賢馬甚一族と新しき淫獣の出現

その1

ドラガヌの村にて

 

ドラガヌの村にて

 

 邪神アスモデウスがガズバーンの王宮に出現し一カ月、狼獣人族ノルマドと龍騎ドラガヌのゲルでの拉致より半月程が経たんとする頃。

 

「どうにかノルマドの皆をドラガヌの里へと移すことが出来たな、リハルバ殿」

「ああ、ゲルでのダイラム殿、グリエラーン殿の説得も助かった。高齢の者の中には森へと戻ることを、よしとしない者も多かったからな」

 

 リハルバの提起により、残されたノルマド一族へリハルバ達の故郷である南西の森へとの移動を促しはしたものの、移動住居であるゲルの解体と通常よりはるかに少ない人数、さらに高齢の者、若年の者の足に合わせた移動にはそれなりの期日を要したのである。

 

 中空から広域を監視するリハルバと、言わば護衛のような形で竜神としての膂力体力を誇るグリエラーンとダイラムが地上での警戒にあたっての移動であった。

 ノルマド一族もまた、草原におけるその疾き足には他族の追随を許さぬ力があるのだが、季節ごとの居住地であるゲルの移動には解体した家屋の材料をも含む大荷物が発生する。

 その負担につけこんだワイバーンの狡猾さを考えれば、これほどの見事に練られた罠を見破れなかったノルマドと龍騎の者達を責めることはできないことであった。

 

『残された雌達や高齢の者、さらにはまだ戦闘力の低い若年の者達を、ドラガヌ一族の暮らす森にて、その保護の下に暮らせるような算段を行う』

 

 リハルバが提案し、グリエラーンとダイラムからのガズバーンの現状説明などの補足を行うことで、草原を離れたくないノルマド達へも、なんとか移動を承諾させることが出来たのである。

 戦闘能力の高い雄達が共に空を駆ける龍騎ともどもワイバーンの傀儡となった竜人達に攫われた中、残された狼獣人の一族を守るためには仕方の無い移動計画であったと言えよう。

 

「やはりそのあたりは歴史的な経緯もあったのではあろうが、なにせ保護的な移住がまずは一番でしたからな。

 いや、リハルバ殿の演説も、ノルマド達の心に響いたのではと思っておりますぞ」

 

 ゲルにいたドラガヌとしてはただ一人残ったリハルバは、己が目にしたガズバーンの状況を残されたノルマド達へと知らせ、現状雄達や騎竜を奪還する見込みが無いこと、他族他国との兼ね合いもあり、早急に居住地の移動が必要なことを堂々と、そして切々と訴えたのだ。

 もちろんそこでは、族長ガルやその息子であるラルフがどのような『状況』に陥っているのかまでは、決して伝えられぬことではあったのだが。

 

 おそらくはガルもラルフも、そしてダルリハも、ガズバーンの宮中で繰り広げられている肉宴へ、その意思を半分奪われながら身を投じているだろうこと。

 その後に攫われたノルマドの男達や『契り』を結んだドラガヌ等も、ワイバーンの傀儡となるか、もしくはガルたちと同じ肉宴にて『精気』を徐々に奪われているだろうこと。

 

 互いに築き上げた想いやそれまでの人同士の繋がりをすべて無きものとされ、ただひたすらに目の前の肉体へと情欲の矛先を『無理やりに』向けさせられた男達。

 なによりも悍ましく思われるのは、それまでに積み上げられてきた目の前の人物への想いや思慕はそのままに、アスモデウスとその眷族による『淫の気』の侵襲を受けてしまうことであった。

 尊敬する父、ガズバーン現皇帝であるグルムの勇ましくも勃ち上がった巨大な逸物を、実母フリエルが無惨にも殺されたその血の前で、あくまでも『自らが望んで』口にし、その盛大に迸る精汁を喉を鳴らして飲み込んだのは、皇帝グルムが息子、グリエラーンその人であったのだ。

 

 確信を得ぬままにそれらの推測情報を共有することは、残されたノルマド達に絶望しか与えぬだろうと、リハルバ、ダイラム、グリエラーンの3人が出した結論であった。

 

 ダイラムの言葉はまだ若きリハルバへの本心でもあり、自分達のアスモデウスとその眷族に対しての思いを、自らの心情をある意味『騙す』ことで協力しようとしてくれている若きドラガヌへの賛辞でもあった。

 

「そう言えばリハルバ殿、この村に到着後、御父上とずっと話し込んでおられたかと思うのだが、もしや我らの決めた、その『仮の契り』のことで、何か苦言があったのではあるまいか?」

 

 リハルバの父、リンバルは既に幾人かのノルマドの民との『契り』とそれに伴う人生の幾分かの共有を果たした後に、再びこの森へと帰ってきていた。

 狼獣人との『草原を征くもの』として、その背にノルマド達を乗せた日々の熱き思い出を胸に、リハルバの父となり、さらには我が息子が父と同じく草原の空を駆け征く様を見てきたのである。

