエラーン殿、リハルバ殿とのあれで、かなり燻っちまってたみたいなんだ……」
顔を見合わせるスリットを持つ3人ではあったが、そこにはこれからの『見通し』を持つことが出来たゆえの、どこか余裕の色が見える。
「もちろん、すぐに相手をさせていただきますぞ、ロー殿。
そのために、お相手に立候補させていただいたのですからな」
にっこりと笑うダイラムの背中では、まだ流れた血が乾く間は無かったはず。
手当をしたリハルバは、ほんの少しその背を見つめていたが、それもまた瞬間のことであった。
「グリエル、あの2人がやり始めれば、私達も、だな」
「ああ、もちろんだ。ロー殿が少し落ち着かれるまで、私達も楽しもう」
旅立ちの朝になるはずが、もうしばらく、この森を離れるには時間が必要となった一行である。
大岩に背を預けたダイラムにのし掛かるロー。
横たわったリハルバのスリットに手を伸ばすグリエラーン。
二組の男達の激しくも慈愛に満ちた情交が、再び始まろうとしていた。
了