 族長、王といった特定の長を持たないドラガヌの一族は、長老達の合議による集落の運営が為されており、リンバルはその中心となるものの一人であった。

 

 グリエラーンの問いは『グリエラーンを我が背に乗せるため、仮の契りを執り行いたい』とするリハルバの思いと、もしや一族における何か不文律な禁忌が不協和音を起こしているのでは、との不安からのものであったろう。

 その話が出た際に、リハルバの口より『部族的な禁忌が存在しているわけでは無く、あくまでも自分の心の問題なのだ』との言葉は聞いていたグリエラーンである。

 それでも連綿と続く一族の歴史の中で成立してきた『儀式』の意図的な踏み外しには、内部的にもブレーキがかかるのでは、との思いは根強くあったのである。

 

「ああ、グリエラーン殿は『契り』のことを心配していたのか……。

 いや、『契り』を行うための『褥(しとね)』の準備のこともあり、もちろん父には私の決意は伝えたのだがな。

 それについては父も『思うがままに動くがよい。三者間での契りとは私も初めて聞くが、それもまたお前達の一つの在り様であろう』と言ってくれた」

「それは、その、私としては『認めていただいた』と受け取っていいのであろうか?」

 

 帝国組織、まさに家父長制の最たるものとしての軛を持つグリエラーンとしては、無意識に出たこの問いは当然のものであったか。

 

「うん? いや、我々の一族に関して言えば、己の相手を心に決めるとき、親世代や一族に了承を得る必要など、もとより無いぞ? あくまでも私が心に決めた相手を『報告』するまでのことだ」

「ああ、済まぬ、リハルバ殿。つい、我が国のような世襲の概念が当たり前だと思ってしまっていた」

「いや、国により地域により、婚姻や番(つがい)の形成についてはそれぞれの考え方があるとは聞く。謝られることも無いとは思うが……」

 

 強大な竜人帝国ガズバーンの皇帝嫡子としてみれば、ある意味順当な誤解ではあったわけだが、それを素直に認めることが出来るのもまた、歴史ある帝国での異文化共存教育の賜物でもあったのだろう。

 

「父が心配していたのは別のことだ。

 詰まるところ、ある一定の世代層であり、その背に誰かを乗せてでも飛びたい我が一族の者達は、そのほとんどがノルマドの雄達と『契り』を交わしていた。

 それゆえそのもの達のほとんどが今回のワイバーンの企てで、おそらくその身を拘束されるか、あの『淫の気』とやらの僕(しもべ)になっているだろう」

 

 いわば血気盛んな世代ほど、今回のワイバーンの『罠』にかけることになったとの話であるのか。

 

「ああ、我らにはあまり見分けが付かぬが、こちらの里で見かけたリハルバ殿の一族の方々は、ノルマド達と行動を共にしていた龍騎達よりは幾分か高齢のようにも感じておりましたな」

 

 ダイラムの知識と経験からすれば、リハルバとその父親の懸念が読み取れたのだろう。

 

「どういうことなのだ、リハルバ殿?」

 

 分からぬことを素直に尋ねることが出来るのも、グリエラーンの若さゆえか。

 

「グリエラーン殿、ダイラム殿。お二方の、またそれは今となっては私にとっても同じことではあるが、アスモデウスとその眷族への思いと計画では、我らドラガヌの機動力、戦闘力を一群の戦力として当てにしておられたかと思うのだがどうだろうか?」

 

 思わずダイラムの顔を見つめるグリエラーンである。

 

「あ、ああ、まさに、と言うか、共に闘ってくれないかという思いは確かに持っている。もちろんそれは、今後知りゆくすべての人々に対しても思うことではあるのだが……。

 それも含めて、リハルバ殿との『仮の契り』を済ませ、一族の方々にお話しさせてもらおうかとも思っていたのだが……」

「父の懸念もまさにそこにあるのだ。ノルマド達に比べても、我々ドラガヌの者の方が幾分かは魔導と呼ばれる力への抵抗力があるのも確かだろう。

 だが私より長き年月を生きてきたダルリハですらも、あの力の前ではなすすべも無く瞬時に翼を下ろしてしまった」

 

 リハルバもまた、アスモデウスの眷族の力を目の前に感じたものの一人であったのだ。

 

「ああ、そうか……。残されたドラガヌの皆が、アスモデウスとその眷族に立ち向かうということにはかなりの無理があると、お父上は仰せなのだな……」

 

 若きグリエラーンにも、リハルバの父の持つ懸念が伝わったようだ。

 

「もちろん中には協力してくれるものもいるだろうし、あなた方竜人の一族と同じように、我らもまた生育年齢による能力の差はあまり生じぬというのも本来のところだ。

 ただ、我らとて完全な一枚板というわけでも無い。

 心理的にこの里に残った者達は、体力能力のそれよりも『心理的に』『引退した』と考えているものが多いのだ。

 その点が父が心配というか、より先を見た計画を、と指摘してくれたことだ」

 

 リハルバの父であるリンバルは、ドラガヌの森での一定の影響力のある存在のようである。

 そのリンバルの言葉にはかなりの重みがあると、仔であるリハルバもまた判断していた。

 

「また、色々とこの先のことは考えていかねばなりませぬな。リハルバ殿、グリエラーン様……」

 

 リハルバの言葉を受けてのダイラムも、ドラガヌの者達の気持ちを察してのことだろう。

 伝説と言われるほどの強大な力にいきなり立ち向かえるものは、そうはいないのである。

 

「それについて、いや、関連と言えばいいのか……。父から提案というか、報告があったのだが……」

「お父上から? それは興味深い」

「昨日、この森よりさらに南の地域を飛行していた一族の者より、どうやらノルマドらしきもの達が数人、野を駆けていたとの報告が上がってきたというのだ」

「ノルマドの?! それはどういうことだ!」

 

 グリエラーンが勢い込むのは仕方のないことだろう。

 少しでも手がかりとなる情報を手に入れたい。

 いきり立つ若者を制し、話を続けるように促すダイラム。

 

「私も父から話を聞いたときには今のグリエラーン殿と同じように意気込んでしまったのだが……。

 ガズバーンのこと、ノルマドのゲルでのことなどの情報が届いていない中、その者も特に気にも留めぬままだったらしい。私達の話を聞いて、もしや関係がとの報告ではあったらしいが、それ以上の情報があるわけではないとのことだ」

 

「ふうむ……。もちろんリハルバ殿が共に暮らしておられたノルマド達の一部が逃げておるのか、あるいはまた別の地に暮らす者だったかは分かりませぬが、それはそれとして追ってみる必要があるのかもですな……」

 

 ダイラムの言葉はより広範な『仲間』を募っていきたいという、一行の意思にも沿ったものであった。

 当然、グリエラーンの表情からも、その意図に賛同の色が見える。

 

「父の話では、そのノルマドと見られる幾人かは、この森の南に広がる丘陵地帯での目撃だったとのこと。

 おそらくその進路は『魔の森』と呼ばれる

、さらに緯度の低い広大な森林地帯に向かっていたのではとの推測だった」

 

「その『魔の森』とは、いったい……?」

 

 グリエラーンの王宮での学びでも、そこまでの知識は無かったのか。

 その問いにはダイラムが答えることとなる。

 

「私も訪れたことはございませぬが、たしかケンタウロス一族が暮らしている森のことかと聞き及んでおりますな。

 あまり他族との交流の無い一族ではありますが『賢馬人(けんばじん)』と呼ばれるほどの知識と魔導の力を持つ者達だと。

 ただ、私が調べたところでは目撃・接触例がすべて雄性の個対であるとのことで、そのあたりは生殖や生活環に関しての何らかの禁忌が存在するのやも知れませぬ。

 また文献に依りますれば、対峙した相手の本心を見抜く力に長けているとの描写もございました。

 その膂力体力も素晴らしく、なんでも前回のアスモデウスの降臨の際には、その眷族、淫獣の一人をケンタウロス一族が単独で滅ぼしたとの噂もあるほどで……」

 

「行ってみないか、その『魔の森』とやらへ!」

 

 ダイラムの語る内容をどこかこの先の指標とも感じたのか、グリエラーンの言葉にも力が籠もる。

 リハルバもまたその頷き様は、グリエラーンの提案に賛同している証だろう。

 

 暗に『仲間になってくれればこれほど心強い者達はいないだろう』という、ダイラムの気持ちは若い2人にも伝わったようだ。

 もちろんそこには同じ思いをドラガヌの一族へも持っていた3人ではあったのだが。

 

「もし、万が一あのゲルから逃げおおせた者達であれば、さらなる情報を得ることが出来るかも知れぬし、出来ればケンタウロスの一族とも渡りも付けたい」

 

 リハルバもまたその聡明さを言及されることの多いドラガヌの一人であった。

 ゲルの仲間達を、ドラガヌの仲間達を思う心の強さは、母を殺され、父を奪われたグリエラーンの心中の炎と同じく、熱く強く、燃え盛っている。

 

「そうなれば、本格的な移動をすることになるな……」

 

 ここ数日はあくまでもゲルに残された移動力の低い者達を伴ってのドラガヌの生息地への移動であり、グリエラーンとダイラムが地上で、リハルバが空中での周囲への監視と護衛を兼ねた移動であったのだ。

 今回のそれは、ノルマドらしき者達を追い、その行き先が緯度の違いをも明確となる地域へと、ある程度の距離を行かねばならぬものであることは間違いない。

 

「となると……」

「ですな……」

 

 少なくともグリエラーンとダイラムの考えは一致しているようである。

 

「私とグリエラーン殿の『仮の契り』を行わねば、話が進まない、と言うことですね」

 

 リハルバの言葉には、大いなる決断と決意が込められていたのであった。